出歯亀
今日は長めに昼休みをとっている。と言っても、長めの食事を楽しんでいるわけではない。TEX/LATEXで図面を貼り込めないという質問に回答を書こうとして、よせばいいのに Windows で角藤版pTEX/pLATEX + Ghostscript + GSView の環境を整えて検証までしてしまったからだ。検証終了後の昼食は、今日はカップラーメンである。
さて、食事のときは某所のテレビの横で食べているのだけど、今日たまたまつけていたワイドショーで、大衆浴場における「こども」は上限何歳までか、というクイズをやっていて、答の解説で、東京では明治23年に、7歳以上の混浴を禁ずるおふれが出た、ということを言っていた。
さすがに僕でも、江戸時代の大衆浴場が混浴だったことは知っている。あれ……そう言えば、出歯亀って何年だったんだろう?とふと考えたのだった。女性の裸を覗くことを「出歯亀」ということを知らない人ももう結構存在するかもしれないのだが、たとえば森鴎外の『ヰタ・セクスアリス』を読んでいると、こんな記述がある:
そのうちに出歯亀(でばかめ)事件というのが現われた。出歯亀という職人が不断女湯を覗く癖があって、あるとき湯から帰る女の跡を附けて行って、暴行を加えたのである。どこの国にも沢山ある、極て普通な出来事である。西洋の新聞ならば、紙面の隅の方の二三行の記事になる位の事である。それが一時世間の大問題に膨脹(ぼうちょう)する。所謂(いわゆる)自然主義と聯絡(れんらく)を附けられる。出歯亀主義という自然主義の別名が出来る。出歯るという動詞が出来て流行する。金井君は、世間の人が皆色情狂になったのでない限は、自分だけが人間の仲間はずれをしているかと疑わざることを得ないことになった。鴎外が書く位だから、当時、この事件や「出歯亀」という単語は常識的なものだったのだろう。事実、僕の世代位まで、出歯亀と言えば覗きのことだと意味が通ずる(最近はどうか分からないけれど)。
今の新宿区大久保でのことである。明治41年3月22日、電話交換局長の某が最寄りの駐在所に「妻が銭湯から帰ってこない」と届け出た。警察官や近所の人々が捜したところ、銭湯の近所にある空き地で、濡れ手ぬぐいを口に突っ込まれた妻の遺体が発見された。遺体には強姦された形跡があり、警察は強姦致死事件として犯人を捜した。不審人物を20名以上調べた結果、植木職人の池田亀太郎が、女湯を覗いたかどで何度か検挙されていたことが判明し、警察は池田を3月31日に別件逮捕し、容疑を追及、4月4日に強姦致死容疑で逮捕した。これが世に言う「出歯亀事件」である。
しかし、この事件が有名になったのは、実はこれ以外に理由がある。実はこの池田、取調べにおいて一度は自供したものの、開廷後は一貫して無実を主張していたのである。現在残っている資料を参照しても、池田が覗きの常習犯であったことは事実だと言えそうなのだが、本当に彼がこの犯行をなしたのかどうかは、正直言って断言しきれない部分もある。裁判所は池田の犯行を認定し、池田はその後服役したそうだが、実は「出歯亀事件」は、日本の司法における極めて初期の「冤罪(かもしれない)事案」であったということである。
さて、先に書いたように、銭湯で混浴が禁止されたのは明治23年である。出歯亀事件が明治41年、つまり混浴禁止から18年でこのような事件が発生したということになる。風俗の移り変わりというものが、いい意味でも悪い意味でも確実に世を変えていく、ということを、僕は強く感じる。いや、僕は別に混浴を推奨しているわけではないのだ。当局が混浴を禁止したのは、浴場の物陰でけしからぬ振る舞いに及ぶような事態があったからだ、と言われている。ひょっとしたら、湯浴みにきた女性が風呂の中でひどい目に遭っている例だってあったのかもしれない。「いい意味でも悪い意味でも」というのはそういうことだ。