It's Too Late
柳田稔氏が、とうとう法相を辞任する意向を明らかにした。したのだが、今回の辞意表明は、明らかに遅過ぎた。せめて日曜のうちであったなら、もう少し違ったムードになっていたに違いない。
まず、問題となった発言の要旨を聞き書きしたものを以下に示す:
これを読む限り、二番目の傍線部「分からなかったら」これを言う……というのは、「その内容を open にしていいのかどうか分からなかったら」というニュアンスを込めたかったのだろう、ということがうかがえる。法務関連に関わる内容は法務大臣として喋れないことがある、というニュアンスを強調するために、三番目と四番目の傍線部でダメをおしている。それは確かなのだけど、それならまず、「法務関連の内容は、それが喋れるかどうかということに関して、高度な司法的判断が求められる場合があるので、軽々に喋ることができないのだ」とちゃんと前置きしなければ伝わらない。つまり、上聞き書き文の四番目の長い傍線部は、最初に言わなければならない内容なのである。人前で喋ることは政治家の商売のひとつなのだから、これ位できないようでは資質がないと言われても仕方がないであろう。私はこの20年近い間、実は法務関係っていうのは1回も触れたことはない。触れたことがない私が法相なので、多くの皆さんから激励と心配をいただいた。ちなみに法相はほとんどテレビに出ることはない。そうだったら務まるかなと思った。
法相と(いう)のはいいですね。(国会答弁では)二つ覚えておきゃいいんですから。えー、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」と。これはいい文句ですよ。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。だいぶ(この答弁で)切り抜けてまいりましたけど、実際の話、しゃべれない。で、あとは「法と証拠に基づいて適切にやっております」。この2つなんです。まあ何回使ったことか。使うたびに野党からは攻められる。「政治家としての答えじゃないじゃないか」とさんざん怒られている。
ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です。「法を守って私は答弁しています」と言ったら「そんな答弁はけしからん。政治家だからもっとしゃべれ」と言われる。そうは言ってもしゃべれないものはしゃべれない。
これよりもむしろ問題なのは、おそらく上の最初の傍線部「テレビに出ることはない。そうだったら務まるかなと思った」の方であろう。国務大臣を拝命する立場として、いくら何でもこれはない。あまりにお粗末としか言い様がない。
そして、この後に柳田氏は更にダメをおしてしまった。
こんなことを発言したら、まるで、テンプレート然とした答弁は用意する官僚のせいだ、と言わんばかりではないか。百害あって一利もないこのような悪足掻き発言を、する方もする方だし、容認する周囲も周囲である。柳田法相、刑事局長に「踏み込んだ答弁」検討指示 批判かわす狙いか
柳田稔法相は21日、法務省で西川克行刑事局長に、法相が「踏み込んだ国会答弁」をできないか検討を指示したと記者団に語った。国会答弁を軽視するような発言で野党から辞任を求められている問題で、批判をかわす狙いとみられる。
法相は西川局長に「踏み込んだ答弁ができないかどうか、(訴訟書類の公判前の公開を禁じる)刑事訴訟法47条の制約もあるが検討してほしい」と指示したという。公明党の山口那津男代表はソウル市内で記者団に「開き直りともとれる言動を繰り返すことこそ信頼を損なう」と批判した。
(2010/11/21 20:29 日本経済新聞)
この状態をさらに焦げつかせたのが、輿石東参院議員(民主党参議院議員会長)の振舞いである。
輿石東参院議員は、小沢一郎氏に近いことで知られ、青木元参院議員の後継者とも言われる参院のボスである。この輿石氏だけでなく、民主党で内閣に参画している人全般に言えることだけど、隠然として権力を行使することに、あたかも麻薬的快楽を感じているかのようではないか。問責決議案の可決前か可決直後に柳田氏を更迭する方針を伝えることで、野党側にはひとまず矛を収めてもらい、補正予算案の採決に応じてもらいたい…。
首相官邸サイドや党幹部らはそんなシナリオを描いている。
柳田氏のあまりの評判の悪さに、民主党内でも「柳田さんはなぜ辞めないんだ」(若手)と不満は高まるばかりだ。
それでも輿石東参院議員会長は19日、「誰が辞めるんだ」と参院枠で入閣した柳田氏を擁護した。
(2010.11.20 01:40 MSN 産経ニュース 元記事リンク)
今回のこの「遅過ぎる」辞任の結果はどうなるのか。これは単純な話で、野党は問責による追及を、馬渕国交大臣、仙石官房長官(兼法務大臣)、そして管総理大臣にスライドさせて展開するだけの話である。要するに、追及への踏石がひとつ減って、そしてひとつ前に進んだだけの話なのだ。しかし、どうも管総理大臣や仙石官房長官はそういうことに思い至っていないようだ。しかしなあ……連中は、頭にオガクズでも詰めてるんじゃないのか?こんなことも分からないわけ?
で、批判する方にもこんな論がある:
このご時世に、右・左で論調をカテゴライズしようという時点で既に思考停止してんじゃないの?と思うわけだけど、追及すべきは仙石氏の左右の別ではない。先にも書いた通り、【法相辞任】コラムニスト・勝谷誠彦氏「こんな人物に拉致を担当させたなんて…」 仙谷氏兼務には「国民を愚弄」 「首相は辞めろ」
コラムニストの勝谷誠彦氏は「民主党がこんな人物に拉致問題を担当させたことに、国民はもっと怒るべき。後任に仙石氏を据えるのは国民を愚弄(ぐろう)している」と痛烈に批判し、失言後早急に罷免すべきだったと主張した。
◇
「国会答弁が2つで足りるなど、どれだけ真剣味がないのか、腹が立ってしようがない。改造内閣では小沢一郎氏の側近を好き嫌いではずすなど、内ゲバみたいなことをしており、真面目に組閣をしていたとは考えられない。最も問題だったのは、柳田法相のような人物に拉致問題を担当させていたことだ。2つしか話さない奴がどれだけ真剣にやっていたのか。この点について国民はもっと怒るべきだ。菅直人首相の任命責任は大いにある。柳田法相の後任に仙谷由人官房長官を兼務させるとはどういうことか。国民を愚弄している。極左の人間を検察のトップに立てるなど狂気の沙汰(さた)だ。民主党の限界の表れで、人材がいないのだから菅首相にはもうやめなさいと言いたい」
(2010.11.22 12:33 MSN 産経ニュース)
現政権に関わっている人々が、隠然として権力を行使することに、あたかも麻薬的快楽を感じているかのようであること。そして実際に、そのように行動していること。権力維持を国家運営に優先していること。これこそが問題なわけでしょう。彼らが独善的かつ権威主義的な権力を誠実な国家運営に優先して希求しているところこそ、我々が矛を向けるべき先なんじゃないのかね。頭冷やして、柳田氏の発言の問題点を読み返そうとか考えてないとしか、僕には思えないんだけどなあ。保守の立場で民主党政権の問題を批判するのならば、加地伸行氏が『正論』に書いた論文:
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101122/stt1011220345002-n1.htm
のような視点で語られるべきだろう。感情に任せた戯言の前に、ね。
ちなみに、僕自身は保守を志向しているわけではないので、上リンク先の加地氏の文章に対して少々私見を書き添えておこうと思う。まず、加地氏が現在の状況をどのように捉えているかというと、
……社会主義と(individualism の欠如した国である)日本における形式的な民主主義の相似性、そして社会主義国家でしばしば起こった恐怖政治と現在の民主党政権の政治との相似性を示したこのロジックは、保守でない僕から見ても現状をクリアに表わしていると思う。しかし、だ。現在の民主党政権は、そんな高級なことなど考えていないと思う。そもそも民主党政権それ自体が「単なる愚昧(ぐまい)な存在」に成り下がっているわけで、しかもその理由は実に単純で、彼らに philosophy がない、という、ただただそれだけなのだろうと思う。当時、新左翼は本気で、かつ無邪気に暴力革命によって政権を手に入れようとした。だから、敵対者となる警察や自衛隊を、彼らにとって「国家の暴力装置」と位置付けたのは当然であった。
しかし、もし自分たちが社会主義革命に成功して政権を得たとしたならば、今度は立場を替えて、警察・自衛隊を自分たちを守る暴力装置として使い、政権を批判する自由な発言を許さず、弾圧するわけである。その前例こそ、旧ソ連のスターリン政権であり、中国の毛沢東政権であった。
(中略)
そもそも民主党は民主主義を誤解している。欧米の思想である民主主義は、自立した個人を前提にした〈民が主〉人ということだ。民は、それを選挙という方法によって表現する。
しかし、東北アジアでは、自立した個人という思想・実践はなかなか根付かない。そのため、投票という手段だけがクローズアップされる。個人主義という前提は問わず、形式・手段だけが目的化され、投票数の多さを競うのみとなる。故田中角栄氏やその流れの小沢一郎氏らがその典型だ。
だから、選挙が終わると、民はお払い箱となり、単なる愚昧(ぐまい)な存在としか見なさない。民主党がそれであり、民が民主党を批判することなどもっての外で許さない。新左翼も、もし政権を握っていれば、そうなっていたであろう。つまり、〈民が主〉人ではなく、己れが〈民の主〉人と化す。これが、左翼的民主党の民主主義理解であり、大誤解なのである。
丁度、ガリ勉をして世間で一流と評価される大学に入った受験生の中に、そのプロセスで「その大学に入ること」が、人生における手段から目的にすりかわってしまう人がいることに、これはよく似ている。政権与党となるために散々四苦八苦する中で初志を忘れ、世の実情に目を向けることを忘れ、さあ何をしようか、というところで、実は政権獲得で内的な目的を達成してしまって、後は、それを堅持することだけに執着する醜い連中だけがそこに残った。実に単純な、そう、実に単純な話なのである。