ヒラリー・クリントンの失言
アメリカ国務長官のヒラリー・クリントンが、今週日曜朝のテレビインタビューで、エジプトの今後に関してこんなことを言った:
David, these, these issues are up to the Egyptian people, and they have to make these decisions.(詳細は NY Times の web 記事を参照されたい)
これを聞いて僕は「あー言っちゃったよ」と思ったのだった。キリスト教文化圏の人間だったら、これを聞いたら脊髄反射的に、新約聖書のこの一節を思い出すに違いないからだ:
ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」――マタイ 27:24
ポンティウス・ピラト(ピラトゥス)は、イエス・キリストが活動していた時期のローマ帝国のユダヤ属州総督である。ユダヤ人達の暴動を起こさんばかりの強硬な要求に屈するかたちで、罪人バラバを釈放し、自身が無罪だと思っていたにもかかわらずイエスをユダヤ人の長老や祭司にひき渡した。マタイ福音書では、その際にピラトが手を洗った、という記述が出てくる。これは己の手が血塗られていないことを示すために行ったと言われているのだが、「ピラトは手を洗った」と言うだけで、クリスチャンだったらピンとくる箇所である。
先の発言が日本でちょっとだけ報道されたとき、その訳はこうなっていた:
エジプトのことはエジプト人が決めるべきです僕は、この報道を耳にして、思わずこう呟いたのだ:「そしてヒラリーは手を洗った」。まあ、アメリカは保守的プロテスタントが多数派を占める国だし、そういう人達は僕のようなカトリック以上に聖書の文言はよく頭に入っているだろうから、これを聞いたら皆こう考えると思うんだけどなあ。
2011/02/01(Tue) 18:40:59 | 社会・政治