薄ら寒い
既に皆さん、各メディアの報道等でご存知かとは思うけれど、東海テレビが放映している情報番組「ぴーかんテレビ」において、にわかには信じ難いような放送事故が発生した。同番組中、テレホンショッピングの「しあわせ通販」というコーナーにおいて、稲庭うどんの製品説明中に、「怪しいお米 セシウムさん」「汚染されたお米 セシウムさん」と書かれた、抽選の当選者発表の画面と思われるテロップが流れてしまったのである。その前後をまとめた動画を以下に示す:
もともと、問題になっているテロップは、フリップ(最近これを「フィリップ」とか書いているのを散見するけれど、これは英語の flip board に由来する言葉なんでしょ?何やねんフィリップって。人名か?)として使われているものと同一の画像に、コンピュータ上で住所・名前を打ち込んだものらしい。作成したのは50代の男性外部スタッフということである。
……まあ、僕は毎度毎度、愛知県の県民性に対して否定的なことを書いている。だから今回、罵倒し倒そうと思えば出来ないこともないのかもしれないけれど、そんなことは何の意味もないことだ。ここでは、僕の経験も交えて、今回の事件の底に流れる問題について指摘しておきたい。
僕が前の職場に居たときのこと。ある日、安全講習というのがあって、職場の管理職格が誰か一人参加しなけれならないことになっていたのだが、皆多忙(多忙?事務方のIとか、他にもTとか、何かプラップラしてたような記憶があるけどねえ……)とのことで、僕が出席するように、と言われたわけだ。ったく何だって……などとブツブツ言いながら会場に行くと、職場のオフィスが入っているビルの管理会社(僕の職場の親会社の子会社……まあイトコ会社だったわけだが)を中心として、結構な数の参加者が来ていた。へー、じゃあ何するのかね、と思いつつ待っていたら、職場の親会社からの出向者であるお偉いさんが、講師として演壇に立った。
で、やる気もないままに話を聞いていたのだが……この言葉に、思わず息が止まりそうになったのだった。
「まあ、東海地震だ、何だ、と言ってますけれど……まあ、どうせ、来ませんからねえ」
何を呆けたことを……と思った一瞬の後、会場中からゲラゲラと笑い声が上がったのだった。僕は「やってられるか!」と、そのまま席を立った。
これを読まれている方は皆ご存知だろうと思うけれど、阪神淡路大震災が発生したとき、僕は阪大の院生で、大阪の箕面に住んでいた。僕の住んでいたところは活断層のすぐ際にあって、家屋の破損こそほとんどなかったけれど、あの地震のことはもう一生忘れられそうにない。月に1、2回は震度3の地震が来る水戸で生まれ育ち、小学生のときにはビルの7階で宮城県沖地震に遭遇したこともある、地震にはある程度慣れていたこの僕ですらそうなのだ。
大阪で暮らすようになったとき「よかったね、あっちって地震とかないんでしょ」と言われたことが何度もあった。けれど、あの阪神淡路大震災の経験は、天災というものから、そう簡単に人が解放されることがない、という事実を、僕に思い知らせた。その事実の重みは、決して茶化したりできるようなものではない。あのときだって、実際に数千人の人が亡くなっている。僕もかつて講義を受けていた、隣の学科の教授も、倒壊した家の中で亡くなっているのを発見された。理不尽な運命、理不尽な死は、僕のすぐ隣に厳然として存在していたのだ。そういう重い事実を、僕はあの地震で学んだのだった。
しかし、愛知に居を移してから、僕は何かがおかしい、と思っていた。それに気付くのにそう時間はかからなかったけれど、要するに、「他人事ではない」という、過酷で理不尽な運命というものに対する畏怖の念が、どうもこの辺りの人々には極めて希薄なのだ。いや、皆が皆そうだ、と言うわけではない。しかし、特にトヨタ系の企業で見かける人々……地元大学を出て、愛知以外の土地のことをほとんど知らずに結婚して、家を買って、毎日をぬくぬくと暮らしている人々の中で、そういう畏怖の念というものを持っている人は、おそらくほとんど存在しないのではないだろうか。
過酷で理不尽な運命に対する畏怖の念を感じる、ということは、つまりはそういう運命に見舞われることが他人事ではない、と感じることで、だからそういうときには何も言わずに助け合えるように、それができないならせめて少しでも良い方向に向かうように、努め、祈念することに僕等を向けさせる。しかし、そういうものを持たない人々は、他者の不幸に対して悉く「他人事」だ。自分が良ければそれでいい……だから、たとえば平気で道に横一列で広がって闊歩したり、一時停止をせずにクルマの鼻先を横断歩道に捻じ込んでみたり、そしてそれを指摘されたときには、まるで頭の上に人工衛星でも落ちてきたかのような顔をしてみたりするのである。
今回の「セシウムさん」などというのは、まさに「他人事」と書いているようなものである。地震も、津波も、そして原発事故も、今の中部地域の生活には関係ない、他人事である、そう思っているからこそ、フリップにあんなことを書いてネタにしたりできるに違いないのだ。
今回のあのフリップは「リハーサル用」だった、と報道されている。では、あのフリップを、あの番組の出演者達はカメリハ等のときに目にしていたのだろうか。一緒にそれを見て笑っていたのだろうか。もしそうでないなら、そうでないとはっきりしていただきたいし、それをしないならば、そう思われても仕方がないと思う。Wikipedia の「ぴーかんロード」項中「現在の出演者」 によると、福島智之アナ、内田忠男氏(元日本テレビアメリカ支局長、現名古屋外大教授)、金子貴俊氏(隔週)、奥山佳恵氏(隔週)、高井一氏(東海テレビアナウンサー)、そして勅使河原由佳子アナ……この中に、今回出ておられない方もおられるかもしれないが、あのフリップを目にしていない方は一刻も早くその旨表明されるべきだろう。今回の、この薄ら寒い事件の責めは、おそらく皆さんが考えているのよりもかなり重いものだろうと思いますよ。
Re:薄ら寒い
いやー sebe さんの場合は、自分で主体的に生き方を決められてるでしょ。そういう人はいいんです。「なんとなく」の中で生きている人達、というのがいて、そういう人達は、「なんとなく」の範疇に入らないものが存在していないかのようにふるまうことがあって、それは「なんとなく」の範疇の外にいる人から見ると非常に暴力的に見えることがある。そんな気がするのです。> しかし、あの告知に関しては、あれを現場で容認して
> いたのか否かは明白にすべきだと思います。
僕は、スタジオでリハやってるときに、皆であのフリップを見て笑っている光景が浮かんで仕方ないんですが、それは杞憂であってほしいです。
# 「ぴーかんテレビ」は、実は東日本大震災の前日に
# 津波特集を放映していたり、と、いいところも多々
# ある番組なので、今回の件は残念です。