北杜夫死去
大河小説「楡家(にれけ)の人びと」やユーモアに満ちたエッセー「どくとるマンボウ」シリーズで知られる作家の北杜夫(きた・もりお、本名=斎藤宗吉=さいとう・そうきち)氏が死去したことが26日分かった。84歳だった。
東京生まれ。父は歌人の斎藤茂吉。旧制松本高校(現信州大)時代にトーマス・マンに熱中、東北大学医学部在学中に同人誌「文芸首都」の同人となる。1958年から翌年にかけて船医として水産庁調査船に乗船。その経験に基づいたエッセー「どくとるマンボウ航海記」がベストセラーとなり、一躍人気作家となった。
60年、第2次世界大戦のドイツを舞台に、精神病患者をガス室に送り込もうとするナチスの作戦に抵抗する医師たちの姿を描いた「夜と霧の隅で」で芥川賞を受賞。64年には精神科医だった祖父・紀一に始まる斎藤家3代をモデルとした代表作「楡家の人びと」を発表して、純文学作品として高く評価された。
作風は幅広く、「船乗りクプクプの冒険」「さびしい王様」などの児童文学も話題になった。ほかの作品に、日系ブラジル移民の苦闘を描いた「輝ける碧(あお)き空の下で」や松本高時代を振り返った「どくとるマンボウ青春記」がある。91年の「青年茂吉」に始まる父・茂吉の評伝4部作では大仏次郎賞を受賞している。96年日本芸術院会員。
40歳の頃から躁鬱(そううつ)病にかかり、その症状をエッセーなどでユーモラスに描いた。
兄の故斎藤茂太さんは精神科医でエッセイスト、長女の斎藤由香さんもエッセイスト。
2006年1月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。
(日本経済新聞、2011/10/26 9:30)
いつかこういう日が来ることは分かっていた。この何年かの氏の衰弱ぶりは知っていたので……しかし、僕のアイドルの一人が、また世を去ったことは、哀しい。
もうかなり前のことになるけれど、文芸作品の愛好者であったある女性に好きな作家を聞かれ、北杜夫の名を挙げたところが、
「私は嫌いです。あんな甘ったるいもの」
と言われて寂しい思いをしたことがある。それがいいんじゃないか……と言っても、彼女には通じなかった。まあ、トマス・マンもヴィスコンティも嫌いだったらしいから、まあある意味徹底しているのかもしれないけれど。
中高生時代に、気心の知れた友達の間では「北 term」がちゃんと通じていた。「鬱勃たるパトス」と言って、ちゃんとその集団内では通じるのである。まさに、北杜夫自身が松本高校で過ごした日々の記憶のように、僕の中高時代の記憶の中に、今も北杜夫の存在は欠かせない。感傷にふける余裕もない日常の中だけど、これを書いている間位は、この感傷を存分に噛みしめたいと思うのである。