無神経
今日は、これを読まれている皆さんも、各々、色々なことを考えられたことだろうと思う。丁度一年前の今日、あの東日本大震災が起きたのだった。
しかし、僕は、今日というこの日に、厭な気分にさせられることが二つもあった。まずひとつは、今日「名古屋ウイメンズマラソン」が開催された、ということだ。まあ、交通規制等の都合もあって、なかなか後から開催日をずらし難いのは分かるのだけど、せめて今日位は何とかならなかったのだろうか。
もちろん、今日という一日だけかしこまっていたって、地震や津波の被害……それは一年前の被害も、そして来たるべき東海・東南海地震で予想される被害に対してもであるのだが……を本当に思い遣っていることになるわけではない、という主張は、僕ももっともだと思う。しかし、だ。今日のような日に、あの地震に、津波に、そして原発事故に、心をを向けずして、ではいつ心を向けるのだ、とも思うわけで、そういう意味では、せめて一週間ずらすとか、スタート前に皆で黙祷するとか、少しはやり様があったのではないか、と言いたいのだ。
そして、僕の所属教会。9時半から、東日本大震災追悼ミサを行った、そこまではいいとして、その後、教会建立50周年式典とパーティーを、よりによって午後2時46分をまたいで挙行する、というのは、これはどういうことなのか。せめて、朝9時半から記念式典をやって、午後の時間を追悼ミサにして、あの時刻に皆で黙祷をすべきだったのじゃないか。こういう時に祈ることもできないで、何がカトリックだというのか。呆れて言葉も出てこない。
え、僕はどうしたか、って? 当然、そんな記念式典はボイコットして、家で政府の追悼式典の中継をつけて、一緒にあの時刻に黙祷していましたよ。当然でしょう。それにしても、この地方の連中の無神経さには、ほとほと嫌気がさしているのだ。これで自分達が地震で被害にあったら、きっと自分達が世界で初めて震災被害に遭ったんだ、みたいな顔をするに違いない。本当に、本当に厭になるのだ。