重みを軽んずる人々 III
オスプレイの話で書くのが遅くなってしまっていたが、僕の所属教会に関するグダグダな話の続きを書くことにする。
前回の話では、献堂50周年記念冊子を2部も送りつけられ、日曜に叩き返すつもりだ、というところまで書いたのだった。あの後、ただ叩き返しても連中は何も反省しないのだろう、と思い、手紙を添えることにしたのだが、ただ手紙を添えても黙殺されるだろうし、場合によっては逆ギレされて吊し上げを食らう可能性だってある(いや、連中は本当にそういう手合いなのだ……カトリックが聞いて呆れる、という話なのだが)。そこで、手紙のコピーに添状を付けて、教会の主任司祭にも送っておくことにした。以下に手紙と添状のコピー(一部加工してあるが)を示す。
土曜日の午後、例の冊子二部にこの手紙を添えた包み、そして手紙のコピーに添状を入れた封筒を携えて、僕は教会の事務に向かった。事務担当の O 女史を探したが、所用で席を外しているようだったので、包みに傷がつかないよう注意しながら、包みと封筒をポストに入れた。さあ、どうなることやら……しかし、U は淡々と、
「まあ、そんな手紙でどうにかなるんだったら、とっくに変わっているはずでしょう」
いや、そうなんだけどね……
そして翌日、僕はいつも通り9時半のミサに出たのだが、誰も何も言ってくる風でもない。これはおそらく手紙が黙殺されたに違いない……ということで、ミサ終了後、教会事務に行ってO女史に聞いてみると、
「ああ、あの包みは、献堂50周年記念冊子編集委員会の T さんにお渡ししましたよ」
なるほど、T 夫人か。いかにもこういう自分達に不都合なものを黙殺しそうな人だもんな。では T 夫人に……と、その前に、主任司祭の I 神父に仁義を切っておくことにしよう。
多忙でなかなか捕まらない I 神父だが、うまい具合に信徒会館の執務室に入るところを捕まえた。
「おお、Thomas 君か。お手紙、読ませていただいたけれど、他に何かあるのかね?」
「いえ、ただ、これで何か騒ぎになる可能性がなきにしもあらず、ですので、その時は神父様のお手を煩わせることになるかもしれないので、一言ご挨拶を、と思いまして」
「ほう、それはまたご丁寧に」
I 神父は、ここの信徒のグダグダぶりにすっかり絶望し切っているようで、我関せずの姿勢を崩さない。だからきっと今回も「Thomas 君、どうせ無駄無駄」とか思っていたのかもしれない。
聖堂の方に戻ってみると、T 夫人が正面入口から出てくるところだったので、
「T さん」
と何度か声をかけたが、ここでまさかのシカトである。僕をずっと無視して、友達らしき女性と facebook のことを話し続けている。それでやりすごせると思ったのだろう。しかし僕はそこまで諦めがいいわけじゃない。話が終わるまでそこに立って待っていた。
やがて、話相手の女性も去っていったので、再び声をかける。さすがに公衆の面前でシカトを続けることに体裁の悪さを感じたのだろう、ようやくこちらを向いた。
「ああ Thomas さん、手紙、見ました」
なるほど。読んだんじゃなくて見たんですね。あなたらしいやり方だよ。
「なんで2部送られてくるんですか?」
「え? あれはラベルを事務で印刷してもらったから事務の方の……」
おーい、事務室の O さん、あなたのせいにされてるよ。
「いや、重複チェック位しなかったんですか。それとも、それもできない位大量に送りつけたんですか?」
「……」
「とにかく、あの手紙、常任委員会の皆さんにも回して下さいね。特に信徒会長の S には、必ず」
はいはい分かりました、と言いながら、逃げるように T 夫人は立ち去った。
しかし、僕の手紙が連中に読まれたかどうか判然としない。S は未だに早口で祈りの言葉を先導するし、何ひとつ、グダグダぶりは変化していない。そして、後で聞いた話によると、この冊子の発送数は僕の予想を遥かに超えるものだったらしい。おそらく無駄に使われた金額は20万に迫らんとする程だろう。つくづく、信仰の彼岸にあるとしか思えない所業ではないか。