……出題ミス?

ふとしたきっかけで、この春の愛知県公立高校入学試験の国語の問題というのを見ていた。

どうも、最近の中学国語というのはヘナチョコな代物のようで、漢文や古文は、いわゆる白文読みというのは一切出題されないらしい。古典・漢文共に現代語訳付きで、漢文に至っては書き下し文しか掲載されず、返り点のひとつも目にすることがないのだ。なんだかなあ……と思いつつ、その漢文の問題なるものを見ていたときのことだった。

2013年B日程の問題で、書き下し文が以下のようになっている:

管仲・隰朋、桓公に従って孤竹を伐つ。春往いて冬返り、迷惑して道を失ふ。管仲曰はく、「老馬の智用ふべきなり。」と。乃ち老馬を放つて之に随ひ、遂に道を得たり。山中に行くに水無し。隰朋曰はく、「蟻は、冬は山の陽に居り、夏は山の陰に居る。蟻壌一寸にして仭に水有り。」と。乃ち地を掘り、遂に水を得たり。管仲・隰朋の智を以てすら、其の知らざる所に至れば、老馬と蟻とを師とするに難からず。今人其の愚心を以て聖人の智を師とするを知らず、亦過ちならずや。
……で、この後に現代語訳が書かれ、その後に問題が続いているのだが、現代語訳の後ろの方を見ると、「(『蒙求』による)」と書かれている……へ?いや違うでしょう?

この漢文は、いわゆる「老馬の智」の基になった話なのだけど、僕が知る限り(そして weblio にも同じことが書かれていたけれど)、これは『韓非子』に載っているものだ。どうして『蒙求』なんて話になるんだろう?

改めて調べてみようと思い、岐阜女子大学・文化創造学部の住谷芳幸教授が公開されている、『蒙求』『蒙求聴塵』『蒙求抄』を電子化したデータを調べてみると、そもそも『蒙求』には管仲の名前すら出てこないのである。周辺を探してみると、『蒙求聴塵』の中に、

○管仲 春―春出陣して冬歸陣す 管仲曰―老馬は道を知る也 隰朋―山の陽は南也 山の陰は北也 蟻壤―蟻つか一寸あれは七八尺(の)下(した)に水あるもの也 仞は七尺也 今人不知―此は韓非子か評也 今(の)人は愚にして管仲ほともなく 5ウして聖人の智を師とする事を知らさるは過也
という記述があるのみである。

まあ、でも、これで明白でしょう。この出題者は、自分では『蒙求』なんか読んでいないに違いない。出題時にチェックすらしなかったに違いない。『蒙求聴塵』に、『韓非子(説林上)」にオリジナルが書かれているこの話が要約・掲載されていることを、どこで読み齧ったのか知らないけれど、この手のミスが示すことは明白だ。引用者はオリジナルにあたっていないのだ。よくもまあ、こんないい加減に作った問題で、人の人生左右するような試験をやってくれるよなあ。こんなの許し難いと思うけれど。

2013/08/04(Sun) 17:54:14 | 日記
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T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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