私が名古屋の公的教育を信用していない訳
私は名古屋に暮しているわけだけど、何度かここにもこの土地に関して批判を記してきた。思えばこの土地に来て十数年が経過したわけだけど、一向に愛着など湧かないし、未だに異邦人の感覚があって、この先(私がこの土地に居るかどうか分からないけれど)もそれは変わらないだろう。この土地を終の栖にする気などさらさらないしね。
で、だ。一応私は教育に関わって鬻いでいるわけなのだけど、この土地の(教育委員会が関わるレベルの)公的教育システムは信用できないと思っている。中学生の自殺に対する学校や教育委員会の対応など見れば、私がそう思うのも納得していただけると思うのだけど、それも一例に過ぎない。他にも、げんなりさせられるネタは尽きないのだ。
そのひとつが親学である。名古屋市はこれに大層ご執心で、
などというページを未だに公開している。名古屋市における「親学」の状況と問題点に関しては、日比嘉高氏のブログのエントリ『名古屋市教育委員会の「親学」について調べてみたらわかったこと』にまとめられているのでリンクしておくが……要するに、トンデモ要素あり、差別的要素あり、復古的要素あり、そして政治との接点あり、という代物である。よくもまあ、こんなものを公的教育システムに持ち込んでくれるよなあ、と思う。私は子供がいないのだけど、いやー子供がいたら大変だよなあ、と思うわけだ。
どうしてこういうものが「教育」にすり寄ってくるのだろう。我々は、この国は、何処に向かおうとしているのか。私にはその行く末に明かりが見えないのだけど。