停止させたいものは

社説:浜岡停止要請 首相の決断を評価する

菅直人首相が中部電力浜岡原発の全号機の停止を要請した。東日本大震災による原発震災を経験した上での決断だ。

浜岡原発は近い将来に必ず起きると考えられる東海地震の想定震源域の真上に建つ。建設当時には知られていなかった地震学の知識である。知っていたなら、避けたはずの場所であり、そのリスクは私たちもかねて指摘してきた。

地震と津波の威力がいかにすさまじいか。原発震災の影響がいかに深刻か。東日本大震災で私たちはその恐ろしさを身をもって体験した。

万が一、重大な事故が再び発生するようなことがあれば、菅首相が述べたように日本全体に与える影響はあまりに甚大だ。

中部電力は東日本大震災を受け、防潮堤の設置など複数の津波対策を計画している。しかし、その対策が終わる前に、東海地震に襲われる恐れは否定できない。南海、東南海地震と連動して起きる恐れもある。  防潮堤の設置など中長期の対策が終わるまで停止するよう要請したのは妥当な判断だ。首相の決断を評価したい。中部電力も要請に従わざるを得ないのではないか。

ただ、運転を停止しても、核燃料の安全性には引き続き念入りな注意がいる。いったん使用した核燃料を冷却し続けることの重要性は、福島第1原発で身にしみている。

浜岡原発さえ止めれば、それで安心と思ってしまうことがないようにすることも大事だ。大地震のリスクを抱えているのは、浜岡原発だけではない。

菅首相は、浜岡原発停止の理由として、文部科学省の地震調査研究推進本部が「30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する確率は87%」と推定していることを挙げている。

しかし、推進本部の推定がすべて正しいとは限らない。事実、東日本大震災のような地震を推進本部は考慮していなかった。たとえ、現在想定確率が低い場所でも大地震が起きる恐れは否定できない。今回の巨大地震で日本列島全体の地震活動が活発化している可能性もある。

政府は、浜岡以外の原発についても、決して油断しないようにしてほしい。国の要請に従った電源車の配備などの緊急対策が、原子炉や使用済み核燃料を安定して冷却し続けるのに十分か、懸念も残されている。

津波対策に気を取られ、地震の揺れに対する対策がおろそかになるようなことも避けなくてはならない。

浜岡原発を停止することによる、電力供給の問題を心配する人も多いだろう。政府は、混乱が生じないよう、先手を打ってもらいたい。

(『毎日新聞』 2011年5月7日 社説、毎日新聞、2011年5月7日 2時31分)

浜岡の原発を止めること自体には何の反論もない。とにかく浜岡は場所が最悪なのだ……どう最悪なのかというと、まず浜岡原発の位置は、東海地震の予想震源域のどまんなかである。おまけに、原発の近傍には断層が4本も走っており、そのうち2本が活断層であることが既に分かっている。いくら今から40年以上前に決めた場所だといっても、何もあんなところで原発を運転しなくてもいいだろう……そういう場所に、あの原発は建っているわけだ。

しかし、だ。今回の停止要請に関しては、御前崎市長がこんなコメントをしているのだ:

これに対し、原発が立地する御前崎市の石原茂雄市長は、「突然の話で、驚いている。言葉もない。5日に浜岡原発を視察に訪れた海江田経産相の『結論は急ぐな』という発言は、何だったんだろうか」と憤まんやるかたない様子。さらに「4、5号機を止めるなら、日本の全原発を止めなくてはならない。日本の原子力行政すべてを見直してほしい。東海地震は、初めから想定されていた。なぜ、この時期に安全でないと止めるのか、分からない。電力不足の問題もある」と批判は止まらない。最後は「菅首相の選挙対策だ。日本の全体を考えてほしい。国は地元の話を聞いてほしい」と切り捨てた。

――『浜岡原発停止要請、地元・御前崎市長が反発』(2011年5月7日09時54分 読売新聞)より引用

この発言を、利益誘導最優先のためのもの、と切り捨ててはならない。ここで読み取るべきことは、浜岡原発を直接視察した海江田経産相が、最初のうちにはそう簡単に結論を下す気ではなかったらしい、ということである。しかし、東京に戻って1日で、しかも首相直々の緊急記者会見というかたちで、停止要請の発表がなされた、という、このところに、我々は目を向けなければならないのだ。

おそらく、海江田氏が帰京した後、首相を交えて協議を行ったときに、首相が主導するかたちで、この停止要請を出すことの決定がなされた、と考えるのが妥当であろう。それはどういうことか、というと、菅直人の毎度おなじみの「思いつき」で要請が決まった可能性が極めて高い、ということである。

まあ、先に書いたように、僕は浜岡原発を止めることに対しては何も反対する気はない。しかし、非常に強く恐れていることがある。それは、立地に重大な問題がある浜岡原発を「停止すれば一安心」などと思っていやしないか、ということである。

浜岡原発は現在、

  • 1号機: 2009年1月30日をもって運転終了、廃炉へ向けて準備中
  • 2号機: 2009年1月30日をもって運転終了、廃炉へ向けて準備中
  • 3号機: 定期点検中
  • 4号機: 運転中
  • 5号機: 運転中
という状態である。この状態だけを見れば、4号機と5号機に制御棒を突っ込めばそれで一安心だ、と思われるかもしれない。しかし、状況はそう単純ではないのである。

原子炉の燃料は、運転中には核分裂反応を起こしている。中性子を捕捉する制御棒が燃料棒の間に突っ込まれた状況では、この核分裂反応は止まった状態になっている。では、今、運転中だった原子炉に制御棒を突っ込んで、核分裂反応がほぼ停止した状況になったとしよう。そのとき、炉内はどういう状態になっているのか。

原子炉の中では、少し前まで 235U の核分裂に伴い、131I のような核分裂生成物(分裂したウラン原子核から生成された原子)が生成され、また炉内には中性子が飛び交っていたわけだ。飛び交った中性子は周囲の物質に捕捉され、いわゆる核変換という現象を起こす。この核変換によって、炉内には大量の放射性同位元素が生成されている。その中には、238U→(中性子捕捉)→239U →(β崩壊)→239Np →(β崩壊)→239Pu というプロセスで生成されるプルトニウムも含まれている。

このように、核燃料に加え、核分裂生成物と、中性子発生に伴う核変換で生成された物質が、原子炉内に存在する放射性物質の正体である。これらは様々な種類の核種から成っているわけだけど、中性子が捕捉された状態にあっても、これらの放射性元素の核崩壊は停止せず、それに起因する放射線と熱を出し続ける。

原子炉が止まって間もないときには、短時間で崩壊してしまうような核種……不安定なかわりに崩壊した際に放出されるエネルギーも大きい……がまだ多数存在しているので、炉内の放射線は強く、また崩壊熱も多く放出されている。僕等が "hot" とか「まだ冷めていない」と称する状態がこれである。この状態では、炉に対してあれこれ作業をすることはできない……当然放射線レベルが高いし、熱ががんがん出るので、その熱を排出しなければならない。だから、原子炉は、運転時と同じように内部に冷却水を循環させ、熱交換器を働かせておかなければならない。

そのうち、短時間で崩壊してしまうような核種の崩壊があらかた終わって、原子炉内の放射線レベルは下がり、発する崩壊熱も少なくなってくる。僕等が「冷めた」と称する状態がこれである。この状態に至って、はじめて原子炉内に何らかのアプローチをすることができるわけだが、燃料棒が通常の位置に入っている以上、制御棒も水も抜くことはできない。「冷めた」と言うと聞こえはいいのだが、崩壊熱は未だ無視できない程に多く、何の冷却もせずに炉を維持することはできないのだ。炉内に冷却水を満たし、かつこれを循環させたままの状態で、燃料棒を抜いて格納プールに移す(例の事故以来皆さんはよくお分かりになったと思うが、この格納プールも崩壊熱を除去するために循環水で冷却しなければならない)作業を遠隔操作で進め、炉内に制御棒だけが残った状態にする。しかし、炉体を構成する材料は放射化されていて、炉内をすぐに触ることはできない。炉体に触れたい場合には、やはりそこも十分に「冷ます」必要があるわけだ。そこまで「冷まし」て、ようやく炉の解体などに着手することができるのである。

さて、工程だけ書いて、それにどの程度の時間を要するのかを書いていなかったわけだけど、原子炉が運転を停止してから、燃料棒の抜去作業に着手できる状態になるまで「冷ます」のには、おおむね3年程度の時間が必要だと言われている。その3年間、当然だが、炉内には水を常に循環させ、その水は熱交換機で冷却しておかなければならない。そして、燃料棒の抜去にかかったとしても、水の循環を止めることはできない。崩壊熱の除去と放射線の遮蔽に、水はなくてはならないものだからだ。そして、抜いた燃料棒を置いておく格納プールもまた、炉内と同様に冷却水を循環させ続けなければならない。

では、原子炉の解体には実際にはどの位の年月が必要なのか。丁度、僕が少年時代を水戸で過ごしていた際に、原研の技術者の子弟がクラスメートには大勢いて、僕は小学生の頃から「除染」とか「廃炉」とかいう話を聞く機会があったのだけど、もうその頃には、東海村の1号炉の廃炉に向けた数々のトライアルが行われていた。そして、東海1号炉の運転が終了したのが1998年度末だった。燃料搬出には丁度3年を要し、2001年12月に解体が始まったが、未だ原子炉本体の解体は開始していない(2014年に解体開始の予定)。この東海1号炉はいわゆるコルダーホール型というやつで、黒鉛ブロックで構成された炉体を炭酸ガスで冷却する方式をとっているため、大量の放射化した黒鉛を処理しなければならない、という点で現行の商用原子炉とは異なっているのだが、廃炉というのはこれ程の時間が必要になる作業だということは、お分かりいただけるかと思う。

うだうだと書いてきたけれど、僕が何を言いたいのか、というと、原子炉は(核分裂反応を)停止させたから安全だというものではない、ということだ。炉体や燃料棒の冷却はその後も長い年月で継続しなければならないし、廃炉を行うのだったら、数十年のタイムスパンで物事を考えなければならない、ということを、僕は上の記述で示したわけである。

浜岡原発の場合は、実は、燃料棒を水冷せずに保管するためのいわゆるドライ・キャスクを用いた「使用済燃料乾式貯蔵施設」を建設する予定がある。まずは、この施設を作るための行政手続きを可及的速やかに行い、この施設の建設を進めることが必要だろう。そしてそれと並行して、炉内や燃料貯蔵プールの冷却システム、そして電源供給システムの多重化と津波対策を、やはり可及的速やかに進めることが必要である。実は、一番大事なことは何も進んでおらず、「止めてから」の行政判断とイニシアチブが、浜岡原発の地震・津波対策には不可欠なのだ。しかし、こんな話、皆さん、どこかで聞いたことあります?ないでしょ?だから、僕は、連中は「止めればそれで一安心」だと思ってるんじゃないの?と言っているのである。

2011/05/07(Sat) 13:22:49 | 社会・政治
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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