我慢の限界・補遺
前回書いた教会の話だが、これに関しては他にも山のように問題がある。
まず、下にリンクしてあるこの教会のホームページだが、3年も放置されたままの状態になっている。これに関しては、少しは何とかしようか、という話が出て、僕が教会内の運営委員会なる場所に召喚されたことがある。そこで、僕が自分のキャリアに関して説明し、まあシステム組んで、サイトのヒエラルキーを決めて、コンテンツ作成する位だったらやりますよ、何だったら英語のページを作成しますが、と言うと、そこに臨席していたある女性が烈火の如く怒り出した。
「私の主人は大学で工学を教えていますけれど、アレの英語は最悪です!教会の英語は特殊で、深い見識が求められるものなのに、工学部の博士風情が何を言っているんですか!」
後で聞いたところによると、この女性は高校で英語をずーっと教えていたそうで、教会の英語文書関連にずっと携わっていたのだそうな。だったらまずそういう仁義を切るべきだし、そもそもカトリックと英語ってそんなに重要な関係があるんでしたっけ?まあ、欽定訳至上主義みたいな話なんだろうけれど、今更 web のコンテンツに古英語を書く必要もあまりないだろうし、そもそも欽定訳聖書というのは、原典に依拠したということになっているけれど、実際はティンダル等の英訳版聖書にかなり依拠していることがよく知られている。ティンダルが元にしたのはいわゆる「公認本文 (Textus Receptus)」で、これは『痴愚神礼讃』の著者として名高いエラスムス Desiderius Erasmus が、慌てて集めた良質でない写本(その中には、三位一体の教義を補強するために捏造された偽写本まで含まれている)を基に訳を作成したものであり、現在の我々の聖書と比べると、排除されるべき改竄がいくつも入ってしまっている、というのは、少し聖書のことを知っている人々にとっては、これは常識だと思うんだけど。古英語が分かるなら、それが必要なときに僕が聞いて、あんたがアドバイスすればいいだけの話なのに、こうもスピッツみたいにキャンキャン鳴くってなぁ、あんたのプライドの危機だと思ったからなんだろう?
まあ、こんなことがあってから、僕はこの教会の運営に関して積極的に関与する気をなくした。しかし、放っておくと、この教会ではどんどんおかしなことが進行するのだ。パイプ椅子を何十万も出して購入して、事後承諾で予算にねじ込んだり、ワイヤレスマイクが不足している、と言って、数十万もの予算を購入に計上したり(どこの大ホールだよ?一桁違ってることすら分からない馬鹿は本当に困る)、果てには、信者の住所等の個人情報のデータベースを作成するために、専用の PC と専用のソフト開発の費用として、これも数十万が計上された。ちなみに、その「専用」PC、教会内の某所で使われないまま埃を被っているのだそうな。使わなければどんどん陳腐化して資産価値が減じていくコンピュータを、である。もうお話にならない。
まあ他にも、「東日本大震災の祈り」なんてのを皆でやるときに、信徒の長が、ミサ後の集まりの時間が惜しいのか何なのか知らないけれど、とんでもない早いスピードで先唱をしてくれて、お祈りとはとても思えないような状態になってしまったり、朗読の読み間違いを平気でしたり……まあ、とにかく、何から何までお粗末極まりない状態である。
彼らにとって、信仰とは何なのか、そして共同体とは何なのか、僕にはてんで分からない。そもそも、連中は本当にカトリックなのだろうか?それすら僕には疑わしく思えてならないのだ。