化学賞?
今年のノーベル化学賞のニュースは、正直言って驚きだった。ダニエル・シェヒトマン氏の準結晶の発見に関する業績、という話を聞いて、えー物理学賞じゃないの? と思ったのだった。
準結晶 quasicrystal という言葉は、おそらく科学関係に関心のある方でもご存知でないかもしれない。僕は材料屋なので、当然だけど結晶学は教養として修めることが要求されていて、しかも僕が某国のプロジェクトで研究対象にしていた物質が、この準結晶によく似た特殊な結晶構造だったために、これとは(僕個人の好むと好まざるとに関わらず)因縁があるのである。
準結晶とは何か? というのは、簡単に説明するのは非常に難しいのだけど、誤解を恐れずに言うならば、複数個の構造単位が連なってできる構造は、やや引いた視点で観ると5回対称性(これも誤解を恐れずに書くならば、1回転させるうちに5回重なるような構造……日本の家紋にある「梅鉢」などを連想していただきたい)を持ち、なおかつ空間を充填することができる。1980年代初頭、そういう構造を、急冷凝固させた Al-Mn 系合金 に見出したのがシェヒトマン氏で、後にもっと安定な系でもこのような構造が存在することが分かってきて、材料科学の分野では今でも重要なトピックのひとつである。
このような準結晶は、20面体 icosahedron で表されるような構造単位を持っているのだけど、僕が扱っていた Mg-Pd 系でも、この icosahedral な構造に近い、いわゆる近似結晶 approximant の構造を持つことが、ドイツのグループの研究である程度分かっていた。僕の材料作製手法は、急冷凝固でもないし、このような結晶を成長させるための手法でもない。だから、このことに気付くまでに1月程あれこれ悩むことになった。気付いたら気付いたで、結晶構造の解析をどうやって行うか、考えるだけでも絶望しそうになったものだ。先の20面体がちょっと歪んだようなクラスターが格子を成して、それが規則配列して結晶を成している。文献から結晶内の原子位置を定めていくと、単位格子内の原子数が数百を超えるのである……手元で出来る限りの精度で粉末 X 線回折をやって、そのデータと構造データを基に Rietveld 解析をしてみると……計算が収束しない。角度を区切って、複数領域で何日もかけて計算を行い、どうやらこの予測が合っているらしい、と言えるまでに、更に何日かを要したのだった。
今考えてみると、どうにもおかしな話である。こういう事態が起きそうな気がしていたから、電顕のスペシャリストと結晶構造解析の専門家をチームに加えていたのだけど、専門家というのが、時に「負け戦」を嫌うものだ、ということを、僕は考えていなかったのだ。結局、僕が(僕は溶融塩や溶融酸化物の熱力学で学位を受けていて、本来は結晶構造解析屋ではないのに!)某所の XRD にアレイ型の検出器を付け、これでも足りないものは SPring-8 に持ち込み、自分で計算をして(RIETAN のバグフィックスのために作者ともやりとりをしつつ)、最終的な結論を出さなければならなかった。この研究の本来の目的は結晶構造解析ではないのに、である。今思い返しても、なんだかなあ、という話だけれど、まあ、いい勉強になった、と思うべきなのだろう。
結晶学という領域を確立した人のことを思い返してみると、Laue がノーベル物理学賞を受賞したのが1914年、そして Bragg 親子(息子の William Lawrence Bragg の方は当時25歳だったという)が同賞を受賞したのが翌1915年である。ここで強調しておきたいのは、どちらも物理学賞を受賞している、ということである。結晶の化学的性質とかに関してならば化学賞でも分かるけれど、伝統的には、今回の準結晶の業績に関しては物理学賞にしてあげてほしかったなあ、と思うのだ。物理の世界では古いから化学で……なんて、そんな扱いでは、材料屋は浮かばれない。