達也君、これで君も楽になったろう
逃亡中の市橋達也容疑者が先程確保された。TBS と MBS の一大スクープである。
僕が書いたタイトルを見て、お気を悪くされた方がおられるかもしれない。しかし、僕が今まで聞いた、逃亡犯の捕まったときの話からすると、まず頭に浮かんだのはこの言葉なのである。警察関係者の書いた回顧録などを読むと、異口同音にこのことが書かれている……どのような逃亡犯も、捕まったときに、皆安堵のため息をつく、というのだ。市橋容疑者も、この何年かの間、写真を撮られることを恐れ、他人と入浴することを避け、いつもひとりで、ひたすら貯金し、形成手術で仮面を被ろうとしていた。その恐怖から解放されるためには、彼自身が縛につき、己の罪を償うしか術がなかったのだ。だから、僕はあえて言いたい。達也君、これで君も楽になったろう、と。
それにしてもメディアというのは恐ろしい。市橋容疑者が確保されるやいなや、容疑者の両親の顔をさらしやがった。両親もメディアの要請に応じてのことなのだろうけれど、なぜ両親までこのように顔をさらされ、カメラの前で社会的責任を総括させられなければならないのだろうか。メディアには明らかに、「自分達は正義の代執行者だ」という驕りがあるに違いない。自らが正義を名乗るものに対して、僕は正義よりむしろ疑いを感じてしまう。なら「正平協」なんてのはどうなるんだ、とか突っ込まれそうだけど、僕はあの団体の名前には疑問を感じている(活動を全否定するつもりも、このような連中に無批判に連帯する気もないけれど)。
【後記】
今日になったら、両親の顔は出さず、局によっては音声も加工している。勢いで出したものは許されるというのだろうか。やはり、メディアのこの対応には不信感が深まるばかりだ。