獣の数字
昨日、Linux-3.3-rc3 がリリースされたので、早速アーカイブを取得した(これを今書いている端末ももう 3.3-rc3 で動作している)。例の kernel.org 騒動があってから、アーカイブを取得するのは Linux Torvalds の github から取ってくるのだけど、そのページに Linus がこんなことを書いていた:
Linux 3.3-rc3 .. the number of the half-beast?あーやっぱり欧米文化の人ってこんなことを考えるんだなあ……などと思いながら見ていたのだった。
「獣の数字」というのは、新約聖書の最後にある『ヨハネの黙示録』13章に出てくる。この章は、神を冒涜して民を支配する獣、そして、その獣の後を受けて民を支配し、獣の偶像を拝むことを強制する獣について書かれているのだが、その「第二の獣」が偶像崇拝以外に強制したことに関して、以下のように記されている。
また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。
――『ヨハネの黙示録』13:16-18(新共同訳より引用)
聖書根本主義者達は、ティモシー・ラヘイの『レフトビハインド』よろしく、もはや偏執と妄想としか言いようのないこじつけに精を出すわけだけど、そういう人々はきっとクスリでもやっているじゃなかろうか、と思う。実際、この『ヨハネの黙示録』は、ニガヨモギの麻薬成分による幻覚の産物なのではないか、という説もある位なのだけど、クスリの助けを借りたかどうかはさておき、この「幻」として書かれた文書を、そのまま現実にリンクさせようというのは、あまりに想像力を欠いた教条主義的行為だとしか言いようがない。だって、ヨハネも書いているのだ:「ここに知恵が必要である」と。
上に引用した 666 という数字に関わる記述を読むと、記者が読者に一種の謎かけをしている、と取るのが自然であろう。その刻印なしに社会活動がみとめられなかった、という、この 666 という数字。そしてその数字を刻印した「獣」の行為を見ると、「獣」の強制した行為はキリスト教やユダヤ教でタブーとされる偶像崇拝であり、そして当時キリスト教を迫害したローマ皇帝ネロこそが「獣」の正体だと考えるのが、一番無理のないところだろう。
皇帝ネロ (Nero Caesar) をギリシャ語で書くと Νέρων Καίσαρ (Nerōn Kaisar)。これをヘブライ語で書くと נרון קסר (Nrwn Ksr) となる。ヘブライ語はローマ数字と同じく、文字が数に対応しているので、文字と数字の対応関係をみると、50 + 200 + 6 + 50 + 100 + 60 + 200 = 666 ……ということで、皇帝ネロ → 666 ということになる。
Linus は Linux-3.3-rc3 → 333 → "the number of half-beast" と連想したわけだけど、Linus は暴政の挙句王朝を滅ぼしたネロ程暴君ではないだろう……と、誰かツッコまなきゃいけないと思うんだけどなあ。