反吐が出る
まあ、Twitter とか SNS のサービスとか facebook とか、世間には「つぶやく」メディアが数々あるけれど、地震や原発絡みで、さも自分はそういう事々の痛みに心を向けているのだ、と装っているらしき輩が最近目について仕方がない。
たとえば、先日、我が郷里茨城県で、原発事故が発生したと想定して、県内にあるバス等を総動員して県民を避難させることが可能かどうか、という試算が行われた。
まあ、これは深刻な話である。現在、茨城県内には商業用原子炉は東海第二原発にある1基しかない。しかも首都圏に近く、常磐高速もあってクルマ交通の便が良い茨城県でこの状態である。他の都道府県においては、これより問題が深刻であることは言うまでもない。【茨城】県内のバス総動員しても24万人どまり 東海第二原発 一斉避難は不可能
東海第二原発(東海村)の再稼働問題をめぐり、橋本昌知事は五日の県議会本会議で、同原発事故が発生した場合の避難について「県内のバスを総動員しても一回に二十四万人しか搬送できない」との試算を示した。三十キロ圏内の自治体の総人口は百六万人で、知事は「一斉に避難させることは不可能」と述べた。井手義弘氏(公明)の代表質問に答えた。
県によると、把握している県内の路線や通学、自家用等の全バス約七千台に平均定員の約三十四人を掛けて試算した。震災などの大災害時の混乱や道路損壊などを考慮すれば、県内各地から三十キロ圏内にバスが集まり、運び出すことも難しいとみられる。知事は「国が防災対策等、どう方針を示すか注目する」と加えた。
また井手氏は、原発の稼働は原則四十年と国が示したことを受け、三十三年経過した東海第二原発は稼働期間が残り少ないとして、その後の村の将来像も質問。知事は「これまでに蓄積した村の施設や優秀な研究者を生かし、つくば市とも連携して世界最大の巨大加速器を備えたスイスの欧州合同原子核研究所(セルン)のような科学拠点都市として発展することを期待する」と述べた。
(2012年3月6日, 東京新聞)
しかし、これを読んだらしい輩の、こんなつぶやきがその直後に僕の目に入ったのだ:
逃げられないのか茨城。……はぁ。たとえば愛知県辺りだとして、これがそんな他人事だと思っているのだろうか?繰り返しになるけれど、茨城県には商業用原子炉はたったひとつしかない。しかもその規模は小さい。隣の県、しかも東海地震の中心と目されているところに、あれだけの数・規模の商業用原子炉が集中しているところに住んでいて、どうしてこれを我が事として捉えられないのか。
まあ、僕には何となく分かるのだ。全て、事々は big brother の御旨のままだ、と、そこにどっかと胡座をかいて暮らしている人だからこそ、こんなことを平気で書き散らかせるのだ。他者が家族や人生の重みを負うて生きることに、ここまでの傍観者的なコメントを書いて何ら恥じずにいるのだ。論を重ねて研ぎ澄ますことと、論を無意味に混練した挙句に何もかもを混濁させることとの区別が付いていないのだ。
これは何度も書いていることだけど、僕は小学生の頃にビルの7階で宮城県沖地震に遭遇し、大学院生時代に活断層のすぐ横で阪神淡路大震災に遭遇した。今回の地震でも、親父はビルの上階に閉じ込められ、教会や知人宅は石塀が皆倒れ、そして(今まで書きたくなかったのだが今回はあえて書く)福島・相馬に住んでいた親戚はひどい目に遭っている。そう、僕の母方の親戚の一家族は相馬に住んでいたので、今回の件は全くもって他人事ではないのだ。だから、さもそれが分かっているかのような顔をして、ネットで情報を拾い、講演会等にちょろっと行った位で、自分は何もかも把握しているんだ、という顔で軽口をたたいている輩を見ると、正直言って殺意すら感ずる。
おまけに、ネットで情報を吟味することなく収集し、「つぶやい」て「拡散」する、なんてのは、有害だと言う他はない。一応「知ること」を生業とした人間として断言するけれど、我々に第一に必要なことは「知る」ことではない。何かをただ知っても、知ったことの価値を知り、取捨選択することができなければ、演繹的に未知の領域や未経験の事柄に踏み込むことなど出来はしないのだ。そういうことを欠いた浅はかな「知る」行為の結果を、我々は浅知恵という。
我々に第一に必要なことは「知る」こと以前に、「知らない」ことを知ることなのだ。闇を知らずして、そこを照らすことができるはずがない。我々が他者に誇れるのは、吟味されていない物量だけの知識を披瀝することでも、それを蓄積しようと遮二無二あがくことでもない。まず、己の内面に問いかけることなのだ。自分は知らないのではないか、と。僕の経験則として、その抑制を感じられない輩は、知の領域において百害あって一利もない、ただの迷惑な存在でしかありえないのだ。
愛知県というところに住んでいると、本当に厭になる程感ずることだけど、東海地震に備えよ、という話がされるようになってから数十年が経過して、今回の地震に関して、比喩ではなく「明日は我が身」なのにも関わらず、まるで他人事みたいに、日常会話のネタのように軽口を叩いている人々を、僕は彼らの他に知らない。僕が住み出した頃の大阪は、地震の話をしてもピンとこない、という人が多かったけれど、あの阪神淡路大震災でそれもすっかり変わってしまった。もう、そんな寝呆けた連中が大手を振っているのは、この辺位しかないのではないか。
「東海地震? ああ、どうせ来ないから(笑)」
なんて軽口だけなのだけど。