つくばの竜巻に関して
各方面に連絡がついたので、ようやくこの話をここに書くことができる。
僕は茨城県水戸市で生まれ育ったわけだけど、親戚は茨城周辺の各地に散らばっている。茨城県と栃木県の境にある栃木県茂木町、茨城県常陸大宮市(旧御前山村)、つくば市、筑西市(旧下館市)、そして埼玉県桶川市……あと、あの震災で本当にひどいめに遭わされた福島県相馬市。母が10人兄弟という実家の出なので、まああちらこちらに親戚がいるわけだが、茨城も、福島や栃木も、もともと自然が豊かで食いものも旨く、気候もいい場所で、自然災害でどうのこうの、ということはあまりなかったのだ……去年までは。
先の東日本大震災では、本当に精神的に参った。そもそも僕自身、幼少の頃に、ビルの7階に居たときに宮城県沖地震に遭い、大学院時代には大阪北部を東西に走る巨大な活断層のすぐ横で阪神淡路大震災に遭った経験があるわけで、地震だけでも、まあ酷いものを何度も目前に見てきたわけだ。隣の学科の教授は圧死し、後輩は家が全壊でしばらく研究室に住み込んでいたり……僕の家は、ガスと水道が止まった位で済んだけれど、家の前は京都・大阪・兵庫をつなぐ国道171号線である。まあ、あの光景は一生忘れられそうにない。
そんなわけで、先の東日本大震災では、本当に参ったのだった。なにせ今度は、親戚が住んでいる相馬市が手ひどい打撃を受けている。僕の父も、当時水戸の駅前のビルに居て、停電した室内に閉じ込められたりしていたし、親戚まで範囲を広げれば、僕も決して今回の震災には無縁ではないということになる。
その震災から1年と少しが経過して、まさか今度は竜巻が来るとは思っていなかった。しかも今回発生した竜巻は3つあって、それらは栃木県茂木町、茨城県常陸大宮市、つくば市、筑西市を直撃しているのだ。仕事柄、つくば在住の知人はたくさんいるわけだけど、今回被害を被った地域は、そことは少しずれているので、彼らの心配は(停電の問題はあったけれど)あまりしていなかった。むしろ問題なのは、僕の親戚が住んでいる辺りに、今回の地域が近かったこと。それに加えて、ご丁寧(?)にも、桶川では落雷、水戸には直径3センチの雹、である。
水戸でも激しい雷があって、母の携帯電話がこれのためか不調だったとのことで、母にもなかなか連絡がつかなかった。母は定期的につくば市に行く生活をしているので、やられている可能性は決して皆無ではない。幸い母は無事で、僕の方から連絡がつかなかった間に、あちこちの親戚に連絡をとって、皆幸いにも被害がなかったことを確認してくれていたが、母との連絡がつかない何時間かの間、僕は正直、気が気ではなかった。
まあ、そんなわけで、つくばの竜巻に関して、僕は決して傍観者でも何でもないし、親戚のすぐ近くでは、畑が蹂躙された人、窓や屋根を持っていかれた人、そして当然怪我をした人もいて、それは他人事ではないのである。危機はすぐ近くにあって、うちの親戚が無傷だったのは、たまたまそうだった、というだけの話なのだから。彼の地は、そしてそこに暮らす人々は、確実に傷付いたのである。そして、家をモルタルの土台ごと引っくり返された中学生が一人、命を落とした。これだって、すぐそこにあった話なのである。
最近、自分達はあの地震を「体験」したんだ、という深い実感に浸ってのことなのか、僕の言い、書くことに対して妙な噛み付き方をされることがあるのだけど、はっきり言わせていただこう。阪神のとき、活断層のすぐ横で感じた揺れは、とてもじゃないがそんなもんじゃなかった(当時は今と震度基準も、判定法も、地震計の設置間隔も違うから、数字として今見たら大したことがないと思われるのかもしれないが)。農家のボロい納屋の二階の一室で寝起きしていた僕は、あのとき住処が倒壊する危険が十分にあったわけで(実際、泥と漆喰で塗られた壁には大きな亀裂が入っていたなあ……)、今こうしていられるのも、すぐそこにあった危機が、たまたま僕をかすめる程度の位置を通っていった、というだけのことである。
しかもあのとき、信じられない程の振動の中、辛うじてベッドにしがみついていた僕の目に入っていたのは、東京から衛星回線で配信される朝のニュース番組で、そこに映されていたのは、揺れも何もない、いつも通りの映像だったのだ。「ああ、他人事ってこういうことなんだなあ」と、ベッドに両手両足でしがみついていた僕は、そのとき自分が遭っている現実から乖離したかのような、妙なおかしさを感じたものだった。あの頃から20年近くが経過し、当時からは想像も付かない程に耐震・免震が考慮された建物の多いエリアで「安全に」感じたことを以て、他人の言動に何事か物申そうなぞ、僕にしたらちゃんちゃらおかしいのである。
俯瞰し、理解したつもりでいるあなたの知らないことは、あの下に山のように存在している。そして、あの震災のときも、今回の竜巻でも、僕の血縁者多数を含む近しい人達が、そこに晒されているのだ(震災に関しては現在もなお続いている……本当に、ひどい話だとしか言い様がないけれど)。そして彼らの感じた恐怖も、苦しみも、被った痛みも、僕が共に負うているものなのだ。