なぜオスプレイは危険だといわれるのか (1)

この問題に関して独立した文書を書こうと思っていたのだけど、あまりに書かなければならない内容が多いのでやめることにした。blog で書ける範囲で書いておくことにする。

まず、なぜオスプレイが求められているのか、という話から。今回問題になっているのはアメリカの海兵隊に関する話なのだけど……あーだから、海兵隊とは何ぞや、という話から書く必要があるのか。

というわけで、いくつかに分けて書くことにする。まずは「なぜアメリカ海兵隊がヘリを必要としているのか」から。

そもそも、アメリカ軍というのは5つの大きな組織に分けることができる:

  • 陸軍
  • 海軍
  • 空軍
  • 海兵隊
  • 沿岸警備隊
え? と思われる方が少なからずおられると思うのだが、日本で言うと海上保安庁に相当しそうな沿岸警備隊は、実は立派な軍隊なのである。加えて言うと、これは最近分かれたものではない……沿岸警備隊も、そしてこれから話を始める海兵隊も、18世紀から存在する歴史のある組織である。余談だが、5軍の中で一番新しい組織は実は空軍で、これは太平洋戦争の後に陸軍航空隊が独立したものである。

では、海兵隊というのは何をするところか、というと、ざっくり言えば「海外への武力行使を行う軍」である。もちろん、陸・海・空軍も海外への武力行使を行うことがあるけれど、海兵隊はこの海外への武力行使を専門に行う軍なのである。だから「海」と付くにもかかわらず、陸上兵力、航空機、そして艦船を全て持っている。

沖縄にこの海兵隊が置かれているのは、東アジア圏内で何らかの軍事紛争が勃発した際に、それに対して即応するためである。具体的に何を行うか、というと、軍事紛争が勃発した地域に陸上戦力を送り込むのである。まさに「斬り込み隊」と言うべき任務を負う軍なわけだ。

第二次世界大戦のときの海兵隊の上陸の光景を見たければ、スピルバーグの『プライベート・ライアン』の最初の何十分かを見ればよろしい。その描写はいずれもただひたすらに残酷なのだけど、D Day に参加した生き残りの退役軍人達が皆「概ねあの通りだった」と言っているし、この作戦に従軍したロバート・キャパの遺した写真や彼の自叙伝『ちょっとピンぼけ』にある光景もこのままである(スピルバーグはあの映画を撮る際にキャパの写真を参考にしたらしい)。

そんなわけで、海兵隊は、軍隊の中でも特に危険な任務を負うことが多い。第二次世界大戦期とベトナム戦争期以外は徴兵を行わず……つまり志願兵のみで構成されるわけだ……、訓練は5軍中最も厳しいと言われている(キューブリックが映画化した『フルメタル・ジャケット』のあの風景だ……ちなみに『フルメタル・ジャケット』の原作者・共同脚本執筆者であるグスタフ・ハスフォードは海兵隊経験者で、当時の自らの体験を基にこれを書いたらしい)し、"Once a Marine, Always a Marine." (一度海兵隊員になれば、終生海兵隊員である)という言葉がある程に、海兵隊の経験者は一味違うという評価を受け、またそれを誇りとするらしい。

太平洋戦争の頃の海兵隊は、陸上戦力を揚陸艦と呼ばれる船で行動地域の近くまで運んで、底の平な上陸艇と呼ばれる小型船舶に兵や車両を載せて海岸に突っ込み、そこから陸上に進撃する……というやり方で作戦行動を行っていた。しかし、これにはいくつか問題があって、

  • 船を使うので展開に時間がかかる。
  • 上陸地点が海岸に限定されるため、待ち伏せや地雷原などを避け難い。
  • そのために上陸開始の時点で激烈な戦闘となり、兵が死ぬ可能性が高い。
いかに勇猛果敢を謳う海兵隊であっても、より安全に、高速に、場所を選ばず兵力を展開できる方法があれは、そちらの方が望ましいことは言うまでもない。ここで登場するのがヘリコプターである。

これも、詳しいことを書いているときりがないのだけど、海兵隊は1947年からヘリコプターの配備を行っていて、朝鮮戦争からベトナム戦争にかけて、さまざまな任務に用いていた。その中で、特にベトナム戦争期に注目されたのが、兵員輸送手段としてのヘリコプターの有用性だった。アメリカのフランク・パイアセッキが開発・実用化したタンデムローター型(相違なる方向に回る二つのメインローターで飛行するヘリコプター)ヘリが高い人員輸送力を持っていることに注目した海兵隊は、1961年に強襲揚陸作戦用ヘリコプターとして、ボーイング・バートル(パイアセッキの会社をボーイングが吸収合併した会社である)社の V-107 バートルのエンジン強化型を、HRB-1 シーナイト (Sea Knight) として導入を開始した。翌年、米軍の航空機等の呼称制度の改正があり、HRB-1 は CH-46 と名を改めることになった。

実は、ここで重要な役目を果たしていたのが普天間飛行場である。海兵隊は、この CH-46 を大規模に運用するために、複数の部隊をひとつの基地に集めた。それらの部隊の中には、そのままその基地に留まった部隊もあれば、ヘリ空母などに再配備された部隊もあるのだが、実はその集結基地こそが普天間飛行場だったのだ。1960年代中盤のベトナム戦争期だから、沖縄という場所になることは自然であろうが、海兵隊における強襲揚陸作戦用ヘリコプターの歴史は、実はそれらのヘリの拠点としての普天間飛行場の歴史と重なるといっても過言ではないのである。

CH-46 は、20名以上の兵員、もしくは約 5 t の荷物を運ぶことができた。改良型の CH-47 だと兵員30名、もしくは 10 t 以上の荷物を運ぶことができる。このヘリの登場によって、従来の船舶のみによる展開では考えられないような短期での兵員展開が可能になった。そして、海兵隊の「斬り込み」のフォーマットが、従来の船による海岸線からの上陸、という形態から、ヘリによる任意の地点への上陸、というものに一変したのである。

つまり、「世界の警察」であるアメリカ軍には、行動を決断してから即座に展開する上で、ヘリを用いた海兵隊の高速輸送による強襲揚陸作戦が不可欠なのだ、ということ。これが、「なぜアメリカ海兵隊がヘリを必要としているのか」の答である。

2012/07/13(Fri) 11:58:42 | 社会・政治
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Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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