温故知新
僕が生まれて初めて組んだバンドのヴォーカルだったS君から連絡をいただく。実に懐かしいことである。
この初めてのバンド、というのが、僕の中では音楽に対する怨念みたいなものの源になっている。どういうことか、というと、当時の僕たちは、周囲が BOØWY とか、洋楽だったら U2 とかやってキャーキャー言われていた頃に、はっぴいえんどの『十二月の雨の日』をやろう、といって集まって、ドラムがいなかったのでリズムマシンで打ち込んで、それが本番のときに暴走して、出来損ないの祭囃子みたいなのをバックに演奏・歌唱して……ああそうだ、あのときのライブの司会の奴が言ったことは、きっと一生忘れることはないだろう。そいつはしたり顔して、こうのたもうたのだ。
「ん〜、フォークですねぇ」
馬鹿野郎何知ったようなこと言ってやがるんだこれぁロックなんだよという心の声もむなしく、まるでなかったかのように扱われたのがとにかく腹立たしかった。で、それから20年になろうというのに未だに音楽をやっている。きっと今後も死ぬまでやめないだろう。
皮肉なことに、その後いわゆる渋谷系が出てきて、はっぴいえんどの名前は同世代に知られるようになって、大学で女の子に「上田さんはっぴいえんどの CD 持ってるのぉ?」とか訊かれたっけ。け、何言ってやがるんだぽっと出の半可通がさも第一発見者みたいにとかいう心の声が、ますます音楽での僕を孤高の人にさせたんだよなぁ。今でも基本的に一人で作曲・作詞・編曲・演奏・歌唱とやっている背景にはそれが関係しているのかもしれない。