disktop ?
以前にもひょっとすると書いたことがあるかもしれないけれど、僕は子供の頃、「グルタミン酸ナトリウム」のことを、どういう訳か「グルミタン酸ナトリウム」だと思い込んでいた。やがて、何かおかしいな、と気になって、祖母の家にあった「味の素」の瓶を見て、己が誤ちに気付いたわけだけど、こういう誤用の思い込み、というのは、しばしば目にすることがある。
この「思い込み」の中には、間違ってもある程度仕方ないのかなあ、と感じるものもないわけではない。たとえば「フラットベッドスキャナ」flat bed scanner を「フラットヘッドスキャナ」と書いている日本人を見かけても、ああまあ勘違いしても仕方ないのかな、と思うわけだ。そういう人が英文でスキャナに関することを読むこともあまりないだろうしね。しかし、自分と同じ分野の研究者が「シュミレーション」とか言っているのを耳にすると、あーウッゼー、こいつシミュレーションに関する英語論文とか読んだことねーんだろ、じゃあこんな単語振り回してても知れたもんだ、とか思ってしまうわけだ。
さて。先日のことであるが、TeX Wiki の(旧)TeX Q & A で、こんな質問がされたのだった。まあ僕は道具として以上に代数系に深い興味を有しているわけでもないし、勿論僕は数学や工業数理を専攻しているわけでもないので、はーそうですか、位に読んでいたわけなのだが、
いろんなものをディスクトップにそろえているので、まだ、実行してませんが分かりません。……はぁ。ディスクトップって何よ?
何か書き間違えただけかと思ったら、後の記事でも、
インストールすると、ディスクトップに、どう反映するのかというのは、「グレブナー道場」の2章の初めの部分しか読んでないのでわかりません。……まあね、日本語がそもそも不明瞭な時点で知れたものなのだけど、どうもこの方は普段から、ある程度の確信をもって「ディスクトップ」という term を使っているらしい。
desktop っていう単語を目にする機会がないのか、それが選択的に視野から消えるような状況なのか、僕には分からないけれど、これ程世間ではスマホだ LINE だ情弱だ、と、人の「情報化」というものが進化の一形態であるかのように言われているのに、その反面、こういう人は以前にもましてよく目につくようになった気がする。僕はいつも思うのだけど、こういう人は、自分を何かしらか疑うことはないのだろうか? 疑いながら、躊躇いながら、仕事でもプライベートでも生きている身としては、こういう人は「裸の王様」のように見える反面、その閉じた世界の中では平穏を獲得しているのかしらん、と、そういう部分だけは羨しく思ったりもするのだった。ま、イラっとくることには、何も変わりはないんだけどね。
ここで露悪的に書いてしまうけれど、僕は最近、業務で関わりのある人が「……を得ない」を「……負えない」と書いていることに気がついて、そのことを言おうかどうしようか、悩んでいるのだ。その人が確信をもって書類のコメントなどに「言わざる負えません」などと書いているのを目にする度に、俺はどうしたらいいんだろう、と悩んでいるのである。こういうのは、あまり近しくない人がズバっと言ってくれりゃあいいのにね。ああそうか、そうだとしたら、上の人に「ディスクトップって何よ?」と聞くのに、僕は案外適任なのかもしれぬ。