最近、どうもちょいと難しいと思われる言葉をすぐに平仮名で書くのが目に障って仕方がない。
昼食のとき、テレビを観ていた U に、
「とうてき、って何?」
と聞かれた。ん? と聞き返すと、投げるに平仮名で「てき」だ、と言う。少し考えて、
「それは投擲のことじゃないの?何の話で出てきたんだ?」
「早稲田の槍投げの選手が何とか、って」
「ああ、じゃあ投擲競技のことだろうから投擲だ」
最近は「投てき」と書くらしい、ということを、今日初めて知ったのだった。
この手のもので一番よく知られているのは「障碍」「障礙」の意味で「障がい」と書く、というものだろう。たしかに、この意味で「障害」と書くのは、これは一種の当て字だから、「障害」と書かない、ということに異論を唱えるつもりはない。しかし、だ。「障がい」では、言葉の意味が正直言って分かりかねる。せっかくこの国には、表音文字と表意文字、そして両者の仲をとりもつ「ルビ」というものがあるのだから、何も平仮名で書かなくてもいいだろうに、と思うわけだが、一向にこれが変わる気配はない。むしろ、どんどんこの手の「無難な平仮名表記」が浸透しているようで、正直嫌になってくる。
先程、某ポータルサイトのテレビ番組表を何気なく見ていたところが、目に入ってきたのがこれだ:
……けつ? と一瞬当惑した僕は、果たして下劣な人間なのだろうか。そうは思えないのだけど。いいじゃん「秘訣」で。いくら何でも、これが読めない人ってそうそういないと思うんだけど、何故そんなに平仮名に頼るの?
ここ何日か、tlmgr を動かしても TeX Live のパッケージがアップデートされることがほとんどなくなった。いよいよ、この時期が来たのである。
TUG の TeX Live のページを見ると、TeX Live 2012 への工程表が掲載されている。コメントアウトされている箇所も含めて引用すると、
Plan for TeX Live 2012:
- 2apr: sources committed, builds begin.
- 15apr: sources stable except for major bugs.
- 10may: tlnet frozen, tlpretest starts, CTAN updates only on request.
- 1jun: complete freeze for final build, no more updates, final doc tweaks, always more testing.
- 15jun: make final images for the TeX Collection DVD.
- 1jul: public release made (also of MacTeX).
- August?: delivery of DVDs to members.
……ということで、tlnet が frozen になるのが来月10日の予定、ということを考えると、もうほとんどそれに近い状態なのではないか、という感じなのである。
僕は TeX Live の開発や配布に関して何も関わっていない (?) し、実際の運営状況もよく知らないのだが、こうなってくると気になるのが tlptexlive の行方である。既に subversion 等で公開されているソースツリーにはマージされているようなので、おそらく tlptexlive の成果は TeX Live 2012 に入ることになるのだろうと思うけれど、つい昨日に公開された uptex 1.10 はどうなるのか、とか、分からないことは多い。とりあえず、手元の環境をいつでも TeX Live 2012 に差し替えられるようにして、待つことしか術はないのだけど。
次世代の TeX / LaTeX 環境をどうしようか、あれこれ document を読みながら考えているのだが、これが実は結構悩ましい。
次世代の TeX / LaTeX 環境としてぱっと頭に浮かぶのは、
- XeTeX / XeLaTeX
- LuaTeX / LuaLaTeX
- ConTeXt (w LuaTeX)
という感じだろう。ConTeXt を使う気は今のところないので、早い話が XeTeX か LuaTeX か、という話である。
日本語環境ということで考えると、LuaTeX-ja プロジェクトが存在する以上、LuaTeX を選択するのが現実的なのは言うまでもない。しかし、LuaTeX と XeTeX を比較した場合、ひとつだけ僕が問題に感ずることがあって、それは polyglossia のことである。
polyglossia は、多言語を XeTeX 上で扱うためのパッケージである。従来の TeX / LaTeX 業界では、この目的にはもっぱら babel が用いられていたが、polyglossia はこの後継とでも言うべき存在である。有用なパッケージで、日本語に関しては九州大学の岩瀬則夫氏が、babel の japanese パッケージに相当する gloss-japanese.ldf と gloss-nihongo.ldf を『XeTeX を使ってみよう(事故で全部消してしまったのでサービス停止中)』で公開されている。
僕は polyglossia の存在を知った当初、これが LuaLaTeX でも使えるだろうと思い込んで喜んだ。しかし……残念ながら、少なくとも現状では polyglossia は XeLaTeX でしか使えないようなのだ。ググってみると、海外でも polyglossia を LuaLaTeX で使いたい、というニーズはあるようなのだが……
じゃあ素直に babel を使えばいいじゃないか、という話になるかもしれない。たしかに babel は LuaLaTeX 上で使えるのだが、japanese パッケージは LaTeX2ε での使用しか考慮されていない。どうやら、LuaLaTeX で多言語環境(日本語を含めて)を享受したいなら、polyglossia を LuaTeX でも動作するようにするか、japanese パッケージを LuaLaTeX + LuaTeX-ja の環境下で使えるように書き換えるかするしかない、ということのようだ。むう。まあ、自力で細々と始めてみましょうか……
まず、babel で japanese.ldf を使った場合に出るエラーをチェックすると、
(/usr/local/texlive/2011/texmf-dist/tex/platex/japanese/japanese.ldf
Package babel Warning: No hyphenation patterns were loaded for
(babel) the language `Japanese'
(babel) I will use the patterns loaded for \language=0 instead.
! LaTeX Error: Missing \begin{document}.
See the LaTeX manual or LaTeX Companion for explanation.
Type H for immediate help.
...
l.53 \newif\if西
暦 \西暦true%
?
……と出て止まる。これって……アレじゃないの? platex とかではプリミティブに日本語の文字を使っても OK だったけど、LuaTeX ではダメ……ってこと?
ということで、japanese.ldf を見てみると……
\newif\if西暦 \西暦true%
\def\西暦{\西暦true}%
\def\和暦{\西暦false}%
……この辺りからの記述で、
が登場してくるのだけど、とりあえずこれらを、
- \if西暦 → \ifSeireki
- \西暦 → \Seireki
- \和暦 → \Wareki
のように置換する。ついでに、このファイルを japanesedash.ldf とすることにして、マクロ中の japanese という文字列を japanesedash に置換する。これを japanesedash.ldf という名前で保存して、/usr/local/texlive/texmf-local/tex/platex/japanesedash 辺りに置くことにする。
まさかこれだけで……いや、これだけでいいのである。これを行った後、LuaLaTeX + babel で japanese が(japanesedash という名前に変わっているわけだが)使えるようになったことを確認している。ということで、当面はこれでしのぐことにしようと思う。
txfonts や Mathptmx を使っていた僕も、最近は(ようやく?) TeX Gyre Termes をメインの欧文フォントとして使っているのだけど、最近、どうも何かおかしい、と気付いたのだ。TeX Gyre Termes を使うと、日本語フォントに影響が出ていないだろうか? と。
今迄安易に:
\usepackage{tgtermes}
としていたのだが、この tgtermes パッケージを使うと、日本語のフォントが明朝体のみに固定されてしまうようだ。OTF パッケージを併用して、 tgtermes パッケージの使用を宣言する行の位置を変えてみても、これは変わらない。ということで、現時点では:
\renewcommand{\rmdefault}{qtm}
のように指定して使っている状態である。
意外な盲点だったのだが、でも TeX Gyre Termes が高品質で、こうやってでも使いたいフォントであることは変わらない。他によりよいものが出てくるまでは、こうやって使い続けるであろう。