情報統制は既に始まっている

皆さん、もうお気付きのこととは思うのだが、ある日を境にして、ほとんどのメディアで、放射線や放射性物質量の具体的な測定値を表に出さなくなった。「〜の定める量の……倍」というフォーマットがすっかり定着してしまった。

僕は、これを一種の情報統制だと思っている。僕は決して上杉隆氏や岩上安身氏等を支持しているわけではないのだけど、大手メディアが一斉にこのような動きをするのは、大手メディアに共通する「具体的な測定値を表に出すと不都合が生じる事情」があるからだろう、と考えるのが自然であって、今回の場合、それが「政府関連や東電関連のプレスリリースにアクセスできなくなるかもしれないから」だというのが想像に難くない。上杉氏や岩上氏が言うところの「全部記者クラブが悪い」式のコントロールが、ここに働いているというのは、決して陰謀史観的な発想ではなく、率直に現状から類推した結果として自然に至る見解であろう。

そして今日、こんなニュースが流れた。

日本で公表されない気象庁の放射性物質拡散予測

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、気象庁が同原発から出た放射性物質の拡散予測を連日行っているにもかかわらず、政府が公開していないことが4日、明らかになった。

ドイツやノルウェーなど欧州の一部の国の気象機関は日本の気象庁などの観測データに基づいて独自に予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開している。日本政府が公開しないことについて内外の専門家からは批判が上がっており、政府の原発事故に関する情報開示の在り方が改めて問われている。

気象庁の予測は、国際原子力機関(IAEA)の要請に基づくもの。国境を越える放射性物質汚染が心配されるときに、各国の気象機関が協力して拡散予測を行う。

同庁では、東日本大震災当日の3月11日から毎日1〜2回、拡散予測を計算している。具体的には、IAEAから送られてきた放射性物質の放出開始時間や継続期間、どれくらいの高さまで上ったかを、風向きや天候など同庁の観測データを加えた上で、スーパーコンピューターに入力し、放射性物質の飛ぶ方向や広がりを予測している。

(2011年4月4日14時30分 読売新聞)

ノルウェーの飛散予測シミュレーションの結果は以前からチェックしているのだが、その結果は、この季節の特に少し暖かくなってきた頃の風の影響を色濃く反映するものだった。西高東低の気圧配置が崩れてくると、それまで西風が支配的だった福島辺りは、時間によって北風、そして南東←→北西の向きの風が吹くことが多くなる。当然フォールアウトもその風に乗る訳で、「東日本大震災・放射能影響予測システムによる試算」(2011年3月23日、時事通信社)に掲載されている、原子力安全委が去る3月23日に発表した試算結果にも、その影響が見てとれる。

僕が何を言いたいのか、と言われそうだが、これらのシミュレーションの結果を見て言える見解が「放射性物質に対する行動を原発からの半径で定めてもあまり意味がない」というものだ、ということを言いたいわけである。フォールアウトは南東と北西に偏って落ちていて、南東は海上だからあまり問題にならないけれど、北西は陸上だから、これは問題になる。原発から30キロ圏外にある北西の辺り……と見ると、最近話題の飯舘村なのである。

このようなシミュレーションの結果を政府が出そうとしないのは、そのまま出すと不都合な事情があるからだろう。何が不都合なのか、と考えるに、原発からの距離だけで避難か屋内待機、と、バカ(誤解なきように願いたいが、ここで言っているバカは規制される人々のことではなく、規制する側の人々のことである)でも誤たず言及できる今の対策を、もっと複雑で、実情に即したものに変えることにおいて、何らかの不都合があるのだろう。それは、その土地にいる人々の不都合ではない。施政者の不都合なのである。

このような現状を鑑みるに、やはりこう結論付けざるを得ないのだ:情報統制は既に始まっている、と。バカが雁首揃えて、できることはこの程度なんだから、そういうバカから先に死んでいなくなってしまえばいいのだけどねえ。そう言えば枝野官房長官を応援している人々がいるそうだけど、彼が青息吐息で帰った家がどこにあるか皆さん知ってますか?あの人はね、赤坂の議員宿舎に住んでるんですよ。まあ、あんなところじゃ、福島の寒さも飢えも、とてもじゃないけれど慮ることなどできそうもない。

pTeX が消える日

かつてアスキーという出版社があった。今はアスキー・メディアワークスという会社になっているけれど、このアスキーの遺した大いなる遺産のおかげで、僕達は今でも Linux 上でのタイプセッティングを容易にできている。

Publishing TeX (pTeX) は、現在に至るまで、日本語を TeX で扱うためにはなくてはならないものである。僕も、論文を含む数多くの文書を LaTeX で組版してきたし、現在もほぼ日常的に LaTeX を使っているので、この pTeX なしにはそういった仕事に多大なる障害を来してしまうだろう。

しかし、pTeX には大きな負の側面もある。pTeX 成立以後の TeX における日本語環境の進歩が、ほぼ止まってしまったのである。これに関しては、この何年かの間に問題が表面化してきた。特に、レジスタの数が256に限定されていることは、大きな問題であるとされ、北川氏によるe-pTeXで拡張がなされるまで、皆の頭を悩ませた。

e-pTeX と、土村氏によるpTeXLiveによって、現在は問題なく TeX/LaTeX での日本語処理ができている状況ではあるのだが、世界の趨勢というのはこれを遥かに引き離して前進している。e-TeX によるレジスタの拡張だけではなく、pdfTeX の登場によるダイレクトな出力(これは Device Independent な中間出力という Knuth の方法論を超えているわけだが)の実現と microtypography の実装、そして UTF への数々の対応策と、それらの総決算とも言うべき LuaTeX の登場によって、ヨーロッパ系言語における TeX 環境は、日本語のそれとはもはや別次元と言ってもいいような状態になっている。

じゃあ、僕は今一体どうしているのか、というと、TeXLive 2010 上での日本語環境というのを試してはダメ、試してはダメ、というのを何度か繰り返していたのだけど、ついに、こういうプロジェクトが立ち上がったことを今日になって知ったのである:

http://sourceforge.jp/projects/luatex-ja/wiki/FrontPage

(LuaTeX-ja(仮称)プロジェクト)

ようやく、という感じである。今後に注目したい。僕の環境から pTeX が消える日が、着々と近付いているのである。

今更自動化

僕は Debian GNU/Linux というディストリビューションを使っているのだが、いくつかのツールはディストロの管理に依存せず、自分でソースを管理してビルドしている。これは昔からそうしていたから、というのと、やはりディストロのパッケージはカタくできているものなので、最新版を使っている場合にはこの方が都合がいいから、というのもある。

じゃあ具体的に何をそうしているのか、というと、まずは Kernel である。言うまでもなく、Kernel は Linux の中核を成すものなわけだけど、僕は定期的に kernel.org の finger server を覗くようにしていて、Kernel のアップデートがあったときにはアーカイブを落として、自分で debian package を作成している。

そして、GNU Emacs も自力でビルドしている。XEmacs が流行った頃に、GNU Emacs の cvs 版の方がいいなあ、という話をあちこちで聞き、当時はまだ電総研(現在の産総研)で公開されていたソースを落として build するようになって(それ以前も GNU からソースを取ってきてビルドしていたのだが)、それ以来自分で管理する習慣がついてしまった。一時期は Debian のパッケージを使ってみたこともあるのだが、現在は Bazaar で公開されているソースを落としてビルドしている。

Emacs 周辺のパッケージ、具体的には Mew, APEL, Emacs-w3n, FLIM, navi2ch, SKK, twittering-mode 等だが、これらも自分で管理している。具体的には anoncvs や Git でソースツリーを更新しつつ、定期的に自分でビルドしているわけだが、最近は Debian のパッケージを入れると、依存関係の解消のために不要なパッケージが入ってくるのが厭になってGit も自分でビルドするようになってしまった。こうなってくると、いちいち自力でやるのに一日何分かを費すことになるわけだ。

まあ、こう書くと、何をそんな面倒なことをやっているのか、と言われそうだけど、bash の強力なヒストリを使えば、そう入力に困ることはなかった。だから完全手動でやっていたのだけど、さすがにこれも面倒だし、暇があるときに一日に2度 Emacs のビルドをしていたりすると、ああこういうのがいかんのだよな、とか考えて自己嫌悪に陥る。そこで、shell script を書いて cron で自動実行するように整えた。これで一日に1度だけ、ネットワークも端末の負荷も軽い時間に、端末が自動的にその作業をしてくれるようになったわけだ。

本当は、こういうことをまず自動化できることこそが、Linux を使っていて便利なところのはずなんだけど……どうも、いかんな。

頭がカタくなっている?

ちょっと web ブラウズしていたときに、中学入試の数学問題をまとめたサイトに行き着いた。なんだかなあ、こんなん小学生に出す教育的意味って何よ、とか思いながら見ていて、ふと目にした問題がこれであった:http://www.sansuu.net/challenge/challengeq/challenge065q.htm

え、これって小学校までの算数でどう解くんだ?としばし考え込んだのだが、おいおい、分からないよ!えー?どうやって解くのこれ?と、昨日からテンパっている。困ったことである。

こんな問題も解けんのか、とか言われそうなので補足しておくけれど、数列と漸化式を使えばそりゃ解けるんだよ……一応解いたのを PDF にしておいたのにリンクしておくけれど、まあさすがにこんな風に解けないようでは肩書が泣くというものである。

うーん、それにしても、小学生にどう解かせるのか……まあトリッキーなことをさせるのは想像に難くないのだけどなあ。まだ「小学生向けの正解」が思いつかないままなのである。

……などと blog に書いた後も、うーん……と悩んでいたのだが、ああ、こうすれば小学生でも答えられるかもしれない、というものに思い至ったので、解いたのを PDF にしておいたのにリンクしておく。しかしなあ……こんなの、時間制限下で小学生にやらせても教育的意味なんかないって。この中で使っている 1 + 2 + 3 + ……を計算するやり方は、あのカール・フリードリヒ・ガウスがギムナジウム時代、教師に1から100まで足し合わせる課題を出されたときに使ったという代物である。こんなものが時間制限下に出てくる小学生は、仕込まれていないのだとしたら大した才能の持ち主だろうけれど、僕にはどう考えても、猿回しの猿よろしく細かく細かく仕込まれた猿小学生の姿しか想像できないんだけど。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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