見せるということ、見せないということ

蜘蛛と蝶の関係

 先に「見える」という言葉と「見せる」という言葉を区別して使いましたが、 WWW 上での document の公開で一番麻痺しやすいのが、この、万人に「見せて」い る、という感覚なのかもしれません。

 よく目にする意見で、

私の書くことが気に入らないのなら読みに来るな

とか、

あなたには読みに来てもらいたくない

というものがありますが、そういうことはどれほど書いても 効力を持たない のです。なぜなら、我々が document を書き、公開するのに使っている WWW というメディアが communication media ではない からです。情報工学的な定義はさておき、誤解を恐れずに cyberspace の共通 認識に従って言うならば、 WWW というメディアは broadcast media なのです

 ここで言う communication というのは一対一の意思疎通・情報交換のこととします。 multi communication だったらそうとは限りませんが、それはあくまで communication path (意思疎通の経路)という「糸」が複数束ねられたものに過ぎません。糸の震え が他の糸に移ることは、普通は考えないものなのでしょう。

 しかし WWW は違います。このメディアの創始者はこれを蜘蛛の巣、もしくは織物 を表す web という言葉になぞらえたわけです。糸の震えは糸の交点を経由して、 巣の全体へ、布の全体へと伝播する可能性を秘めているものです。

 もちろん、スイッチをひねれば音が出る……という程に受動的なアクセス形 態のメディアではありませんが、検索サイトや他の誰かのページのリンク、も しくは掲示板などの情報から、個々のページには容易にアクセスが可能で、し かもほとんどの場合アクセスの制限をかけていない状態のコンテンツは、メー ルなどと比較して極めてオープンなメディアであると言わざるを得ません。

 そのような場でもし、personal communication における話題が露出された としたらどれほど無防備か……それはまるで、蝶が蜘蛛の巣の糸で糸電話をす るようなものなのです。無論、そこに蜘蛛が必ずいるとは限りませんが、巣を 揺さぶって蜘蛛が這いだしてきたとき、蝶は一体どうするのでしょうか?

 他者に単に何事かを要求することが書くことの安全を確保してくれるはずが ありません。それはまるで、蝶が蜘蛛の巣の上で、

「私は優雅に糸を震わしているのだから、嫌なら離れてほしい」

と叫んでいるようなものです。その糸の震えを優雅に感じとるか、餌食のかかっ たサインととるか、あるいは安眠妨害の振動ととるか……それは受け手によっ てまるで違ってくるのですから。

 例えば、実名で private に関わることが書かれているコンテンツとか、性的に オープンなことがかかれているコンテンツというのは確かに読んでいてスリリング だし、そこでの独白に共感を感ずることもあるでしょう。しかし、その実名で登場 してくる人物や、性的にオープンなことを書いている人のパートナーと予想される 人物との間で、そういった洒落や諧謔の通用しないような関係にある人がそれを 読んだ場合どうなるでしょう?それはまさに「蜘蛛登場」になりかねない危険を 秘めているわけです。

 先に書いた「潜水艦社会」の中で周囲の「見えない」存在を忘れ、 communication と broadcast の違いを忘れた結果として「見せる」つもりの ないものを「見せるべきでない」人に見せてしまう……この組み合わせは、あ る意味で実に巧妙に、人の privacy を露出させてしまうものなのです。

資源化される情報(2009年に追記)

このような「自分の望む存在だけが自らのページを訪れる」という恣意は、 WWW という仕組みにおいて、しばしば致命的な問題を引き起こします。それは、

「WWW で公開された情報は、しばしば公開者の認知の有無に関係なく蓄積される」

ということです。

WWW というメディアは、ほとんどの情報をファイルのかたちでやりとりします。 最近は php 等の動的コンテンツ生成システムが数多く活用されていますが、これら にしても、動的に生成された情報それ自身、もしくはそれを埋め込んだ情報がファイル としてやりとりされることに何ら変わりはありません。

ファイルである以上、それを保存するのは容易いことです。そして再利用することも また容易いことです。

これは印刷媒体関連の話ですが、実際のケースとして、このような話があります。

女優志望の女性が、とあるプロダクションと契約を交わしたが、そのプロダクションは いわゆる悪徳プロで、彼女をアダルトビデオに出演させるようにセッティングを してしまった。彼女はそれを拒絶したものの、締結後の契約を解除することができずに、 仕方なく3作品のアダルトビデオに出演し、契約満了を以て事務所を逃げ出した。

しかし、彼女にとっての地獄は、ビデオ女優を引退した後であった。彼女が出演した 3作品が好評だったために、風俗関連業者が宣伝用のチラシなどに無断で彼女の(女優 時代の)雑誌やパッケージ、宣材の写真を使用したため、せっかく引退したにも関わらず、 彼女は通常の生活が困難な状態に追い込まれてしまった。

引退後の彼女は、普通の女性に戻るために、様々な会社で普通のいわゆる OL として 就職した。しかし、会社の誰かが、必ずと言っていいほどに、彼女の写真が載った風俗 チラシなどを見つけてしまい、社内に「彼女は AV 女優だった」という噂が流れ、そして 退職せざるを得ない状況に追い込まれてしまう……このようなことが何度となく繰り返さ れた、というのである。

この女性は、風俗業者関連の団体を相手取って訴訟を起こしました。現在、彼女の名前や 写真を見かけることはありませんが、ネットで彼女の映像・写真を探すことは不可能では ありません。つまり、彼女は、結ぶべきでない契約を結ぶべきでない相手と結んでしまっ たばかりに、不当に肖像や職歴を披瀝されてしまい、その後の長い期間、まともに働く こともできない程の不利益を被ったわけです。彼女ばかりに責任を追及するわけにはいか ない事例ですが、見せるべきでない個人情報を公開した結果、それが「蓄積」され、 「再利用」されてしまい、その後の生活に多大なる損害を齎した一例です。

最近だと、2006年の秋に起こった、いわゆる「ケツ毛バーガー」事件が好例でしょう。 ある男性のパソコンから、P2P ソフトとウイルスを介して、男性の個人情報とメールの アーカイブ、そして男性と恋人とのデジカメ撮影映像(いわゆるわいせつ画像を含む)が 流出し、ある人物の手によって、SNS 大手の mixi の登録者検索で男女の個人情報が特定 され、そしてそのわいせつ画像が、mixi における女性の出身学校のコミュニティに公開 されてしまった、という事件です。

この事件において流出してした情報は、画像も含めて、未だにネット上に「蓄積」されて います。被害者(この場合は男性の方はむしろ加害者にも近いといえますが)の本名、 年齢、出身校、当時の所属、そして交際していた二人のわいせつ画像……全てを入手する ことが、未だに可能なのです。

彼氏と何気なく撮影したデジカメの映像から、まさかこんなことまで丸裸にされるなどと は、この女性は考えもしなかったに違いありません。しかし、全てが晒されてしまった 結果として、少なくとも彼女は、多くの人と築いた信頼関係、恋人、そして職までもを 失う結果となってしまったのです。

これらのような「蓄積」による被害というものが存在することを、まずは意識していただ きたいのです。

裏ページの悲劇

 network 上には日記を書いている人が(特に日本人に)多いのですが、この 人達の中に、オープンにしている日記に書きづらいことを書くための「裏日記」 を持つということが秘かに流行しています。ページの中に小さな文字や矢印な どを配しておき、そこからリンクでそのページを読めるようにしつらえてある 日記をよく見かけます。しかし、残念ながら、そういう形態をとっても 無意味 です。

 ほとんどのサイトに、検索エンジンサイトがデータ採取に用いる robot と 呼ばれるプログラムがアクセスしてきます。これは、

  1. あるページの HTML document を採取し、検索データベースに登録。
  2. その document 上のリンクの部分を抽出。
  3. そのリンクにアクセスし、同様のことを繰り返す。

……というプロセスで、network 上の WWW の情報をくまなく採取するように 作られています。

 人の目で見たときの目立つか目立たないか、という尺度は、この robot に は一切ありません、単にそこにリンクが張られているかどうか……だけが問題 なのです。張られていたら、その先の document は採取され、登録されます。

 最近の検索エンジンは、document の最初の 100 文字程度をストアするよう に作られていますから、検索結果の上ではその「裏」 document の内容は白日 の下に晒されているわけです。

 そして、WWW を使い慣れて、自分でも HTML を書く人は、しばしば他人のペー ジのソース(生の HTML document)をじかに見ます。人間でも、これで一目瞭 然になってしまうわけです。

 ここで問題なのは、書いている本人は「見せていない」つもりなのだという ことです。原理的には今まで書いたように「見える」ものなのだと理解はして いても、「見にくくなっているから大丈夫」と安心してしまって、表にはちょっ と書くことをはばかられるような内容を書いている人もしばしば見受けます。

 人は、供給者がクローズドなものとしているものには逆に興味を示すもので す。見られたくないもの、見せたくないものに、逆に人の興味が集まるような 公開の形態をとってしまい、しかも検索サイトにばっちり登録されてしまう…… これは完全に、公開者の意図と相反するものなのではないでしょうか?

 なお、この robot を避ける方法として、HTML document の先頭に情報を付 加する META タグを用いる方法が知られています。

<META NAME="ROBOTS" CONTENT="NOINDEX, NOFOLLOW">

 この場合、ファイル採取もリンク追跡もしないで下さい、という意味になり ます。またこれ以外にも、robot.txt というファイルにアクセス制御 文を書く方法もあります。しかしこれで安心するのは早計 です。このタグ、もしくはファイルを発見したときにアクセスをしないという のは、あくまでも robot の運用上の義務ではなく、推奨事項に過ぎないから です。つまり、このタグもしくはファイルを発見したときにアクセスするかし ないかということはあくまでrobot 製作側の判断に委されている のです。事実、いくつかの検索サイトの使用している robot はこれ を無視します。


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