極論を言えば、最も安全なのは network を使わないことです。しかしそれ では network の恩恵には一切あずかれません。network を使用しつつ、いま まで見てきたようなリスクを最小限にするためには、
リスクを持ったものを、そのリスクをコントロールしながら使う
という姿勢が求められるわけです……もっとも、これは別に特別なことでも何 でもありません。
例えば自動車に乗ることを考えてみましょう。交通事故に遭わないための一 番の方法は自動車に乗らないことですが、それでは自動車の恩恵には一切あず かれません。ですから国は、時に人を殺すことのある自動車というものの運転 を免許制にして一定のテクニックを要求し、運転者は互いに暗黙のマナーを守 り、また要求し、飲酒時や疲労しているときは運転を避け、常に安全に気を配 るわけです。
network を使うのも同様なのではないでしょうか。内在するリスクの傾向と 対策を頭に入れ、そこに踏み込まないように注意して使えば、(時には暴走車 が飛び込んで来ることもあるかもしれませんが)最小限のリスクで使うことが できるのではないでしょうか。
そこで、ここに 自己情報管理 という言葉を提案したいのです。
例えば、同じ会社員であったとしても、業務によって守秘義務に関わること の数・程度は大きく異なるでしょう。会社員と学生だったら、その差は歴然と しています。
また、家族に言及するときも、子供の年齢や家の周辺の状況などによって、 そのリスクの大小にはかなりの差が生じることでしょう。
ただ、一つだけ確実なのは、皆さんがその判断を誤った結果として、第三者 に大きなダメージを与える可能性がある、ということです。先にも書きました が、
自分のことを自分のページで書いて何が悪い?自分で被害を被ったって、そ れは誰にも迷惑をかけないのだし。
これは、自分が書いた第三者に関する情報でその第三者が被害を被る危険性を 認識していない言葉なのです。あなたの家族や友人、恋人を守るためには、公 開する情報を吟味する習慣をつけなければならないのです。
このようなことを言うと「大げさな話」と片付けられる方が大変多いのです が、以下の URL をご参照下さい。
http://www.cisnet.or.jp/home/abcnet/
このように、個人情報がどのような経路で収集され、売買され、どのような 人に利用されるかは、予測し難いものがあります。リスクを把握することの重 要性について、是非考えていただきたいのです。
個々人が、自らの情報がどこにどの程度流布され、あるいは蓄積され ているかを把握する権利
というところでしょうか。平たく言えば「自己の情報を管理する権利」という ことですね。
しかし、ここで問題にしている「自己情報管理」という概念は、これとは少々 異なります。
ここで主に問題にしているのは個人の持つ WWW ページです。しかしながら、 個人の WWW ページに載る個人情報というのは、必ずしもそのオーナーの個人 情報だけだとは限りません。その近しい人達の個人情報も掲載される可能性が あるわけです(家族の情報などがその一例ということになります)。
ですから、先程から何度も、「私のページで私が何を書こうが私の勝手」と いうロジックが「『私』が『私以外の誰か』について書く可能性」を無視した ものだ、と言っているわけです。
不用意に何者かの不利益になるような個人情報を open な場である WWW の ページ上に書くことは、先に述べた「自己情報管理権」を侵害する可能性があ るわけです。それを回避するためのものとしてここで述べてきた「自己情報管 理」は、権利ではなくむしろ義務に近いものとも解釈できますが、僕自身は 「義務」という言葉をここに充てることに対して未だ完全には納得していませ んので、ここでは「strongly recommended(強く勧めるところの)」と言う程 度に留めておこうと思います。
以上から、改めて「(WWW における)自己情報管理」という概念をこう定義 したいと思います。
情報発信者が自ら、その情報発信に伴って情報に関係する者に生じるリスクを 把握し、それが最小限となるように、発信する情報ならびにその発信形態につ いて管理すること
ですから、平たく言うと「(情報発信者としての)自己」が 情報を管理する、ということなのです。それは即ち自らの「自己情 報管理権」を行使することであり、同時に、自分の近しい人々の「自己情報管 理権」を尊重することでもあるのです。
単に「かわいそう」と同情し、加害者を糾弾するのは容易いことです。しか し、単にそこに留まることは、単なる被害者への共依存に過ぎません。
自らが、自らの周囲の人達が、そしてそのような被害に遭った人が再び同じ トラブルに見舞われないようにするためには、そこにどのような原因が内在し ていたかを冷静に考えることが必要です。そしてそこで見出された原因を生か し、再び同じ原因を作らないことが肝要と考えます。それこそが、cyberspace を暮しやすいものにし、そこでの安全を高める上で重要なことなのではないで しょうか。