炎天下を歩く

一昨日のことである。刈谷で用事があった後に金山まで移動しなければならなかったので、刈谷駅のホームで東海道線下りの新快速を待っていた。あとほんの2、3分で電車が入ってくる、というときに、こんなアナウンスが入った。

「12時42分頃、名古屋―枇杷島間で人と列車の接触事故があったため、一部区間で運転を見合わせております」

しかし、その直後に、いつも通りに電車が入ってきたので、大したことはなかったのかな、と思いつつ乗り込んだのだった。

そして、大府駅を出て少しした辺りのこと……電車が減速している。ああこれがさっきのアナウンスのアレか、でも大した影響は出なかったのかな……と、まだこの辺りでは思っていたのだが、本来通過する筈の笠寺駅に入ったところで、電車は駅に停車した。

「えー、12時42分に名古屋―枇杷島間で人と列車の接触事故が発生しまして、現在東海道線上下はこれより先での運転を見合わせておりますので、この車両もここまでとなります」

はーさよけ、と聞き流しかけて、ん? となった。ということは、ここから先にはもう向かわないということ? 慌てて車両から出て、改札のある階まで階段を上りながら、U に電話をする。事情を話すと、ちょっと待って、Google Map で調べるから、と一回切った後に、

「そこから少し歩いたところに名鉄の駅があるから、そこまで歩けば?」

改札の前には列ができている。様子を窺っていると、代替輸送を行います、とのことだったので、どうやらここからの名鉄の乗車券が貰えるらしい。ということで、列の後ろに並ぶことにする。

僕はこの手の行列に並ぶ度に思うのだけど、つくづく愛知県人というのは待ち行列というのができない連中である。まず、1列とか2列になって並べない。前が空いてきても詰めない。出たり入ったりする。ぺちゃくちゃ喋る。果てには「これ何だか分かんないけどとりあえず並んでみたんだよね」とか言ってる奴もいる……粛々と並んで、切符を見せるなりトイカ(東海地区の IC カード)をリセットしてもらうなりして、無料乗車券を貰ってさっさと歩き出せばいいだけのことなのに、ノロノロノロノロ、と、時間が浪費されるったらない。その合間にも、ケータイで、

「電車止まっちゃったじゃんねぇ〜、名鉄に乗り換えなあかんもんでぇ〜」

などと大声でやっている。他者の情報取得の障害になることを全く省みずに、ジャンダラリンとか、モンデとか、カンワとか、聞かされるだけでも厭な気分になってくる。ああそうだ、これと一緒ですな:

おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれをめた。「篦棒べらぼうめ、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生をつらまえてた何だ。菜飯なめし田楽でんがくの時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもを使う奴だ。

──『坊つちやん』夏目漱石

やっと僕の番になったので、トイカをリセットしてもらい、切符を貰い、遅延証明書をどこで貰うか(これは降車駅で貰うものらしい……今迄何度も貰ったことがあるのに)確認だけしてから、笠寺駅の東側の出口を出る。外は実に、厭になる位いい天気である。

ここから東に数百メートル歩くと、名鉄の本笠寺駅に行き着く筈である。まずは目前の高速(この高速の下に沿って走っている道路こそが東海道……国道1号線……である)の高架の下をくぐり、名古屋南郵便局の横を通り……やがて、目前を左右に横切る線路が見えてきた。この左側に本笠寺駅がある筈である。僕の周囲には、同じように名鉄の駅に向かおうとしているらしき人々がのろのろと歩いている。それを何人も追い抜きながら、辺りをそれとなく観察してみる。

笠寺は、名古屋市南区の中央にある駅である。僕はこの南区や港区といった辺りは、治安があまり良くないような印象があって普段は敬遠している(大同特殊鋼の本拠地だから、学生時代を含めて来たことは何度もあるのだが)のだけど、こうやって歩くと、まるで学生街のような風情である。へー、こんな感じなのか……名鉄の線路に沿って左折して、坂を上って少し歩くと、改札のある方に抜ける地下道の前に出る。

地下道に入ると……あーあ、また悪しき愛知県人だよ(誤解なきよう書き添えておくが、僕は愛知県人が皆が皆こうだと言いたいのではない……ただ、「ピンからキリまで」じゃなくて「ピンかキリか」、しかも両者の差が大き過ぎだよ……)。60代と思しき女性二人が横並びで、道を塞いでのろのろと歩いている。さっきホームに電車が停まっているのが見えたのに……と抜こうとするが、全然道を空けてくれない。愛知県人はどうしてこうも横並びが大好きなんだろうか。本当に、厭になる。通路が左に折れるところで、「失礼」と言いながら強引に抜き去った。

改札で切符を見せ、ホームへの階段を上っていると、もう電車が発車しそうな様子である。慌てて、階段から一番近いドアに飛び込む。ドア付近は冷房の冷気ががんがんに当たるので、まあここはいい場所と言えばいい場所なのだが……それにしても、名鉄名古屋本線というのは、まるで路面電車に乗っているような風情で、同じ線路を急行とか特急が通るというのが信じ難い。本笠寺駅にはもともと普通しか停車しないので、本笠寺駅→桜駅→呼続駅→堀田駅→神宮前駅→金山駅……と、のんびり各駅停車の旅、である。しかし、元笠寺駅から金山駅までの営業キロ数は 6.2 km しかない筈なのに、その間に4つも駅があるのだから、ますますもって路面電車並である。

金山駅に着いて、JR の改札を入るときに遅延証明書を貰った:

chien.png
遅れた時間は「御自分で遅れた時間をご記入下さい」……そう言えば前に貰ったときもそうだったっけ。まあ、ここは正直に書くことにしましょう……と、こんな調子で、思いもかけぬ各駅停車の旅はおしまい。それにしても、駅の間を歩いたときの暑かったことったらない。

今回の原因であるところの人身事故に関しては、新聞等で報道された様子はない。しかし、東海道線上下を2時間以上止めてしまい、乗客の代替輸送も発生したということを考えると、この件で JR 東海(と JR 貨物?)が被った損害はかなりの金額になるに違いない。噂では、JR はこの手の損害を事故を発生させた人やその家族に請求するという話なのだが、その後一体どうなっているのだろうか。恐ろしい話である。

for someone's eyes only

ネット上で自力でサーバの管理を行っていると、人間というのが必ずしも性善説的行動をするわけではない、ということを思い知らされるものだ。僕の場合も、最近では『新しい中傷手法』『新しい中傷手法(2)』で書いたような問題があったり、とか、fugenji.org の index page に色々書き込まれたり(これは半分は我々のミスなのだけど)……まあ、色々あるわけだ。そういうことがあるから、いくつかの解析用スクリプトを用いたログファイルの解析、そしてその基本となる時刻管理(NTP で時計を正確に合わせておかないと、せっかくのログファイルも証拠能力が半減してしまう)は習慣としてやるようになっているわけだ。

fugenji.org では apache を使っていて、ログを定時に取得してスクリプトで解析した結果を見ることができるようになっている(というか、している)。これを見ていておかしなことに気付くと、生のログを取得して、その場で必要に応じて書いたスクリプトで細かい解析を行うのだけど、日常の管理においてはそこまでする事態に至ることはまれだ。

朝起きると、未明に生成された解析結果に目を通すのが日課になっているのだけど、ここ1、2年の間、ちょっと気になるものが多くなってきた。referer に残っているリンク先を確認しようとしても、確認できないケースが増えてきたのである。

確認できないケースのほとんどは:

  • 「はてな」の日記でプライベートモードに設定されているもの
  • livedoor の SNS(なんだよねこれって? mixi のインフラと同じものを使っているようだが)
  • 大学の研究室で所属メンバー用にパスワード認証をかけているページ
の3つに分けられる。どの場合も、検索キーワードから推測すると TeX Live 関連の情報へのリンク、ということのようなのだが、そのページを見られないというのはちょいと気になってしまう。

まあ、ネット上で、会ったことも話したこともない人物に何事かを書かれる、ということを体験したことのない方は、「上田は何を下らないことを気を病んでいるのか」と思われるかもしれない。しかし、こういうことで面倒な事態に至った経験が複数回数あるからこそ、こういうことを気にかけているのである。

もう十数年前の話になるが、僕が『WWW ページでの個人情報公開について考える』を書いて間もない頃のこと。当時、朝日新聞で、ネット上での個人のトラブルに関する連載をしていて、たまたまその連載に関する意見をメールで送ったところが、朝日新聞社の取材を受けることになった。メールでインタビューのフォームが送られてきて、それに対して色々書いたものが掲載されたわけだが、その掲載直後、当時のサーバに対して、神奈川県の某大学のページを経由したアクセスが急増した。

当時の web サーバも apache で、当然 referer でその某大学のページをチェックして読んでみたわけだけど、「こいつは web ページ = ホームページと思ってるらしいぜ」みたいなことが書いてあった。へ? いやいや、僕は普段からそれに関しては注意していて、 index になるようなページ以外をホームページなんて書いたことはないんですけど……で、当時東京にいた知り合いにお願いして、問題の新聞記事をスキャンしたものを送っていただいた(東京版だけに掲載されていて、当時の僕は吹田に住んでいたので)。すると……おいおい、僕が書いた文章の「web ページ」という単語が全て「ホームページ」に書き直されているではないか!

思い切って、その神奈川県の某大学のサイトのオーナーにメールを送ってみることにした。感情的にならないよう、事の経緯を書いた上で、このネット上の文書は何とかなりませんかね……と書き送り、返事を読んでみると、どうやらそのオーナーは大のアンチ朝日らしい。で、「あなたも朝日の記者にやられましたね」「経緯が分かりましたので、私の方のページの方は対処しておきます」と書かれていた。うーん……なんだかなあ。そういうことに僕を巻き込まないでほしい、とも思ったが、まあ対処してもらえるならこれ以上噛み付く必要もなかろう。しかし、何故こんなことになるんだ?

後で分かったのだが、朝日新聞社では、記事に出てくる term はいちいち内部の「用語集」と照らし合わせ、用語集と異なる単語は全て用語集に収録された term に置換されるのだという。いや、そりゃ記者が書いた文章でそんなことをするのはいいんだろうけれど、社外の人間の書いた文章に断りもなくそんなことをするとはどういうことなのか。こちらが間違った term を使っているならまだしも、逆に間違った term に置換されるんじゃたまらない。

僕は朝日新聞社の記者宛にメールを書いた。いいですか、野球で、1塁や2塁のベースを「ホームベース」とは言いませんよね、home position にあるベースだから「ホームベース」って言うんですよね、web のページも一緒なんです、home position にあるページだから「ホームページ」って言うんですよ、それを何でもかんでも「ホームページ」って書き換えられたのではたまりませんよ、ほら、こんな風に糾弾されてしまいましたよ……しかし、その記者は僕のメールを完全にシカトしたのだった。

……という具合に、いつ、何がどこでどんな風に、それもこちらの意図しないかたちで提示されているか、分かったものではないのである。そして、僕は手段として、そういうリスクを内在したメディアを使い続けている。使い続けている以上、リスクに対する備えはしておかねばならぬ。そういうことを、あのとき僕は実地で学習したのであった。

そんなわけなので、もし僕の書いたコンテンツを private な場所でリンクされた方、あるいはこれからしようとされている方がこれを読まれていたら、リンクする前にこっそりメールで教えて下さると幸いです。

老後の楽しみ

大学生の頃。僕は池波正太郎は読まないと心に決めていた。老後の楽しみにとっておくべきだと思っていたからだ。しかし、とうとう『鬼平犯科帳』、そして『仕掛人梅安』……そして、結局あらかた読んでしまった。池波正太郎というカリスマに巣喰うダニみたいな作家(常盤某とかね……池波正太郎は自分なしには語れない、とでも言わんばかりのあの蔓延りぶり、まさにダニだよ)の存在まで知ってしまい、本当に嫌な気分になるオマケ付きだった。

音楽でも、そういうものがないわけではない。たとえば The Beatles…… これは、聞くと自分が影響されてしまうことが避け難いと思ったから(山下達郎が全く同じことを言っていたのにはビックリしたけれど)なのだけど、これだって結局はあらかた聞いている。自分で蒐集したりヘビーローテーションみたいにしたりしていない、というだけのことである。

音楽でこういう「老後の楽しみ」にしたいと思っていたのが、実は Todd Rundgren だったのだが、これも聞いてしまっている。"I Saw the Light" を偶然聞いて、その(日本で知られる彼のイメージで括るにはあまりに広過ぎる)彼のあまりに広範な世界を知ってからは、結局れこれ聞いてしまっている。今日だって、彼の A Cappella Tour を聞きながら書いているのだが、たとえば山下達郎がゴスペラーズや Baby Boo を従えて A Cappella Tour をやってくれたらいいのになあ(でもまずそういうことはしないんだろうなあ)と思いつつ、結局はこうやって聞き潰してしまっている……あ、これは既に僕が老境に達したということなのだろうか?

恕と恨

タイトルを見て、僕が何に怒っているのだろうか、と思われた方がおられるかもしれない。しかし、この漢字の意味はそれとは正反対である。

ジョは一見似ているが、その意味は正反対である。前者は文字通り「怒る」ことだが、後者は(デジタル大辞泉に収録されている説明によると)「他人の立場や心情を察すること。また、その気持ち。思いやり。」という意味だ、という。

恕という漢字を使う言葉を思い起こすと、たとえば恕免とか寛恕、忠恕……などというものがあるわけだが、これらの意味において統一的な「恕」のニュアンスは何か、というと、相手に対する誠意と寛容さ、ということになるだろう。これを頭に置いて、『論語』衛霊公篇 二十四 を見てみると……

子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也、

子貢問いて曰く、一言にして以て終身之を行う可き者有りや。子曰く、其れか。己の欲せざる所は人に施すこと勿かれ。

自分がされたくないことを他人にしてはならない、と聞くと、おいおいちょっと待てよ、という話になる。A さんのされたくないことが、一般的に A さん以外のされたくないことと一致するとは限らないわけで、この言葉を乱用することは危うい行為なんじゃないのか……という疑念が湧いてくるわけだが、孔子は先刻そんなことはご承知で、まず「自分がされたくないことを他人にしてはならない」という言葉より先に、この言葉で表される行為が「恕」の表れである、と、ちゃんと前置きをしているのである。他者に対して寛容であれ、誠意を持って対せよ、そして、自分がされたくないことを他人にしてはならないのだ……と、孔子は言っているのである。

韓国は儒教文化の国だ、と言うのだけれど、どうも『論語』のこの一節だけは、国策なのか国民の意志なのか、どうやら飛ばして読まれているような印象を受ける。






本当に韓国が儒教社会であるならば、こんなことができるとはとてもじゃないけれど考えられないわけだ。

これらのような韓国人のアクションを漢字一文字で表すなら、適切なものとしてハン以外思い浮かばない。これに関しては、ある話を思い出さずにはいられない。

韓昌祐という人物がいる。僕の大嫌いなパチンコの業界でダイナムと並んで大手であるマルハングループの創業者である。この「マルハン」という社名に関して、以前韓国でこう報道されたことがあった:

マルハンの「マル」は日の丸、「ハン」は「恨」で、日本に対する恨みから社名を付けた。
これに対して韓昌祐は:の5分40秒位からのくだりで、これを:
誰がそんな変な意味の名前を付けるのか。パチンコ玉の丸さ、地球の丸さから『マル』を取り、それに私の名前の『韓(ハン)』をつけたのです。
と否定している。

僕には韓氏の深意は分からない。分かる程に韓氏のことを知らないからである。しかし、ひとつだけ確かなことは、韓国のメディアがこう報道した、ということである。韓氏ではなく、韓国国内、特にメディアの意図として、そのような報道をするような気風がある。このことだけは、残念ながら事実だとしか言いようがないようだ。

上にリンクしたコトバンクのエントリーで、「恨」の意味として、こんなことが書かれている:

朝鮮語で,発散できず,内にこもってしこりをなす情緒の状態をさす語。怨恨,痛恨,悔恨などの意味も含まれるが,日常的な言葉としては悲哀とも重なる。挫折した感受性,社会的抑圧により閉ざされ沈殿した情緒の状態がつづくかぎり,恨は持続する。長い受難の歴史を通じてつねに貧しく,抑圧されて生きてきた民衆の胸の底にこもる恨は,おのずから彼らの行動を左右する要因としてはたらき,抵抗意識を生みだすようになる。韓国では植民地時代から解放後の〈外勢〉と〈独裁〉のもとで,恨は民族の〈恨〉として強く意識化されてきた。・・・
僕は嫌韓でもネトウヨでもないので、彼等が何らかの抑圧を受けた時代があったことを否定はしない。しかし、戦後、「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」、そして、無償3億米ドル、有償2億米ドル、民間融資3億米ドル(1960年代中盤、まだ 1米ドル = 360 円の固定相場の時代で、当時の韓国の年間国家予算が3.5億米ドル程だったという)の経済協力という名の賠償を経て現在に至り、多くの日本人は朝鮮半島を日本が統治していた時代に問題があったと認識しているこのご時世に、なぜ彼等が尚「恨」にしがみついているのか、と考えると、やはり不可解だとしか考えられない。彼等は一体、いつになったら「恨」を越えて「恕」に至ることができるのだろうか。こういうことを思わずに、一体何が儒教文化なのだろうか。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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