温故知新

僕が生まれて初めて組んだバンドのヴォーカルだったS君から連絡をいただく。実に懐かしいことである。

この初めてのバンド、というのが、僕の中では音楽に対する怨念みたいなものの源になっている。どういうことか、というと、当時の僕たちは、周囲が BOØWY とか、洋楽だったら U2 とかやってキャーキャー言われていた頃に、はっぴいえんどの『十二月の雨の日』をやろう、といって集まって、ドラムがいなかったのでリズムマシンで打ち込んで、それが本番のときに暴走して、出来損ないの祭囃子みたいなのをバックに演奏・歌唱して……ああそうだ、あのときのライブの司会の奴が言ったことは、きっと一生忘れることはないだろう。そいつはしたり顔して、こうのたもうたのだ。

「ん〜、フォークですねぇ」

馬鹿野郎何知ったようなこと言ってやがるんだこれぁロックなんだよという心の声もむなしく、まるでなかったかのように扱われたのがとにかく腹立たしかった。で、それから20年になろうというのに未だに音楽をやっている。きっと今後も死ぬまでやめないだろう。

皮肉なことに、その後いわゆる渋谷系が出てきて、はっぴいえんどの名前は同世代に知られるようになって、大学で女の子に「上田さんはっぴいえんどの CD 持ってるのぉ?」とか訊かれたっけ。け、何言ってやがるんだぽっと出の半可通がさも第一発見者みたいにとかいう心の声が、ますます音楽での僕を孤高の人にさせたんだよなぁ。今でも基本的に一人で作曲・作詞・編曲・演奏・歌唱とやっている背景にはそれが関係しているのかもしれない。

先週の真相

先週の体調不良だが、どうもかなり危ないところだったらしい。火曜にクリニックに行ったときにこの話をしたら、

「それは症状なんかから見ても、インフルエンザに罹患した可能性が高いんじゃないですかね」
「え。いやぁあまりに高熱が続くようだったら救急車呼ぼうと思っていたんですけど」
「……いや、やはり昏倒したとか七転八倒だったとか、明らかにおかしいですよ」
「ということは、インフルエンザに罹患して、そのまま寝ていて自然治癒した、と……」
「その可能性が高いと思います」

……とのことだ。うーむ。もし新型で重篤になっていたら、死んでいたかもしれないのだ。洒落ではなく。すぐそこに死があった、ということに、奇妙な程に感情が動かない。現状の悪さはこんなことにも影を落としているようだ。

四日目

四日目である。微熱が抜けず、舌炎もましにはなったが完治はしていない。ただ昨夜は夢もみない程に熟睡したので、少しはましになったかもしれぬ。

それにしてもなぁ……この何年かでも一番心身共に不調である。一体どうしてこうなったのか、自分でも分からないけれど。

未だ快復せず

一夜明けたが、筋肉痛・熱(37度台だけど)、舌炎は相変わらずである。

それだけならまだいいのだけど、どうも気分が優れない。厭な夢をみたというのもあるのだけど、夢のままに厭世的な心境になってしまい、そこから抜け出せずにいる。ここのところの世間も、自分の周辺も、何もいい材料が見出せない。この閉塞感から、どうにも解放される方法が思いつかない。困ったことだ。

まぁ、独りで病に臥すというのは気が滅入るものだけど、このよろしくない状況のまま自分の一生が終わってしまうのではないか、などとすら考えてしまう。自分のたたずまいから色も光も奪われたかのような心境になってしまう。いかんなぁ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

New Entries

Comment

Categories

Archives(902)

Link

Search

Free

e-mail address:
e-mail address