骨折り損・その後

あの骨折騒動からもうすぐ3週間が経過しようとしている。僕は未だ腕を三角巾で吊り、その上から拘束ベルトを巻いて日々を過ごしている。医師の話では、今週中頃にレントゲンを撮影して、その後の処置を決めるということだ。

骨折の部位の直接の痛みはもうあまり感じない。無茶なことをするとその後痛むこともあったが、今はそれよりも肘や肩の関節の痛みの方が深刻な状態だ。肘はずっと腫れ上がっているし、肘の裏側の内出血の後も軽快していない。これには時間がかかるとは言われているのだが、正直不安なままである。

何が一番不安かって、骨折以外に関しては何もチェックや処置らしいことがされていないことである。肘の様子をチェックすると、深く曲げると痛みがはしるし、肩には未だに力が入らない。とにかくひどく打ち付けているのだから、骨折以外に何か障害を来していたとしても不思議はない。

まあ、でも、今できることは休養とリハビリ位しかない。仕事の合間に、可動範囲を少しでも広げられるように、三角巾で吊った腕を前後左右に揺する位から、少しづつ、焦らずに、やっていかなければ。

骨折り損

黄金週間も終わりの、今月6日のことだった。仕事の準備を前もって進めておこうと、自転車で家を出て程なく、四ツ辻の歩道に入ろうと、そういう場所に必ずある点字ブロックの上に前輪を乗り上げたとき、陽の光を透かして何かがきらっと光った。おそらく、煙草の外包のようなビニールだと思うのだけど、次の瞬間、その上に乗った前輪は荷重の外側に滑っていた。二輪車でこのように前輪をもっていかれるのは制御を失うことを意味する。

普段なら、地面を転がるように受け身をとるはずだが、前輪をもっていかれたことで、反射的に両掌に力が入っていたらしい。ハンドルを握ったまま、目前の景色が車体と共に傾き、僕は左肩から歩道のタイルの上に叩きつけられた。

思いっきりバットか何かで殴りつけられたような衝撃が肩に加わり、僕は呻きながら地面に転がった。しばらく起き上がることもできなかった。視野の隅の方に、通行人の若い男性が歩いてくるのが見えたが、こいつは僕に声一つかけることもせず、まるで何もなかったかのように僕の横を歩き去った。はぁ、これがこの辺の流儀なんだろうさ。僕は呻きながら心中で毒づいていた。

ようやく身体を起こし、自転車を起こしているところに、今度は中年の男性が通りがかった。しかしこの男性も、まるで透明で見えないかのように、僕を無視して歩き過ぎていった。はいはい。名古屋人は事故で困っている人がいてもこうするんですね。覚えておきますわ。よーく、覚えておきますよ。

ため息をつきながら身体をチェックする。左肩は痺れたようになっていて、腕を動かすと激痛がはしる。腕を上げることは到底無理だ。この時点で、僕は靭帯を切ったのではないかと思っていた。手術などということになったらどうしようもない。困ったなあ、どうしたものか、と考えながら、左手をだらりと下げ、右手だけで自転車を押しながら自宅に戻った。

動く右手だけでキーボードを打ちながら、休日診療所を探してみる。今住んでいるところからバスでしばらく行くと、市の休日診療所があったはずだが……しかし、診療時間もぎりぎりだし、診てくれるのは内科だけらしい。今回調べてわかったのだけど、いわゆる休日診療所というのは大抵内科・小児科・歯科ということになっているらしい。困った。

これはもう救急車を呼ぶしかないか、とまで考えたが、救急車をこの辺で呼んだら、おそらく連れて行かれるのは市内の東部医療センターだろう。確かあそこは「救急を一切断らない」というのをモットーにしていた筈だから……ということは、そこの救急外来に行けば診てもらえるかもしれない。

痛みに呻きながら、簡単に着替えを済ませ、東部医療センターに向けて歩き出した。左腕が歩くのに連れて揺れると、それに合わせて痛みがはしる。脂汗を額に浮かべながら住宅街の中を彷徨って、ようやく到着した。

受付を済ませると看護師が来て、体温を測って下さい、と体温計を渡されたのだけど、左肩を打撲していて、しかも左手が動かせないのに、何処にどうやって挟んだら良いというのだろう。当惑して佇んでいると、

「あ、挟みましょうか?」

最初からそうしていただけませんかね。こういうの、職業的に見慣れてるんじゃないんですか、あなたは?

ため息をつきながら待合室の椅子に座る。ちょっと目には、僕は何故ここにこうして座っているのか分からないのだろう。横では初老の女性とその娘らしい女性がぺちゃくちゃ喋りながらスマホをいじり(そこが携帯電話使用禁止エリアであることは言うまでもない)、その横では、骨折して近所の整形外科から紹介されてきた(何故それを知っているかって?でかい声で母親とそういう話をしていたからですよ)少年とその姉がそこら辺をうろついている。腕が当たったらどうしようか、と、ちっとも気が休まらない。

ようやく呼ばれて、医師に状況を説明すると、まずはレントゲン撮影に行って下さい、ということで、2階のX線撮影室に歩いて向かい、角度を変えて3枚程撮影する。下に戻って、またあの不快極まりない待合室で待たされること数十分。呼ばれて入ってみると、机上の液晶パネルに肩関節の写真が表示されている。

医師は開口一番、

「……折れてますね」

「上腕骨近位端骨折」(解説)というのが診断であった。上腕骨(腕の肩から肘にかけての骨)の肩に嵌っている骨頭の直下が折れているらしい。その場で腰痛ベルトみたいな保護ベルトを胸部に巻かれ、左腕は三角巾で吊られる。明日、整形外科に受診するように言われ、診察室を出る。

騒がしかった連中は、腕を吊られて僕が出てきたら途端に静かになった。へー、そうやって、人の上っ面だけ見て生きてるんだな、あんたらは。これを巻く前と後で、どっちの僕がより苦しんでいたか、とか、その僕の周囲で自分達が何をやっていたか、なんてことは、恥じるどころか全く思い遣られないものらしい。つくづく下衆な連中だよ。

会計に向かった僕に更に驚愕の事実が待ち構えていた。お会計、なんと 13,000 円也。健保適用でこれである。さすがにそこまで持ってきていなかったので、翌日の整形外科受診の際に払うことにして、ふらふらと家に帰った。

この晩は、とにかく眠れなくて参った。どんな姿勢でも腕が痛む。折れたところに負担がかかるらしい。クッションやら丸めた布団やらをあれこれ組み合わせて、結局は半分壁に凭れるような姿勢で、2時間程微睡んだだけだった。

翌日。朝のうちに、普段の何倍もの時間をかけてシャワーを浴び、Tシャツを着てから腕を吊る。そうそう。この前日に僕に処置をした看護師は拘束ベルトの使い方を完全に間違えていたことをネットで確認していたのだった。このベルトは三角巾で吊った腕の上から巻かなければ意味がないのだ。まったく、お医者さんと看護師さんの言うとおり、とかやってたらエラいことになるところだった。

整形外科では CT を撮らされたが、初日の診断は妥当なものだったようで、診断は変わらなかった。

医師は CT の画像を観ながら、

「で、どうします?」
「どうします、って……」
「ああ、いや、手術してもいいですし、保存的に治療するという手もありますが」

そうは言われてもリスク等を教えてもらわなければ何も決められない、と言うと、まあそうですな、と、双方の場合の予定とリスクの話を始めた。

手術をすれば退院後すぐに動かせるが、全身麻酔で1週間コース。プレートを入れる際に肩腱板を裂いてそこから挿入することになるので、肩腱板に起因する痛みが後遺症として残る可能性がある。また、治療後1年程後に、プレート除去のために再び全身麻酔下で肩腱板を切る手術を行う必要がある。保存的に治療する場合は、三角巾と拘束ベルトで1月程固定する。拘縮を最小限に抑えるために、二週間程経過したらできる範囲で動かし始め、その後は3か月程リハビリを行う。骨の着き方次第では偽関節になってしまう可能性もあり、その場合は手術するしかないだろう。また、いずれの方針で進めても、最悪の場合は骨頭壊死という可能性がある。
……と、大体こんな話だったと記憶している。

仕事が忙しいし、1週間も入院している余裕はない。保存的にいきます、と言うと、はいはい、ではリハビリどうしましょうねえ、と言う。ここではやっていないので、以前ここの医長をしていたドクターが開業した病院に紹介状を書きます、後はそちらでお願いします、とのことだった。紹介状とCD-R の入った封筒を貰い、前日分と併せて二万円近くの金を支払う。しかし、そもそも肩は骨折だけでなく、手ひどく打ち付けているので打撲もひどいのだが、それに関してはコメントもなし、湿布すら処方してくれない。何なんだ、と、家で毒づきながら手持ちの湿布を用意してTシャツを脱ぐと、腕はもう内出血と腫脹で訳のわからない状況になっている。湿布でそこを包み込み、痛みに呻きながら着替えを済ませて、仕事に出かけた。

夕刻。腕に妙な力の入れ方をしてしまったらしく、激痛に襲われる。一時は救急車でも呼ぼうかと考えたが、運ばれた先であれじゃあ、行ったってどうにもなりそうにない。幸い、大きなずれではなかったようで、程なく痛みは治まった。帰宅後は、CT 撮影時に検査技師がやってくれたのをヒントに、肘の下に敷物をして高さを身体に合わせる、という小技を使うことで、どうにか眠ることができた。

その翌日。紹介された整形外科に受診するが……いやー混んでるなあ。ジジババが集まる科ってこんなことになってるんだ。しかも、自分のことしか考えていないような輩はここにもいて、診察を受けている最中に背後のドアが開き、センセイちょっと話があるんだけど、などと、僕を押しのけんばかりの勢いで入ってくる老女が現れる。さすがに看護師何人かで追い返していたけど、前夜の激痛の件を話しても、現状の検査などしないまま。一面紫色に腫れ上がった腕を見て、フェルビナク入りの湿布、ロキソニン、胃薬が処方される。いやー、本当に、治してもらう、なんてのとここまで程遠い扱われようなんだなあ。何なんだろう。これは一体。

まあ、そんなわけで、日々往生している。この文章にしたって、右手だけで、一体書くのに何時間かかるのやら。本当に、何から何まで骨折り損ではないか。

おまけ:
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骨折すると、部位のちょっと下の辺りに内出血が出るらしい。僕の場合はそれプラスきつい打撲なのでこんな具合。これでも少し引き始めているはずなんだが。

健康・不健康

ここしばらくの間、とにかく忙しかった。その中で3回程ダウンしたわけだが、1回はノロウイルスなので仕方ないとしても、後の2回がどうにもおかしな感じだった。食べ物を胃が一切受け付けない状況になって、治癒には1週間程がかかる……本当に、どうもおかしな感じだった。

近所にある内科の医院に受診したとき、ドクターに言われた。

「これは一度ちゃんとチェックした方がいいんじゃないですかね」

ということで、胃カメラの検査とエコーの予約をとって、金曜日の朝一で行ってきた。この医院では、鼻から入れる胃カメラを使用していて、喉の奥を刺激されることもほとんどないとの話だったのだが……まあ、異物を突っ込むわけだから、何も違和感がないというわけにはいかない。事前に鼻腔からキシロカインビスカスらしいものを流し込まれて、喉の奥の方まで嚥下ができない位に麻酔がかかった状態にされてから、2段階位に鼻を棒で拡張され、しかる後に胃カメラを突っ込まれる。

しばらくして、ドクターが手にしたのは……あれは生検鉗子じゃないか。胃カメラに突っ込んで、胃から粘膜を2箇所位引きちぎって採取する。うー。出血するのを自分で見るのは何とも言えない感じだ。しかし、生検ってことは……何か怪しいところでもあったのか? 嫌な汗が出てくる。

胃カメラ検査の後はエコーで腹部・胸部・頸部とチェックされるが……

「今迄検査で何か言われたことってない?」
「え?……いや、別にないですが」
「胆石があるんだよね。結構大きい」」
「胆石ですか……」

まあ、祖母も胆石で胆のうを全摘しているんだが、家系的なものでもあるんだろうか……と思い悩んでいるうちに、検査は終了した。別室で結果を聞く。

とりあえず、腫瘍は発見されなかったのだが、胃粘膜の怪しいところからは、ピロリ菌が検出された。このための生検なのか……と、ほっと一息。これに関しては即刻抗生物質の多剤投与で除菌を始めることにする。胆石に関しては……とりあえず、これとその周辺にある細かい滞留物のせいで、胆汁が流れにくくなっていた可能性があるとのこと。うーむ。その二つの複合的効果の結果であるならば、あの胃の調子の悪さも説明がつく。とりあえずは小さな滞留物を流してしまうためにウルソが処方された。

かくして、げっそりしながら会計に向かう。保険適用で1万円ちょっと……薬代も含めると1万3千円位だろうか。まあ、これで調子がよくなるなら安いものだと思うしかない。

僕はそんなに暇じゃない

トンデモ系の餌食になってしまう政権与党って』『トンデモ系の餌食になってしまう政権与党って (2)』に関しては、未だに散発的なコメントを貰うことがある。純粋に興味があって書かれていることもあるが、ある人物・団体を擁護しようという意図が透けて見えることもある。これはどうなんでしょうねえ。

まあ、僕相手に何事かを糊塗しようとしたって、それは無駄というものなのだ。例の、ある研究者に寵愛されていたらしい若手女性研究者モドキを見るまでもなく、それは明らかなことなのに。残念だけど、僕はそういう手合いに一々ケアしてやれる程に暇じゃないんだが。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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