愛知県警察が web で公開している『交通事故発生状況』というページがある。これを見るまでもないのかもしれないが、愛知県の交通事故死者数は全国でも断トツである。お疑いの方のために、警察庁交通局が毎月公開している交通事故統計の4月末版をリンクしておくけれど、事故発生件数、死者数の双方において、愛知はワースト1になっている。
ここで非常に興味深いのは、愛知から近いエリア、たとえばホンダの生産拠点のある三重とか、スズキ自動車の本拠地である静岡などとの比較である。三重の事故発生件数は愛知に遥か遠く及ばないし、静岡も全体の中では多い方だが、面積的により狭い愛知の 3/4 程の事故発生件数になっている。中部地区の他県と比較しても、愛知県「だけ」が抜きん出て交通事故の件数が多い。つまりは、愛知県というのはそういうところなのだ。
僕は普段自転車で移動することが多いのだけど、たとえば目前に左に曲がる角があるときに、背後から自動車が追い抜いたときには、細心の注意をはらわなければならない。愛知県では、こういうシチュエーションで、ウインカーも出さずに、ろくに減速もせずいきなり左折するクルマが後を絶たないのだ。こういうクルマを称して、この辺りでは「ナゴヤ乗り」と言うし、三河の方に行くと「三河乗り」と言う。しかし、僕に言わせれば尾張だろうが三河だろうが、こういうクルマが愛知県に少なからず存在することには何も変わりはないのだ。
では、自転車や歩行者が常に虐げられるだけの存在なのか、というと、そんなことはない。彼らも虐げる気マンマンなのである。自転車はケータイを耳に当てたり、スマホを覗き込みながらだったり……しかもこの手の輩は、必ずと言っていい程、耳をカナル型のイヤースピーカーで塞いでいる。こちらがベルを鳴らそうが怒号を発しようがお構いなし。まるで「世界は自分だけの為に存在している」と確信しているかのようである。
これは歩行者も同様である。目や耳を塞ぐだけでなく、複数連れになると平気で横に並ぶ。これはカップルだけの話ではない。男5人連れが横一列になって歩いている、なんてのは、そこらを歩いていたらそう珍しくもなく出喰わすものなのだ。お前ら G メンか? などと毒突きたくもなるというものだ。
しかし、今日、僕は自分のこのことへの認識がまだまだ甘かったことを思い知らされたのだ。教会から帰る道でのこと……横断歩道を渡るとき、僕は自転車に乗っていたので、自転車用のレーンを走っていたのだが、目前に、なんと、車椅子を押した女性がいるではないか。僕は自転車を停めて、その女性にこう言ったのだ。
「ここは自転車の通行帯だから、(歩行者の渡るエリアを指差して)そっちに行って」
すると、この女性、僕を睨んでこう言い放ったのだ。
「これは車だもんで」
は? 車輪が付いているから、ということか? 冗談じゃない。電動車椅子やシニアカーですら、道交法上は歩行者扱いなのだ。手押しの車椅子が軽車両だとでも言うのか? 僕は、
「頭の悪いオバハンやなあ」
とだけ呟いてそこを後にしたのだが、本当に厭な思いをさせられた。そもそも、この「ダモンデ」が厭ですよ。この辺の連中に何か注意すると、かなりの高確率で逆ギレした奴が「〜だもんで」と言葉を返してくるんだけど、これを聞くたびに思い出すんですよ。夏目漱石の『坊っちゃん』のこのくだりを。
おれは早速寄宿生を三人ばかり総代に呼び出した。すると六人出て来た。六人だろうが十人だろうが構うものか。寝巻のまま腕まくりをして談判を始めた。
「なんでバッタなんか、おれの床の中へ入れた」
「バッタた何ぞな」と真先の一人がいった。やに落ち付いていやがる。この学校じゃ校長ばかりじゃない、生徒まで曲りくねった言葉を使うんだろう。
「バッタを知らないのか、知らなけりゃ見せてやろう」と云ったが、生憎掃き出してしまって一匹も居ない。また小使を呼んで、「さっきのバッタを持ってこい」と云ったら、「もう掃溜へ棄ててしまいましたが、拾って参りましょうか」と聞いた。「うんすぐ拾って来い」と云うと小使は急いで馳け出したが、やがて半紙の上へ十匹ばかり載せて来て「どうもお気の毒ですが、生憎夜でこれだけしか見当りません。あしたになりましたらもっと拾って参ります」と云う。小使まで馬鹿だ。おれはバッタの一つを生徒に見せて「バッタたこれだ、大きなずう体をして、バッタを知らないた、何の事だ」と云うと、一番左の方に居た顔の丸い奴が「そりゃ、イナゴぞな、もし」と生意気におれを遣り込めた。「篦棒め、イナゴもバッタも同じもんだ。第一先生を捕まえてなもした何だ。菜飯は田楽の時より外に食うもんじゃない」とあべこべに遣り込めてやったら「なもしと菜飯とは違うぞな、もし」と云った。いつまで行ってもなもしを使う奴だ。
つくづく厭になる。自分のためにだけ世界が存在しているかのような傲慢さを平気で振り回す、卑しい卑しい田舎者めが。
某所で、何日間か白衣を借りたことがあって、それを返す前に洗濯しておこう、と家に持ち帰った。たまたま週末で、洗濯する前に買い物に行ったとき、そう言えば白衣っていえば糊だよなあ、と、普段は滅多に買わない洗濯糊を買う気になったのである。
大概の方がそうだと思うのだが、僕はワイシャツをアイロンがけするときに、襟や袖口にスプレー式の糊をかけることが多い。しかし、全体に糊をかける、ということは今まで経験がなかった。洗濯糊と聞いて僕がすぐに思い浮かべるのは『花王 キーピング』なのだけど、僕が買い物に行った店には、これの詰め替え用のものしか売っていなかった。他って何があるかなあ……と探すと、『カネヨノール』と、あとは古式ゆかしき澱粉糊……さあ、どちらを買おうか、と少し悩んだのだが、無人のロッカールームの中でカビの生えた白衣の姿が脳裏に浮かんだので、澱粉糊はやめて、カネヨノールを買って帰ってきた。
カネヨノールなどの洗濯糊は PVA(ポリビニルアルコール)が主成分……と言うより、PVA だ、と言っていい位の代物である。ちなみにキーピングの方は、PVA ではなく「酢酸ビニール系ポリマー」だと関係文書に書かれている。要するにポリ酢酸ビニルとかだと思うのだが、これも PVA と縁遠いものではない(PVA 合成の中間体だったはずだ)。ちなみにこれを書く為に色々読んでいて初めて知ったのだが、世界全体での PVA の約 25 % は日本のクラレが生産しているのだそうな。
カネヨノールを規定量……水かぬるま湯 600 ml に対して 80 ml ……希釈した液に、洗濯した白衣を浸し、洗濯機で軽く脱水をかけてから干す。しばらくすると、白衣はゴワゴワになっていたのだが、これに霧吹きで水分を与えながらアイロンをかけると……おお、買ってきたばかりのようなピンピンの白衣になったのだった。へー、これはいいじゃないですか。
洗濯糊の効能というのは見た目だけではない。軽い汚れは糊と一緒に落ち易いので、常に糊をかけておくと生地に汚れが定着しにくいのだ。天然糊の場合はアイロンをかけると糊が変色することがあるけれど、PVA の場合はそれもない。最初のうちは白衣にだけ使うつもりで買ったカネヨノールだったが、他のワイシャツ等にもかけてみようか、という気になってきた。
で、シャツをまとめて洗ったときに、ちょっとカジュアルなものも含めて、そのとき洗った襟付きシャツ全てを糊付けしてみた。生乾きで回収しようと思ったのだが、たまたま風が強くて、気付いたときには皆ゴワゴワになってしまっていたのだが、霧を吹きながらアイロンをかけると……おー、ピンピンじゃん。いい感じである。
ただし、糊付けしたシャツの扱いにはひとつだけ問題があって、このアイロンがけに、思いの外に時間を食うのである。うっかりして変な折り目をつけてしまうとリカバーが面倒だし……ということで、アイロンがけに時間をかけられるときだけ、このカネヨノールを使うようになった。実は、今家に置いてあるカネヨノールはもう2本目だったりする。少々面倒だし、これから汗をかく季節になって、カブれたりしやしないかと思ったりもするのだが、もう少し使い続けてみようかと思っているのだった。
こんなことをやっていたのか。しかしなあ。これで知能がどうの、天才がどうの、なんて、下らん話だったよ。
僕は、怒りに震えながら、これを書いている。まったく、帰宅した今になっても、この怒りは収まらない。
最初は僕のミスから始まったのだ。今日、某所でのイベントの開始時刻を間違えていて、心配した先方が電話をしてきて、そのことに初めて気付いた。一大事である。とりあえず急行することを告げて外に出たのだった。
しかし、ここから某所までは結構な距離である。バスだとひとつ乗り継いで行くことになるが、乗り換えさえうまくいけば、これはこれで意外に速い。一番速いのは何と言ってもタクシーだろうけど、これは結構なお金がかかる。少し考えて、僕はバスを選択して、近くのバス停に来たバスに乗り込んだのだった。
このバスは後払いのバスで、降車時に、現金か IC カードで支払うことになっている。当然僕は IC カードを常時携行しているわけで、他の人達も、同じように IC カードか、老人や障害者ならば無料パス、そして百円玉2枚で払っていく人もある。カードのチャージのタイミングにあたったとしても、降車にそう時間がかかるシステムではない。
ところが、僕が乗り込んだ次のバス停に着いたときのこと。一人の乳飲み子を抱えた女性が、料金箱の前までやってきて、あれれ、カードが……と、所持品をまさぐり始めたのである。おいおい、急いでいるのに勘弁してくれないかなあ……と、待っていても一向にその女性のカードは見つからない。時間はどんどん過ぎていく。
やがて、目前の信号が赤に変わってしまう。女性は、あれやこれや、持っていたものを床に広げて、ここでもない、あそこでもない……と捜し続けているが、一向に見つかる気配がない。
捜している女性が「ごめんねー」「ごめんねー」と呟いているので、誰に謝っているのかと思ったら、自分の子供に謝っている。いや、謝る相手が違うんじゃないのかね……
運転士とバス会社の名誉のために書き添えておくけれど、運転士はこの女性に何度も「後で見つかったらご連絡差し上げますので」と、降りるように促していた。しかし、この女性はそれを聞き入れようともせず、IC カードを捜し続けていたのだ。もう、ここで自分が払ってでもいいから、この女性を降ろしてしまいたい、そう思ったとき、ようやく女性本人が、
「あのー、現金で」
と言い出した。やれやれ、やっと解放されるのか、と思ったのだが、いやいや僕は甘かったのだ。女性は辺りに広げた荷物をひとつひとつ手に取って、財布はどこだったかしらん……と、再び捜索を開始したのだ。もう勘弁してくれ!
何分かの後、財布は見つけたらしく、女性は荷物をまとめて(それにも時間がかかったことは言うまでもない)降りていった。ため息をつきながら前に向き直ろうとした、そのときである。
「すいませーん、すいませーん、運転手さーん」
先の女性がバスの前面に、立ち塞がらんばかりに居るのだった。何なんだ。まだ何かあるのか?
運転士がドアを開けると、
「あのー、私、IC カードを家の鍵と一緒にしていたもんで、このまま帰っても家に入れないんですよー。だから、乗って、中で捜させてもらってもいいですかぁ?」
……頼む。もう勘弁してくれよ。
女性はしれーっと乗ってきて、後部座席に戻ってごそごそと辺りを捜し始めた。バス停4つ程が過ぎたところで、
「あー、あったー」
で、次の停留所で降りたのだが、そのときも、この降車時に料金を払うべきかどうか、ということでまたごちゃごちゃとやりそうになった。運転士はさすがに「もう結構ですから」と料金回収を放棄し、女性を降ろしたのだった。
その次の次で、僕は別のバスに乗り換えなければならなかった。次の路線のバス停に向かおうとしたとき、目前の信号を発進していく、その路線のバスの車両が見えた。次のバスは……15分後。はぁ? 最悪だ。