韓国・延坪島砲撃事件の周辺

韓国北西部の軍事境界線の近くにある延坪島に、昨日午後2時過ぎに、北朝鮮が砲弾を数十発打ち込んできた。

延坪島(ヨンピョンド、연평도)は大延坪島(テヨンピョンド、대연평도)と小延坪島(ソヨンピョンド、소연평도)の2島で構成されるが、今回砲撃を受けたのは大延坪島の方である。まずはこの島の衛星写真をご覧いただきたい。

大きな地図で見る
少し拡大していただけるとお分かりかと思うけれど、この島は南東を向いた海岸線の中央部に固まるように居住地区が集中していて、それ以外は山のような地形に木が生い茂っているような状態になっている。北西に向けた海岸線にも開けた部分があるけれど、これはおそらく軍事施設だと思われる。

この島は、北朝鮮の海岸線から十数 km 離れている。この距離は、北朝鮮が保有するカノン砲や榴弾砲(報道で「迫撃砲」と書かれているものを散見するが、これは間違い……参考)の口径から考えると、攻撃するのに問題のない距離である。標的に砲弾を命中させるための弾道計算の技術は、第二次世界対戦時に既に完成しているので、北朝鮮軍の砲撃であっても、今回の延坪島攻撃において、島内のどの区域を攻撃するか、きっちり狙った上で撃ってきているのは明白である。つまり、今回の砲撃において、北朝鮮軍ははっきりと民間人居住区域を砲撃しているのである。

では何故、北朝鮮軍はこのようなことをしたのか。北朝鮮側の発表においては、韓国(北朝鮮は国家としての韓国や韓国政府を「傀儡」と称するのだが)の軍事的挑発に対抗するものだ、ということになっている。実際にそういうことがあったのか、というと……

韓国軍は、午前10時15分から午後2時25分まで北西部海上で射撃訓練を実施。西南方向に向け、NLLより南側で砲撃を行った。

(2010/11/23 21:08 KST 聯合ニュース 引用元記事

つまり、延坪島の近くで射撃訓練を行っていて、撃つ方向は西南方向 = 北朝鮮と反対の方向であった、ということである。この区域での射撃訓練はそう珍しいものではなく、23日に北朝鮮から訓練中止の申し入れがあった際も、韓国側はあまり深刻に考えていなかったらしい。ということは、これ以外に何かしらの理由があったということになる。

ここで一つ気になるのが、このニュースである:

核問題:米軍の戦術核兵器、韓国再配備も 金泰栄国防長官が国会で答弁

金泰栄(キム・テヨン)国防長官は22日、北朝鮮がウラン濃縮施設を公開したことへの対策として、1991年に韓半島(朝鮮半島)から撤去された米軍の戦術核兵器を再配備する問題と関連し、「核抑止のための(韓米)委員会を通じて協議を行いながら、その部分(再配備)も検討してみたい」と答弁した。

金長官はこの日、国会予算決算特別委員会の総合政策質疑に出席し、「一部で言及されている、米軍戦術核兵器の再配備を考慮する考えはあるか」という李鍾赫(イ・ジョンヒョク)議員(ハンナラ党)からの質問に対し、このように答えた。

国防長官が米軍戦術核兵器の韓半島再配備について公の場で語るのは、極めて異例のこと。

金長官の答弁に対し批判の声が上がると、国防部は「原則として、北朝鮮の核の脅威に対し、取り得るすべての対応策を検討するという趣旨で発言したこと。米軍戦術核兵器の配備は、現在まで考慮したことはなく、韓米間で具体的な協議がなされたこともない」と釈明した。

韓国軍消息筋は、米軍の軍事戦略が変化し、海外に配備している戦術核兵器はすべて本土に引き揚げ、相当数が廃棄されたことから、韓半島に戦術核兵器を再び配備するとしても、地上ではなく、原子力潜水艦やイージス艦などに核弾頭型のトマホーク巡航ミサイルを搭載し、韓半島近海に配備する形になる可能性が大きいと説明した。

(2010/11/23 10:01:59 朝鮮日報日本語版 ユ・ヨンウォン記者)

このニュースの背景には、勿論このニュースがある:

核問題:北朝鮮がウラン濃縮施設を公開 米国に対し「2000台以上の遠心分離器がある」と説明 ウラン弾なら年間1個の割合で製造可能

実験用軽水炉建設現場の公開に続き、北朝鮮は高濃縮ウラン(HEU)による核開発に必要な遠心分離器1000台以上を突然公開した。

今月初めに北朝鮮は、同国を訪問した米国の原子力技術専門家でスタンフォード大学国際安保協力センター所長を務めるヘッカー教授に対し、1000台以上の遠心分離器が設置された巨大なウラン濃縮施設を公開した。これは、米紙ニューヨーク・タイムズが21日付で報じた。

問題の遠心分離器は、天然ウランの中にわずか0.7 % しか含まれていないウラン235の割合を、90 % 以上にまで濃縮する際に使われるものだ。ヘッカー教授は、この装置1000台以上が北朝鮮で計画的に設置されているのを目にして、「非常に驚いた」という。2009年4月に米朝関係が悪化したことにより、米国と国際原子力機関(IAEA)の関係者が最後に北朝鮮から撤収する際、この施設の存在は知られていなかった。ヘッカー教授はこの遠心分離器について、「非常に現代的な統制室で制御されていた」とコメントしている。ニューヨーク・タイムズによると、現地を案内した北朝鮮政府の関係者はヘッカー教授に対し、「2000台以上の遠心分離器がすでに設置され、今も稼働している」と説明したという。

核開発の専門家によると、1個のウラン爆弾(濃縮ウラン20キロ基準)を製造するには、2000台以上の遠心分離器が必要だという。

かつて米国のロスアラモス核研究所の所長などを務めたヘッカー教授は、北朝鮮から米国に帰国した直後、これらの事実をホワイトハウスに報告した。ヘッカー教授は、米国に帰国する直前の今月13日に北京に立ち寄っているが、そこで行われた会見の際にも、「北朝鮮は平安北道寧辺に軽水炉1基を建設中」という事実を明らかにしている。

核兵器の製造に必要な遠心分離器の存在を北朝鮮が認めたことに対し、米国は直ちに対応に乗り出した。オバマ政権は20日、スティーブン・ボズワース対北朝鮮政策特別代表の率いる代表団を韓国、日本、中国に急きょ派遣した。

ボズワース代表は21日にソウルで韓国政府の当局者らと協議を行い、22日に東京、23日には北京を訪問する予定だ。北朝鮮は2回の核実験を行ったことにより、国連安全保障理事会決議第1718号、1874号によってすでに制裁を受けているが、これについて米国は、「北朝鮮はこれらの決議に明らかに違反しているだけでなく、高濃縮ウランによる核開発を強行するとの意向も明らかにした」と見なし、国連レベルでの対応策も同時に模索している。

(2010/11/22 09:19:02 朝鮮日報日本語版 李河遠(イ・ハウォン)記者)

つまり、北朝鮮がウラン濃縮を行い、ウラン型原爆を保有しようとしているのではないか、という疑いが生じて、それに対抗するかたちで、韓国政府はアメリカの核を韓国国内に設置することも辞さない、という意思を表明した。それに対して北朝鮮が今回の砲撃を以て応えたのではないか、というのが、今回の要因として考えられるもののひとつということになる。

世間では、アメリカや韓国からの援助欲しさに今回の事件を起こしたのではないか、という識者の意見が出ているけれど、これは全くの的外れである。その理由は以下の記事を読めば明らかである:

[社説]感動の再会、そしてコメと核

金剛山(クムガンサン)離散家族再会所は、60年ぶりに会った家族への込み上げてくる思いで「涙の海」になった。北朝鮮側の最高齢者で元韓国軍のリ・ジョンリョル氏(90)は、韓国に住む息子、ミングァン氏(61)と抱き合って、「ミングァン、ミングァン」と呼んだ。赤ん坊の時に韓国軍に入隊した父親と別れた息子は、「亡くなったと思って、今まで法事をしてきました」と泣いた。

3日間、北朝鮮側の再会申請者97人に会う韓国側の家族436人は、短い喜びを終え、再び長い離別と苦痛を味わうことだろう。今月3日から、金剛山で、北朝鮮側家族207人に会う韓国側の再会申請者96人も然りだ。再会を希望する人は8万人以上で、申請者の77%が70代以上の高齢だ。いつまでこのようにゆっくり会わなければならないのか。

最近、南北赤十字会談で、韓国側は、南北100家族の再会月例化、再会離散家族の再度の再会、毎月5000人の生死住所の確認を提案した。北朝鮮側は、1年に3、4回、100人規模の離散家族の再会を提案し、前提条件としてコメ50万トンと肥料30万トンの支援、金剛山観光の再開を求めた。離散家族の思いを晴すのではなく、大規模な物資や金品支援を求める露骨な下心だ。

金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府は、毎年30万〜40万トンのコメと20万〜30万トンの肥料を北朝鮮に支援した。金正日(キム・ジョンイル)政権は、支援されたコメで、特権層のお腹を満たし、軍用米に転用したと、脱北者は証言している。北朝鮮は、軍事力の増強に拍車をかけ、2度の核実験を行い、12年までに核開発を完了するとして「強盛大国」云々する。

大韓赤十字社は今年9月、コメ5000トンやセメント1万トン、カップラーメン300万個、医薬品など、100億ウォン分の水害救援物資を北朝鮮側に送った。対北朝鮮ラジオメディアの「開かれた北朝鮮放送」は、北朝鮮が最近、韓国から支援されたコメなどを「白頭山(ペクトゥサン)先軍青年発電所」に供給し、金正恩(キム・ジョンウン)氏を称える宣伝手段に活用していると報じた。韓国が送ったコメや金が、軍人を食べさせ、金正日総書記の3代世襲を強固にし、核兵器の開発に使われているにもかかわらず、一部野党と左派勢力は、大規模なコメ支援と金剛山観光の無条件再開を要求している。

(11/01/2010 08:39 東亞日報日本語版)

この南北赤十字会談、実は今月25日にも行われる予定だった。もし北朝鮮が援助を求めているのならば、この機会を自らふいにするようなことは考えにくい。中国が秘密裏にこれに匹敵するような援助を行う、というようなことでもあれば話は別だろうけれど、これ程の大規模な援助を秘密裏に行う理由が見当たらないし、目下そのような情報は流れていない。つまり、物質的な面において、今回の砲撃は北朝鮮にとって何ら得にならないということになる。

ということは、先に挙げた米軍の核に関する発言が原因なのか、あるいは北朝鮮国内における国威発揚の目的で行われたのか、いずれかということになるだろう。後者に関しては二つの説があって、ひとつは、金正恩が軍事の天才であるという「伝説」の裏書きとして行われたのではないか、という説、もうひとつは、北朝鮮軍内部での世代交代と、それに伴うフラストレーションの問題を解消するために、軍部の新しい若手の指導者が半ば独走するかたちで今回の砲撃を行ったのではないか、というものである。後者は李英和・関西大学教授が主張しているものだけど、現在の状態で軍が独走できるかどうかは、ちょっと怪しいところである(李教授は、金正日が認知症を患っているという説を主張しているので、もしそれが当たっていたらこういうことがあっても不思議ではないけれど、それだったら北朝鮮はもっと混乱していてもいいような気がするのだが)。

いずれにしても、我々にとっても隣国の問題でもあり、この問題に関してはちゃんと知るべきことを知っておく必要がある。それに、実は今回の事件で一番喜んでいるのはおそらく管内閣で、昨今の体たらくを、ここでイニシアチブを示すことで払拭できると思っているふしがある。そういう妙なリンケージにごまかされないためにも、知るべきことはちゃんと知っておこうではないか。

It's Too Late

柳田稔氏が、とうとう法相を辞任する意向を明らかにした。したのだが、今回の辞意表明は、明らかに遅過ぎた。せめて日曜のうちであったなら、もう少し違ったムードになっていたに違いない。

まず、問題となった発言の要旨を聞き書きしたものを以下に示す:

私はこの20年近い間、実は法務関係っていうのは1回も触れたことはない。触れたことがない私が法相なので、多くの皆さんから激励と心配をいただいた。ちなみに法相はほとんどテレビに出ることはない。そうだったら務まるかなと思った。

法相と(いう)のはいいですね。(国会答弁では)二つ覚えておきゃいいんですから。えー、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」と。これはいい文句ですよ。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。だいぶ(この答弁で)切り抜けてまいりましたけど、実際の話、しゃべれない。で、あとは「法と証拠に基づいて適切にやっております」。この2つなんです。まあ何回使ったことか。使うたびに野党からは攻められる。「政治家としての答えじゃないじゃないか」とさんざん怒られている。

ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です。「法を守って私は答弁しています」と言ったら「そんな答弁はけしからん。政治家だからもっとしゃべれ」と言われる。そうは言ってもしゃべれないものはしゃべれない。

これを読む限り、二番目の傍線部「分からなかったら」これを言う……というのは、「その内容を open にしていいのかどうか分からなかったら」というニュアンスを込めたかったのだろう、ということがうかがえる。法務関連に関わる内容は法務大臣として喋れないことがある、というニュアンスを強調するために、三番目と四番目の傍線部でダメをおしている。それは確かなのだけど、それならまず、「法務関連の内容は、それが喋れるかどうかということに関して、高度な司法的判断が求められる場合があるので、軽々に喋ることができないのだ」とちゃんと前置きしなければ伝わらない。つまり、上聞き書き文の四番目の長い傍線部は、最初に言わなければならない内容なのである。人前で喋ることは政治家の商売のひとつなのだから、これ位できないようでは資質がないと言われても仕方がないであろう。

これよりもむしろ問題なのは、おそらく上の最初の傍線部「テレビに出ることはない。そうだったら務まるかなと思った」の方であろう。国務大臣を拝命する立場として、いくら何でもこれはない。あまりにお粗末としか言い様がない。

そして、この後に柳田氏は更にダメをおしてしまった。

柳田法相、刑事局長に「踏み込んだ答弁」検討指示 批判かわす狙いか

柳田稔法相は21日、法務省で西川克行刑事局長に、法相が「踏み込んだ国会答弁」をできないか検討を指示したと記者団に語った。国会答弁を軽視するような発言で野党から辞任を求められている問題で、批判をかわす狙いとみられる。

法相は西川局長に「踏み込んだ答弁ができないかどうか、(訴訟書類の公判前の公開を禁じる)刑事訴訟法47条の制約もあるが検討してほしい」と指示したという。公明党の山口那津男代表はソウル市内で記者団に「開き直りともとれる言動を繰り返すことこそ信頼を損なう」と批判した。

(2010/11/21 20:29 日本経済新聞)

こんなことを発言したら、まるで、テンプレート然とした答弁は用意する官僚のせいだ、と言わんばかりではないか。百害あって一利もないこのような悪足掻き発言を、する方もする方だし、容認する周囲も周囲である。

この状態をさらに焦げつかせたのが、輿石東参院議員(民主党参議院議員会長)の振舞いである。

問責決議案の可決前か可決直後に柳田氏を更迭する方針を伝えることで、野党側にはひとまず矛を収めてもらい、補正予算案の採決に応じてもらいたい…。

首相官邸サイドや党幹部らはそんなシナリオを描いている。

柳田氏のあまりの評判の悪さに、民主党内でも「柳田さんはなぜ辞めないんだ」(若手)と不満は高まるばかりだ。

それでも輿石東参院議員会長は19日、「誰が辞めるんだ」と参院枠で入閣した柳田氏を擁護した。

(2010.11.20 01:40 MSN 産経ニュース 元記事リンク

輿石東参院議員は、小沢一郎氏に近いことで知られ、青木元参院議員の後継者とも言われる参院のボスである。この輿石氏だけでなく、民主党で内閣に参画している人全般に言えることだけど、隠然として権力を行使することに、あたかも麻薬的快楽を感じているかのようではないか。

今回のこの「遅過ぎる」辞任の結果はどうなるのか。これは単純な話で、野党は問責による追及を、馬渕国交大臣、仙石官房長官(兼法務大臣)、そして管総理大臣にスライドさせて展開するだけの話である。要するに、追及への踏石がひとつ減って、そしてひとつ前に進んだだけの話なのだ。しかし、どうも管総理大臣や仙石官房長官はそういうことに思い至っていないようだ。しかしなあ……連中は、頭にオガクズでも詰めてるんじゃないのか?こんなことも分からないわけ?

で、批判する方にもこんな論がある:

【法相辞任】コラムニスト・勝谷誠彦氏「こんな人物に拉致を担当させたなんて…」 仙谷氏兼務には「国民を愚弄」 「首相は辞めろ」

コラムニストの勝谷誠彦氏は「民主党がこんな人物に拉致問題を担当させたことに、国民はもっと怒るべき。後任に仙石氏を据えるのは国民を愚弄(ぐろう)している」と痛烈に批判し、失言後早急に罷免すべきだったと主張した。

「国会答弁が2つで足りるなど、どれだけ真剣味がないのか、腹が立ってしようがない。改造内閣では小沢一郎氏の側近を好き嫌いではずすなど、内ゲバみたいなことをしており、真面目に組閣をしていたとは考えられない。最も問題だったのは、柳田法相のような人物に拉致問題を担当させていたことだ。2つしか話さない奴がどれだけ真剣にやっていたのか。この点について国民はもっと怒るべきだ。菅直人首相の任命責任は大いにある。柳田法相の後任に仙谷由人官房長官を兼務させるとはどういうことか。国民を愚弄している。極左の人間を検察のトップに立てるなど狂気の沙汰(さた)だ。民主党の限界の表れで、人材がいないのだから菅首相にはもうやめなさいと言いたい」

(2010.11.22 12:33 MSN 産経ニュース)

このご時世に、右・左で論調をカテゴライズしようという時点で既に思考停止してんじゃないの?と思うわけだけど、追及すべきは仙石氏の左右の別ではない。先にも書いた通り、
現政権に関わっている人々が、隠然として権力を行使することに、あたかも麻薬的快楽を感じているかのようであること。そして実際に、そのように行動していること。権力維持を国家運営に優先していること。
これこそが問題なわけでしょう。彼らが独善的かつ権威主義的な権力を誠実な国家運営に優先して希求しているところこそ、我々が矛を向けるべき先なんじゃないのかね。頭冷やして、柳田氏の発言の問題点を読み返そうとか考えてないとしか、僕には思えないんだけどなあ。保守の立場で民主党政権の問題を批判するのならば、加地伸行氏が『正論』に書いた論文:

http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/101122/stt1011220345002-n1.htm

のような視点で語られるべきだろう。感情に任せた戯言の前に、ね。

ちなみに、僕自身は保守を志向しているわけではないので、上リンク先の加地氏の文章に対して少々私見を書き添えておこうと思う。まず、加地氏が現在の状況をどのように捉えているかというと、

当時、新左翼は本気で、かつ無邪気に暴力革命によって政権を手に入れようとした。だから、敵対者となる警察や自衛隊を、彼らにとって「国家の暴力装置」と位置付けたのは当然であった。

しかし、もし自分たちが社会主義革命に成功して政権を得たとしたならば、今度は立場を替えて、警察・自衛隊を自分たちを守る暴力装置として使い、政権を批判する自由な発言を許さず、弾圧するわけである。その前例こそ、旧ソ連のスターリン政権であり、中国の毛沢東政権であった。

(中略)

そもそも民主党は民主主義を誤解している。欧米の思想である民主主義は、自立した個人を前提にした〈民が主〉人ということだ。民は、それを選挙という方法によって表現する。

しかし、東北アジアでは、自立した個人という思想・実践はなかなか根付かない。そのため、投票という手段だけがクローズアップされる。個人主義という前提は問わず、形式・手段だけが目的化され、投票数の多さを競うのみとなる。故田中角栄氏やその流れの小沢一郎氏らがその典型だ。

だから、選挙が終わると、民はお払い箱となり、単なる愚昧(ぐまい)な存在としか見なさない。民主党がそれであり、民が民主党を批判することなどもっての外で許さない。新左翼も、もし政権を握っていれば、そうなっていたであろう。つまり、〈民が主〉人ではなく、己れが〈民の主〉人と化す。これが、左翼的民主党の民主主義理解であり、大誤解なのである。

……社会主義と(individualism の欠如した国である)日本における形式的な民主主義の相似性、そして社会主義国家でしばしば起こった恐怖政治と現在の民主党政権の政治との相似性を示したこのロジックは、保守でない僕から見ても現状をクリアに表わしていると思う。しかし、だ。現在の民主党政権は、そんな高級なことなど考えていないと思う。そもそも民主党政権それ自体が「単なる愚昧(ぐまい)な存在」に成り下がっているわけで、しかもその理由は実に単純で、彼らに philosophy がない、という、ただただそれだけなのだろうと思う。

丁度、ガリ勉をして世間で一流と評価される大学に入った受験生の中に、そのプロセスで「その大学に入ること」が、人生における手段から目的にすりかわってしまう人がいることに、これはよく似ている。政権与党となるために散々四苦八苦する中で初志を忘れ、世の実情に目を向けることを忘れ、さあ何をしようか、というところで、実は政権獲得で内的な目的を達成してしまって、後は、それを堅持することだけに執着する醜い連中だけがそこに残った。実に単純な、そう、実に単純な話なのである。

武道、スポーツ、そしてそれ以下

曲がりなりにも、子供の頃から武道と呼ばれるものをやってきた身として、今の「スポーツ」としての柔道には、どうにも疑問を感じてしまう。たとえば、剣道では「残心」というものを非常に重んじる。相手に対して一本取ったときも、そこで気を抜いたり他にやったりすることなく、何が起きても即応できる状態を維持し、備えておくこと、これが残心なのだけど、たとえば一本取ったとして、そこで諸手を上げてガッツポーズなどしたら、即刻主審はその一本を取り消してしまうだろう。そこに残心がなかったからだ。

この残心という概念は剣道だけのものではない。弓道や相撲、柔道でも、この残心というのは必ず聞くはずの言葉である。もし聞いたことがないという方がおられるならば、不幸なことだけど、それは指導者に著しく問題があったと言わざるを得まい。残心というのは、日本の武道に共通した、技術というよりはむしろ思想・スピリットに関わる重要な概念なのだ。

さて。今、中国でアジア大会というのをやっている。ここでも柔道の試合が数々行われていたわけだけど、このような国際競技としての柔道を見ていて痛感するのが、残心のなさである。一本の声がかかるやいなやガッツポーズをする選手の方が、今や多いのではなかろうか。このことから言わざるをえないのは、今の柔道が武道ではなくて、スポーツの一つに成り下がったということだ。まあ、国際化というものと引き換えにそれを失ったのが、講道館柔道というもののひとつの選択であるのならば、僕がどうのこうの言う問題ではないのかもしれない。しかし、技術や身体を鍛えておいて、それを御する精神性を養わない、というのは、これはどう見ても歪な代物だと言わざるをえない。柔道をやっている知人も何人かいるので、こういうことを書くのは本当に心苦しいのだけど、残念ながらそう書かざるをえないのだ。

ところが、最近の国際競技としての柔道は、そのスポーツよりも更に劣る代物になってしまったらしい。それは日本のせいではなく、勝つことを、そして強者として振る舞うことを他の全てに対して優先するような連中のせいである。

まずは、以下の URL を御参照いただきたい:

http://sankei.jp.msn.com/photos/sports/other/101115/oth1011151202024-p1.htm

女子柔道の上野順恵選手である。今回のアジア大会で金メダルを勝ち取ったのだが、左目の下に内出血を起こし、目が開かない程に腫れ上がっている。通常、柔道でこのように目が腫れるということはないはずなのだけど、実際このように腫れているというのは、あるべからざる何事かがあったということである。

上野選手は、準決勝で北朝鮮のキム・スギョン(김수경)と対戦したのだが:

表彰台の中央で、ひと際目立ったのは青黒く腫れた左目。準決勝のキム・スギョン(北朝鮮)戦で、開始早々に相手のこぶしをまともに受けた。組み手争いのアクシデントか思いきや、「5、6発殴られた」という。

主審は相手の反則を取るどころか、うずくまる上野に試合続行を促す始末。だが、アウエーの洗礼にしおれるどころか「イラっときた。絶対に勝ってやろうと火がついた」。延長戦で優勢勝ちし、目がふさがった決勝もさらりと一本勝ちだ。

(MSN 産経ニュース、元記事リンク

……ということがあったのである。僕はこの対戦のビデオでのプレイバックを実際に見たのだけど、衿へ指を伸ばすようにして指先で目を突く行為が何度となく行われており、目を押さえて蹲まる上野選手を見ても、主審は「待て」をかけるどころか、立ち上がって組むように促しているのだ。しかも、その後に場外で「待て」がかかって身体を離すときに、このキム・スギョン(選手とは呼びたくない)は上野の目に肘で突き入れすらしている。全てビデオで確認可能であったために、全日本柔道連盟の上村春樹会長から、国際柔道連盟に映像添付の上で検証を求める文書を提出したそうだが、それにしてもひどい話である。柔道で勝てなければ何をしても勝てばいいのか?北朝鮮人というのは、特に「恥」を恐れる国民性だという話があるのだが、こういうことに恥を感じないのだろうか?

そして柔道に関する疑惑はこれだけではない。女子48キロ級の福見友子選手は、決勝戦で明らかに優勢であったにも関わらず、モンゴル人の主審、韓国人の副審が対戦相手(中国の呉樹根……これも選手と言いたくない)側である白旗を上げ、決勝で敗北という結果になってしまったのである。

地元判定に負けた福見=アジアの不条理受け流す−アジア大会・柔道女子

最後まで逃げた相手をつかまえきれなかったこと以外、福見に落ち度はなかった。だが、3本のうち2本の旗が中国の呉樹根を支持。熱狂する観客席とは対照的に、関係者の間にはしらけた空気が流れた。

延長の3分を加えた8分間、小内刈りや寝技で攻めた。相手は、まともに組まなかった。敗者は「投げないと意味がない。勝っていたとしても満足はしていなかった」と淡々。地元びいきの判定を下した審判に、不満を表すことはなかった。一方、判定について問われた勝者は、「延長の序盤は相手が攻めたが全体的に自分がやや上回った」と周囲の誘導を受けながら答えた。

全日本柔道連盟の吉村強化委員長は、怒りを通り越し嘆いた。「今までの国際大会で、これほどひどい審判は見たことがない。勝負の世界でここまでやるとは」

9月の世界選手権で浅見(山梨学院大)に敗れた福見にとって、今回は勝っておくべき大会だった。思わぬ銀メダルに「先を見ているから、通過点としてしっかり受け止めたい」。アジアの不条理は考えず、国内の高レベルの争いを制してロンドン五輪に向かおうとだけ思っている。(広州時事)

(2010/11/16-21:48, 時事ドットコム

明らかに場内の異常なまでの声援に煽られてのこと(もっとも、そんなものに煽られるような奴が審判をしてはいけないのだが)としか思えない。レバノン人の副審は毅然として青旗を上げていたけれど、この試合をビデオで見た山口香氏はこう言っていた:
この試合は、100人中98人は福見選手に旗を上げるでしょう……ああ、残り2人というのはこの主審と(白旗を上げた韓国人の)副審ですけど。
皆さん、機会があったら是非ご覧いただきたい。こんな試合が国際レベルで行われてるようでは、柔道という競技自体の質が問われかねない。スポーツ以下だと言われるようでは、これはもう大問題なのではないだろうか?

チョークの線

歳のせいだとは思いたくないのだけど、最近、世間の風というものの冷たさを痛感するときがある。

今年の春のことだったと思うけれど、たまたま市役所で手続をする用事があって、ある窓口の椅子に座って市役所の職員とごにょごにょやっていたとき、隣の窓口に、僕と同じ位の年齢の男性が、男性の職員と何やら話していた。この職員が、どういう訳なのかやたらと詰問口調なのである。

「どうなんですか、分かってるんですか?」
「はぁ……」
「はぁ、じゃないですよ。そんなことでは支給できません」

支給?そこでようやく、僕は事情を察したのだった。隣の窓口は、生活保護の申請を行っている部署だったはずだ。あの男性は、おそらく生活保護受給の申請に来たのであろう。しかし、応対する市役所職員の態度は、到底そういう「福祉的」なニュアンスなど感じられないものだった。

僕は、たまたま今まで、そういうことにならずに来ている。幸いにして子供もいない。しかし、僕と同じ位の年齢で、たとえばうつなどの理由で離職を余儀なくされた人で、こんな風に生活保護申請に来ている人がいたとしても、何の不思議もない。仕事ができるものならしたいのかもしれないが、40代にもなろうという年齢でうつの既往歴があったら、(これは保証してもいいと思うけれど)トヨタグループ各社をはじめとするこの地区の会社で、雇うどころか、まともにとりあってくれる企業など、おそらく皆無だろう。

いや、最近はうつもポピュラーで……などと仰るあなた。実情を知らないにも程があろうというものだ。まともに雇ってくれる口もなくて、たとえば「うつを理由に不当な扱いを受けた」などと言って、労働基準監督署に駆け込んだとしよう。労基署が何をしてくれるか。これも保証してもいいと思うけれど、彼らは何もしてはくれない。それがこの地域の現状である。

じゃあバイトでもしよう、と思っても、この地域では、コンビニでバイトするにも要普免、というのが常識である。コンビニも雇ってくれない。ならば新聞配達はどうか。自転車で配達をしようにも、「この辺のサービスエリアは広くってさぁ」と婉曲に断られるのが関の山である。クルマに乗らずんば人に非ず。それがこの地域の現実である。

まあ、クルマの話はさておき、僕位の年齢で失職した人間は、おそらくこの国のどの地域に住んでいても塗炭の苦しみを舐めることになる。とにかく職が見つからない。年齢で断わられ、キャリアで断わられ、うつだったらその既往歴で断られ……一度そういうことでドロップアウトしたら、まるで「死ね」と言われんばかりのことを、山のようにつきつけられることになる。それはそれは非道いものだ。

ここを読まれている方々は、そういう世界は自分の暮らす世界と全く別種のものだ、と思っていやしないだろうか。これも保証していいと思うけれど、断じてそういうことはない。そうやって失職している人々と我々の間には、我々が思っている程の隔てなどない。それはあたかも、チョークで引いた線のようなものだ。

そのチョークの線は、傍目で見れば、見落としてしまいそうなただの線に過ぎない。しかし、その線のあちら側とこちら側で、その認識は絶望的な程に異なっている。まだこちら側にいる人にとってはそれは単なる線に過ぎないが、向こう側にいる人にとって、それはまるで見上げると上が遥か空に霞んでいる高い高い障壁なのである。

先に書いたような状況で失職している者にとって、仕事を探しても見付からない、というのは、これは本当に過酷なことである。失業保険もそのうち尽きる。電話だって止められるかもしれない。ネットだって使えなくなるかもしれない。そうなったら就職活動もおぼつかない。何処かしらかで説明会があるらしい。けれど交通費を捻出できない。書類を送って面接にこぎつけた。面接に来なさいと言われたけれど、その片道の交通費が捻出できない。行ければ、往復の交通費を支給してくれるらしいけれど、まずそこに行きつくことができない。そうして、彼、もしくは彼女は思うのである。ああ、どうせダメなんだ。自分は、どうせダメなんだ。

この「どうせ」というのが、チョークの線の向こう側にいる人々を縛り、苦しめるものの正体である。暮らせない?仕事探せばいいじゃない?バイトすればいいじゃない?生活保護受ければいいじゃない?そんなことをあれやこれやとトライする前に、彼らは絶望にがんじがらめに縛り尽くされているのである。彼らの抵抗は、この社会の無関心や不寛容や、そういったものにことごとく芽を摘まれてきたのである。そして彼らは絶望し、誰かにアクションを促されても「どうせ」としか言葉が出てこないのだ。

これを荒唐無稽な話だと思われるだろうか。ネットで少し探せば、こういう話はいくらでも転がっている。最近ニュースサイトで出ていたけれど、医者に行って「3000円でなんとかなりませんか」と言う人がいるという。これをケチだとかシミッタレだなどと言ってはいけない。実際に、その3000円がなければ、ライフラインや、就職のための連絡手段や、日々の食事に不足を来すような生活をしている人が存在しているのだ。何度でも繰り返すけれど、これは事実なのだ。

僕は幸いにして、そのチョークの線の存在を知ることができている。しかし、ここを読まれている方の中で、このチョークの線の断絶というものがどれ程深刻で、過酷なものであるか、実感できる方が果たしてどれ位おられるだろうか。ましてや、政党交付金を含めたら一年に四千万も貰っている国会議員の方々に、それが実感できるのだろうか。少なくともひとつだけ言えるのは、実感できているならば、あんな政治情勢には絶対になってはいないだろう、ということである。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

New Entries

Comment

Categories

Archives(902)

Link

Search

Free

e-mail address:
e-mail address