イチローで号外を出している場合ではない

僕は、世間のいわゆる嫌韓・嫌中派のようなことを言うつもりはない。南京事件もあったと思う(中国政府や、あの悪名高きアイリス・チャンの "The Rape of Nanking: The Forgotten Holocaust of World War II" が主張する死者数はあまりに荒唐無稽だと思うけど)し、慰安婦問題に関しても、なかったなどと言う気は毛頭ない。しかし、中華人民共和国という国に対しては、僕はあまり信用をしていない。何故かと言えば、簡単な話で、中華人民共和国が、21世紀のこのご時世にあってなお、一党独裁国家であるからだ。僕は善良な中国人にも、尊敬に値する中国人にも出会うチャンスがあったので、ひとりひとりの中国人を否定するつもりはない。しかし、国家としての中国は、何度も書くけれど、一党独裁国家なのだ。

尖閣諸島問題で、今現在、日本は中国の激しい圧力に晒されている。主なものを挙げるならば、

  1. 国連総会に赴いた温家宝国務院総理が、一般討論で「国家の核心的利益を固く守る。主権、国家の統一、領土に関しては譲歩、妥協はしない」と発言
  2. 河北省において、軍事管理区域に侵入し違法に軍事施設をビデオ撮影したとして、準大手ゼネコン「フジタ」の日本人社員4名を拘束
  3. 中国からのレアアースの出荷ストップ

……まず一番目だが、これは明らかに尖閣諸島に関する言及とみて間違いないだろう。これを無視して、現在逮捕・拘留されている船長の扱いを粛々と行うのであるなら、まあそれはそれでいいのだが、今さっき、この船長を処分保留で釈放する、という速報が入ったので、これではこの温家宝発言を唯唯諾諾と受け入れた、と解釈されても仕方ないであろう。はっきり言って、この日本側の対応は、お話にならない。

そして「フジタ」の日本人拘束。このフジタという会社は、遺棄化学兵器の処理事業受注へ向けた準備のために、日本人社員がカメラを持って当該地域の調査を行っていたらしい。しかし、中国国内のどの組織がこの日本人を拘束したのか、というのが、どうもはっきりしない。国内のメディアは「国家安全機関」と報じているけれど、そういう名前の機関は僕の知る限り存在しない。もしこれが、中華人民共和国国家安全部、もしくはその下部組織である国家安全局であるとしたら、これは中国の最高行政機関直下の公安・防諜機関だから、とたんに話がキナ臭くなってくる。

そしてレアアースの出荷停止。レアアースって何?と聞かれそうだけど、一応これは僕の専門分野なので書いておくことにしよう。レアアースというのは日本語で「希土類元素」と呼ばれるもので、スカンジウム Sc 、イットリウム Y に加えて、ランタノイドと呼ばれる、ランタン La とそれに類する性質の元素(ランタンからルテニウム Lu まで)の総称である。これらは合金の添加元素として使われるだけでなく、磁性体や光関連材料、電池、コンデンサ、そして水素関連材料などに不可欠なもので、これなしには日本の工業生産品は成立しない、と言っても過言ではないだろう。日本は、このレアアースの9割を、中国からの輸入に依存している。

要するに、中国は「ここで日本を屈服させておこう」と、日本の襟首を掴む腕に力を入れてきたところ、だったのだ。外交上、ここで簡単にあの漁船船長を処分保留で釈放する、というのは、非常によろしくない。しかし日本では、イチローの話がニュースのトップに来ているんだから、つくづく日本人もバカになったものだ、と思わずにはいられないのだ……

しつびょう?

昼のニュースを観ていたら、菅直人総理大臣が国連で演説しているのが映っていたのだけど……「疾病」を「しつびょう」と読んでいたのだ。

http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4533480.html

一応官僚用語とかでそういう読み方でもするのか、という可能性も考えてダメ押しで調べたけれど、「疾病」というのは、何をどうやって読んでも「しっぺい」であって、「しつびょう」というのは「典型的な誤読の一例」に過ぎない。

Twitter ではこの話が盛り上がっていて、「麻生が総理だったときには散々言っていたのに」などというコメントがあちこちで見られるけれど、いや、それ以前の問題があるんじゃないの?菅直人は元厚生大臣なんだよ。それがこんな間違いを平気でする、という時点で、その資質が知れたものだと言わざるを得まい。

ちなみに、演説終了後の菅直人のメディアへのコメント。

「日本のこの分野での支援が、国際的にも評価されているのが改めて演説の反応からも分かって、うれしく思った」

菅直人の演説はオバマ米大統領の演説の後だったのだが、オバマ氏の演説終了後、議場はガラガラの状態だった……本当に、もう、こんな総理大臣いらないよ。

MDMA、コカイン、そして覚せい剤

今週、この blog で以前に書いた「『なぜ覚せい剤を使ってはいけないのか』再掲」、そして「なぜエクスタシー (MDMA) を使ってはいけないのか」へのアクセスが激増した。おそらく押尾学被告の事件と、田代まさし容疑者のコカイン所持事件のせいだろうけれど、それにしてもこのアクセスはちょっと多すぎる。

押尾学被告の事案に関しては、特に何も言うべきことはない。残念だけど、あれは同情の余地がない。実刑を避けるために、逮捕・勾留された後もあそこまで争う……というのも、おそらく彼の中に「日本じゃなければこんな大事にならなかった、自分じゃなくて日本の体制が悪いんだ」という思いが強くあるからなんじゃないかと思う。上リンク先で僕が書いた危険性など、おそらく(自分の身体が関わらない限りは)軽く軽く考えていたに違いあるまい。

そして、田代まさし容疑者の一件。これに関しては、「やっちゃいけないものをやった奴が悪い」と、簡単に切り捨てる気には、とてもじゃないけれどなれそうもない。今日はこちらの話を書こうかと思う。

2回目の覚せい剤での逮捕、そして実刑を終えて、社会に出てきた田代まさし氏は、誰の目から見ても明らかに衰えていた。特に目立ったのは、ややろれつが回らなくなった喋りで、おそらくこれは彼をひどく苦しめたに違いない。ニコニコ動画の生放送、そしてコミュニティFMへの出演等、ようやく糊口を凌ぐ術を得つつあっても、そこで喋っている彼はひどく苦しそうに見えた。ろれつが回らない口調でも、テンションを上げて面白いことを言わなければならない。そして、自分の薬物歴に関するツッコミに対してもうまくリアクションを返さなけれなならない。これはおそらく、彼にとってはひどく辛いことだったと思う。

ネットサイトでのインタビューで、彼は出所後メンタルなケアを受けていない、と語っていた。僕はこれが非常に気にかかっていた。覚せい剤を常用していた人は、やめた後も抑うつ状態を抱えて生きていくことになる。時にはフラッシュバックもあるかもしれない。そのような状態を少しでも改善させるためには、うつ病に対して行うのと同じような、精神科での薬物治療を受けることが望ましい。現在主流になっている SNRI や SSRI、あるいは NaSSA と呼ばれる新世代の抗うつ薬は、副作用も軽く、特に NaSSA に関しては睡眠状態を改善する効果が高いことが知られているから、このような薬剤の適切な処方を受けていれば、きっと彼はもう少し生きやすくなれたのではないか、と思うのだ。

僕は別に彼のファンというわけではない。でも、ドゥーワップが好きな者としては、ラッツ&スターをもう観られなくなるのか、と思うと、ただただ哀しい。田代氏には、どうか音楽の方だけを向いて生きていってほしかった。お笑いで飯を食うのはそれはそれで何も問題ない。でも人は、絶望の底にいるときには、たとえ他人から見てそれがドブネズミと星程に離れていても、高い空の星を見上げていなければ、流されて、そして潰れてしまうのだ。クスリを使っている連中と交流を持って、秘密を共有する関係を結び、お笑いでアップになることを求められるときにコカインを使う。絶望の果てにある「もういいや」という声が聞こえそうな、こんな状況に陥らず、どうしようもなく孤独でも夢をつないでいくためには、まずはドブネズミ (rats) の一匹として、音楽という星 (star) を見上げていて欲しかったのだが。

そして、彼のような人々がクスリの連鎖に捕らわれないような社会的プログラムが、もうこの時代には必要なのだということを、今回の事件は示している。先に僕が書いたようなメンタルケアに加え、現在ダルクが行っているような、薬物に依存しないで生きて行けるような他者との関係の構築、そしてやはり経済的支援が、一体として、田代氏のような薬物常用者に対して行われるべきであろう。これなしでは、「もう社会に復帰できない」という絶望の中でクスリに手を出す人は減らないのだ。社会はもはや、こういう経済的負担を負わなければならない時代に至っていることを、僕達は認識しなければならないのだろう。

「バターン死の行進」が虐待ではない?

mixi でマイミクの某氏が、「バターン死の行進」に対して岡田外相が謝罪した件に関して、「原爆等でこっちもひどい目に遭ってるのに何故謝罪しなきゃならないんだ」という旨のコメントをされていた。まあ、ここまでは感情論(感情論だからつまらない、というのではなく、感情としてこういう念を抱く人がいても無理からぬことかな、という意味)だから構わないのだけど、そこにフォローするかたちでこんなコメントがついていたのが妙に気になった:

日本兵も荷物背負って一緒に歩いてるんだから、これは虐待じゃない。
……実は、昨日から、ネットでこのような感想をあちこちで目にするのだけど、どうにも頭の痛い思いをしている。

前にも blog に書いたことがあるけれど、靖国問題に関するテレビの討論番組で、聴衆として参加していた大学生の女性が、こんなコメントをするのを観たことがある:

靖国神社は他の神社と同じ神社なのに、どうして靖国だけ攻撃されなければならないのか。
面白かったのは、このとき討論に参加していた人々が皆、靖国への賛否の別なしに、

「いや、それは……」

と声を上げたことだった。少しの間を置いて、教師をしているという女性が、ため息をつきながら、靖国神社が戊辰戦争の戦没者を慰霊するために建立された、「戦没者慰霊のための神社」であることを説明したのだけど、件の大学生の女性は、まるでカエルの面に小便、という態だった。最近、どうもこの手の「世界は自分に見えている部分しか存在しない」とでも言うような……「唯我論者」とでも言うような手合いが増殖しているのだ。

バターンの話に戻ろう。「日本兵も一緒に歩いているから虐待じゃない」というけれど、捕虜と日本兵の状況が等しくて、どちらも歩くのに問題がないならばそう言えるかもしれない。しかし、太平洋戦争時の日本軍の捕虜に対する処遇が極めて劣悪なものであったことは有名な話である。勿論、たとえばソ連の日本人捕虜への処遇のような、日本人側が極めて劣悪な環境におかれた例も存在するけれど、だから日本も捕虜をそう取り扱っていいという理由にはならない。

「バターン死の行進」が悪質な捕虜虐待であった、というのは、残念ながら事実である。これにはいくつかの理由があるのだけど、まず当時の捕虜の状態を考えなければならない。当時のフィリピンにおける捕虜の状況は非常に劣悪なものであり、特に傷病兵への治療が満足になされていない、という問題があった。捕虜の中には、マラリア、赤痢、デング熱に感染していた者が少なからず存在した。

戦前の日本は、主に台湾を中心としたキナノキの栽培、そしてキニーネの生産が行われていて、一時はキニーネの生産高において世界第二位を記録していた。勿論これは、いわゆる大東亜共栄圏の形成においてキニーネが重要な薬剤になることを意識していたのが大きいと思われるのだが、そんな日本のバターンにおける捕虜の中に、マラリアに罹患し、その後も十分なマラリアの治療が行われていない者が相当数いたことは事実である。

このような事実を、日本軍が無視していたわけではない。いわゆる「死の行進」が行われたのは、バターン半島のマリベレスからサンフェルナンドまで、合計 88 km の行程だったのだが、当初の捕虜移送計画では、間にバランガを挟んで、マリベレス―バランガの約 30 km を徒歩で移動し、バランガ―サンフェルナンド間の約 50数 km はトラック200台を用いて移送を行うことになっていた。ところが、実際にはトラックの大部分が修理中であり、残りのトラックも物資輸送に割り当てたために、当初予定していたトラックによる移送が徒歩に切り替えられたのである。「死の行進」における死者の多くはマラリアなどに罹患した傷病兵であり、しかもこのバランガ―サンフェルナンド間で亡くなっている。つまり、治療がなされなかった傷病兵が多数存在する状況で、彼らに対して極めて過酷な徒歩行程による移送を強行したことこそが、まずは「虐待」と言わざるを得ないのである。

そして、バターンの問題において知っておかなければならないのが、辻政信という人物の存在である。辻は当時、独断で「米軍投降者を一律に射殺すべし」との命令を、大本営からの指示として口頭で伝達している。ところが、実際には大本営はこのような命令を出していないのである。また、辻は「この戦争は人種間戦争」であり、「アメリカ人兵士は白人であるから処刑、フィリピン人兵士は裏切り者だから同じく処刑しろ」と明言している。この辻の扇動によって、捕虜に対する虐待・私刑が実際に行われているのだ(賢明な何人かの軍人は、この命令に信憑性がないと判断し、逆に捕虜を釈放したりもしているのだが)。

「バターン死の行進」で病死、あるいは虐待などで死亡した捕虜は7000人〜10000人と言われており、そのうち米軍捕虜は約2300人であったと記録されている。僕はこの件に関してはまずフィリピンに謝罪すべきだと考えているが、日本が今まで謝罪しなかったのは、やはり適切ではないと言わざるを得ない。このタイミングで……と思う方は多いかもしれないけれど、いつかはちゃんとしなければならないことのひとつだったのは、間違いのないところである。

しかし……だ。こういうことはちょっと調べればすぐにわかりそうなものなのだけど、どうして軽々に「日本軍の軍人も一緒に歩いたんだから虐待じゃない」なんて言えるんだろう。頭が膿んでるんじゃないの?

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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