譲り合えない人々

愛知というところに居ると日常的に感ずることだけど、この地方の人々はつくづく「譲り合い」ということができない。たとえば、電車の長いベンチシートは、まず必ずと言っていい程に、設計人数通りに人が座るためしがない。そうなる原因は、ほとんどの場合、自分の横に荷物を「座らせて」いる女性(オバハンだけじゃない。若い女性でも平気でこれをやるのだ)か、膝頭を合わせようともせずに無様に股を開いている男(オッサンだけじゃない。女性の荷物程ではないが、若い男でもこれをやる奴が少なくない)のせいだったりする。それを見る度に「網棚というものの存在も知らんのか」とか「お前は信楽焼の狸か、八畳敷きか、えぇ?」などと毒づくことになる。

教会であっても、残念ながらこの例外ではない。今朝、僕がいつも座っている辺りに行くと、7人がけの長椅子に、母一人、そして小学校低学年位の男子と女子一人づつの三人が腰掛けていて、その横には同じく三人分のスペースを占有して、鞄やらダウンジャケットやらがだらしなく置かれている。こんな輩のために後ろに移る気などさらさらないので、僕はその隅に座って、三人分のスペースに広げられた荷物を一瞥した。母親は、僕が来たことにも、自分が荷物を広げていることにも気付いているのに、わざと僕から目を逸らし、知り合いでも見つけたのだろう、聖堂の後ろの方に向かって席を外した。

僕が「はぁ」と溜息をついた、そのときである。残された子供達のうちの女の子の方がすっくと立ち上がって、荷物の前に立った。そして、親がだらしなく広げたダウンジャケットを手に取って、畳み始めたのである。弟なのだろうか、男の子の分も合わせて、三人分のジャケットを畳み、母親のバッグも立てて場所を取らないように背凭れに置いた、そのとき、僕に一番近い位置だったのだが、僕は小さな声で「ありがとう」と言った。

やがて、母親が戻ってきたのだが、この母親、娘が片付けているのを見るや、

「駄目でしょ、もっとこっちに置いて」

などと、さも子供に対して指導していますよ、というような態度で、取り繕い始めたのである。いい加減にしてくれ。娘に自分の尻を拭かせて平然としている輩と、俺は同じカトリックだなどと思われたくないんだよ。あの女の子が、どうか、あの母親のような厚顔無恥な大人にならないように、僕は神に祈ったのだった。

愛知で暮らしていると、時々こういうことに出喰わす。子供が駄目な大人になってしまうのは、それはやはり大人のせいに違いない。しかし大人は、自分で自分を整えなければならないのだ。それが大人の責任というものである。

『君が代』を歌えと言う割に

僕は『君が代』を歌うことをどういう言う気はない。もちろん、国際的に国家に対して払うべき礼……起立するとか、ましてや妨害しないとか……は守られるべきだと思う。しかし、歌わない人に対してどうこう言う気もあまりない。そういう方は、立って、その上で口パクするなり口を閉じたままにしておくなりしていただければ、他に何も言うべきことはない。

むしろ、最近嫌気がさしているのが、『君が代』の重要性を主張しつつも、それをまともに歌うこともできないような人の存在である。そう、あなたのことですよ、橋下徹元大阪府知事!

おそらくこういう話は誰もが一回は耳にしていると思うのだけど、どうして皆「さざれ、いしの」と切って歌うのか。さざれ石(細石、碝石)という言葉も知らないのだろうか。いや、しかし、もし万が一知らないとしても、こんなところで切るという、その神経を僕は疑うのである。

これも今更書くまでもないことだけど、日本語の音韻は「七五調」とか「五七調」と言われる特徴を持っている。『君が代』もこの例外ではない。

きみがよは / ちよにやちよに
さざれいしの / いわおとなりて
こけのむすまで
「さざれいしの」は6文字になっているが、こうやって見ると見事に五七調の音韻で詠われていることが分かる歌である。この音韻を考えずに「さざれ、いしの」と切るような輩に、国歌がどうとか言う資格などない。あえて言うならば、国歌を汚す卑劣漢だとしか言いようがない。そんな連中に国歌がどうだの、言ってもらいたくないのである。

トンデモ系の餌食になってしまう政権与党って (2)

正直、以前に書いた『トンデモ系の餌食になってしまう政権与党って』に関して、続きを書くことになるとは思いもしなかった。しかし、昨夕、上記 blog エントリに書き込まれたコメントで、僕はこの話がまだ続いているということを知らされたのである。ここでは、その話と、それに関わっているらしい政府関係者に関して書かなければならないのだが、その前にまず『トンデモ系の餌食になってしまう政権与党って』における経緯を、簡単にまとめておくことにする。

静岡県沼津市に「高嶋開発工学総合研究所」という団体を主宰する、高嶋康豪なる人物がいる。まず、この高嶋氏がいかなる人物なのかを、ここに示しておかねばなるまい。

高嶋開発工学総合研究所公式ブログの記事によると、学歴・経歴として、

  • 1951年5月19日 日本国静岡県沼津市において出生。
  • 1974年3月  東京農業大学醸造科卒業
  • 1997年 株式会社地球環境秀明設立、代表取締役就任。(環境部門に関する事業を目的とする会社)
  • 2009年8月  嶋開発工学総合研究所を株式会社として法人化、代表取締役就任

とある。しかし、以前は、これにこんな経歴が加わっていた。

  • 1995年 12月5日 世界初の環境微生物学博士の博士号をアガペー大学(ミッション系大学の頂点)及びケンジントン大学、エール大学評議委員会の認定により授与される。(学長:Dr.E・ホシノ)
  • 1996年 F.I.A.E(Fellow of International Academy of Education)終身名誉博士号を贈られる。F.I.A.E(国際学士院)はケンブリッジ大学、オックスフォード大学、ハーバード大学を中核とする全世界127ヶ国の著名な学者たちで組織されている世界的アカデミー団体である。Fellow(フェロー)とはノーベル賞に次ぐ学者の中の学者として、ヨーロッパではSIR称号を用いることができるものである。
  • 1997年 F.I.A.EにおけるFellowの本部が英国から米国に移行し、これを機に新Fellow本部の命により、アジア地区のF.I.A.Eの副総裁に任じられる。副総裁の立場はアカデミーの国際交流のために様々な行動を行うことができ、例えば大学を創設することもできるという権威あるものである。

まあ……ツッコミどころがあまりに満載なので、どこからツッコめばいいのか迷ってしまうけれど、まずアガペー大学とかケンジントン大学、国際学士院なる団体のことから書こうか。これらの団体は、いずれもディプロマミルである。先の高嶋氏は現在も尚「環境微生物学博士」なる称号を名乗っているのだが、これがディプロマミルの産物であることは明白である。

そもそも、上の記述に「ヨーロッパではSIR称号を用いることができる」などと書かれているが、これはとんでもない話である。Sir という称号は、イギリスで受勲した「イギリス人」しか名乗れないのである。これは、U2 というバンドのボノの例が分かりやすいかもしれない。ボノはイギリスで受勲したが、彼はアイルランド人なので Sir という称号は使えないのである。ましてや、日本人で Sir など、全くお話にもならない。おそらく、上の「SIR称号」というのは、おそらく S.I.R.(エス・アイ・アール)であって、Sir(サー)ではないのだろうと思う。これもディプロマミルが使いそうな虚飾の典型である。

ちなみにこの高嶋氏、現在はプロフィールに書いていないのだが、実は同じ沼津市にあり、「白隠正宗」なる日本酒で知られる酒造メーカー「高嶋酒造株式会社」の先代当主だったらしい。高嶋酒造のページを見ると、現在の当主は高嶋姓の他の方になっているのだが、高嶋酒造の住所は「静岡県沼津市原 354-1」で、高嶋開発工学総合研究所の住所「静岡県沼津市原 346-7」にある高嶋ビルと地図で見比べると1ブロックしか離れていない。google map による地図を参考に示す:大きな地図で見る

さて、この高嶋氏が立ち上げている「株式会社地球環境秀明」なる法人だが、ここは、微生物を用いることで何でもかんでも浄化できますよ、と売り込む会社、らしい。ただし、その大風呂敷のせいで、今迄もとんでもない騒ぎを何度か起こしている。

その中で、報道もされたのは、昨年の2月11日に、「株式会社地球環境秀明」の社員3名と代表である高嶋康豪氏が静岡県警に逮捕された事案である。これに関しては、複数のサイトが記録を残しているが、ここではまず、社団法人全国水利用設備環境衛生協会のニュースアーカイブから二次的に引用する:

下水道に汚泥流す―「地球環境秀明」社員ら3人逮捕/静岡

2010年2月9日(火)付の毎日新聞は、下水道に油を含んだ汚泥を流したとして、県警生活環境課と沼津署は8日、微生物を使ったバイオトイレなど環境ビジネスを手がける「地球環境秀明(ひでみつ)」(本社・沼津市)の社員ら3人を廃棄物処理法違反容疑で逮捕したと伝えた。同社の社長(58)についても同容疑で逮捕状を取り、行方を追っているという。

逮捕容疑は、09年5月28日〜6月25日にかけ計3回、清水町八幡にある秀明の営業所内にあるマンホールから汚泥を下水道に流したとしている。県警によると、3人のうち2人の容疑者は容疑を認めているという。

同課によると、秀明は浄化設備を岐阜県内の工場に納入したが、うまく機能せず、引き取った汚泥の処理に困り、下水道に流したとみている。この工場を経営する会社は「5年前に浄化設備の設置を依頼したが、契約通りの処理能力がなかった。裁判で損害賠償を求めている」と話したという。

静岡県によると、県東部の生活排水を処理する沼津市の「狩野川西部浄化センター」に昨年5月末〜6月末に汚泥が計6回流れ込み、通常なら半日から1日の処理時間が3〜4日に延びたという。

ホームページなどによると、秀明は99年12月に設立。微生物を使った排水処理など環境ビジネスを手がけ、県のホームページでも紹介している。販売するバイオトイレは富士山にも設置されているという。

秀明は社員の逮捕について「事実だったとしたら残念だ」と話しているとのこと。

ニュース資料:2010年(平成22年)2月9日(火)毎日新聞

次に『学歴汚染(Diploma Mill・Degree Mill=学位称号販売機関による被害、弊害)』の2010年2月11日の記述から該当記事を二次的に引用しておく:

油含んだ汚水を不法廃棄 産廃会社社長を逮捕

油を含んだ工場排水を不法に下水道に捨てたとして、静岡県警沼津署は11日、廃棄物処理法違反容疑で、産廃処理会社「地球環境秀明」の社長、高嶋康豪容疑者(58)=同県沼津市=を逮捕した。

同署の調べによると、高嶋容疑者は同社社員ら3人と共謀し、昨年5月28日から6月25日の間、3回にわたり、岐阜市内の工業用ふきん洗浄工場から出た排水を、公共汚水槽に捨てた疑いが持たれている。

同署は今月8日、同社社員ら3人を逮捕。高嶋容疑者は11日朝、同署へ出頭した。会社ぐるみで不法投棄を繰り返していたとみて詳しく調べる。 (産経新聞)

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/print/event/crime/356464/ より引用

このように、「地球環境秀明」の問題で、高嶋康豪氏は逮捕されているのである。浄化能力のない浄化装置を売りつけ、浄化されたと称して浄化されていない排水をたれ流していた、という「実績」があるわけだ。

さて、この高嶋康豪氏だが、去る3月11日の東日本大震災以来、トンデモとしてもあまりにトンデモな方向に邁進しているらしい。自らの開発した手法で、微生物が放射性元素を核変換して分解する、と主張しているのだ。いや、主張するだけならまだいい。話は、それだけでは済まないことに既に至ってしまっている。

まず、拙 blog『トンデモ系の餌食になってしまう政権与党って』(2011/04/07(Thu) 12:12:58)にも書いた通り、高嶋氏は韓国の国立果川(クァチョン)科学館から1000万ウォンを研究資金として提供された。この金は、もともとは韓国国内における東日本大震災への日本災害寄付として集められたもので、要するに、高嶋氏は、韓国の日本への義援金を詐取したのである。

「詐取」とは穏やかならぬ話だ、と言われそうだけど、これは詐取以外の何物でもない。もし核変換が行われるのならば、その過程によって、ガンマ線や中性子線が当然放出されるべきで、それが観測され、核変換前後の物質とエネルギーの保存がなされていることが立証されなければならない。しかし、そういう話はどこにも出てきていない。

事の内容に関しては、山形大学の天羽氏のページ内の掲示板を御参照されたい……正直、もう書くのも苦痛なので:

http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/bbs01/showthread.php?mid=28009&form=tree

高嶋開発工学総合研究所が公開している『最終報告書』(加筆修正版)なるものを一読すると、15 m 四方の農地に菌や水を撒き、15 cm 程度の深さまでの耕転を3度行ったら、ガイガーカウンタでの計数値が減少した、とあるのだが……いや、そりゃ、表土に放射性核種が吸着しているところに水を撒いて、土をかき混ぜりゃあ、それが耕作区域外に流出するのと、少し深いところに透き込まれただけでも、線量は減るに決まっている。それは生体分解でも何でもない。

そもそも、科学的検証というならば、何故、同程度に汚染された 15 m 四方の土地をもうひとつ確保して、ただの堆肥とただの水を散布し、同じように耕転を行って比較しないのか。強調しておくけれど、こういうことは、たとえば中学一年生の理科の時間に、植物の光合成や呼吸、あるいは葉でのデンプン生成に関する実験を教わるときですら出てくる話である。他の実験条件を同じくして、注目する現象においてのみ有意な差が生ずることを証明する。それすらせずに、何が科学的だと言うのか。もう、本当に、お話にもならない。

まあそんな感じで、読むだけでも苦痛を感じてならないこの報告書だが、非常に気になる記述があるのだ。以下、該当部分を引用する:

去る7月5日、外務省の高橋千秋副大臣のご案内で、経済産業省において高嶋博士の微生物触媒による放射能汚染土壌の除染と浄化の科学技術の説明を求められ、松下忠洋副大臣及び経済産業省技術総括審議官の西本淳哉氏、内閣府原子力災害対策本部被災者支援チーム放射線班の高畠昌明氏、経済産業省安全保安院放射性廃棄物規制課の武山松次氏に面会したところ、松下副大臣及び西本審議官他2名から「高嶋博士の科学技術によって、表土部の放射線レベルが下がっていること、放射性物質が軽減していることは理解したので、土壌の深部に放射性物質が溜まっていないことをデータで示してほしい」と依頼されました。

で、この報告書では、ご丁寧にも花崗岩の岩盤が出てくるところまでボーリングして、それを Ge 検出器で測定して、放射性核種 N.D.(検出値限界未満)でござい、などということをやっている。しかし、ここで注目すべきことは、

  • 高橋千秋(民主党所属・参議院議員)
  • 松下忠洋(国民新党副幹事長・衆議院議員)
  • 西本淳哉(経済産業省大臣官房技術総括審議官)
  • 高畠昌明(内閣府原子力被災者生活支援チーム放射線班室長)
  • 武山松次(経済産業省原子力安全・保安院放射性廃棄物規制課)
……という面々(敬称? 敬称ってのは向ける相手を選ぶ権利があるんだよ、こっちにもさ)が、この与太話に関わっていることである。

福島の汚染状況に対しては、早期に何らかの対策がなされるべきだし、それに関しては、関係者の英知を結集して事を進める必要があるわけだが、よりにもよって実務者レベルのトップに近い人々が、こんな与太話に関わっている、というのは、一体どういうことなのか。この与太話のために、我々国民の血税が浪費されているのだとしたら、そしてこのような与太話に安住することで、福島に為されるべきことが遅れているのだとしたら、まさにこれは万死に値する。

とにかく、ここでは以下のことを強調しておきたい。

まず、高嶋開発工学総合研究所および高嶋康豪なる人物は、信頼するに足らない人物である。ディプロマミルで学位を捏造(僕等から見たら、捏造にすらなっていないレベルなんだが)し、逮捕歴もある。その主張を信頼するに足らない存在である。

そして、高嶋開発工学総合研究所および高嶋康豪が主張する「放射能汚染バイオ浄化」なる手法には、いささかの科学的根拠もないし、その実験には科学的正当性が全くみとめられない。

最後に、そのような高嶋開発工学総合研究所および高嶋康豪、そして「放射能汚染バイオ浄化」なる手法に騙され、その権威付けに関わった人々の存在により、盲信的にこれらを信じて事を進めてしまっている人々が、日本の政府の中にも存在しているらしい。これが事実ならば、まさに万死に値する大罪であると言わざるを得まい。今後、これに騙される人がいるとしたら、その人も同罪である。理研の野依氏の言葉でないが、こういう与太話に与するのだとしたら、「歴史という法廷に立つ覚悟ができているのか問いたい」。それ位、これは罪深い話なのだ。

脊髄反射は許し難い

千代田テクノルという会社がある。僕が研究を生業とする少し前のことだけど、ここは画期的な線量管理アイテムを実用化した。それがガラスバッジである。

それ以前に使われていたフィルムバッジが、現像と黒化度測定で手間を食うものだったのに対して、放射線によるガラスの損傷が蛍光を発することを利用したこのガラスバッジは、感度も高いし、レーザーによる迅速数値化が可能で、しかも使った後はアニール(焼鈍)すればまた元に戻る。記録材であるガラスの破損の危険と、従来のフィルムバッジよりやや重いことを除けば、これ程いいものはない。まさに革命的な線量管理アイテムの登場だった。もはやこの日本で、フィルムバッジを使っている人は誰もいないと思う。それ位、ガラスバッジは普及している。

このガラスバッジを使った線量管理において、僕が今迄耳にしてきた問いがふたつある。ひとつは「浴びてから分かっても意味ないじゃん」というもの、そしてもう一つが「どうしてまず最初にバッジ装着者に連絡が来ないのか」というものだった。まあ前者の問いは、皆さん理解できると思うけれど、後者に関しては、若干の説明をする必要があるだろう。

僕が某国の研究所に居たときのことである。当時、僕と同期で入ってきた女性研究員のYさんという人がいた。彼女は東大のドクターコースを中退して入ってきたのだが、とにかく実験のセンスがなくて、僕はフォローするのに酷く時間を使わされた。で、この職場で健康診断があって、毎度おなじみの胸部レントゲン撮影というのもあったわけだが、その後何日かして、職場の線量管理責任者をしている某氏が、もの凄い勢いで研究室にやって来た。

「おお、Thomas 君。Yさんおるか」

「さっき SEM 使ってたんじゃないかな……あっちの部屋、見ました?」

と言うと、返事もせずに某氏は SEM のある部屋に飛び込んだ。そしてYの腕を掴んで、彼女の居室に入って、しばらく出てこなかった。

この職場は、欧米の研究所などと同じくティータイムの習慣があったのだけど、この日のティータイムに、Yは得意気に皆の前でこう言ったのだ:

「なんかアタシ、X線被曝してるっていうのよ」

聞いてみると、ガラスバッジの交換があった翌日、先方の担当者が血相を変えて某氏のところに電話してきたのだ、という。Yさんの線量値が、尋常じゃないことになっている……というのだ。某氏は泡を食って、Yを確保して散々確認し、ついに、Yが胸部検診のときに、名札と一緒に腰に付けているガラスバッジを外さずに胸部撮影を行ったのだ、という事実を引っ張り出したのだ。バッジの代理店にその旨確認すると、線量から言うと丁度それ位に相当する、ということで、Yはきついお目玉を食らった後に釈放されたわけだ。

「でも、おかしいじゃない?アタシが被曝したんだから、まずはアタシに電話してくるのが筋じゃない。そうしたら、こんな面倒なことにならないで済んだのにねえ」

と、すました顔で紅茶を飲むYに、周囲の全員が「いや、面倒事はアンタ一人のせいだからな」と思っていたのは、言うまでもあるまい。

さて。このYの一件でもそうだったけれど、被曝線量に異常があった場合、当人に連絡する前に、まずは線量管理責任者に連絡が行くのである。これをおかしい、と言う人がいるかもしれないけれど、それは違う。この場合は、まず、線量管理責任者がこの事実を知らなければならないのである。

そもそも。浴びてから分かっても遅いんじゃない?という疑問を持たれながらも、なぜガラスバッジを付けるのか。これは、万が一、放射線源等の扱いが不適切で、被曝するような事態が生じたときに、その原因となっている不適切な放射線管理の状況を可及的速やかに是正し、それ以上、その区域に入る人に被害が及ばないようにするためである。もちろん、個々の線量管理の目的があるのは言うまでもないが、ガラスバッジを付けさせる側が、何故大枚はたいて付けさせるか、というと、そういう放射線管理の徹底が義務付けられているからである。つまり、ガラスバッジ(そしてそれ以前のフィルムバッジも、だが)を用いた線量管理というのは、個々人をリアルタイムで守ることが一義的目的なのではない。そこに関わる人に危険が及ぶ状況を察知し、可及的速やかに是正することが一義的な目的なのである。累積線量の管理というのは、その後の問題である。そういう思想だからこそ、Yの前に、バッジの代理店は線量管理責任者に電話を入れたのである。

福島で、子供にガラスバッジを付けさせるという話があって、子供個々人に対して線量の通知がされないから、子供はモルモット扱いだ、という話を mixi でしている人がいるのだが、そういう人達は、線量管理におけるこういう思想を理解していないのだろうと思う。リアルタイムで被曝線量が分からないガラスバッジは、一人一人の子供を目前の被曝から避けさせるということのためのものではそもそもないのだ。この場合、公費でガラスバッジを付けさせるということは、被曝する状況が万が一存在したときに、可能な限りそれを認識して是正するため、なのである。それも分からずモルモット、モルモットって、それはあまりに短絡的に過ぎるというものだ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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