「想定外」の意味
最近、アクセス解析をすると「〜の意味」というキーワードで検索サイトからこちらの blog に辿り着くケースを散見する。今日のこのタイトルだと、まさにそういう検索の結果で辿り着かれる方がおられそうな気がするのだけど、これからここで言及することは、辞書に記載されているような「意味」に関してではないので、まずは悪しからず。
「想定外」という言葉が、こうも簡単に、そして便利に使われるような事態になるとは、僕も正直想像していなかった。これこそまさに想定外かもしれない。
もともと「想定外」という言葉の持つ意味は二つあるのだろうと思う。ある事象が、その事象の対象に対しての:
- 想定していなかったようなもの
- 想定の埒外であるもの
「想定していなかったようなもの」というのは、たとえば宇宙人の攻撃を受けた、なんてのが一例として挙げられるだろう。しかし、だ。原子炉に関しては、とにかくありとあらゆるトラブルの発生を想定しなければならない。今でも鮮明に覚えているが、京大の原子炉実験所で仕事をしていたときに、
「ここの安全基準がねえ」
という話になったことがあった。そのときに、何が想定内で何が想定外なのか、というのを聞いたところ、こんな返事が返;ってきたのだ。
「たとえば、原子炉に飛行機が突っ込んできたら、というのは、これは想定内です。ちゃんとそのときでも建屋がもつように考慮してあります。でも、たとえば、人工衛星が落ちてきたら、というのは、これは想定外ですね」
余談だが、これ以来、僕は、さも想定もしていなかったかのような表情を浮かべる人を称して「頭の上に人工衛星が落ちてきたような顔」と言うようになったのである。まあそれはさておき、この頃はまだいわゆる 911 のテロが起きる前だったのだけど、これ位の事故は想定の範囲内ということになっていたわけだ。何が言いたいか、というと、原子炉の安全に関しては、少しでも起きそうなことは想定し、その影響と対策を明らかにする、というのが、一種のコモンセンスなのだ、ということを言いたいのである。ただし、商用原子炉の場合は、どうもそういうことが strict に行われているというわけでもないらしい、というのが、今回の事故で明らかになったわけだけど。
青息吐息で「これはツブした」「これは?」と、ありとあらゆる可能性を考慮し、対策を講じることをやめてしまうにはどうしたらいいのか。これは簡単で、要するに、バカになればいいのである。僕は以前、丸川珠代衆院議員と蓮舫参院議員が、別々の場で、何事かを追及されたときに、
「え?アタシ馬鹿だから分かんない」
と言ったのを今でも鮮明に覚えている。もし本当に馬鹿ならさっさと国会議員なんか辞めてもらわないと有害なことこの上ないし、そうでないのなら虚言癖のある人なんかに国会議員やってもらっちゃ困るんで、結局辞めていただかないと困るわけだけど、これは何事か追及されたときに、それに答える責任を担わないという意味では、ひとつのタクティクスなわけだ。要するに、
「我々の乏しい想像力では、このような事象を想定することができませんでした」
と言えば、そうか想定できてなかったんじゃしようがない、という話になる……のを、おそらくは狙っているわけだろう。しかしだ。もし本当にそこまで想像力が貧困な人が行政にタッチしたら有害なことこの上ないし、本当はそうでないというのなら、虚言癖のある人なんかに行政に携ってもらっちゃ困るんで、結局辞めていただかないと困るわけだ。こういう追及そのものが想定外です、と言うんなら、本当に、生きているだけ有害だから、いっそ死んでいただきたい。
そして、想定の埒外という意味での「想定外」だけど、これに関しては、先日、実に興味深い映像を見る機会があった。アメリカのアラバマ州の原子力発電所が、原子炉の内部をマスコミに公開したのである。この原子力発電所は、事故を起こした福島第一原発と同じ GE の Mark I と呼ばれる沸騰水型軽水炉を運用している。
施設内には、施設の完成当初にはなかった数々の安全装置が追加されている。特に、ベントと ECCS に関しては、原子炉操作室にいなくても遠隔で操作できるパネルが、施設内のあちこちに設置されていた。これに関しての、この原発の責任者のコメントは、実に明解だった。
「『想定外』という事態があってはならないからです」
地震も、津波も、冷却喪失も、ある程度は想定されていたし、対策もなされていなかったというわけではない。しかし、この辺までやるのが経済的限界だろう、効率を無視した商用施設なんて無意味だよね、という暗黙の了解の下に、それらの基準が低く設定されていたのは、これは紛れもない事実である。本来ならば、経済性に影響を与えるならば、その影響を与える部分をコストに繰り込んで算定しなければならない。安全は金で買えるなら買わなければならないのである。しかし、それが「まあ大丈夫でしょう」と多寡をくくられていたその態度を、我々は改めなければならない。今回の事故は、そう示しているはずなのだ。
それを、こんなことを言うなんて、一体どの口が言っているのだろうか。恥を知れ、モナ男野郎が:
< 2011年5月14日 6:57 >
福島第一原子力発電所1号機で、燃料棒が溶け落ちる「メルトダウン」が起きていたことについて、細野首相補佐官は13日、事故対策統合本部の会見で「想定外だった」と述べ、事故の収束に向けた工程表を見直す考えを示した。
福島第一原発1号機では、燃料棒が溶け落ちたことで原子炉圧力容器に穴が開き、冷却のための水が漏れ、格納容器からも漏れているとみられている。
「(燃料が)溶融しているだろうと思っていたが、下の方にほぼ全てが集まっている状況までは想定していませんでした」−細野首相補佐官はこのように述べ、認識が甘かったと認めた。今後、圧力容器のデータが正しく計測されているかを検証し、17日に工程表の見直しを発表する考え。
一方、「東京電力」は13日、1号機で放射性物質の飛散を防ぐ新たな取り組みを始めた。原子炉建屋の周りに鉄骨を組み、ポリエステル製のカバーで覆う計画で、周辺の敷地を整備するなど準備が行われている。早ければ、来月からカバーの設置工事を始めるという。
(日テレNEWS24)