警視庁公安部外事三課機密資料流出事件

標記の代物に関しては、既に皆さんメディアの方で色々聞いていることと思うのだが、今まで僕は積極的にこれを入手しようと考えなかった。僕自身が Winny のような P2P ソフトを使っていない(BitTorrent は使うことがあるけれど)ということもあるのだけど、今日の『報道ステーション』で、たまたまこの事件に関する話を見るまでは、試す気もなかったのだ。

で、『報道……』で、たまたま問題の文書のなかのひとつのファイルネームが見えたので、それを端緒に検索でファイル探索を試みたところ……目的の文書のアーカイブを取得するまでの所要時間、わずかに3分程であった。

以前から話には聞いていたけれど、これは放置しておいてはいけないもののように思う。公安の警察官10名近くの個人情報(家族の氏名・年齢や実家の連絡先などを含む)、ムスリムの調査対象者の個人情報等が何の保護もなく書かれているし、情報提供者の氏名まで書かれているファイルも含まれているので、何らかの情報提供を行った者が狙い撃ちにされる可能性は低くないだろう。

ところが、警察が目下この情報漏洩事件に関してどのような態度をとっているか、というと、「調査中」なのだ、という。否定も肯定もしない、だから漏洩しているファイルが実際に公安のものだと認められない以上、拡散防止の措置もとれない、というのである。しかしなあ……実際に、僕が web ブラウザと Google でちょこちょこ検索をかけたら、呆気なくこうやって入手してしまえる、この状態はあまりに問題があると言わざるを得ないだろう。警察官もさることながら、ムスリムの該当者にとっては、まさに生命の危機であるし、それに名前や職場の名称が書かれてしまっている人に関しては、これはもはや生活の危機である。今日、東京地検に守秘義務違反の疑いで刑事告訴したそうだが、もはやダンマリでやり過ごせる状態ではない。一刻も早い対応がのぞまれる。

服装での貢献

中国・広州で行われていたアジア競技大会も、今月27日で終わったわけだけど、あれを観ていてどうにも気になっていることがある。それは女子選手の服装である……ああ、女子選手といっても、女子一般の話ではない。僕が気になっているのはムスリムの女子選手の服装である。

皆さんご存知(じゃない人もいるかもしれないけれど)の通り、ムスリムの中でも保守的な人々は、女性が髪や肌を人目に晒すことをタブー視する。選手自身がどういう考え方であったとしても、このタブー視というのは大きな社会的プレッシャーとして作用するわけで、そのためにムスリムの女子選手の多くは、身体全体と頭を覆う服装で競技に参加している。

あの服装で短距離走などに参加しているのを見ると、もう少し何とかならないものか、と考えてしまう。ただ、ここで勘違いしてもらいたくないのは、そんな服装を止めるべきだ、と言っているわけではない、ということである。

たとえば、日本ではマイナーな競技だけど、イギリス発祥のスポーツでクリケットというのがある。今回のアジア競技大会では、女子のクリケットはパキスタンが金メダルを獲得した。この競技に関する報道を見てみると:

パキスタンのクリケット女子、脅迫にめげず快挙

【イスラマバード=横堀裕也】中国・広州で開かれたアジア大会でパキスタンのクリケット女子チームが金メダルを獲得し、「ゴールデン・ガールズ」(地元紙)と絶賛されている。イスラム保守層などからの中傷、脅迫にめげずにつかんだ「歴史的快挙」(同)だ。

ザルダリ大統領は、対テロ戦争や未曽有の洪水被害を念頭に、「国難に立ち向かう国民への素晴らしい贈り物」とたたえた。

19日の決勝でバングラデシュを破ったチームは、帰国後も大統領官邸に招かれたり、大学でプレーを披露したりと引っ張りだこだ。

イスラム教を国教とする同国では、保守層を中心に、肌や髪の露出につながる女子のプレーはタブー視されてきた。脅迫などの妨害を乗り越え、国際試合を戦えるようになったのは、わずか十数年前。大会前、ある選手は「今でも中傷は日常茶飯事」と語っていた。

対照的に肩身が狭いのが、男子代表チーム。ある世界ランキングでは、かつての3位から7位に後退。メディアは「女子を見習え」と厳しく批評している。

(2010年11月30日16時05分 読売新聞、元記事リンク

この記事を読んで、これが女性への宗教的呪縛からの解放だ、ととるかどうかは個人の自由である。しかし、信仰の自由というものが尊重されるべきなら、信仰において求められる戒律が、こういう競技において有利・不利を生むことが最小限になるような努力もまた求められるものではないだろうか。戒律を守ることを選択しても、それが可能なかぎり不利にならないような、そんなウェアが開発されているという話を、僕は今まで耳にしたことがない。

ただ単に、僕が無知なだけで、既にそういう試みは始まっているのかもしれない。それならそれで大いに結構なことである。しかし、陸上競技で、スカーフで頭を巻いて両手足を覆う服をたなびかせ(当然だがそれだけの空気抵抗を負っているということだ)て走っている女子選手の姿を、僕はどうも無視することができないのである。日本のスポーツ用品メーカーの素材開発が優れていることは、誰もが認めるところである。そういう技術を、どうか、ムスリムの女子選手達が全力を発揮するためにも用いてほしい、と、僕は願わずにはおれないのである。

奇妙な符合

昨年の3月8日のことである。南シナ海北部・海南島沖で、アメリカ海軍の音響測定艦である「インペッカブル」が航行していた。この「インペッカブル」は、潜水艦の音響データを採取するための船で、この船自体が軍事行動に参加するわけではない。そのため、軍籍にある船舶でありながら、航行に従事するクルーは民間人で、音響解析を行う専任スタッフが海軍軍人、という、特殊な運用をされている船である。

「インペッカブル」は公海を航行していたのだが、そこに中国海軍の情報収集艦、漁業監視船、国家海洋調査局の艦艇、2隻のトロール船の合計5隻が妨害活動を仕掛けた。中国側の5隻は「インペッカブル」に異常接近した後、うち2隻が進路を塞ぐように「インペッカブル」の舳先15メールまで接近、材木を海中に撒いたり、強力な照明を「インペッカブル」に当てるなどの危険な妨害を行った。「インペッカブル」が(武装を持たないので)ホースで中国船に放水を行ったところ、一説によると、中国側のトロール船船員が「インペッカブル」に尻を向け、ズボンと下着を脱いで侮辱する行動に出たという。

この時期、アメリカと韓国は、黄海や東シナ海を舞台とした合同軍事演習 "Key Resolve" を行っていた。中国の「インペッカブル」に対するこの露骨な妨害や、同時期に複数の中国政府高官によってなされた発言の数々は、いずれもこの "Key Resolve" を牽制する目的で行われたものとみられている。

一年後の本年3月26日、黄海の白翎島(ペンニョンド)西南沖で、韓国の哨戒艦である「天安」が、北朝鮮の特殊潜航艇から発射された魚雷によって沈没した。このときも、同じく黄海に浮かぶ延坪島沖で、"Key Resolve" の一環として米韓の潜水艦による演習が行われていたところだったという。

今年の6月、米韓は合同軍事演習 "Indomitable Will" を黄海・日本海で行う計画を立てていた。これは先の「天安」沈没事件等への牽制の意図のあるものであったが、ゲーツ米国防長官が「演習は韓国沖で実施されるのであり、中国沖ではない」と発言したにもかかわらず、中国サイドから度重なる高官の発言等がなされた結果、6月の予定を7月に延期した上、当初黄海に派遣される予定であった原子力空母「ジョージ・ワシントン」の派遣先を日本海に変更した。

そして、この11月末、先の延坪島砲撃事件への対抗措置として、今度は原子力空母「ジョージ・ワシントン」を黄海に入れて、米韓合同軍事演習が行われることになった。

……と、時系列で、アメリカ・中国・韓国・北朝鮮の絡んだ黄海近辺での事件を追って見てみると、どうも、今回の砲撃事件も含めて、北朝鮮の背後にある中国の存在が、一連の事件に絡んでいるような気がしてならない。今回の砲撃にしたって、北朝鮮は韓国からの洪水支援、そして離散家族問題の報酬としての支援の双方をふいにしてまで行っているのである。ひょっとしたら、これは中国との間に、問題行動を起こす見返りとして経済支援が得られるような密約でもあるんじゃないか、と勘繰りたくもなるというものだ。

続・韓国・延坪島砲撃事件の周辺

ついに恐れていた事態が起こってしまった。いや、起きていたのが発覚したと言うべきだろうか。

北朝鮮砲撃:民間人二人の遺体発見

北朝鮮により23日に砲撃を受けた延坪島で復旧作業を行っている軍・官合同調査団は24日午後3時30分ごろ、島内の工事現場で二人の遺体を発見したという。

遺体となって発見されたのはキム・チベクさん(61)とペ・ボクチョルさん(60)で、二人は延坪島の住民ではなく、島内の工事現場で勤務していた労働者とのことだ。合同調査団は、二人が北による砲撃で死亡したものとみて、詳しい原因を調べている。

(2010/11/24 17:03:10 朝鮮日報日本語版)

遂に民間人の死者が出てしまった。これは韓国国内の論調もさらに厳しいものになっていくに違いない。考えるだに恐ろしい事態である。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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