と、こう指示する。インショウって何だろうと思いつつ、ある日自分のカルテ(この病院では患者が自分で事務までカルテを持ち帰るシステムだった)に目を落としたら、診療記録に、"take an impression" と書いてあるのに気付いた。impression って……ああ、「印象」か!漢字になると初めて、判を捺したその姿、というイメージから全てが繋がったのだった。
一応獣医師というのは国家資格なので、当然この獣医師は remedy なんてのが、文字通りの「薬にも毒にもならない」ことは知っていたはずだ。それはこのホメオパシーなるものの起源を探ればすぐ分かることである。もともとこの疑似科学的民間療法は、ドイツ人の医師 Samuel Christian Friedrich Hahnemann が、たまたま自らがキニーネ(キナの樹皮から抽出される薬品で、未だにマラリアの「最後の切り札」といわれている)を服用した際、マラリアと同じような症状を体験したことにその端を発する。
IT 関連で飯食ってる人々の中にも、こんなことも分からんのかなぁ、みたいな人が増殖しつつある(全体のレベルダウンではない……あえて言うなら「知的貧富の差の拡大」とでも言うべきだろうか、あるいは「志の差」とでもいうべきなのか)、という話を以前に書いたけれど、最近、いわゆる「暗黙の標準」に言及するときに "DeFacto Standard" などと書く人がいるのをよく目にする。
まず最初に、「暗黙の標準」というのは、欧米でよく書かれるところの de facto standard という表現を直訳したものである。見る人が見れば、"de facto" という部分が英語ではないことはすぐに分かる。もう少し敏い人ならば、これがラテン語であることがすぐに分かるはずだ。ではなぜ英語にラテン語が混じるのか。
こういうものは勿論外国語にもある。それが、ラテン語を挟み込むことなのだ。特に英語圏では、学術用語としてのラテン語のステイタスははるか昔から確立している(たとえば Isaac Newton の “Philosophiae Naturalis Principia Mathematica” は、題名からしてすでにラテン語で書かれている)。英語だったら actual と書けばいいところを、わざわざラテン語で de facto と書くのは、そういった歴史的経緯を踏まえてよく行われる書き方のひとつに過ぎない。
そして、そんな大学に入った学生は、余程近所でない限りほとんど強制的に寮に入ることを余儀なくされる。で、男子女子の寮間の交流をわざと open にしておく。周囲に娯楽はないから……いや、これはジョークではない。茨城県出身者の一人として証言するけれど、僕が高校生の時ですら「3S の筑波」という言葉は有名だったのだ。筑波には3つの S しかない。Study、Sports、そして Sex だ、と。これはジョークではない。れっきとした実話である。通常、国立大学法人の大学においては「大学の自治」というものが昔から重んじられてきた。しかし、筑波大学は移転・再設立の当初から、それを捨てさせられた大学だったのだ。
そして、プラズマ物理を学んだ学生のうち、研究で飯を食える人間なんてほんのわずかである。ほとんどは、学部か修士で就職していくことになる。つぶしが利かない……残念ながら、これは理学部系、特に物理系の場合にはよく言われることである。そういう中で、就職が決まっている学生が研究に従事しているとき、その学生の生殺与奪権を握っているのは、その学生に卒業証書や学位記を与える大学なのだ。事務にちょいと呼び出されて、ちょっと HDD 壊したことにしてくれる?無理なんて言わないよねぇ?と言われたら、余程の覚悟がない限り No と言うのは困難だろう(ただ、もし僕なら言う……それ位の覚悟がなかったら、こんな稼業なんか選んでいない)。
例えば、この当時と比較すると、CPU、メモリやディスクに関しては数十倍の規模のコンピュータを、ごくごく普通の人達が使っている状態である。しかし、この当時と比べて、例えば human interface がどの程度進歩したというのだろうか?キーボードのスイッチはコストダウンによって無残なタッチになってしまったし、ディスプレイも液晶化という一大進展はあったものの、その「在りよう」までは変わっていない。ソフトウェアにしたってそうだ。不要な機能がてんこ盛りになって、実際の事務処理ではいまだに「あ、書類は Word 2000 のフォーマットでお願いします」などと言われる。その名の通り、この年に出たソフトのフォーマットが未だに業界の de facto standard であって、XML 化された新しい Word のフォーマットは忌み嫌われる始末ではないか。
事の経緯は上記リンク先の方を読み返していただくことにして、ここにはその後のことを書こうと思う。あの日、SPAM による DoS attack を受けたことに気付いた僕は、証拠保全をした後、とりあえず朝日ネットの代表番号に電話して、そこから技術担当の番号を聞き出し、再び電話をかけた。出たのは女性で、事情を説明したところ、今日(その日は土曜日だった)は担当者が出社していないので、月曜日以降に担当者から折り返し連絡します、と言う。
同業者相手でもしばしばあるのだけど、「なんで Thomas やねん」と聞かれることがある。理由は簡単で、僕がカトリックの信者で、洗礼名も堅信名も Thomas(より正確に書くならば Thomas the Apostle …… Thomas Aquinas じゃない方の Thomas、12使徒の一人の Thomas ……)という名前を持っているのから、なのだけど、こう答えると次にこう聞かれる:
例えば、「上田完」が何者なのか、と google で検索をかけてみると、日本語でもこの問題を感じてもらえるだろう……東大教授の「上田完次」氏の項目の方が圧倒的に多く引っかかってくるからだ。名前というのはしばしばこういうことがある。
英語の場合、この問題は更に根が深くなってくる。僕の名前は、何も注文を付けないと T. Ueda と表記されるわけだけど、苗字が上田で名前がタ行の人、なんてのは、そこらにいないようで実は結構存在する。しかも僕の場合は更に都合が悪いことに、よりによって同じ大阪大学出身者の物理学者 Dr. Tamotsu Ueda なる人物が実在するのだ(学部が違うし、あちらの方が年長だけど)。T. Ueda で identify されない、どころの騒ぎではないのである。
実は、初めて論文を投稿したときには、直属の指導教官がこの問題を全く考慮してくれなかったために、Tamotsu Ueda 名義で論文が出てしまっている。これで少々イタい目をみたので、学位を授与されてからは専ら Tamotsu T. Ueda 名義で論文を出している。"Tamotsu T. Ueda" で検索すると、何やら色々出てくるのがお分かりかと思う。
private では、handle(何度も書きますがHN とかハンドルネームとかいうのはあれぁ和製英語です)にずっと Thomas というのを使っているので、NetNews なんかに書いたものなどが検索で引っかかってくる。12年も前に書いて、内容的にはそろそろ陳腐化してほしいのに未だに陳腐化してくれないから消すわけにもいかない、という『WWW ページでの個人情報公開について考える』とか、17年も前に僕が阪大の情報処理教育センター(当時)で行った LATEX セミナー(当時の阪大が情報処理教育に NeXT を使っていたからこそこんなこともできたのだが)のテキストとかも拾えるかもしれない。とにかく、苗字と名前だけでは、「完」→「たもつ」という、こんなに珍しい名前……自分以外では自動車評論家の川上完氏(リンク先では Kawakami Kan となっているが、本名は「たもつ」らしい)位しか知らない(他に御存知の方、おられましたら自薦他薦を問いませんので御一報下さい)……を持っていてもなお支障を来すことが、実際にあるのだ。だから、僕はミドルネームを使っているし、今後も終生使い続けることだろう。
あと、僕は日本で blog(と当時は言わず web 日記とか何とか言ってたけれど)の創成期から今のような document を公開しているので、その当時から Thomas を handle に使っていた。そのせいか、今でも Thomas の方が通りが良かったりする。
で、今日の昼ごろだったか…… fugenji の僕のメールアドレスに、とんでもない数のメールが送信されていることに気づいた。その数 5012 通。まぁ僕の MUA (Mail User Agent) は Mew というテキストベースのものなので、これ位来たからといって整理できないことはないし、いずれもテキストメールだったので、とりあえず保存して、ヘッダを見てみると……タイムスタンプや id 以外は同じこれが頭に付いている。
Received: from vulture.run.sh (y116174.ppp.asahi-net.or.jp [118.243.116.174]) by www1.inetd.co.jp (8.13.8/3.7W09101512) with ESMTP id n9GL09aJ097837 for <thomas@fugenji.org>; Sat, 17 Oct 2009 06:00:09 +0900 (JST) Received: from ryu by vulture.run.sh with local (Exim 4.69) (envelope-from <ryu@run.sh>) id 1MytuA-0000Ix-6G; Sat, 17 Oct 2009 06:00:06 +0900
(傍線:by Thomas)
あのさぁ……IP spoofing も知らない奴が mail bomb なんて百年早いっつーの。自分の分を弁えろっての。まさに裸の王様である。
僕のツレである U は、洗礼を受ける際の要理教育を、イタリアに本部のある某修道会のシスターから受けた。僕もそのシスターと話をする機会が多くあり、パソコンの不具合などの相談にのることもあり、聖書の分かち合い(皆で聖書の一節を読み、そこから想起される信仰の視点からの心象に関して話し合い、分かち合う)などでその修道会に出入りすることも多くなった。
金曜の夕刻。僕と U は CBC の周辺をうろうろしていた。どこの放送局でもそうだけど、通常は、一般人の集まるイベントを局内で開催することはまずありえない。そういう用途のために、「放送センター」などと称する別棟の施設……ホールと、中小規模の集まりを行なうための、丁度大学の講義室のような部屋をまとめたもの……があって、通常はそちらに行くことになる。しかし、CBC の放送センターで守衛の人に聞いてみると、局の横の入口から入ってくれ、と言う。U は、ほら自分の言った通りじゃないか、と、機嫌を悪くした顔で僕の前を足早に局の方に急いだ。
局の入口で、名前と用向きを書いて、出入り記録用の札を持たされる。こんなにしてまで入るのか……と思いつつ、エレベーターに向かって歩いていると、後ろから年配の女性が小走りで追いついてきた。話してみると、名古屋日伊協会の会員で、今回のイベントに参加するために来たのだ、と言う。僕と U は、今回の講師のシスターに誘われたのだ……などと話していると、エレベーターが会場のある階に止まった。
ふーん。結構オープンな雰囲気なのか?と思いつつ、僕と U も受付を済ませようと、その年配の男性のところに行き、「あの、今回の講師のシスターに呼ばれたのですが」と声をかけると、そのにこやかな表情がコロリと変わる。はは〜ん。愛知県特有の「仲間内にはオープンに、余所者には閉鎖的に」ってやつだな、と思いつつも、事情を説明すると、U の方はシスターが予約を入れてくれていたらしいのだが、僕の方の予約は入っていない。人数が多少オーバーしても問題はない、と話を聞いてきたので、その旨説明すると、しかめつらしたこの年配の男性、こうのたもうた。
結局、僕と U だけのためのようなかたちで講義は終わり、最後に質問の時間になったわけだが、後ろの方で手を上げた男性がいる。この男性、
「その椅子の乗った箱は the Lost Ark なんですか?」
はぁ?と僕も一瞬考えたけれど、ああ、あれが聖櫃なのか、と聞いているつもりなんだな、と分かった。そりゃ、上に椅子が付いてて被ぎ棒が伸びてて、モーゼと一緒に登場していたら、それはどう見ても聖櫃だろう。聞く程のこともない話だ。それに、聖櫃を英語で言うにしても ark と言えばいいだけのこと。せめて言うなら Ark of the Law とかさ。おそらく『レイダース』でも観たのだろうが、邦題にもちゃんとこの部分を訳した副題が添えられていたではないか:「失われた聖櫃」と。