OCR for Linux

先日 (1) を書いたザウアーブルッフ(ザウエルブルッフ)の件を書き続けるために、いくつか資料を用意していた。ほとんどは英語で書かれた医学史専攻の研究者による論文なのだけど、ザウアーブルッフの伝記として世に出ているもので数少ない日本語の文献がふたつあって、そのうちのひとつがこれである:

『危ない医者たち』: ロバート・ヤングソン,イアン・ショット 著,北村 美都穂 訳,青土社 ,1997.

しかし、この本の訳がもうひどいったらない。訳者の北村氏は既に鬼籍に入られているとのことだが、イギリス人の英語を日本語にし切れていないのが見え見えのひどい文章である。あまりにひどいので、ロンドンの Robinson 社から出ている原著 "Medical Blunders" のペーパーバックを取り寄せていたのだが、先日ようやく送られてきた。

ザウアーブルッフに関する記述はだいたい14ページ位の量なのだけど、僕は医学系の研究者ではないので、たとえば "oesophagus"(食道 esophagus)なんて単語が出てくると、さすがに首を捻ることになる。こういうときには、Emacs 上で英語の文章をテキストとして開いて書き換えるように訳して、不明な単語は sdic + 英辞郎で確認する、という作業をすると間違いが少なくていいのだけど、そうなると、このペーパーバックの文章を電子化する作業が必要になってくるわけだ。

14ページだから、本気でやっていれば手で打ち込めない量ではない。しかし、さすがにこれは楽をしたいところだ……しかし、これだけのために全ページをスキャンして OCR にかけるというのも面倒な話である。それに手元にはフラットヘッドスキャナ(後記:これは間違い。フラットッドスキャナ Flatbed Scanner が正しい)があるだけなので……うーん、どうしようか、と考えたのだった。

実は、フリーの OCR ソフトがないわけでもない。日本語の場合は、もう公開されていないけれど、かつては SmartOCR Lite Edition というのがあって、これは結構皆さん重宝されていたようだ。まあ、スキャンの手間もあるし、日本語で OCR が必要になるなら、外部業者にスキャン依頼した方が楽かもしれない。

では英語の場合は、というと、これが Linux で動くフリーのものが複数種存在する。今回は GNU Ocrad で作業を行うことにする。

まず、14ページの文書をスキャナで読み込み、pbm,pgm,ppm,pnm のいずれかの形式でセーブしておいて、

ocrad -F utf8 foo.pgm > foo.txt
などとすれば良い。標準出力に出てくるので、シェルスクリプトなどで大量のファイルを処理することも容易である。

で、さっそく変換してみると……うーん。変換精度が今一つ、という感じである。ペーパーバックなので紙質が悪くて画像にノイズが多いというのもあるのだけど、辞書チェックをがっつりかけているわけでもないようなので、それが大きいかもしれない。まあ、とりあえず全て電子化する作業を終えたけれど、校正するのがこれから一苦労、ということになりそうなので、ABBYY FineReader Engine CLI for Linux の trial version をこれから試してみようか、と思案中である。

聖書朗読が大切な理由

先週末は、3日連続で教会に行っていた。というのも、24日はクリスマス・イブのミサ、25日はクリスマスのミサ、そして26日が主日のミサ(いわゆる日曜礼拝というやつ)だったからだが、どうも最近、ミサに行く度にイラっとさせられることが多くて参る。

そのひとつが、ミサ中の聖書朗読がいい加減に行われていることである。どのように「いい加減」なのか、というのは、よくあるパターンそのままで、

  • 読み間違いが多い
  • 速過ぎる
  • さも感情移入している風を装ったあざとい読み方
というようなものなのだけど、受洗して何十年も経っていそうな人々までこの体たらくなのだから、お寒い限りである。

こういう人々は、おそらくミサ中になぜ聖書朗読が行われるのか、その理由が分かっていないのだろうと思う。それを知っていたら、とてもじゃないけれど、こんな読み方はできっこないのだ。聖書朗読がなぜ大切なのか、というのは、初期キリスト教の様相というものを思いやれば簡単に理解できる。

初期キリスト教というものの維持・伝播には、実は不思議な特徴がある。当時の社会において、かなりの割合の人が文盲であったにもかかわらず、キリスト教が聖書や書簡などの「文書」によって伝播し、維持された、という点である。キリスト教が「ことば」にいかに重きをおいていたのか、というのは、たとえば「ヨハネによる福音書」の冒頭部をみればよく分かる:

初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。−−ヨハネ 1:1−5

この「言(ことば)」というのは、ギリシャ語では λόγος (ロゴス)、ラテン語では verbum (ウェルブム)と記されるが、このロゴスというのは、特に理知的・論理的な「言葉」を指す語である。つまり、神は理知的・論理的な言葉そのものである、と、上引用部は記しているわけで、これは神とその発した言葉の関係を神とキリストのそれになぞらえていて、しかも言葉と神が同一であると書いていることから、三位一体という概念に大きな影響を与えた記述とされている。やがてロゴスという言葉はキリストを指す語として使われるようになるのだが、これ程までに、キリスト教においては、言葉とその背景に湛えられた論理が重いものとして扱われているのである。

しかし、だ。我々は、キリスト教の成立当初において、それが社会的弱者のものであった事実を思いやらなければならない。彼らは充分な教育を受けることなど到底できなかったはずで、文字の読み書きなどできる者は極めて少数だったはずである。なにせ、聖書の中にも:

議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。−−使徒言行録 4:13
と書かれている。この時代、無学という言葉は暗に文盲を指すものだったので、十二使徒の代表メンバーであったペトロとヨハネですら文盲であったことが、ここから推測されるのである。

しかし、この時期に、パウロは夥しい数の書簡を各教会に送っている。そしてその中に、その書簡を読み聞かせるように書いているのである。

この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。また、ラオディキアから回って来る手紙を、あなたがたも読んでください。−−コロサイ 4:16
この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるように、わたしは主によって強く命じます。−−1テサロニケ 5:27
このような記述が何を意味しているのか。答は簡単で、各共同体にほんの一握りだけ存在した文字の読める人が、このような手紙を音読し、皆に聞かせる役目を負っていたのである。その人は、自分の言葉としてではなく、パウロの言葉としてそれを読み、文字の読めない信者達はその内容を自分のものにすることができたのである。

これは聖書においても同様である。

ところで、信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。遣わされないで、どうして宣べ伝えることができよう。「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書いてあるとおりです。−−ローマ 10:14−15
ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか。目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか。あなたがたに一つだけ確かめたい。あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。あなたがたは、それほど物分かりが悪く、“霊”によって始めたのに、肉によって仕上げようとするのですか。あれほどのことを体験したのは、無駄だったのですか。無駄であったはずはないでしょうに……。あなたがたに“霊”を授け、また、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさるのでしょうか。それとも、あなたがたが福音を聞いて信じたからですか。それは、「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」と言われているとおりです。−−ガラテヤ 3:1−6
福音伝道が「読み聞かせ」たものを会衆が「聞く」ことによってなされていたのは、これらからも明らかである。つまり、聖書の使徒書や書簡、あるいは聖書の他の箇所を「読み聞かせ」るという行為が、教会成立当初からの、福音を分かちあう上での最も基本的で、最も重要な行為だ、ということも、やはり明らかなことなのである。

どうも最近、こういうことを何も考えずに聖書をただ読んでいる……いや、聖書すらチェックせずに、典礼用のパンフレットの引用箇所を、音読練習もせずにぶっつけで読んで、つっかえつっかえ無様に読んだり、はなはだしきに至っては、書いてもいないことを頭の中で勝手に補填して読んでいるような人が多数派になりつつあるのは、このような事実に目をやったことのある者からすると、もう苦痛で苦痛でたまらないのである。

クリスマスを迎える前に

今夜はクリスマス・イブである。まあ世間は相変わらずいつも通りの混乱具合である。

そもそも、なぜ日本では12月24日をこうも騒ごうとするのだろうか。しかも、クリスマス・ディナーにホテルなんて、生まれたときからカトリックの文化圏内にいる僕から見たらもう気違い沙汰だと思えて仕方ない。クリスマスというのは、家族で穏やかに過ごすものなので、クリスマス・ディナーにホテルなんて、何から何までアンビリーバブルである。

おまけに、なんでクリスマスにはチキン、なんて妙なルールが制定されたんだろう?確かにアメリカ人はクリスマスに家族皆で鳥のローストを食べることが結構あると思うけど、あれぁ七面鳥でしょう?それに、七面鳥を食べるのはアメリカ大陸に移民した人々の文化なのであって、あれはあくまで「アメリカ人の」クリスマスのスタイルじゃないか。それをそのまま真似するならいざ知らず、七面鳥が手に入りづらいのか、大きすぎて持て余すのか知らないけれど、所詮は代替物である鶏にああもこだわるのはどうしてなの?僕にはあのエネルギーがてんで理解できませんよ。

……と書き連ねて毒を吐いたけれど、まあこれを言い出したらキリがない。そもそも、12月25日にクリスマスを祝うようになったのは、これはもともとはミトラ教における「ナタリス・インウィクティ」が起源だという説が有力である。それに、聖書のどこをひっくり返しても、キリスト降誕が何月何日なのか、というのは見つけることはできない。

こういう事情があるから、たとえば「エホバの証人」の人々(強調しておくけれど、カトリックをはじめとするキリスト教諸派は彼らを異端としているし、僕も彼らをクリスチャンと呼ぶ気にはなれない)はこのようなクリスマスを否定する。また、ヨーロッパでは、いわゆるサンタクロースのモデルとされる聖ニコラウスの祝日を、クリスマスとは別に祝うところも多い。

まあでも、カトリックなんかはかなりおおらかなものである。「聖書にはどこにも書いてありませんねえ……でも、年に一度お祝いして、主の降誕に想いを馳せる……それでいいんじゃないですかね」まあ、どんな聖職者に聞いても、おそらくこんな返事が返ってくるに違いない。

ちなみに、我らが FUGENJI.ORG のオーナーである O は僧侶だけど、学生時代に僕が、

「クリスマスってどうするの?」

と聞いたら、

「ん?(ニヤ)ケーキは食うで、当たり前や」

もちろん灌仏会も祝うのだという。まあ、家族でケーキを食べて楽しく過ごす、というのは、カトリック的には大いに結構なことだと思うし、まあカトリックも仏教も、そんなに狭量じゃないのでね。というわけで……皆さん、クリスマスおめでとうございます。

姑息と言えば……

まあこの言葉に限らないのだけど、僕が日常会話で使う term には、どうも世間一般であまり通りがよろしくないものが混じっているらしい。僕は書き言葉にかなり近い言葉で話すのが日常習慣であって、要するに僕の書き言葉が「カタい」から、らしいのだが。まあ、僕にとってはカタかろうが柔らかかろうがどうでもいいのだけど、通じないとなるとこれは問題である。

そう言えば、2ちゃんねる用語で「ふいんき」という term がある。正確には、

「ふいんき(←なぜか変換できない)」
と書いた輩がいるらしい……もちろんこれが「雰囲気(ふんいき)」の誤用であることは言うまでもないのだが、まあこれは都市伝説のようなものだ、と僕は思っていた。

しかし、先日、ある人物のブログに目をやったところが「いちよう」と書かれているので「???」となったのだった。これだけだと分かりにくいかもしれないので、最小部分を引用すると、

いちよう考えてはありますが…
これを見て、最初の1、2分考えた。もちろん「一様」の意味ではなさそうだ。しかし……いやしかし……考えた末、これはどう見ても「一応(いちおう)」の誤用である、と結論付けざるを得なかった。「一応」を「いちよう」と読む輩が実在する(しかも僕の知り合いの中に!信じ難いけど!)ということは、「雰囲気」を「ふいんき」と読み書きする輩がいたって、おかしくはないのかもしれない。いやはや。日本の教育水準ってこんなものなのか?

さて。僕の話に戻ろう。前回の僕の書いた文章の中に「姑息的」という term が出てきたのにお気付きの方もおられるかと思う。僕はしばしばこの言葉を使うのだけど、どうも世間ではこの言葉は「一般的ではない」らしいのだ。

僕としての言い分はこうだ。「姑息」の意味なんて、小学生……は知らないかもしれないけれど、大人で日本人だったら知っていたってよさそうなものだ。「姑息」が「その場しのぎ」の意味だ、というのは、これはコモンセンスなんじゃないの?……ところが、これを言うと、おそらく100人のうち97、8人は「いや違う」と言う。「『姑息』って悪い言葉じゃないか!」と糾弾されるのだ。

まあ、悪い意味がないわけではない。goo 辞書における「姑息」の意味解説にリンクしておくけれど、「姑息」というのは、僕が上に書いた通りの意味なのだ。「姑息的」というのは、よく医者が使う表現で「姑息的治療」という言い方をすることが多い。これはまさに「その場をしのぐための治療」という意味で、たとえば、末期の食道がん患者に食べ物が通るような手術をする、なんてのが一例に挙げられるだろう。

しかし(医者はこの言葉が誤解されやすいことをよく知っていて同業者以外にこの言葉を使わないことが多いのだけど)、医者が「姑息的治療」というときには、必ずしも悪い意味で使っているとは限らない。医者はいわゆる「対症療法」の意味でこの言葉を使うことがしばしばあるのだ。それはWikipedia 日本語版における「姑息的治療」のエントリを見ても明らかであろう。

僕としては、「『ふいんき』とか『いちよう』とかしれーっと使ってるような奴らに俺の日本語をどうのこうの言われたかぁねぇや」というのが本音なのだけど、まあものを知らん奴に限って、世界は自分の見える部分だけに存在していると信じて疑わないから始末が悪い。ああ、ここ読んで「始末が悪い」の意味が分からない、とか言われそうで、なんだか厭になってきたな。「始末が悪い」というのはね、「扱いに困る」という意味ですよ。ええ。いや、本当、始末が悪いのである。

なぜ「姑息」という言葉にこれ程までに皆悪いイメージを喚起されるのか、朝になってから考えていたのだけれど、ひょっとして「小癪」の意味が混じり込んでいたりするのだろうか?

痛む傷に触れないことの残酷さ

中国、また合意の「障壁」=朝鮮半島情勢で一致できず−安保理

【ニューヨーク時事】国連安全保障理事会は19日、朝鮮半島情勢の悪化を食い止めるため、国際社会の一致した声を上げようと努めたが、交渉は事実上決裂した。北朝鮮非難を断固受け入れない中国が再び合意の「障壁」となり、安保理には無力感すら漂っている。

安保理議長国・米国のライス国連大使は閉会後、「大多数の国が砲撃事件をはっきり非難することが重要だという立場だ」と指摘し、中国のかたくなな反対があったことをうかがわせた。会合開催を要請したロシアは、北朝鮮問題でしばしば中国と足並みをそろえるが、今回は日米などに譲歩。ロシアのチュルキン大使は「われわれにできることはやった」と無念さをにじませた。

砲撃事件が起きた11月23日以降、日米は安保理の対応を検討したが、中国は「北朝鮮を刺激すべきではない」との姿勢を堅持した。北朝鮮で発覚した新たなウラン濃縮施設をめぐっても、日米などは既存の決議違反だとして、非難声明の発表に向け動いた。しかし、安保理筋によれば、中国はここでも「施設を見たのは米科学者だけだ」などと、当初から後ろ向きの態度を取り続けた。

安保理は2006年と09年に北朝鮮が行った核実験を受け、制裁決議を2本採択した。それ以降も禁輸品が北朝鮮に流入する中、「中国の制裁履行の不徹底が最大の課題」(安保理筋)とされている。圧倒的な力を誇る常任理事国・中国の説得は容易ではなく、安保理は北朝鮮問題で行動を大きく制約されている。

(2010/12/20-14:38,時事通信社 元記事リンク

毎度の話ではあるが、緊急招集された国連安全保障理事会において、中国側の強硬な主張によって、国連の北朝鮮非難は実現しなかった。

昔の東西対立の構図が頭に沁み付いている人は、旧東側の国が北朝鮮を擁護した、と思われるのかもしれない。しかし、上引用記事を御一読いただけるとお分かりかと思うが、今回のこの安保理事会はロシアの要請によって緊急招集されたのである。ここには、もはや昔の東西問題の構図は存在しない。

中国が北朝鮮を擁護する理由は大きく分けてふたつある。ひとつは、自国と日本・韓国・米国との間に、非自由主義の国家を挟むことによるミリタリーバランスの維持。そしてもうひとつは、北朝鮮国家が瓦解したときに予想される、北朝鮮=中国国境からの大量の難民流入への懸念である。先頃、あの WikiLeaks の流出文書の中で、中国が非公式に、北朝鮮瓦解時には30万人程度までなら難民を抱えてもよい、とコメントした内容が暴露されているが、この経済発展の最中に大量の難民を抱える危険を、おそらく中国は最も恐れているのだろうと思われる。

しかしながら、中国は、北朝鮮が遅かれ早かれ瓦解する運命にあるという事実に対する対応を明確に見せてはいない。まあ早い話が、中国にしてみれば、北朝鮮という国の存在は、丁度、化膿した小さな傷があるようなものなのだろう。今すぐに命がどうの、という話ではない。しかし、このまま放置しておいたら、痛むし膿は出るし、あるいは発熱するかもしれない。でも、どうしても処置しなければならないようになるまでは、それがあることからせめて目を反らして、まるでそれが存在しないかのように振る舞っていればいい。そういう態度なのだろう、と、見てとれるわけだ。

しかし、この化膿した小さな傷は、決しておとなしく身を潜めていてくれるわけではない。先に書いたように、痛みも膿も確実に存在するし、そこが熱を帯びてくることもある。四六時中、恫喝的な放送を流しているし、時々巡洋艦を沈めたり、ロケット弾を撃ち込んだり、色々とやらかしてくれる。内部の権力移譲に伴うゴタゴタが吹き出して、今後の国家運営すら覚束ないのだ。

確実に破綻を来す隣人に、姑息的な友情を示している風を装って、他の人々には、まるで傷に風が当たるのが悪いのだと言わんばかりに「刺激するな」の一点張り。そんな存在に、一体どれ程の誠実さがあるというのだろうか。僕には、誠実さなぞそこに欠片程も存在しないとしか思えない。隣人のために被害を被る他の存在にも、隣人にも、確実にその被害は及ぶのだ。そして何より自らが、安易な姑息的平衡が都合良く続いてくれると思い込み続けたツケを、いずれは払わなければならない。それは決して安くつくものではないはずだ。自分にすらこれ程に、不実なことがあるだろうか。

日常生活においても、しばしばこういうパターンのことが起こり得る。特定のことをどうこう言うつもりはないけれど、傷を抱えた隣人の八つ当たりだけならまだしも、その隣人を律すべき人の姑息的な安寧のために、干渉される側の身にもなってほしいものだ。本当に、姑息で、不実で、そして卑怯なことではないか。

ザウアーブルッフについて (1)

先日、レーシック手術を行っていた眼科医院で、器具をオートクレーブで消毒しなかったために、何人かの患者が深刻な細菌性角膜炎を罹患した、というニュースが流れた。

銀座眼科の元院長逮捕=滅菌処理せず感染拡大−レーシック手術の角膜炎・警視庁

東京都中央区の「銀座眼科」(閉鎖)で視力矯正のレーシック手術を受けた患者が細菌性角膜炎に感染した事件で、警視庁捜査1課は7日、業務上過失傷害容疑で、元院長で医師の溝口朝雄容疑者(49)=茨城県日立市神峰町=を逮捕した。

同課によると、同手術をめぐる医療関係者の逮捕は初めて。同容疑者は「今は何も言えない」と話しており、ずさんな衛生管理による感染拡大の実態を解明する。

逮捕容疑は2008年9月から昨年1月の間、十分に滅菌されていない機器を使ってレーシック手術をし、都内や神奈川県の20〜40代の男女5人に不正乱視などの後遺症を伴う全治不明の細菌性角膜炎を負わせた疑い。

同課によると、この間に角膜炎に感染した患者は七十数人に上る。

同容疑者は手術1回ごとに、器具を高温・高圧で滅菌する必要性を認識しながら漫然と手術を繰り返し、感染を拡大させたとみられる。手袋やマスク、手術帽を着用しない場合もあった。

同課は、角膜炎を発症した複数の患者と、同眼科で手術に使われた吸引機から、同じDNA型の細菌を検出。同眼科が感染源と特定した。

捜査関係者らによると、同眼科では07年に患者が角膜炎を発症。同容疑者は06年8月の開院以来、滅菌用機械を1回も点検していなかった。昨年1月に機械を交換後、感染被害はなくなった。

同眼科をめぐっては、中央区保健所が昨年2月に立ち入り調査し、75人が角膜炎などを発症したと発表。弁護団は1億円以上の損害賠償を求めて提訴し、被害者12人が同庁築地署に告訴した。

(2010/12/07-12:53、時事通信社、元記事リンク

このようなニュースを耳目にする度に、ある一人の医師の名前を思い出さずにいられない。その名は、フェルディナント・ザウアーブルッフ Ferdinand Sauerbruch という。

ザウアーブルッフのことは、今までも何度か自分の blog に書いたことがあるのだけど、今に至るまで、日本語でザウアーブルッフに関して詳細に記したものが Internet 上には存在していない(Wikipedia 日本語版にもエントリーは存在しない)。これはおそらく、医師は一度は名前を聞くであろうけれど、現在の医学を学ぶ上での重要性が然程高くなく、そして一般人には名を聞く機会がまずないからだろうと思う。だから、僕のような門外漢であっても、この人物のことについて少しく書いておくことは、少しは世の役に立つだろうと思い、ここでふれておくことにする。なお、この人の名は以前から「ザウエルブルッフ」と記されることが多かったのだけど、現在のドイツ語の発音に近いであろう「ザウアーブルッフ」で以下の記述は統一する。

フェルディナント・ザウアーブルッフは、1875年にドイツのバーメン(現 ヴッパータール)で生まれた。フィリップ大学マールブルクで医学を専攻し、卒業後はフリードリヒ・シラー大学イェーナを経て、1902年にライブチヒ大学で学位を得、翌年にブレスラウ(現 ポーランド・ヴロツワフ)に移った。

若き外科医であったザウアーブルッフが、新しい手術の確立に野心的に取り組もうとしていたことは想像に難くない。ブレスラウ大学では、テオドール・ビルロート(ビルロート法、というのをお聞きになられたことのある方も多いと思うが、胃の切除術・吻合術を確立した人物である)の弟子であるヨハン・フォン・ミクリッツ=ラデッキー(ミクリッツの父系はポーランドであり、彼の名もイアン・ミクリッツ=ラデッキーと書くべきなのだが、慣習に従ってドイツ語読みにする)が教鞭を執っており、ザウアーブルッフはこのミクリッツに師事することになる。

ミクリッツはビルロートと共に消化器外科の研究に従事した後、甲状腺外科の分野を開拓したことで知られ、自己免疫疾患である「ミクリッツ病」にその名を遺している。このミクリッツの下で、ザウアーブルッフは、当時まだ開拓されていなかった胸部外科手術の研究に従事した。

胸部に関わるものとして問題になることが多いのが、心臓、食道、そして肺の疾患である。特にがんに関しては、ビルロートが胃に対して行ったような外科的切除の効果が期待されたわけだが、これには大きな技術的課題があった。胸を開けると、肺が潰れてしまうのである(これを肺虚脱と称する)。

肺を中心とした呼吸器の構成を、Wikipedia 日本語版のエントリ「呼吸器」から引用する:

呼吸器の構成:胸腔・肺・横隔膜

上図中の肺は、胸腔と呼ばれる閉鎖空間内に存在する。胸腔の底になっているのが、横隔膜と呼ばれる筋肉の膜で、これを上下することで、胸腔内の圧力を上げ下げし、肺を伸縮させることで、生物は呼吸できるのである。この図では今一つピンとこない、という方のために、模式的に示した図を以下に示す:

呼吸器の模式図1

上図の筒状のものが呼吸器だと思っていただきたい。緑の管が気管、ピンクの袋が肺、ピストンが横隔膜である。横隔膜を下げる = ピストンを引くと、胸腔の容積が増大するので、圧力の平衡を保つために、気管から肺に空気が入り、肺は膨らむ。横隔膜を上げる = ピストンを押すと、胸腔の容積が小さくなるので、圧力の平衡を保つために、肺から気管に空気が出て行き、肺は萎む。このような原理で、肺の中の空気が出し入れされて、呼吸が行われるのである。

もし胸腔が外界と通じたらどうなるのか。それを模式的に以下の図に示す:

呼吸器の模式図2……気胸

胸腔が外界と通じると、気管や肺を通らなくても、空気は胸腔の開放部から自由に出入りできることになる。そうなると、横隔膜を上下させても、肺が伸縮することなく、胸腔は開放部を通して外界との間で空気が出入りするだけ、ということになる。つまり、何の対策もないままに胸腔が外界と通じることは、肺が潰れて、呼吸ができなくなってしまう、ということである。このような状態を気胸という。

余談だが、病として起きる気胸は、多くの場合、肺や胸膜直下に生じた嚢胞が潰れることによって、肺の中にある空気が胸腔内に漏れ出ることで起きる。その状態を以下の図に示す。

呼吸器の模式図3……自然気胸

このような、外的傷害ではない原因で起きる気胸を自然気胸という。皆さんの身近にも自然気胸を患った方がおられるかもしれないが、その方の肺にはこのような状態が生じていたわけだ。

このように、胸部の外科手術においては、肺を潰さないような状態を維持する対策が必要になる。この対策としてザウアーブルッフが考えたのが、肺の周辺を大気圧よりわずかに低い圧力下に保持すればよい、ということだった。その概念を以下の図に示す。

呼吸器の模式図4……ザウアーブルッフ室の概念

胸腔が外界と通じている患者の肺の近傍を、閉鎖したチャンバー内に収容して、その内部の圧力をわずかに下げる。そうすると、閉鎖された胸腔で横隔膜が下がったのと同じ状態になって、肺の中に空気が流入し、肺が膨張する。この状態で手術を行えば、肺が潰れずに済む、と考えたわけだ。

ザウアーブルッフは、まず犬の胸部だけを収納できるグローブボックス(名前の通り、手袋の付いた箱で、気密の守られた箱の内部を手袋越しに外部から操作できるようになっている)のようなものを作り、そこに犬を入れ、箱に腕を突っ込んで手術実験を行ったらしい。[1] 犬は首から上と、胴から下は箱の外に出ている状態なので、胸腔の部分だけ圧力が低くなり、肺は膨張したままの状態になるわけだ。この実験に成功すると、次は人が入れる程の大きさの箱(と言うよりはもはや部屋だけど)を作った。箱の内部で、執刀者は座った状態で手術に集中できるようになっていて、箱の内部は外部よりも 10 mm Hg だけ低い圧力が維持されるようになっていた、という。

かくして、人の肺を手術する準備をザウアーブルッフは整えた。彼の考案した「低圧室」がどのようなものだったかを以下に示す:[1]

ザウアーブルッフ室1

小屋のような手術室の壁の穴から患者の首を出し、下半身を外に一端の通じたゴム引きの袋で覆う。穴や袋と人体の間にはゴムのパッキンがあって、空気が容易にそこから漏れないようになっている。この状態で、室内を外部より低い圧力にする(おそらく、継続的にポンプで脱気していたのだろう)。患者の胸部と腕だけが低圧下に置かれ、医師や助手はこの室内で開胸手術を行うのである。術中の外との出入りのために、エアロック付きの副室(下図)も設置されている。[1]

ザウアーブルッフ室2

この低圧室を用いても、設定いかんによって手術はうまくいかないこともあったらしい。[2] ザウアーブルッフ自身も初期の実験において患者を死なせたことがあり、落胆して自室で涙に暮れていたところを、恩師であるヨハン・フォン・ミクリッツ=ラデッキーはこう励ましたのだ、という。

「われわれは生命なき物体の気紛れが、われわれから勝利の果実を奪うにまかせるわけにはいかない」[3]

この激励に励まされ研究を続けたザウアーブルッフは、1904年に、低圧室を用いた胸腔内手術法を発表する。この手法は革命的なものとして受け入れられ、欧米の各地にはザウアーブルッフ法に用いるための低圧室が設置された。その中でも最大のものは、ニューヨークのロックフェラー医学研究センター(現 ロックフェラー大学)に1909年に設置されたもので、その容積は1000立法フィートあり、患者、医師、助手、見学者、低圧室の内圧を管理するエンジニア、そして麻酔医2人を含めた計17人を収容でき、しかも麻酔医は、低圧室内の患者の頭部近くに設置された「高圧チャンバー」(大気圧と同じ圧力に設定された副室)に入るようになっていた、という。[1] 日本においても、1900年代初頭にザウアーブルッフの在籍したブレスラウ大学に留学していた尾見薫氏が、帰国後、自らの病院にザウアーブルッフの低圧室を導入している。[4]

……と、ここまでを読むと、外科手術におけるエポックメイキングな業績だ、と思われるかもしれない。しかし、冷静になると、いくつか引っかかることがないだろうか?

まず、先程から「肺を膨張させる」という言い方を何度もしているけれど、肺が膨張していればそれでいいのだろうか?たしかに、肺はそれを構成する肺胞が空気と触れ合っていなければ、ガス交換、つまり呼吸ができないわけだけれど、「呼吸」という語が示すように、通常の呼吸は「吸って」「吐いて」行われるのである。ただ膨らんだだけでは、やはり呼吸は成り立たないのではないのか。これが第一の疑問である。

原理的には、「低圧室」の圧力を、ピストン等を用いて周期的に上下させてやれば、周期的に肺は伸縮するわけで、これで一種の人工呼吸が行えないこともなさそうである。しかし、ザウアーブルッフの手法を調べる限り、そのような「物理的なガス交換」に対するケアが行われていたような記述は、どこにもみとめることはない。

しかも、患者の首から先を大気圧として、それ以外の部分を陰圧下に保持して肺を伸縮させる、というアイディアは、実はザウアーブルッフのオリジナルではない。1838年に出版された論文の中で、スコットランドの医師ジョン・ダルジール John Dalziel は、自身が1832年に、溺れた人の救命目的で、患者を首だけ外界に出した状態で閉鎖空間に収納し、その空間を手押しポンプで減圧して肺に空気を送り込む人工呼吸器を作製・使用したことを報告している。このようなアイディアはやがて「鉄の肺」(ポリオで麻痺症状が出た人の呼吸管理に用いられた)に至るわけだが、その最初期のものと思われる、1864年にアメリカ・ケンタッキー州の Alfred E. Johnes が出願した特許中の図を以下に示す:[5]

最初期の「鉄の肺」

僕はザウアーブルッフが「肺を膨らませる」ことを重視した理由は、実は呼吸のためというよりも、肺に対するアプローチをし易くするためなのではないか、と疑っている。肺が縮んでいる状態より、膨張している状態の方が手術はしやすいと考えられるので、この「低圧室」は、患者の生命や QoL を重視したものではなく、メッサーとしての手技を活かすことの方を重視した結果だとも考えられる。そもそも、肺の膨張が肺手術に不可欠な要素なのか、ということを考えるとき、太平洋戦争が終わるまでの日本における肺手術、特に肺結核に対する病巣切除のことに目をやると、実は必ずしもそうでないことが分かる。京都府立医科大学麻酔科教室のサイトで、医師の藤田俊夫氏によるこの時代の様子の記録を読むことができる[6]が、そこには:

大正初期より進歩的な外科教室ではエーテル、クロロホルム開放点滴から、全身麻酔器による吸入麻酔下に手術を始めた。東北大関口蕃樹教授は、開胸時には肺虚脱を防ぐため気管内に加圧しなければならないと主張した。これに対して京大鳥潟隆三教授は「過圧(加圧)は無用かつ有害である」と反対した。大正から昭和の初にかけて "異圧開胸 vs.平圧開胸" の大論争は日本外科学会を揺るがせたのであるが、昭和13年(1938)鳥潟が京都で開催した第39回日外総会で大勢は決した。阪大小沢凱夫教授は宿題報告で「平圧開胸下に肺切除する事は決して恐るべきものではない」「局麻でよい、全麻は要らない」と結論した。 局麻 + モルヒン筋注は安価である。戦争に突入した日本では、もはや全麻の研究をする余裕はなくなった。

平成5年(1993)第13回日本臨床麻酔学会総会(彦根)で、私と松木明知教授が司会した「麻酔科学史のシンポジウム」において稲本 晃京大名誉教授は、「鳥潟教授の主張は誤りであった。 あの論争が日本の麻酔科学の発展を妨げた」と述べた。

戦前・戦中・戦後には大勢の人達が肺結核で死んだ。昭和25年(1950)まで死因の第一位は結核である。(厚生省「人口動態統計」) 結核撲滅は日本政府と国民の悲願であった。日本人の平均寿命が50歳を越したのは、漸く戦後の事である。肺結核病巣を外科的に取り除く「肺切」は、鳥潟らの主張に基き局麻でなされた。

とある。それが適切かどうかは別として、戦前の日本においては、ここに書かれている加圧(後述)や減圧などの処置をすることなく、開胸手術が行われていたのである。この様子は、たとえば遠藤周作の『海と毒薬』などを読んでみても明らかなことである。

そして第二の疑問である。そもそも、肺を膨張させるためには、肺近傍を減圧しなければならないのだろうか?肺の膨張はあくまで内外の相対的圧力差で決まるのだから、肺の近傍を減圧するのではなく、肺の内部を加圧すれば用は足りるのではないか?

呼吸器の模式図5……気管挿管法の概念

上図に示すのは、皆さんも一度位は耳目にされたことがあるであろう「気管内挿管」の概念図である。気管内に挿管したり、あるいは漏れの少ないマスクなどを経由して、気管に大気を吹き込み、直接肺を(陽圧で)膨らませれば、開胸手術における問題は簡単に解決することになる。

ザウアーブルッフの時代は戦争が多かったから、これは重要な問題だ。低圧室を持ち歩くというのはどう考えても非現実的だけど、気管内挿管であれば、これは管と挿管用の簡便な器具、それに訓練を積んだ医療技術者(たとえば衛生兵とか、現代であれば救命救急士とか)が居れば、極端な話、ベッドがなくたって可能である。

気管内挿管の技術が確立されたのが新しい時代だから、この当時にはそういう医療措置ができなかったのか、というと、実はそうではない。肺に空気を出し入れすることを呼吸と認識した起源は、文献で遡ると、なんと1543年に出た『ファブリカ』("De HumaniCorporis Fabrica" (人体の構造)、16世紀の医師・解剖学者であるアンドレアス・ヴェサリウス Andreas Vesalius の大著として知られる)にまで行き着く。ヴェサリウスは、豚の肺が伸縮することで呼吸が成されることを示しているし、同時代のパラケルススは、死にかけた人の肺にふいごで空気を送り込んで蘇生を試みた。次の世紀に移った1667年、ロバート・フックは胸腔を完全に開放したイヌで人工呼吸が可能なことを示した。これらの歴史的事実をみても、肺に強制的に空気を出し入れするというアイディアは極めて古いものであるといえる。[1] また、ザウアーブルッフ以前の1890年代に、ジフテリア患者の気道確保のために咽頭に金属管を挿入する技術が、アメリカの医師ジョセフ・オドワイヤー Joseph O'Dwyer によって確立されていることも考えると、ザウアーブルッフが挿管による気道確保に関して全く無知だったとは考えられない。[7]

参考文献[1] の著者であるコムロー Comroe は、生物学と医学の間の交流が近代まであまり盛んでなかったことが、このような「古典的な生物学的知見」と医学とを隔ててしまったのだろう、と書いているのだが、それだけで片がつく問題だとも思えない。あえてザウアーブルッフに好意的な解釈を試みるならば、溺れた人などを蘇生するために肺に空気を吹き込む処置を行った際に、しばしば(吹き込み過ぎが原因で)肺に損傷を生じ、そこから漏れた空気のために緊張性気胸を生じることがあったために、肺に陽圧を加えるのは危険だ、というコモンセンスがあったのではないか……と、言えないこともないだろう。

しかし、このザウアーブルッフの「奇妙な」低圧室の概念とその普及、そしてそれに遮られたかのように気管内挿管による陽圧換気が一般化しなかったことの理由として一番大きかったであろうものは、おそらくは、それがザウアーブルッフによってなされたことだったから、というものだったのではなかろうか。彼が従来不可能とされた手術を可能とする術式を開発したのは事実である。しかしその前後、それに置き換わるべき他の手法があったにも関わらずそれが普及しなかったのは、もはや象牙の塔の高みに据えられたザウアーブルッフの業績を否定することが、象牙の塔の住民にとってはなし難いことになってしまったからだった……と考えると、ドイツのみならず、ドイツを範とし、同じような象牙の塔が築かれた日本においても同様の時流が生まれたことを、矛盾なく説明できる。

この事実は、当時のドイツ(そして日本)において、実は憂慮すべき風潮が医学界に存在していたことを示している。それは「医学界の権威が、医学それ自身に優先する」というもので、健全な科学としての医学の進歩の中で淘汰されていくべきそのような風潮が、社会主義政権下にあった東ドイツにおいて、共産党政権下の官僚主義とも言うべきものとリンクし、非常に硬直化した状況を作り出した。そしてその中で暴走を始めたザウアーブルッフが、容易に制止し得ない結果に至ってしまったのである。

参考文献

  1. "Retrospectroscope: Inflation―1904 Model": American Rev. Respiratory Disease 112 (1975), pp.713―716. Available from the Internet: http://www-archive.thoracic.org/sections/about-ats/centennial/retrospectroscope/articles/resources/8-Inflation-1904Model.pdf
  2. 『「医療裁判で真実が明らかになるのか」−−対立を超えて・信頼に基づいた医療を再構築するために−−』: 桑江千鶴子: Available from the Internet: http://ameblo.jp/kempou38/entry-10157178103.html
  3. "Medical Blunders: Amazing True Stories of Mad, Bad and Dangerous Doctors": R.M. Youngson and Ian Schott, Robinson Publishing (1996). ISBN: 1-85487-259-1(邦訳:『危ない医者たち』:ロバート・ヤングソン イアン・ショット 著、北村美都穂 訳、青土社 (1997). ISBN: 4-7917-5536-7 ……ただし訳本は非常に訳が悪いのでお薦めしない)
  4. 『日本の麻酔を導いた府立医大の先駆者たち−−ヨンケル、革島彦一、尾見薫、並川力−−』: 藤田俊夫、京都府立医科大学麻酔科教室: Available from the Internet: http://www.kpu-m.ac.jp/k/anesth/history/KPUM_old2.html
  5. 『鉄の肺メモリアルコーナー』: 浜松医科大学医学部 麻酔・蘇生学講座 Available from the Internet: http://www.anesth.hama-med.ac.jp/Anedepartment/m-memorial-tetsunohai.asp
  6. 『京都府立医科大学麻酔科沿革(中央手術部を中心に)1959-1972』: 藤田俊夫、京都府立医科大学麻酔科教室: Available from the Internet: http://www.kpu-m.ac.jp/k/anesth/1959.html
  7. "The pioneers of pediatric medicine": by H. R. Wiedemann, Eur. J. Pediatr. 151[7] (1992), pp.471. Available from the Internet: http://www.springerlink.com/content/j3581q1843h58372/

Ferdinand Sauerbruch

このところ blog の更新があまり活発でないのは、ちょっと私的に興味があって調べていることがあるからである。

もう大分前の話になるけれど、まだ水戸に住んでいた頃、県立図書館の書架でふと見かけた本を読んで、僕は大きな衝撃を受けた。その本が、標記のフェルジナント・ザウアーブルッフ(歴史的に日本ではザウエルブルッフと書かれることが多いのだが、最近のドイツ語の発音に倣ってザウアーブルッフと書くことにする)に関するものだった。

ザウアーブルッフは、胸腔外科の技術を確立した人として、その筋では有名である(ただし、彼が考案した陰圧下開胸術は現在では使われていない)。第二次大戦前後のドイツ医学界において、ザウアーブルッフはまさに権威だった(丁度前回の blog に書いている「ドイツ芸術科学国家賞 Deutscher Nationalpreis für Kunst und Wissenschaft」を、ザウアーブルッフは1938年に受賞している)。戦後、彼は旧東ベルリンで活動していたのだけど、この晩年期のザウアーブルッフは、医療行為を行っている最中に奇妙な振舞いをするようになった。今で言う老人性認知症ではないかと思われるのだが、切り離した腸を吻合することなく腹を閉じてしまったり、甚しきに至っては、手洗いをせずに手術を行おうとしたという。もちろん、周囲の人々はこれに気付いていた。いたのだが、権威に物申すことは、旧東ドイツ社会においては、全てを失うおそれのある行為だったこともあって、この問題をほとんどの人が黙認し、その結果として多くの人命が失われた(つまり、ザウアーブルッフの手術によって死者が複数でていた)、というのである。

先日、レーシック専門の眼科医院である「銀座眼科」(現在は閉院)で、手術用器具を消毒しないで使い回した結果、角膜への深刻な感染症が多発して、元院長が逮捕された、というニュースが流れたが、このような話を聞くといつも、このザウアーブルッフの話を思い出す。しかし、彼の起こした問題に関してふれた書物はあまり多くない。特に、日本語では、1969年に出た Jürgen Thorwald の本の和訳版以外には、医療ものの小ネタ本みたいなものに若干の記述がある程度で、ザウアーブルッフの話は(医師以外には)あまり知られていないようである。

せめてドイツ語じゃなくて英語なら訳すんだがなあ……と思って見ていたら、英訳版がペーパーバックで出ているようだ。amazon.co.jp では入手できないのだが、amazon.com なら入手できる。ということで、安いので思い切って買った。後で日本語版も図書館で探して借りてくることにする。

同じ過ち

先日、中国の民主活動家である劉暁波氏にノーベル平和賞が授与されたときに、中国は色々とやらかしてくれた。他国の受賞記念式典への参加に干渉するのみならず、「孔子平和賞」なるものをでっちあげるということまでしてくれた。まったく、あの国のやることは、我々の想像を超えているなあ、と思われた方も多いのではないだろうか。

1935年のこと。ドイツがナチス政権の下にあったとき、ドイツのジャーナリスト・平和運動家であったカール・フォン・オシエツキー氏がノーベル平和賞を受賞することになった。氏は当時投獄されていたのだが、ノルウェー・ノーベル委員会は、ベルサイユ条約に反して軍備拡張を行うドイツを告発した氏に、平和賞を授与した。そして、ナチスはそれ以後、ドイツ人にノーベル賞を受けることを禁止した。

興味深いのはこの後日譚である。アドルフ・ヒトラーは、1937年に「ドイツ芸術科学国家賞 Deutscher Nationalpreis für Kunst und Wissenschaft」なるものを創設した。この賞はドイツ人にとってのノーベル賞の代替物であったわけだけど、そういう話を、最近、皆さんは耳にしなかったろうか?独裁国家の意に沿わない顕彰に対して、国家が何をしでかすのか、ということは、これこの通り、歴史が証明しているのである。そして彼らはどうやら、そんな歴史を学ぶことも、同じ轍を踏むのを避けることも、どうもできない……そういうことのようだ。

Install Memo 3

PDF を読むときには、Adobe Readerxpdf かを使う。前者で表示できて後者で表示できないことはしばしばあるのだけど、逆はめったにない、はずだった。

ところが、日本語の文書を表示することが一切できなくなってしまった。これには少々焦ったのだけど、TrueType フォントで、MS 明朝と MS ゴシックの代替品を msmincho.ttc と msgothic.ttc に見えるように細工してあったのを思い出した。調べてみると……:

Ubuntu日本語フォーラム: インデックス » デスクトップ向けソフトウェア » Adobe Reader 9で日本語が点々になる件
あー……どうやら原因はこれらしい。

MS フォントの代替品を外すことはちょっとできないので、次善の策として、Adobe Reader に Microsoft のフォントを検出させないように、~/.bashrc に、

export ACRO_DISABLE_FONT_CONFIG=1
を追加して、問題は解決した。

警視庁公安部外事三課機密資料流出事件

標記の代物に関しては、既に皆さんメディアの方で色々聞いていることと思うのだが、今まで僕は積極的にこれを入手しようと考えなかった。僕自身が Winny のような P2P ソフトを使っていない(BitTorrent は使うことがあるけれど)ということもあるのだけど、今日の『報道ステーション』で、たまたまこの事件に関する話を見るまでは、試す気もなかったのだ。

で、『報道……』で、たまたま問題の文書のなかのひとつのファイルネームが見えたので、それを端緒に検索でファイル探索を試みたところ……目的の文書のアーカイブを取得するまでの所要時間、わずかに3分程であった。

以前から話には聞いていたけれど、これは放置しておいてはいけないもののように思う。公安の警察官10名近くの個人情報(家族の氏名・年齢や実家の連絡先などを含む)、ムスリムの調査対象者の個人情報等が何の保護もなく書かれているし、情報提供者の氏名まで書かれているファイルも含まれているので、何らかの情報提供を行った者が狙い撃ちにされる可能性は低くないだろう。

ところが、警察が目下この情報漏洩事件に関してどのような態度をとっているか、というと、「調査中」なのだ、という。否定も肯定もしない、だから漏洩しているファイルが実際に公安のものだと認められない以上、拡散防止の措置もとれない、というのである。しかしなあ……実際に、僕が web ブラウザと Google でちょこちょこ検索をかけたら、呆気なくこうやって入手してしまえる、この状態はあまりに問題があると言わざるを得ないだろう。警察官もさることながら、ムスリムの該当者にとっては、まさに生命の危機であるし、それに名前や職場の名称が書かれてしまっている人に関しては、これはもはや生活の危機である。今日、東京地検に守秘義務違反の疑いで刑事告訴したそうだが、もはやダンマリでやり過ごせる状態ではない。一刻も早い対応がのぞまれる。

chkdsk /R C:

先日の Linux の再セットアップのときに、Windows のシステムが入っているパーティション(当然だが NTFS でフォーマットしてある)を少し拡げた。隣接している Linux 用のパーティションを少し削って Windows 領域の拡大にあてたのだ。ああ、ちなみに書き添えておくけれど、こういうことは別に売り物のソフトがなくても比較的簡単にできる。僕は GNU Parted を使っているけれど、他にも、かつての Partition Magic の作者が公開しているというふれこみの Partition Logic なんてのもあるので。

で、Windows を起動したら、ディスクに問題があるというメッセージが……あー、しまった。これぁインデックスに不具合が出たな。まあ当然と言えば当然で、ボリューム(UNIX 系のファイルシステム等におけるパーティションに相当)の大きさを大きくした影響がこういうかたちで出たわけだ。

通常は、起動時にこういうメッセージが出たら、システムの本体を読み込む前の段階でディスクチェックがかかるようになっているわけだけど、どういうわけか僕のシステムでは、このブート時のチェックが問答無用で「チェック拒否」を選択した状態になる。そのために、放っておくといつまで経ってもこのままである。

さすがにこれは気持ちが悪いので、Windows の DVD ディスクを出してきて、DVD からブートしてコマンドプロンプトから CHKDSK をかけることにする。えーと、CHKDSK のオプションは、と……:

ディスクをチェックし、現在の状態を表示します。


CHKDSK [ボリューム[[パス]ファイル名]]] [/F] [/V] [/R] [/X] [/I] [/C] [/L[:サイズ]] [/B]


ボリューム ドライブ文字 (文字の後にはコロンを付ける)、マウントポイント、
ボリューム名を指定します。
ファイル名 FAT/FAT32 のみ: 断片化をチェックするファイルを指定します。
/F ディスクのエラーを修復します。
/V FAT/FAT32: ディスクの全ファイルの完全なパスと名前を表示
します。
NTFS: クリーンアップ メッセージがあればそれも表示します。
/R 不良セクタを見つけて、読み取り可能な情報を回復します (/F も
暗黙的に指定されます)。
/L:サイズ NTFS のみ: 指定されたキロバイト数にログ ファイル サイズを
変更します。サイズが指定されていないときは、現在のサイズを
表示します。
/X 必要であれば、最初にボリュームを強制的にマウント解除します。
ボリュームに対して開かれているすべてのハンドルは、無効になり
ます (/F も暗黙的に指定されます)。
/I NTFS のみ: インデックス エントリのチェックを抑制して実行しま
す。
/C NTFS のみ: フォルダ構造内の周期的なチェックをスキップします。
/B NTFS のみ: ボリューム上の不良クラスタを再評価します (/R も
暗黙的に指定されます)。

/I または /C スイッチは、ボリュームの特定のチェックをスキップして、Chkdsk の
実行時間を短縮します。
こういう時位しかチェックしないので、/R を選択することにする。大体1時間ちょっとでチェックは終了し、あの鬱陶しいメッセージは出てこなくなった。

それにしても、NTFS のファイルシステムチェックが Linux 上からで出来ないのが苦痛だ。方法が皆無というわけではないのだけど、Windows のシステム領域のバックアップが取れるだけの容量が必要だったりして、僕は使っていない。早いところ ntfsck が安定して使えるようになれば良いのだが。

「まりん」、虐待、そしてエゴ

U は、しばらく前から1匹の猫を預かっている。この猫、名前を「まりん」と言う(本当は漢字で「真凛」と書くらしいのだけど、僕はそういう暴走族の落書きみたいな名前を自分のブログになんか書きたくはないのだ……この名前のセンスがそもそも最悪だと思うのだけど、これは U がつけたわけではないので何ともしようがない)。

そもそも、U がまりんを預かることになった経緯はどんなものか、というと、以前に U が飼い猫の「みかん」を譲渡された団体の代表から、「今現在、自宅で飼育できる限界を超えて飼育している状態なので、よかったら1匹面倒をみてはもらえないだろうか」という話を聞いて、それだったら一時的に面倒をみましょう、餌代位だったらまあもってもいいでしょう、でも医療費は病院にツケにしておくからそちらでお願いね、ということで引き受けたのだった。U に見せられた「まりん」の写真は、怯えた表情で丸まっているもので、僕はどうも、背後に何かあるんじゃなかろうか、と思っていたのだった。

U の家に連れてこられた「まりん」だったが、これがとにかく人を怖がる。僕を見て怖がるだけだったら、男性を警戒してのことだろうとも思えるのだけど、給餌やトイレの世話を一手に引き受けている U のことも一切信用しようとしない。ケージの中のトイレの陰に隠れて、撫でようとすると威嚇音を発する。U は、まあこういうこともあるだろう、と、あまり気にしていなかったけれど、僕にはどうにもこの状態が気になった。

いやあ、捕獲されるときに怖い思いでもしたんじゃないの、と U は言うのだが、とにかく執拗に人を警戒し、気を許さないこと、そして、手に何か持って近寄ったりしたときに、まるでスイッチが入ったように逃げ、隠れ、そして怯える様は、ただ単に捕獲時に怖い思いをしたためだとは、到底思えない。あたかも、「まりん」側のトラウマに触れるような何かがあって、それに触れるような行動をこちらがしたときに、先のようにスイッチが入ったように怯える……その様を見ていて、僕の頭にはひとつ大きなものが引っかかったのだった。

「なあ、まりんは、保護された後に虐待を受けていた可能性があるんじゃないか?」

最初は U も、まさかそれはないでしょう、と言っていたが、僕が何度もそう言うので、気になったようで、先の団体の代表に訊いてみたらしい。

U の聞いてきた話は恐るべきものだった。「まりん」を保護した人物は、不祥事を起こして職を追われ、保護した猫の世話ができない状態になったために、その団体代表に泣きついて「まりん」をはじめとした何匹かの猫を預けたらしい。で、その「まりん」を保護した人物は、

「どうもね、目付きが気に入らない猫がいると、そのケージに一面に紙を貼って見えなくしたり、とか、やっぱり気に入らないことがあったときに、猫をペットボトル(中身の入った)で殴って、猫が鼻血を出すようなこともあった、という話らしいよ」
「……その話は、例の団体代表から聞いてきたんだな?」
「うん」

何のことはない、僕の予想通りだったわけだ。「まりん」は、路上生活から解放されたかと思ったら、今度は気分次第で何をされるか分からないような環境に置かれ、ペットボトルで殴られるようなめに遭った。おそらくそれ以外にも、「まりん」を保護した人物は「まりん」に対して(そしておそらく「まりん」以外の猫に対しても)虐待を行っていた、と考えるのが自然だろう。

何か月かが経過して、「まりん」はようやく、人に対する警戒を緩めはじめた。僕を見たときは隠れることが多いけれど、U には擦り寄って甘えたり、床に転がって愛嬌を振りまいたりもするようになってきた。「まりん」の心は、U の毎日のケアによって、確実に快復してきたのだ。ところが、である。「まりん」を保護した人物から、

「まりんは私の保護猫です。私が責任を持って引き取ります」

というメールが送られてきたらしい。ちなみに「まりん」を保護した人物は、現在定職に就いておらず、住環境に関しても、とてもまともに猫の面倒がみられる状態だとは思えないものらしい。しかも、かつて、まりんの心にこれだけの「トラウマ」を埋め込んだ人物である。「まりん」が引き取られたら、遅かれ早かれ、また「まりん」が虐待を受けるようになることは想像に難くない。

例の団体代表も、この件に関してまともに対応する気はないらしい。その周囲の人達が、「まりん」の行く末を案じて、問題の人物の元に戻されないように尽力してくれているらしいけれど、それだってどうなるか分からない。U も、あくまで一時的になら預かれる、ということで「まりん」を預かっているわけで、そういう状態なら飼ってしまえばいい、などと簡単に言える話ではない。猫の医療費は人間と違って全額飼い主負担である。人間と比較しても「え?」と声を上げたくなる程に高いのだ。既に「みかん」というパートナーがいるのに、そう簡単に猫をもう一匹飼うというのは、無理な相談である。

え?僕が何を言いたいか、って?こうやって動物が非道いめにあうことは往々にしてあって、それは大抵は人間のせいだ、ということだ。そして、動物を非道いめにあわせている当事者は、どういう訳かそういう意識が欠片程もないらしいのだ。こんな非道い話はない、そういうことを言いたいのだ。

Now, sketching

この2、3年程、曲のスケッチを作るのには専ら打ち込みを使っている。以前はギターで弾き語ったのを録音したり、歌詞に曲のイメージ(コード進行とか、リズムの核になるところとか)を書き添えたりしたものを保存していたのだけど、最近は Cubase を立ち上げてごにょごにょやっていることが圧倒的に多い。

打ち込みと言えば、実は、このところ groove の問題で非常に苦しんでいる。数値でそういうずれを打ち込んで解決するならそれはそれでいいのだけど、実のところ、使っている音源の立ち上がりの問題が非常に大きくて、たとえば僕がドラムでよく使う Addictive Drums で、ハイハットの立ち上がりがどうだからこのグルーヴを出すときにはこれだけ前ノリ、みたいなことをやっていると、煩雑で気が狂いそうになってくる。

こうなってくると、昔の Isley Brothers みたいに、稚拙でもいいから自分でドラムを叩いて……みたいな話になってくるのだけど、ひとりでスタジオに篭ってドラムを録るというのは大変なことで、これはこれで苦痛である(なまじ叩けるだけに始末が悪い)。かと言って、いわゆるループを使う気にもなれそうにないし……困った問題なのである。

まあ、結局は Cubaseを立ち上げて、ちょっとスケッチを進めて、Linux に戻って、気が向いたときにはまた Windows に戻って Cubase を立ち上げ……というのが何度となく続く。こうやって曲ができてくるのだけど、しかしなあ。なんか人生の無駄遣いみたいでねぇ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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