LuaTeX で名刺作り

簡単 電通大の名刺作成キット for LaTeX』という便利なものがある。世間でよく使われている名刺用の紙に合わせてタイプセットするだけのものなのだが、先日職場で支給された名刺に typo があったので、これで自作するハメになったのだった。

上リンクで公開されているnamecard.texは picture 環境を使っている。だから、LuaTeX で使うのにも何ら問題はないわけで、luatex-ja を併用して LuaTeX で名刺が作れるように改変したものを作成した。出来上がる PDF はこんな感じ。なかなか良い感じである。

経過観察の結果

今受診している整形外科は、とにかくジジババ率が高い。しかも、ある種のジジババは、他人がどうであろうと、どれだけ待っていようと、それを無視して平気で自分のことだけ依頼する。そういう手合いに自分がなることはできないので、僕は待たされる立場になってしまうわけだ。

今日は、先週のレントゲン撮影から1週間、もう一度レントゲン撮影をして経過をチェックすることになっていた。受付後、程なくして撮影室から呼ばれ、2つの角度で肩のレントゲン撮影を行った。その後外で待っていると、ふたつある診察室のひとつに通される。

シャーカステンではなく、ナナオの IPS 液晶ディスプレイに映された自分の肩の画像を見入る。うーむ。先週破断している部位の端っこが尖って写っていたところは、それを包むようにもやもやーっとした状態になっている。これは……付きかけ?

それにしてもドクターが来ない。処置室で老婆に呼び止められ、電話で呼び出され……

「いや、だからさあ、介護タクシーなんて大仰なんじゃなくって普通のタクシーでいいから。え?……だから、お子さんにそう言いなさい!」

などというやりとりが聞こえてくる。はぁ。俺はいつ診てもらえるのか。

と、電話の声が消えたと思ったら、ドクターが目前に立っていた。無言で椅子に座り、僕のカルテを読み直し、ディスプレイの映像を見て……コントラストをいじって、

「ほうほうほう。いい感じじゃないですか」

ということで、今日から基本的には拘束ベルトは運動時や外出時以外は着用しなくてよし、三角巾もせずともよし、ただし最初のうちは肩の筋肉が落ちているので使った方がいいけれど、使っていると快復が遅くなるので、その兼ね合いでどうするか決めること、来週の月曜からリハビリを開始して、水曜辺りにまたレントゲン撮影をしましょう……ということで、リハビリ部門への申し送りを書いて、それで今日の診察は終了となった。

まあ、仕事中はベルトを外すことにしよう。行き帰りのバスの中では、着けておいた方が良いと思うけれど……とにかく、名古屋の公共交通機関の客ってのは最悪だからなあ。

骨折り損・その後

あの骨折騒動からもうすぐ3週間が経過しようとしている。僕は未だ腕を三角巾で吊り、その上から拘束ベルトを巻いて日々を過ごしている。医師の話では、今週中頃にレントゲンを撮影して、その後の処置を決めるということだ。

骨折の部位の直接の痛みはもうあまり感じない。無茶なことをするとその後痛むこともあったが、今はそれよりも肘や肩の関節の痛みの方が深刻な状態だ。肘はずっと腫れ上がっているし、肘の裏側の内出血の後も軽快していない。これには時間がかかるとは言われているのだが、正直不安なままである。

何が一番不安かって、骨折以外に関しては何もチェックや処置らしいことがされていないことである。肘の様子をチェックすると、深く曲げると痛みがはしるし、肩には未だに力が入らない。とにかくひどく打ち付けているのだから、骨折以外に何か障害を来していたとしても不思議はない。

まあ、でも、今できることは休養とリハビリ位しかない。仕事の合間に、可動範囲を少しでも広げられるように、三角巾で吊った腕を前後左右に揺する位から、少しづつ、焦らずに、やっていかなければ。

骨折り損

黄金週間も終わりの、今月6日のことだった。仕事の準備を前もって進めておこうと、自転車で家を出て程なく、四ツ辻の歩道に入ろうと、そういう場所に必ずある点字ブロックの上に前輪を乗り上げたとき、陽の光を透かして何かがきらっと光った。おそらく、煙草の外包のようなビニールだと思うのだけど、次の瞬間、その上に乗った前輪は荷重の外側に滑っていた。二輪車でこのように前輪をもっていかれるのは制御を失うことを意味する。

普段なら、地面を転がるように受け身をとるはずだが、前輪をもっていかれたことで、反射的に両掌に力が入っていたらしい。ハンドルを握ったまま、目前の景色が車体と共に傾き、僕は左肩から歩道のタイルの上に叩きつけられた。

思いっきりバットか何かで殴りつけられたような衝撃が肩に加わり、僕は呻きながら地面に転がった。しばらく起き上がることもできなかった。視野の隅の方に、通行人の若い男性が歩いてくるのが見えたが、こいつは僕に声一つかけることもせず、まるで何もなかったかのように僕の横を歩き去った。はぁ、これがこの辺の流儀なんだろうさ。僕は呻きながら心中で毒づいていた。

ようやく身体を起こし、自転車を起こしているところに、今度は中年の男性が通りがかった。しかしこの男性も、まるで透明で見えないかのように、僕を無視して歩き過ぎていった。はいはい。名古屋人は事故で困っている人がいてもこうするんですね。覚えておきますわ。よーく、覚えておきますよ。

ため息をつきながら身体をチェックする。左肩は痺れたようになっていて、腕を動かすと激痛がはしる。腕を上げることは到底無理だ。この時点で、僕は靭帯を切ったのではないかと思っていた。手術などということになったらどうしようもない。困ったなあ、どうしたものか、と考えながら、左手をだらりと下げ、右手だけで自転車を押しながら自宅に戻った。

動く右手だけでキーボードを打ちながら、休日診療所を探してみる。今住んでいるところからバスでしばらく行くと、市の休日診療所があったはずだが……しかし、診療時間もぎりぎりだし、診てくれるのは内科だけらしい。今回調べてわかったのだけど、いわゆる休日診療所というのは大抵内科・小児科・歯科ということになっているらしい。困った。

これはもう救急車を呼ぶしかないか、とまで考えたが、救急車をこの辺で呼んだら、おそらく連れて行かれるのは市内の東部医療センターだろう。確かあそこは「救急を一切断らない」というのをモットーにしていた筈だから……ということは、そこの救急外来に行けば診てもらえるかもしれない。

痛みに呻きながら、簡単に着替えを済ませ、東部医療センターに向けて歩き出した。左腕が歩くのに連れて揺れると、それに合わせて痛みがはしる。脂汗を額に浮かべながら住宅街の中を彷徨って、ようやく到着した。

受付を済ませると看護師が来て、体温を測って下さい、と体温計を渡されたのだけど、左肩を打撲していて、しかも左手が動かせないのに、何処にどうやって挟んだら良いというのだろう。当惑して佇んでいると、

「あ、挟みましょうか?」

最初からそうしていただけませんかね。こういうの、職業的に見慣れてるんじゃないんですか、あなたは?

ため息をつきながら待合室の椅子に座る。ちょっと目には、僕は何故ここにこうして座っているのか分からないのだろう。横では初老の女性とその娘らしい女性がぺちゃくちゃ喋りながらスマホをいじり(そこが携帯電話使用禁止エリアであることは言うまでもない)、その横では、骨折して近所の整形外科から紹介されてきた(何故それを知っているかって?でかい声で母親とそういう話をしていたからですよ)少年とその姉がそこら辺をうろついている。腕が当たったらどうしようか、と、ちっとも気が休まらない。

ようやく呼ばれて、医師に状況を説明すると、まずはレントゲン撮影に行って下さい、ということで、2階のX線撮影室に歩いて向かい、角度を変えて3枚程撮影する。下に戻って、またあの不快極まりない待合室で待たされること数十分。呼ばれて入ってみると、机上の液晶パネルに肩関節の写真が表示されている。

医師は開口一番、

「……折れてますね」

「上腕骨近位端骨折」(解説)というのが診断であった。上腕骨(腕の肩から肘にかけての骨)の肩に嵌っている骨頭の直下が折れているらしい。その場で腰痛ベルトみたいな保護ベルトを胸部に巻かれ、左腕は三角巾で吊られる。明日、整形外科に受診するように言われ、診察室を出る。

騒がしかった連中は、腕を吊られて僕が出てきたら途端に静かになった。へー、そうやって、人の上っ面だけ見て生きてるんだな、あんたらは。これを巻く前と後で、どっちの僕がより苦しんでいたか、とか、その僕の周囲で自分達が何をやっていたか、なんてことは、恥じるどころか全く思い遣られないものらしい。つくづく下衆な連中だよ。

会計に向かった僕に更に驚愕の事実が待ち構えていた。お会計、なんと 13,000 円也。健保適用でこれである。さすがにそこまで持ってきていなかったので、翌日の整形外科受診の際に払うことにして、ふらふらと家に帰った。

この晩は、とにかく眠れなくて参った。どんな姿勢でも腕が痛む。折れたところに負担がかかるらしい。クッションやら丸めた布団やらをあれこれ組み合わせて、結局は半分壁に凭れるような姿勢で、2時間程微睡んだだけだった。

翌日。朝のうちに、普段の何倍もの時間をかけてシャワーを浴び、Tシャツを着てから腕を吊る。そうそう。この前日に僕に処置をした看護師は拘束ベルトの使い方を完全に間違えていたことをネットで確認していたのだった。このベルトは三角巾で吊った腕の上から巻かなければ意味がないのだ。まったく、お医者さんと看護師さんの言うとおり、とかやってたらエラいことになるところだった。

整形外科では CT を撮らされたが、初日の診断は妥当なものだったようで、診断は変わらなかった。

医師は CT の画像を観ながら、

「で、どうします?」
「どうします、って……」
「ああ、いや、手術してもいいですし、保存的に治療するという手もありますが」

そうは言われてもリスク等を教えてもらわなければ何も決められない、と言うと、まあそうですな、と、双方の場合の予定とリスクの話を始めた。

手術をすれば退院後すぐに動かせるが、全身麻酔で1週間コース。プレートを入れる際に肩腱板を裂いてそこから挿入することになるので、肩腱板に起因する痛みが後遺症として残る可能性がある。また、治療後1年程後に、プレート除去のために再び全身麻酔下で肩腱板を切る手術を行う必要がある。保存的に治療する場合は、三角巾と拘束ベルトで1月程固定する。拘縮を最小限に抑えるために、二週間程経過したらできる範囲で動かし始め、その後は3か月程リハビリを行う。骨の着き方次第では偽関節になってしまう可能性もあり、その場合は手術するしかないだろう。また、いずれの方針で進めても、最悪の場合は骨頭壊死という可能性がある。
……と、大体こんな話だったと記憶している。

仕事が忙しいし、1週間も入院している余裕はない。保存的にいきます、と言うと、はいはい、ではリハビリどうしましょうねえ、と言う。ここではやっていないので、以前ここの医長をしていたドクターが開業した病院に紹介状を書きます、後はそちらでお願いします、とのことだった。紹介状とCD-R の入った封筒を貰い、前日分と併せて二万円近くの金を支払う。しかし、そもそも肩は骨折だけでなく、手ひどく打ち付けているので打撲もひどいのだが、それに関してはコメントもなし、湿布すら処方してくれない。何なんだ、と、家で毒づきながら手持ちの湿布を用意してTシャツを脱ぐと、腕はもう内出血と腫脹で訳のわからない状況になっている。湿布でそこを包み込み、痛みに呻きながら着替えを済ませて、仕事に出かけた。

夕刻。腕に妙な力の入れ方をしてしまったらしく、激痛に襲われる。一時は救急車でも呼ぼうかと考えたが、運ばれた先であれじゃあ、行ったってどうにもなりそうにない。幸い、大きなずれではなかったようで、程なく痛みは治まった。帰宅後は、CT 撮影時に検査技師がやってくれたのをヒントに、肘の下に敷物をして高さを身体に合わせる、という小技を使うことで、どうにか眠ることができた。

その翌日。紹介された整形外科に受診するが……いやー混んでるなあ。ジジババが集まる科ってこんなことになってるんだ。しかも、自分のことしか考えていないような輩はここにもいて、診察を受けている最中に背後のドアが開き、センセイちょっと話があるんだけど、などと、僕を押しのけんばかりの勢いで入ってくる老女が現れる。さすがに看護師何人かで追い返していたけど、前夜の激痛の件を話しても、現状の検査などしないまま。一面紫色に腫れ上がった腕を見て、フェルビナク入りの湿布、ロキソニン、胃薬が処方される。いやー、本当に、治してもらう、なんてのとここまで程遠い扱われようなんだなあ。何なんだろう。これは一体。

まあ、そんなわけで、日々往生している。この文章にしたって、右手だけで、一体書くのに何時間かかるのやら。本当に、何から何まで骨折り損ではないか。

おまけ:
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骨折すると、部位のちょっと下の辺りに内出血が出るらしい。僕の場合はそれプラスきつい打撲なのでこんな具合。これでも少し引き始めているはずなんだが。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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