dress code
教会に行くときにどんな格好で行くか。いわゆる dress code の問題なわけだけど、僕が子供の頃でも、できればスーツで行くべきだ、というのが暗黙のルールになっていたと思う。女性も、腕や肩などを出さないような格好で、という感じで、子供の僕でも、洗礼式のときにはブレザーを着させられたものだ。
実は、教会での、おそらく最古のものであろう dress code にこんなものがある。
あなたがたが、何かにつけわたしを思い出し、わたしがあなたがたに伝えたとおりに、伝えられた教えを守っているのは、立派だと思います。ここであなたがたに知っておいてほしいのは、すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。だから、女は天使たちのために、頭に力の印をかぶるべきです。いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。自分で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのが、ふさわしいかどうか。男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか。長い髪は、かぶり物の代わりに女に与えられているのです。男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか。長い髪は、かぶり物の代わりに女に与えられているのです。この点について異論を唱えたい人がいるとしても、そのような習慣は、わたしたちにも神の教会にもありません。……これは、新約聖書の『コリントの使徒への手紙 一』11章 2-16 節のくだりである。
これを以て「だからキリスト教は男尊女卑で」とか何とか言われるのもアレなので、一応補足しておくけれど、聖書の時代において、男性が頭髪を奪われるということは、何物にも勝る恥辱だった。旧約聖書を読むと、恥辱のシンボルとしての「髪を剃り落とす」というフレーズをあちこちで目にするし、子供に「はげ頭」と罵しられた預言者エリシャなどは、罵った子供を惨殺している:
この記述は、聖書のトンデモな記述としてよく例に挙げられるのだが、この「虐殺行為」は、神の言葉を伝える預言者を通して、神に対してこれ以上ない程の恥辱を向けたことへの報い、と解釈すべきなのだろう(聖書を読まれたことのない方はえーっ? とか思われるかもしれないが、旧約聖書はこの手の神の怒りによるスプラッターな描写がてんこ盛りなのである)。エリシャはそこからベテルに上った。彼が道を上って行くと、町から小さい子供たちが出て来て彼を嘲り、「はげ頭、上って行け。はげ頭、上って行け」と言った。エリシャが振り向いてにらみつけ、主の名によって彼らを呪うと、森の中から二頭の熊が現れ、子供たちのうちの四十二人を引き裂いた。
列王記下 2:23-24
先のパウロ書簡の記述は、女性がヴェールを被る論拠になっているわけだ。しかし最近は、ヴェールを被らない女性信者がほとんど、という状況になってしまっている(「自分で判断しなさい」って書いてるからいいんだ、とか仰る方もおられるようなのだが、それはちゃんと読んでないよなあ……このパウロの言い分があまりに女性蔑視だ、と現代の女性が思うことには何ら反論するつもりはないけれど)。
まあでも、ヴェールを被らない、なんてのはまだいいのだ。僕だって彼女達のことをどうこう言えはしない。ジーンズに裾を出したシャツで教会に行くことも多いから(勿論、何かハレのときには相応の格好はするけれど)……しかし、最近はどうも、そんな僕から見ても「それはないでしょう」みたいな格好をしている人が多過ぎる。
たとえば、ホットパンツにノースリーブで教会に来る若い子達がいる。せめてショールでも一枚肩にかければいいものを、そのままで、堂々と聖書朗読をしたりするので、さすがの僕も気になってしまう。昔だったら年配の信者やシスターに追い出されていると思うのだけど……
拙 blog『暗黙のマナー』で丁度一年前位にも書いたけれど、ガールスカウトの子達の帽子も相変わらずだ。一応その子達も指導者(親らしいのだが)も信者らしいのだが、あの指導者達、一体、子供の頃にどんな風に教わってきたんだろうか……と、まあこんな感じで、ミサに行く度にイライラさせられて、精神衛生上、非常によろしくない。普段でもこんな状態なのに、今日のミサでは、見たくもないものを見て、非常に不快な思いをさせられたので、記録がてら書いておくことにしようと思う。
僕の座る席のふたつ前(ひとつ前は空席だった)に、若い男性が座っていた。体格は小太り、というか、全身に均一にムチッと肉が付いているというか、そんな感じである。この男性、Tシャツにジーンズという格好で椅子に座っていたのだが、立ったり座ったり跪いたりしているうちに、見るともなくこの男性の腰の辺りに目がいった。
腰の辺りが、どうも妙なことになっている。うん、これはいわゆるローライズというか、股上の短いジーンズを履いているんだろう……と納得しようとしたのだが、どうしても何か引っかかる。
普通、見せパンというとこんな感じであろう:
それが、どう見ても、こんな感じに見えるのである:
……これって、ひょっとして T バックってことか?
うーん。女性がジーンズを履くときに、パンティラインが見えないように T バックを履くというのは、聞いたことがあるような気がするのだけど、男性が、しかも見せパンとして T バックを履く、というのは、聞いたことも見たこともない。しかも、よりによって教会ですよ? ……ったく、一体ぜんたい何がしたいのやら。とりあえず迷惑なので、本当にこういうのは勘弁していただきたいのだが。