ポリコレって何?

最近、世間で「ポリコレ」という文言を耳にすることが多くなった。おそらくあれのことなんだろう、でも何でそんな呼び方をするんだろう……と思いつつ確認すると、果たして politically correctness (PC) のことをそう言っているらしい。いや、もう、本当にげんなりである。

僕がこの言葉を知ったのはおそらく大学生の頃で、院生の頃に、『政治的に正しいおとぎ話』という本の存在を知ったのだった。今 amazon でこの本やその続編に関するレビューを読むと、これらの本が PC に対する皮肉として書かれているということすら理解できていないタコなレビューが散見されて実に香ばしいのだけど、言葉の運用だけに厳格になることで差別や偏見から解放される、などという単純な話じゃないんだ、というところに、当時の僕も色々考えさせられたのだった。

その後も、障害者という言葉を使ったら、いや障碍者と書かなければならないとか、もう面倒だから障がい者と書きましょう、とか、いやいやチャレンジドと呼ばなきゃならない、とかいう話が思い出したように言われているわけで、別に PC の概念は新しいものでも何でもない。はいはい PC だよね。で? ってなもんである。

では何が僕をげんなりさせるのか、って、この概念を「ポリコレ」という言葉で言わないと、やれものを知らんの何の言う半可通がどうせまた現れているんだろうなあ、ということ。何よ、ポリコレ、って。俺っちは四半世紀前から PC って呼んでるし、欧米でも PC で通じるんだよこれは。何を俄かに妙なカタカナ略語使って「え?知らないの?」とか嬉しそうに言ってるんだこのバーカ、とか毒突きたくなるわけですよ僕は。いや本当、何を今更、だよ。

そのままな人々

まず最初に強調しておくけれど、僕は自分が遭遇したことをありのまま書いている。あまりのことに、最初自分が schizophrenia でも発症したのではないかとまで思ったのだけど、どう頭を冷やしても、あれは現実のことだったので、ここに書いているわけである。

出勤時のバスでの出来事である。僕が出勤するときにバスを利用すると、市役所から、市の医療行政の中核になっている巨大な医療機関までの間をバスに乗ることになる。このバスは、その医療機関を経由して、終点の大規模な市営住宅まで走っている。

このバスに、市役所から僕は乗ったわけだ。バス車内はどこにでもありそうな感じで、後ろ半分はフロアが高くなっていて、その高くなる境目辺りに、シートを跳ね上げて車椅子やベビーカーをベルトで固定できるスペースがある。そのスペースに、老爺の乗った車椅子が固定されており、その後ろに付添らしき老婆が座っていた。車内はいつもより混んでおり、二人がけのシートの二人目で座ろうと思えば座れない程でもなかったが、僕は車椅子の前の方にある支柱を抱えて立つことにしたのだった。

今日は昼の気温がここ数日の中で最も高い状態だったが、僕はスーツの上着を着て、肩からビアンキのメッセンジャーバッグを提げていた。まあいつもの格好である。kindle を片手に立っていたところが、その老婆がこんなことを老爺に話し始めたのだ。

「座ろうと思えば座る場所があちこちにあるのに、どうして人の車椅子の前に仁王立ちするんだろうねえ」

ん、僕のことか? いやまさかね。車椅子の老爺は一緒に笑っている。すると、老婆は聞こえよがしに、こんなことを話し始めた。

「あんな肩っからカバンなんか提げてねえ。おかしいよねえ」

周囲をそっと見回してみるが、肩からバッグを提げている人は他にいない。何だ? この老婆は、僕のことを言っているのか! そして老婆の声は尚も続く。

「この暑いのにねえ。上着なんか着ちゃってさあ」

老爺が嗜めることを、少しだけでも期待した僕が馬鹿だった。老爺はこう相槌を打ったのである。

「他に着るもん持っとらんのだろうなあ、ははは」

こういうとき、僕がどうするか。僕はその老婆を黙ったままじーっと睨みつけた。老婆が目を逸らしてもそのまま睨み続ける。そして。再び老婆が目を上げたとき、鋭く一度だけ舌打ちをした。老婆はまた、聞こえよがしに、

「何、見も知らんものを睨みつけてるかねえ」

いや、100 % アンタに非があると思うんだが。そのうち、老婆は話題を健康ランドに行くとかどうとかいう内容に変えて、何もなかったような顔をし始めた。こちらも阿呆らしくなって、巨大医療機関のバス停で降りたのだった。

車椅子を使っている人達のほとんどは、こんなことをしはしない。むしろ、そちらがそんなに気を遣う必要はないのに、と思う位、色々気にしてくれるものだ。しかし、こちらが何もしていないのに噛み付いてくるような輩がいるとは、僕は夢にも思わなかった。おそらく彼等は、旦那の方が車椅子生活になるずっと前からこの調子で、他者の支援を受ける立場になっても何もそこから得ることなしに、老爺と老婆になり果てたのだろう。いやーしかし、その矛先を向けられた側としては、これはもうたまったものではない。何故僕が、こんな理不尽なめに遭わなきゃならないんだろう。つくづく理解不能であった。

名古屋めし、って何?

酒をよく飲む関係で、いわゆる authentic bar に行くことが多かった。その関係で、バーテンダーや料理人と知り合いになることがちょくちょくあったのだけど、彼らとの交流は楽しいものだったが、彼らの顧客との交流は、お世辞にも楽しいものではなかった。

いわゆるグルメ、グルマンというのは、密やかな楽しみだと思うのだ。いつだったっけ、あの店であれ食べたなあ。これこれこんな時期だったっけ。あれ美味しかったなあ……という記憶を楽しむ、そういう楽しみだと思っていたのだけど、どういう訳か、SNS に行った店と飲食物の写真を記録・公開することがグルマンの行為だということになってしまっている。そしてそういう手合いは徒党を組む。そして店を占領して排除的な雰囲気をそこに匂わせる。気の利いた酒屋の角打ちでも覗きに行こうか、と思っても、その手合いが内輪感覚という名の排他的雰囲気丸出しで、馬鹿みたいにデカい声でゲラゲラ笑ったり、カウンターをバンバン叩いたりしていやがる。そういう店に入る気にはならない。

僕の知る「良き常連」は、その店を愛している。だから、見ず知らずの人が入ってきたら、その人が心地良く過ごせることを考える。この人がもう一度、ああ、こんな店あったよね、と来てくれたらいいよね……そういう愛を感じるわけだ。しかし、上に書いたような手合いは、ただ寝穢く金を出し、金やモノやサービスをひたすらに消費する。それは僕から見たら一種の排泄行為だ。飲み食いする場の自分の横に排泄する者がいるなんて、僕には我慢できないのだ。

で、この地方のその手合いが何かにつけてしきりに喧伝するのが、この「名古屋めし」なるものだ。それ、何?と訊いてみると、どうやら赤味噌、あんかけ、海老、餡を使ったものらしい。ああそうそう、あとは炭水化物てんこ盛りなんだよね、どれも。

たとえば「天むす」というのがあって、名古屋の人はそれを名古屋めしだと言う。でも、違うよね、それって。天むすの発祥は三重県津市の千寿で、これを名古屋に持ち込んだ藤森晶子って人は、暖簾分けされるや発祥の店が嫌がっていた宣伝をガンガンやらかして、あたかもそれが名古屋発祥であるかのように世間に定着させちゃったんだよね? ああ、なんてゲスなんでしょう。

あんかけスパなんてのもゲスな代物だ。だって、あれってパスタを 300 g 位食べるんでしょう? 馬鹿じゃないの? イタリアンでそんな量のパスタが出てくること、ありますか? ないよね? 要するにバランス感覚を欠いているだけでしょう。満腹感を提供すれば客は満足する、という店と、何も考えずにそれに乘ってる客で成立しているだけのメニューだ。

小倉トーストというのもゲス極まりない。朝から、分厚いトーストにてんこ盛りのマーガリン、そして餡を山盛り。いやーそれって健康的な朝食なわけ? 僕は御免被りますよ、そんな代物。

ああ、手羽先もありましたっけ。世界の山ちゃんが発祥みたいに言うけどさ、あれは風来坊でしょう? ちょっと前に亡くなった山ちゃんの創業者は、風来坊で修行して、酒が進む(居酒屋で利益を増やしたければ酒の出る量を増やすしかないものね)ように胡椒塗れにして、それが名古屋めしでござい、って、消費活動に血道をあげる名古屋人が乗っかったんだよね?

……名古屋人は馬鹿だとしか思えない。もともと武家文化があって、果樹栽培の盛んな内陸部、漁業の盛んな沿岸部、そして発酵食品の生産が盛んなこの地の利を、まるっきり捨ててかかっている。発酵食品って八丁味噌だけじゃないよね? 醤油も味醂も酢も酒も発酵食品だし、それらでバランス良くものを作ってる料理人はナンボでもいるんだよね。でも、見た目をひくことの方を重要視して、何でもかんでも味噌、味噌って……ああ、きっと脳味噌が少ないのかね。

いや、実は、この「とっつきにくい」というところこそが、名古屋人の求めるところなんじゃないだろうか。他者が「いやこれは」と眉を潜めるような代物を共有するところに、先の角打ちを占領している面々のような「内輪感覚という名の排他的雰囲気」を感ずるわけだ。しかし、その内側には実がない。それは虚構なのだ。それを彼らは認めないし、それを共有することにひたすらにしがみつき、そしてそれを受容することが「仲間の証」とみなされているんだろう、きっと。

ということで、現代の名古屋で喧伝される名古屋めしなる代物に、僕は何らシンパシーを感じないし、僕はきっとこの先ずっと名古屋人にはなれそうもない。

Maybe it's a sin.

キリスト教文化には、動物に対する殺生の罪という概念はあまりない筈なのだけど、僕は東洋人の端くれでもあるので、動物を殺すことには多少なりとも罪の意識を感ずるわけだ。困ったことに、今の職場ではこの罪悪感を感ずることが少なからずあるもので、僕としても困ったものだと思うわけだ。

今の職場は、決して郊外というわけでもない場所なのだけど、隣と裏が、地主さんの菜園になっている。そのため、ここだけカントリーサイドみたいになっていて、たとえば梅雨の頃には蛙の鳴き声が聞こえたり、今時分には鈴虫の音が聞こえたりするという状況になっている。蚊や蠅、いわゆる羽虫の類も多くて、帰り際に殺虫剤を撒いて、翌日に出勤すると、入口横にあるテーブルの上に死屍累々と羽虫の骸が積もっている。僕は大量殺戮者としての罪を存分に感じながら、そこを掃除するわけだ。

この羽虫の類を餌にしているのだろう、入口の戸袋の辺りには守宮が住み着いている。こいつはドジな奴で、時々戸締りのときに落ちてきたり、何かの拍子で入口横のポストの上面に寝そべっていて、僕がポストの中身を引っ張り出すと驚いて飛び上がったりする。まあでも憎めない奴である。そして屋内には、ハエトリグモが住み着いている。こいつが時々出てきてはちょろちょろするのを、僕は大分黙認してきたのだが、最近どうもそうもいかなくなってきたのだ。というのも、こいつが屋内に弁当を持ち込むからである。

掃除をしていると、部屋の隅などに干涸びたダンゴムシやヤスデの死骸がいくつも見つかる。どうもおかしいなあ、と思っていたのだが、よくよく考えるに、犯人はこのハエトリグモに違いない。奴は外でダンゴムシやヤスデを捕えてはここに持ち込み、牙から消化液を注入して中身を美味しくいただく。そして残った外骨格を捨てていくのだろう。一日に3つも4つもその殻が発見される。クモの奴は栄養も行き届き、親指の爪に乗り切れない程の大きさになって、時々僕の PC の辺りに出てきてうろうろしている。

僕がこまめに掃除していれば良いのかもしれないが、気がつかないところにこの殻が転がっていると、何せうちの職場は女子率が高いので大騒ぎになってしまう。そういうことが何度か続いて、さすがに僕も辛抱ならなくなってきた。クモの奴が現れたので、

  • 食糧を持ち込まないこと
  • やめない場合は屋外に放り出す。二回目に同じことがあったら殺す。
旨、きつくきつく言い渡したのだった。勿論奴に人間の言葉が分かるとも思われないわけだが、それでもそれでやめてくれれば、という淡い期待があったのだ。

しかし奴はやめてくれない。しかも他に人がいるときに現れる。腹が立ったので、捕まえて屋外に放り出したのだが、何せ虫を持ち込める機動性がある奴のこと、また戻ってきてしまったのだ。

そして今日の夕刻。天井にクモがいることに他の人が気付いてしまった。ああ。もう仕方がない。彼女達の手前、放置するわけにもいかない。高電圧で放電する蠅叩きを持って、僕はクモを叩いた。閃光が瞬き、ショック死したクモは足を丸めて床に落ちた。

ああ、クモは殺したくなかったんだよなあ。俺一人だけだったら、こいつは死なずに済んでいたものを……まあでも、衷心から警告して聞いてもらえなかったのだから、本当に悪いけど、勘弁してくれよな。勿論、お前を殺したことは、俺の罪なんだろう。今日一日位は、その思いを胸に抱えて過ごすことにするよ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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