SKK問題

これから文字入力に関すう問題お考えうにあたり、先ずそお速度お正確あに関しえの考察お行う。
……おい上田とうとう何か毒が脳に回ったんじゃないか、と思われそうだが、この上の文は、
これから文字入力に関する問題を考えるにあたり、先ずその速度と正確さに関しての考察を行う。
と書こうとして普通に入力した結果だ。下の方は、その「誤変換」をいちいち直しながら入力した結果である。

特に facebook などのように web ブラウザ経由で日本語を入力する場合(しかも全ての場合にこうなるとは限らない…… facebook では確実にこうなるんだが)に、この症状に悩まされるようになってもう2年位経つのだろうか。

私はもう四半世紀以上、日本語を打つのに SKK 方式というのを使い続けている。これは漢字変換を行うときに「どこからどこまでが変換すべき場所なのか」を明示的に示すことで誤変換を防ぎ、かつシンプルな日本語変換システムで日本語入力を行うものなのだが、たとえば上の文章を入力するときは、

korekaraMojinyuuryokuNiKannSuruMondaiWoKangaEruniatari、MaZusonoSokudoToSeikakuSaniKanShitenoKousatsuWoOkonau。
と入力する。英大文字になっているところは shift キーを押しながら入力するわけだが、つまりは変換する領域をこうやってシステムに教えているわけだ。当然一発で変換できていない場合もありえるわけだが、その場合はスペースを押して候補から選択する。

たったそれだけで何が違うのか、と言われそうだが、日本語の「どこからどこまでが漢字なのか」というのを検出する……形態素解析というのだが……のが、実は日本語変換のシステムでは大変な処理なのだ。何故って、システムはそれをいちいち辞書で確かめなければならないからだ。

しかも、日本語の厄介なところなのだが、このパターンは一意的に定まらない。内閣訓令第2号「送り仮名の付け方」にも示されているのだが、

  • 表す(表わす)
  • 著す(著わす)
  • 現れる(現われる)
  • 行う(行なう)
  • 断る(断わる)
  • 賜る(賜わる)
などに関しては、「活用語尾の前の音節から送ることができる」という例外があるのだ。私自身は「行う」と書き「行なう」とは書かないのだが、他人の書いた文章を扱う場合にそう書かなければならないこともあるわけで、こういうときに普段使わないものを使うと、通常の日本語変換ではそれを覚えてしまって以後イライラさせられるはめになる。

まあ、日本語を書く上で、この SKK 方式というのはとにかくストレスがない方法なわけだ。Windows でも CorvusSKK、mac OS でも AquaSKK でこの変換方式を使うことができる。

で……私はほとんどの場合 Linux を使っているので、Linux で動くこの方式の入力エンジンを探すわけだが、今だと大体 ibus-skk か fcitx か、ということになる。ところが……こいつらを使うと、まあ先の例のように変換でおかしなことになるわけだ。原因は明白で、大文字で入力したところが落ちてしまう(その文字を入力したことが入力エンジンに伝わらない)ということが起きているわけだが……これがもう、堪らないストレスを発生させるのである。

しかし、全ての場合でこうなるわけではないし、日本語入力を他の入力エンジンで行うのはこれまたストレスフルだ。うーん……何が原因なのかなあ。まあ、ハードの性能を上げただけで解決してしまうような気もするが、今ひょいひょいと端末を買い替えられるような状況でもないので……そして今日もまた、ストレスが溜まっていくのであった。

天主堂?天守堂?

久々にここに書くわけだが、実はこの春から生活拠点を移したりしたこともあって、ちゃんと日記位書こうかなあ、と思っていたりもする。まあ、以前のように連綿と続くかどうかは分からないけれど。

そう言えば、COVID-19 問題で行動の自由が制限されるようになってから、Quora にちょこちょこ回答を書くようになった。どうも相当平均年齢が高いようで、こちらの書いた回答の全体を読まずに噛み付いてくる輩とか、どうにも論理的なやりとりができない輩とか、粘着的に攻撃してくる輩とか、まあ色々いるので、正直、これは時間の無駄だなあ、と思うことも多いわけなのだが、特にキリスト教関連の質問に対しては、書けるときには回答を書くことにしている。まあ、そんなところに書くよりも自分の書くべきものを書くべきなのだけど……

さて、で、その Quora で目にしたのだけど「天堂」を「天堂」と書く方がおられる。たとえば「浦上天主堂」を「浦上天守堂」と書くわけだ。うーん……正直、そんな書き方を私は見たこともしたこともないのだ。

Google the Big Brother に聞いた結果を見ると……結構引っかかってくるものだなあ。私の使っている SKK の辞書にはそんなエントリーは存在しないし、そもそも「天を守る」ってどんだけ不遜なの、って話で、何処からこういう言葉が出てくるのかがとんと分からない。ただし、絶滅しないのもまた事実らしい。

カミサンに訊いてみたところ「あー、そういう変換候補出たことあるわ」と言う。やはりそうか……カミサンは mac OS 上で google 日本語変換を使っているのだが、私が思うに、google にこの現象の一因があるのではないだろうか。

google 日本語変換は、google のいわゆるコンプリーションの機能がスタート、つまり検索情報が辞書になっている。つまり、誤った単語であっても一定の使用量があれば、それが候補に入ってくるということだろう。そして、その変換によって書かれたテキストが web で公開され、それを google が拾って、検索結果に入ってくる……という、いわば悪循環が成立しているのではなかろうか。そんなことを考えるわけだ。なんだかなあ……やはり、日本人ってアホになっているんだろうか。

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alternative を見られる方は御一読を。それだけ。

「罵り」考

時々街中で罵られることがある。おそらく、何か不快なことがあったときに、私が露骨に嫌な顔をし、時には反撃を行うからだろうと思う。取るに足らない輩なんか放置しておけ、その手合いをこちらが再教育してやる必要もないし、そんな連中に何か言われても痛くも痒くもなかろう……と、私も思うのだけど、理不尽なめに遭って泣き寝入りするのは私も嫌なので、こういうことが起きることもあるわけだ。

そして、その経験の中で、私にはある仮説を持つに至った。それは:

他人を公然と罵るような輩に限って、普段自分が苛まれている文言を以て他者を圧倒しようとするのではないか
ということである。

もう何年も前の話だけど、台風か何かのときに、普段絶対に乗らない時間帯のバスに乗っていて、隣に座った男に絡まれたことがあった。私はそいつを言い負かしてしまい、逆上したその男を、運転士は次のバス停で強制的に下車させてしまったのだけど、その男が去り際に私にこう怒鳴りつけたのである。

「エタ!」

私は息の止まるような心地がした。人が実際にこの言葉を、他人を侮辱する目的で口にするのを、私はそれまで一度も聞いたことがなかった。同和問題に関して複雑な状況を抱えている大阪に十数年住んでいても、そんな経験は一度もなかった。だから、当然だが、他の文言の聞き間違いではないかと我が耳を疑ったが……しかし、どう考えてもそうとしか聞き取れなかった。

今はもう、この言葉を平仮名でしか見たことのない方が多いのかもしれない。私が教科書で見たときもそうだった。しかしこの言葉は漢字を知らないと、その言葉、そしてそれを人に対して使うことの暴力性と残忍さを理解できないと思う。「エタ」は漢字では「穢多」と書く。教科書ではよく「えた・ひにん」と書かれているようだが、「ひにん」は「非人」である。これが人のある層に対する呼称として使われていたというのだ……

しかし、まさか21世紀に、それも自分に対してこの言葉が向けられるとは思いもしなかった。そもそも普通の人にとっては、この言葉自体まず浮かんでこないと思う。なぜ、先の男は、よりにもよってこんな言葉を選び、持ち出してきたのだろうか。

あの日、家に帰ってその話をしたら、カミサンが、

「ひょっとしたら……これは推測だけど」

と、言いにくそうにこう言ったのだ。

「その人、ひょっとしたらそういうことを言われているのかもしれないよ」

誤解なきように願いたいのだが、カミサンには一切差別的な要素を込めているわけではない。そもそも我々は日本のカトリックで、江戸時代から明治初期の禁教令解除までの間、そういう被差別階級よりも更に下に置かれていたのは捕縛された潜伏キリシタンであった。そして長崎にも同和問題があるので、カミサンはそのことをよく知っている。知っていてその上であえてこのことを言ったわけだ。

「いや、でも差別される側の人がそんなこと言うか?」
「じゃあ、その言葉がポンと出てくるってどういうことよ」
「うーん……」
「その言葉と何の接点もなかったら出てこないじゃない」

……まあ、確かにそうかもしれない。あくまで真相は分からないわけだが、とにかく、この言葉がそういうところで出てきたのだから、自分が同和地区出身かどうかは分からないが、何らかの意味でその言葉との接点のある人だったのかもしれない。

しかし、もしそうだとしたら、それはまさに天に唾するようなものだし、その唾は自分だけでなく、自分の近しい人々まで含めてかかるもの、ということになるのだから、何ともやり切れない話としか言い様がない。まあ、あの男が「暴言蒐集・試用マニア」であった可能性もゼロではないのだろうが、いずれにしてもこんな後味の悪い話もなかった。

で……今日の話である。所用で名古屋市の外れの方まで来ていたのだが、この辺りは運転免許試験場の最寄り駅ということもあって、週末には様々な人が地下鉄やバスの辺りをうろうろしている。その中にはやはりコワれた人というのもいるわけだ。

私はここに来るとき、この車輌のこの出口から出ればすぐにエスカレーターに乗れる、という場所を知っているので、そこに立っていた。すると、後ろの方で一人の男がうろうろしている。そして、私の立っているところが最もエスカレーターに近いと分かるや、私を押し退けるように出口を出ようとする。私の方が前だったので、私は巧妙にブロックしてしまった。するとエスカレーターの上で、強引に私の横を擦り抜けて上がろうとする。思わず舌打ちが出た、そのときだった。

「舌打ちすんな、このハゲ!」

と、その男に罵られたのだ。うーん……私も、生え際がややポヨポヨしてきたかもしれないが、ハゲと言われる程でもないのに、と、男を見て、私は凍ってしまったのだ。

男はメッシュのキャップを被っていた。その頭が……明らかに禿げているのだ。え?何故こいつが人に向かって「ハゲ」って罵るの?何故?何故?……頭の中が「?」だらけになってしまったのだった。

己所不欲勿施於人(己の欲せざるところを人に施すことなかれ)
と言うけれど、この手の輩は、人を圧倒しようとすると、己の欲せざるところを人に施すことでそれを実現しようとしてしまうのだろうか。やはりこの男も、普段は自分がそう罵られているのだろうか。いやあ、哀れだなあ。そして哀しいなあ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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