今日は昼前に銀行に行って、食事をしてからは、昨日作成した『夏への扉』の PDF 版を読み返していた……うーん。意外と訂正を要する箇所があるようだ。
この私家版『夏への扉』 PDF 版は、早川書房の文庫本を底本にしている。ハヤカワ文庫の『夏への扉』の訳者は……さすがに僕でも知っている。『SFマガジン』初代編集長だった福島正実氏のはずだ……と、amazon で確認したが、やはり僕の記憶は確かだった。
福島氏というと、日本の SF における草分け、という言葉がこれ以上似合う人はいないだろう。都築道夫氏と共に「ハヤカワ・ファンタジー」を立ち上げたのが1950年代中盤とのことだから、言ってみれば日本の SF の土俵を作った人だと言ってもいい。また、いわゆるジュブナイルに代表される、SF の啓蒙活動に最初期から取り組んだ人でもある(あのカルト的に有名な科学恐怖映画『マタンゴ』の原案を星新一氏と共同で担当したのはこの福島氏である)。
日本語訳の『夏への扉』の初出は、前述の「ハヤカワ・ファンタジー」改め「ハヤカワSFシリーズ」で1963年に出版されている。これが福島氏の訳なので、今回の文庫版もおそらくは同一の訳文だと思われる。まあ時代的に、当時の up to date な英語に対応するのは困難だったのかもしれないが、
「書いていたのです。で、そのとき、国防省のほかの課にいたある若い哲学の学位を持つ男から、一切の真相を聞いたのです。その男の話では、もしあなたが、例の研究を公けに発表しておられたら、おそらく、先生の名前は、現代物理学における最も著名なものとなっていただろう――こういってました」
(福島訳『夏への扉』9章)
……これは、冷凍睡眠から目覚めた2001年の主人公が、時間旅行を実現したトウィッチェル博士にとりいろうとしている場面だけど、「哲学の学位」というのは何だろう?まあ持ってるから言うわけじゃないんだけど、「哲学の学位」というのは、おそらく
Philosophiae Doctor(英語で Doctor of Philosophy と書かれているのかもしれないけれど)の誤訳だと思われる。僕らにしてみたら、あまりに典型的な誤訳である。
この『夏への扉』は、去年新訳本が出ているのだけど、訳者は小尾芙佐となっている……小野女史はやはり SF の翻訳者として有名な人で、たとえば『夏への扉』と同じ年に出版された、アイザック・アシモフの『われはロボット』を翻訳したのはこの小野女史である……うーん。もっと若い人の訳が出てもよさそうなものなのだけど。いっそ自分で訳してみるべきか?などと思い、そのせいもあって小野訳には手を出さずにいるのだった。
あと、今回の元になっているテキストファイルは、青空文庫のフォーマットに準拠している(誤解なきよう強調しておくけれど、『夏への扉』は青空文庫に収録されてはいない……あくまで私家版というところをご理解いただきたい)のだけど、感嘆符と疑問符の直後に空白が挿入されている……うーん、これはどうかと思うなあ。
というのも、日本語の電子テキストにおける感嘆符・疑問符の取り扱いに関しては JIS X 4051 に規定があるのだ。どういう規定かというと、
- 日本語中の感嘆符・疑問符は全角幅とする
- 直後に始め括弧類(“(”、“「”など)がある場合は後ろに半角幅の間隔、直後に中点類(“・”、“:”など)がある場合は後ろに四分幅の空白をあけ、それ以外の文字が直後にある場合は間隔をあけない
- 行頭禁則文字であり改行時に行頭にきてはならない
というものである。実際、pTeX 系列の TeX/LaTeX で日本語を書くときに感嘆符・疑問符を全角で書くと、これに準拠するように間隔や改行などが調整されているようだ。まあ、感嘆符・疑問符の後に空白があるのを除去するのは、GNU Emacs 等を使えばあっという間なので、何も問題はないのだけど。
The Door into Summer……『夏への扉』を初めて読んだのは、おそらく中学生位の頃ではなかったろうか。同じ頃に聴き出した山下達郎が、この SF をモチーフにした曲を書いていたと知る前のことだったはずだ。
実は、某所で文書化されたファイルをいただいたのだが、せっかくなので私家版の PDF を作成した。こういうときは upLaTeX はとにかく便利だ……この小説はルビが非常に多いのだけど、2時間程で PDF の基になる LaTeX document を作成できた。まあ GNU Emacs とか sed のような、強力なテキスト処理環境があってこそのことなのだけど、おそらく Windows しか使わないような人は、PDF 化など思いもしないことだろう(いやまあマゾヒスティックな人はぜいぜい言いながらやるのかもしれないけど)。
で、今、校正がてらまた読み返しているところなのだけど、この主人公って登場時に30歳位なんだよなあ……もう自分の歳の方が上だということが、寝覚めの頃のように、どうも判然としなくなってくるような気がする。
夕方に、なんだか汗ばんで気持ち悪かったので入浴していたのだが、それが失敗のものだった。熱中症で、ちょっとヤバい状態になってしまったのだ。
僕の住んでいる部屋は角部屋で、玄関の辺りが真西を向いているために、夕方になると玄関の辺りだけ猛烈に暑くなる。玄関の横が浴室なので、この浴室の中まで西日のために温度が上がってしまう。だから、僕は夏になると、特に用事がない限りは、玄関の辺りには夕方には近づかないことにしている。しかし、この習慣のために、玄関や浴室がどれだけ暑くなっているかを甘くみていたようだ。
今日は昼から、ハインラインの『夏への扉』を(もう何度目か分からないほど読み返しているけれど)読み返していて、そのせいか、水分摂取が十分ではなかったらしい。複数の悪条件が重なった状態で、僕は入浴してしまったのだ。それも……長湯をしてしまった。
脱皮したんじゃなかろうか、と思うほどに、全身くまなくがっつり洗ってから浴室を出ると、どうも息が切れる。なんだかおかしいな、と思っていると、指先が軽くしびれてきた……あーいかん、これぁ熱中症だ。慌てて、緑茶のペットボトルを抱えて扇風機の前に陣取り、クーラーをきつめに設定し、まだ濡れている全身を冷やしにかかる。しかし……頭が重い。手のひらを額に当てると、明らかに熱い。とにかく緑茶をたっぷり飲んで、頭皮や脇の下などを重点的に冷やしていると……どうにか楽になってきた。
今回は部屋にクーラーを(除湿モードだったけど)かけっぱなしで入浴していたので助かったけれど、やはりこういうことはないように注意しなければならない。皆さんも、何卒ご注意の程を……
土のむき出しになった、山の中のようなところを僕は歩いている。何の集まりかは判然としないのだが、僕は10人程の男女と共にそこを歩いている。何か、サークルのような、あるいはご近所さんの寄り合いのような集まりのような気もするのだが、その正体はわからない。
歩いていると、ふと左脚の親指の先に、何とも言えぬむず痒さを感じた。歩いているのは、土が粘土のように露出した山道である。指の先には小さな傷がある。どうもその中に、何かが入り込んだらしい。僕はピンセットを取り出して、その脚の傷に入り込んだ何かを除去しようと、歩みを止めた。
傷を見ると、何やら赤身がかった細いものの先端が顔を覗かせている。僕はその細いものが動いていること、動くたびに、傷口を中心として、結構深いところまでむず痒さが広がることに気がついて、慎重にその細いものをつまんで、傷口から引っ張り出した。一行の中には、小さな子供がいたようで、その子供が、地べたに座り込んで僕がピンセットを使うのを、興味深げに覗き込んでいる。
細いもの……とは言っても、直径が数ミリ程もある……の先端をつまんで引っ張ると、脚のかなり深いところから、何かがずるずると引きずりだされるような感触を感じた。見ると、傷口からもう十センチ以上も引っ張り出したのに、直径数ミリの赤身がかったそれは、まだ傷口の中から全容を顕にせずにいる。僕は恐怖に戦きながら、ゆっくりとそれを引っ張り出していった。
引きずりだされたものは、長さが数十センチ程もあるミミズだった。しかも、1匹引きずりだしてもまだむず痒さは収まらない。僕は戦慄しながらピンセットで傷口を探った。ようやくむず痒さが収まったとき、僕はピンセットに、長さ数十センチのミミズ二匹をつまんで持っていた。引きずりだされたミミズは、もう蠢くこともなく、まるで紐のようにぶらんとぶら提がっている。
僕はそのとき、これを見物していた子供の一人が、この辺の土着の子であることに気づいた。僕はその子に尋ねた:こういうことはあるものなの?その子は答えた:脚に傷があると、そういうことがあります、と。しかしその子も、他の同行者達も、僕がピンセットでぶら下げているその2匹のミミズを、なぜか見ようとしないのだった。これは何か致命的なことなのではあるまいか。そう思った僕の心には、深い絶望感が広がるのだった。