以前、とある場所で「衆愚政治」という言葉を使ったら、それは何ですか、と訊かれた。うーん、最近は世界史とかでこの言葉を教えないのだろうか、と思いつつ、古代ギリシャの市民政治の話などをしたのだった。
僕はよく、愚鈍な大衆が政治にコミットすることを揶揄してこの言葉を使うけれど、正確には「衆愚政治」という言葉の本来の意味は、それとは少し違う。古代ギリシャ(アテナイなどを思い起こしていただければいいのだが)における衆愚政治というのは、民衆が愚かというよりは、政治家として愚かな輩が集まって愚かな政治を執り行うことと言うべきだろう。アテナイでは、公職は市民(これは一見民主的に見えるけれど、当時の市民は奴隷と峻別されていたことを忘れてはならない)から抽選で選出されていたので、そういうことになったのである。
さて。事業仕分け第二弾が始まったけれど、僕が「なぜ二番を目指してはいけないのか」で書いた通りの様相を呈している。あーやっぱり書いた通りだったか、と思っていたら、今日放送された「たかじんのそこまで言って委員会」で、慶応大の岸教授が「官僚は民主党の政治家が馬鹿だということに気付き、失望している」という発言をしていた。まあ皆さん感じるところは同じなのであろう。
「バンキシャ」をたまたま観ていたら、蓮舫の追跡取材の内容を放送していて、仕分け前のヒアリングが行なわれた後、他の議員達と蓮舫が、
「これはとても面白い」
「どこまでやっちゃおうか」
などと話している光景が流れていた。皆さん、仕分けはこういう感覚で行われているんですよ。
さて、現在、沖縄に、奈良や北陸にあるような先端科学技術大学院大学を設立する計画が進んでいる。ノーベル賞受賞者が全体の半数を占める理事で構成された独立行政法人が、この計画を実際に進めているわけだけど、この法人が、事業仕分け第二弾で最初の槍玉にあげられた。
蓮舫大先生は、理事の年収10000ドルという報酬が高過ぎるとかみついた。へー、じゃあ蓮舫大先生、あんたが iPhone でつぶやきに使っている通信費、一月お幾らなんですか?この理事の年収より多いんですよね。議員として必要だ、と仰るけれど、冠婚葬祭の電報や、票田に出す葉書や、そしてあんたのつぶやきごときのために、ノーベル賞クラスの研究者に一年に支払われるより多い金が、一月で消えてなくなるってのは、これはおかしくないんですか?
たとえば普天間の問題で、現在の普天間飛行場が何処に移転するかはさておき、あの飛行場が移転した後には、宜野湾市に広大な空き地が出現することは確実なわけだ。宜野湾市というのは、那覇から距離にして 10 km 程度しか離れていないから、この土地をどう活用するか、というのは、未来の沖縄の運命を決定づける重大問題だ、と言っても過言ではない。
沖縄は全国でも最も失業率が高い県である。この県において急務なのは、内需拡大であり、雇用創出である。普天間の飛行場跡地を、もしも学術都市の建設に有効に使えれば、なにせ場所が沖縄なんだから、ここで国際会議をしよう、という人も集まるだろうし、院生としての時期、あるいは研究の実働部隊としての日々をこの地で過ごそうという人も集まるだろう。そういう人達が集まることによって、たとえばバークレイのような雰囲気が沖縄に醸成されるならば、それは沖縄全体のイメージを変える。今迄来なかった人が訪れるようになるだろうし、今迄住まなかった人が住み、産み、増え、生活が拡大するだろう。勿論、内需拡大とか雇用創出という意味では、これは些細なことかもしれない。けれど、一地方のフレイバーを変えるような影響を及ぼすことができるならば、それは経済的に少なからぬ意味を持つはずだ。
政治家の仕事は、そういったアクションを起こすことであって、誰かが起こしたアクションを、雛壇で評価することではないのだ。アクションを潰すこと、アクションをスポイルすることが政治家のミッションとしての優先順位が上だ、など、勘違いも甚しいと言わざるを得ない。
皆さん、いい加減に気付きましょうよ。偉い人達にエエカッコシイしたがってる民主党のセンセイ諸氏の欲求を満たす前に、考え、方向付けをし、アクションを起こさなければならないことが存在することに。
アイスランドの火山、スペースシャトル、普天間問題の3ニュースの影に隠れているけれど、こんなニュースが流れている。
韓国、偽装脱北者を逮捕 黄元書記の殺害計画か
【ソウル共同】韓国の情報機関、国家情報院と検察当局は20日、1997年に北朝鮮から韓国に亡命した黄長ヨプ元朝鮮労働党書記を殺害する目的で、北朝鮮からの脱出住民(脱北者)を装い韓国に入国したとして、工作員2人を国家保安法違反容疑で逮捕した。聯合ニュースが報じた。
同ニュースによると、2人は昨年11月、北朝鮮人民武力省から黄元書記の殺害指示を受け、同12月に脱北者を装って中国とタイを経由して韓国に入国。脱北を偽装した可能性があるとして国家情報院が取り調べたところ、殺害指令を自白したという。
2人はいずれも朝鮮労働党員で、同省から工作員教育を受けていた。韓国では黄元書記の通う病院や立ち寄り先などを割り出し、具体的な殺害指示を受けることになっていたと供述しているという。
検察当局は、韓国内に協力者がいる可能性があるとして、国家情報院と協力して捜査を進める方針。
2010/04/20 23:51:50【共同通信】id
韓国でこの話が報道されているか調べると、以下の2記事が引っかかってきた。
上海万博を控えたこの時期に出てくる話にしては、少々きな臭い。
黄長Y(ファン・ジャンヨプ)という人は、北朝鮮において主体(主體、チュチェ)思想を体系化した人物である。つまり、金日成以降の独裁政権の理論的支柱を確立したわけで、北朝鮮では一時ナンバー2と言われていた。しかし、とある事情(本人は北朝鮮の実情への義憤にかられたため、と言っているけれど、党内の立場が悪くなったから、あるいは、国外在住の女性と懇ろになったためだという説もある)から家族を捨てて亡命した。それ以来、何度となく北朝鮮からの脅迫に遭っていたわけだけど、こうも具体的に暗殺事件が発生したのは今回が初めてかもしれない。
それにしても、黄氏が理論構築した主体思想というのはつくづく罪深い。古くは、よど号ハイジャック事件の際に、犯人グループは主体思想(当時の映像を観ると、彼らが「しゅたいしそう」と読んでいるのが確認できる)への傾倒を主張して北朝鮮に渡ったのだった(もっとも、彼らは北朝鮮を思想的に正そうとしていた節があって、要するにミイラとりがミイラになったような体なのだけど)。黄氏が亡命し、主体思想を「マルクス・レーニン主義を極東に適用したもので、もともと独裁政権を正当化する方便として構築したものではない」と言っても、実態として、彼の国は既に三代目を世に出そうと準備している最中だ。ソ連崩壊後、東欧からトルクメニスタンのような独裁国家が出現したのだって、北朝鮮の存在とまんざら無関係ではなさそうなわけで(もっともトルクメニスタンは国民が富裕な生活を維持できていたので大した文句も出なかったようだけど)いや本当、つくづく罪深いと思う。
蓮實重彦という人がいる。仏文学者で、映画評論などでも有名な人だ。この蓮實氏、以前、東大の総長を務めていたことがあるのだけど、ちょうどその頃(具体的には1987年から1988年にかけて)、こんな事件があった。当時東大教養学部教授であった西部邁(「朝まで生テレビ」などで御記憶の方も多いと思う)氏が、浅田彰と並んでいわゆるニューアカデミズムの若きホープとして注目されていた中沢新一氏を東大教養学部助教授として推薦したのだが、学部内でゴタゴタに発展して、結局中沢氏の任用はなし、西部氏も上職を辞任した、というものである。これは「東大駒場騒動」として知られているのだけど、このとき学内は揉めに揉めて、公開討論会などが行われたらしい。蓮實氏は中沢氏に対して好意的であったので、当然そちらの側に立ってこれらの討論に顔を出していたわけだが、その席で、一人の学生が蓮實氏にこう聞いたという。
「なんで大学の先生の言葉遣いというのは、こんなに難しいのですか」
この問に対して、蓮實氏はこう答えたという。
「何故、難しいのか。それはあなたが馬鹿だからです」
この話は、大学時代に聞いたのだけど、当時の印象は、うわー東大怖い怖い、というのが半分、残り半分は「あんな日本語書いてる人が言っても説得力ないよなあ」というものであった。蓮實氏の日本語は、だらだらと(率直に言うと、無駄に)長く、断定的になることを極力回避したもので、ああもだらだら続く日本語というのは、蓮實氏の他には石川淳位しか思い浮かばない。ジャック・デリダの書いたものを、ノーム・チョムスキーは「単純なアイデアをむやみな修辞で記述している」と酷評したという話があるけれど、なるほど、ポスト構造主義好きの蓮實氏は、そういうところも良く似ているのかもしれぬ。
蓮實氏の主張は、好意的にみれば「いやしくも東大に在籍する学生が、学術的厳密性を満足するような論理的表現を『難しい』などと片付けてはならぬ」という意図だったのだろう(夏目漱石も書いている:「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」(『こころ』41章))、と考えられなくもない。こういう意図であるならば、僕も頷けないことはない(というか、この主張の通りであったならどれだけ楽に生きられるだろうか、と思う)のだが、世間というのは残念なことに、学術的厳密性を満足するような論理的表現を『難しい』と切り捨てる連中が生殺与奪権を握っていることが往々にしてあるのだ。
そろそろ、民主党の事業仕分け第二弾が始まるのだけれど、今度は大学入試センターを民営化しろ、などという話が出ているらしい。そもそも、大学入学資格の認定に関わる業務が世間でどういう扱いになっているか、と考えると、ヨーロッパでおなじみのバカロレアはスイスの財団法人 国際バカロレア機構(Organisation du Baccalaureat International)が(正確には、バカロレア資格の得られる教育課程の)認定機関になっている。アメリカの場合だと、たとえば SAT がこれに該当するわけだけど、SAT を運営しているのはCollege Boardという組織で、ここも非営利目的の独立法人である。国の教育システムの最上部をなす大学の入学資格を扱う機関は、こうやって見てみても、民間営利法人とはあいいれないものであって、私大も使うし受験生は受験料を払うから民営化できるだろう、というのは、国の根幹をなす教育システムに対する暴挙だと思うのだけど、この国ではもはや施政者がそういうことも理解できない状況なのだ……大学入試センターを民営化する前に、国会議員全員の給与を2割カットする(一人あたり年額で500万近く、衆参両院で年に数十億の節約になる!)方が財政への効果は大きいと思うのだけど、当然こういう話が連中から出てくるはずもない。
とはいえ、連中は施政者である。蓮實氏のやったように「馬鹿」と片付けてそれで済む訳ではない。だから、こういうときには、馬鹿でも分かるように説明しなければならないのだ。少なくとも、前回の事業仕分けのとき、仕分ける側が馬鹿だ、という前提が、仕分けられる側に欠けていたのは、これは戦略不足と言われても仕方がないだろう。
たとえば、スパコンの予算を削るのにあの蓮舫が言った「二番を目指しちゃ駄目なんですか?」という質問にどう答えるべきだったのか:
解答例:「高速なコンピュータは同一の計算量をより安く得るために必要なのです」
理由:
同じ時期に作られた高速コンピュータのランニングコストはそう変わらないと考えられますから、より速い計算速度を得られれば、速く計算ができる分、同一計算量あたりのコストをより低く抑えることができます。しかも、新しい世代のコンピュータはより低ランニングコストでの運用が可能となるように設計されますから、世界ランキングで少しでも上位のコンピュータを得ようとすることは、より安い計算コストのコンピュータを得ようとするのと同じことなのです。
彼らにはおそらく、こういう説明をしなければならなかったのだと思う。ただね……馬鹿は、あまり馬鹿丁寧に説明されると、自分が馬鹿だと思われているんじゃないかと勘繰って逆ギレすることがあるからねえ……その匙加減は、なかなかに難しいのかもしれない。馬鹿なセンセイ様相手のときは、特に、ね。
Twitter でコメントしたことを読み返していてふと思ったのだが、Twitter に限定せず、ネット上一般において、双方向メディアというもののうかつな使い方が個人情報を簡単に露見させてしまうのだ、という認識は、残念ながら一般化していないらしい。
これは何も現在のネットに限定した話ではない。たとえば、ある人物に関する情報を知りたいときに、その人物の職場や、住んでいる住宅の管理人などに電話して、運送屋などを装って情報を聞き出す……なんてのは、興信所などがよく使う手である。このようなやり方で情報にアクセスすることを、英語では social engineering と言う。
この社会工学……と書くと、最近は同じ名前の一学問分野が存在するのでクレームがきそうだから、世間の例にならって片仮名で「ソーシャル・エンジニアリング」と書くけれど、このソーシャル・エンジニアリングというのは、コミュニケーションにおけるいくつかのセキュリティ・ホールをつく手法だ。そして、この手法に用いられるセキュリティ・ホールの中で最も「活用」されているのは「認証の不備」だ。上に書いた例でも、相手は運送屋じゃない人間を運送屋だと思い込むわけだ。もっと分かりやすく書くと、上に書いた例の場合、広義の社会的コミュニケーションにおいて人が簡便に済ませてしまいがちな認証方法……相手と自分がそのトピックにおいて共有できるアイテムがあることの確認……で誤認証するのを利用して、認証下でなければアクセスできない筈の情報にアクセスするわけだ。
他にも、人の「社会的」セキュリティ・ホールというのはある。たとえば、人は不完全な認証でも、二重に用いれば、ある程度のセキュリティが得られると誤解しがちである。これは冷静に考えればおかしいことは明白で、泥水を漉すのに笊を二重にしたって無駄なのと一緒の理屈なのだけど、たとえば Twitter で、あるアカウントで書き込んでいる人がいて、その人がその人と自分の過去のイベントに関して書いていれば、あーあの人いまつぶやいてるんだ、と、ほとんどの Twitter ユーザは判断するだろう。Twitter は一意的なアクセスを要求しないメディアで、おまけにリアルタイムのコミュニケーションメディアではないから、たとえば国会議員の Twitter アカウントのパスワードをクラックして、委員会とかでつぶやけない時間帯を狙って怪情報を流したら、流せてしまうし、読んだ人はおそらく信じてしまうだろう。いくら Twitter でつぶやいた情報が後から削除できるといったって、ネット上ではあっという間に caching されてしまうから、後の祭りである。
だから、ネット上でコミュニケーションをしている人は、常に情報や情報発信者の一意性とか、情報化による保存の問題とか、あるいはそれらを確認するための時計情報の重要さには気を配らなければならない。インターネットを20年も使っていると、こんなことはもはや常識で、だから一パソコンであっても、nict.jp に NTP でシンクロさせとかないと厭だなあ、とかいうことになる。でも、世間の人はほとんどそういうことが分からないらしくて、Windows や Mac でも default で NTP に対応しているご時世だというのに、時計情報に関して気を配る人はまずいないといっていい現状だ。結局、term としては存在しているけれど、この social engineering という言葉は実感を以て知られてはいないわけだ。
この言葉を僕が初めて目にしたのは、Clifford Stollの"The Cuckoo's Egg: Tracking a Spy Through the Maze of Computer Espionage"(『カッコウはコンピュータに卵を産む』上下巻、クリフォード・ストール 著、池 央耿 訳、草思社、1991年)を読んだときだったと記憶しているのだけど、この本はもはや古典になっているし、クリフも当年とって60歳(え〜?)なんだそうで、まあ最近の人は知らなかったとしても不思議ではない。しかしねえ……tuigeki氏(この方なんとジャーナリストなんだそうで)が今年の2月3日に僕と少しだけやりとりした記録をご覧いただければお分かり思うけれど、
メールや電話が危ないだなんていってる人は非常識な人で、そんな人の意見は相手にされないのが常識です。それでは意見の表明しようがありません。公的機関はネットなんてカウントしてません。
こういう人は、おそらくこんな仕事をされていても social engineering という概念はご存知ないんだろうなあ。一般教養の範疇だと思うんだけど。こんなこと。