火事場泥棒

消費税8%へ引き上げ検討、復興財源に3年限定

政府は18日、東日本大震災の復興財源を確保するため、消費税を早ければ2012年度から3年間限定で3%引き上げ、8%とする方向で検討に入った。

国民に幅広く負担を求め、復興を推進するのが狙いだ。被災地の住民については負担増を避けるため、税率引き上げ分の納税額を後から還付する仕組みを整える方向だ。

東日本大震災の被害額は、内閣府の試算で最大25兆円に上る。消費税収は1%あたり年間約2・5兆円で、税率の3%引き上げで約7・5兆円を確保でき、3年間で復興に必要な支出の大半を賄えることになる。

政府・民主党は18日、本格的な復興に充てる11年度第2次補正予算案の財源を賄うために「復興再生債」(仮称)を発行する方針を決めた。政府は、消費税率引き上げによる税収を一般会計から切り離した「震災復興基金」(仮称)で管理し、復興再生債の償還財源とする考えだ。

(2011年4月19日08時32分 読売新聞)

こういうのを「火事場泥棒」と言うのだ。復興のための資金が必要なんじゃなくて、面倒な議論なしに、消費税率を上げたという「実績」が欲しいというだけのことなのがミエミエである。

そもそも、日本における消費税は「愚かな大型間接税」である。菅直人は何かにつけてイギリスをひきあいに出すけれど、そのイギリスの税制のことをひきあいに出したことが一度でもあったろうか。彼の国における間接税 VAT (Value Added Tax) は、たしかに税率 20 % ではあるけれど、贅沢品や菓子以外の食料品に対しては税率 0 %、つまり VAT はかからないのである。

他のヨーロッパ各国でも、食料品の税率が他の品目と同じなのは、旧東欧の国を除くとデンマーク位である。もっともデンマークは、そもそも直接税の税率が極めて高いし、税負担額が大きい分きめ細かな福祉が保証されている、典型的な北欧型の財政構造だから、これを日本と比較するのは妥当ではあるまい。

そもそも、今回の災害への対応として増税するならば、まず所得税や地方税の税率を変えるべきだろう。今回の地震では、被災地以外でも低所得者層が雇用不安などの深刻な経済的ダメージを受けているわけで、それを横並びで増税しようなどと、それも直接税や国債での資金確保が計画される前に、言い出すということ自体が信じ難い。

世界各国のメディアにおいて、日本人は辛抱強い、文句を言わない、と報じられている。しかし、だ。文句を言うべきときには言うべきだし、暴れるときには暴れなければ伝わらないこともあるものらしい。そう言えばかの枝野官房長官は、地下にジムや柔道場、それに社交室や医務室まで完備されているあの赤坂宿舎に家族と住んでいるらしい。あんなところでぬくぬくと暮してる奴に、民草の声など伝わる筈もないのだ。日本人も、もう声を荒げ、暴れるべきなのかもしれない。そうしないと、僕等はまるで路傍の雑草のように、ただ枯れるのを待つばかりではないか。

情報統制は既に始まっている

皆さん、もうお気付きのこととは思うのだが、ある日を境にして、ほとんどのメディアで、放射線や放射性物質量の具体的な測定値を表に出さなくなった。「〜の定める量の……倍」というフォーマットがすっかり定着してしまった。

僕は、これを一種の情報統制だと思っている。僕は決して上杉隆氏や岩上安身氏等を支持しているわけではないのだけど、大手メディアが一斉にこのような動きをするのは、大手メディアに共通する「具体的な測定値を表に出すと不都合が生じる事情」があるからだろう、と考えるのが自然であって、今回の場合、それが「政府関連や東電関連のプレスリリースにアクセスできなくなるかもしれないから」だというのが想像に難くない。上杉氏や岩上氏が言うところの「全部記者クラブが悪い」式のコントロールが、ここに働いているというのは、決して陰謀史観的な発想ではなく、率直に現状から類推した結果として自然に至る見解であろう。

そして今日、こんなニュースが流れた。

日本で公表されない気象庁の放射性物質拡散予測

東京電力福島第一原子力発電所の事故で、気象庁が同原発から出た放射性物質の拡散予測を連日行っているにもかかわらず、政府が公開していないことが4日、明らかになった。

ドイツやノルウェーなど欧州の一部の国の気象機関は日本の気象庁などの観測データに基づいて独自に予測し、放射性物質が拡散する様子を連日、天気予報サイトで公開している。日本政府が公開しないことについて内外の専門家からは批判が上がっており、政府の原発事故に関する情報開示の在り方が改めて問われている。

気象庁の予測は、国際原子力機関(IAEA)の要請に基づくもの。国境を越える放射性物質汚染が心配されるときに、各国の気象機関が協力して拡散予測を行う。

同庁では、東日本大震災当日の3月11日から毎日1〜2回、拡散予測を計算している。具体的には、IAEAから送られてきた放射性物質の放出開始時間や継続期間、どれくらいの高さまで上ったかを、風向きや天候など同庁の観測データを加えた上で、スーパーコンピューターに入力し、放射性物質の飛ぶ方向や広がりを予測している。

(2011年4月4日14時30分 読売新聞)

ノルウェーの飛散予測シミュレーションの結果は以前からチェックしているのだが、その結果は、この季節の特に少し暖かくなってきた頃の風の影響を色濃く反映するものだった。西高東低の気圧配置が崩れてくると、それまで西風が支配的だった福島辺りは、時間によって北風、そして南東←→北西の向きの風が吹くことが多くなる。当然フォールアウトもその風に乗る訳で、「東日本大震災・放射能影響予測システムによる試算」(2011年3月23日、時事通信社)に掲載されている、原子力安全委が去る3月23日に発表した試算結果にも、その影響が見てとれる。

僕が何を言いたいのか、と言われそうだが、これらのシミュレーションの結果を見て言える見解が「放射性物質に対する行動を原発からの半径で定めてもあまり意味がない」というものだ、ということを言いたいわけである。フォールアウトは南東と北西に偏って落ちていて、南東は海上だからあまり問題にならないけれど、北西は陸上だから、これは問題になる。原発から30キロ圏外にある北西の辺り……と見ると、最近話題の飯舘村なのである。

このようなシミュレーションの結果を政府が出そうとしないのは、そのまま出すと不都合な事情があるからだろう。何が不都合なのか、と考えるに、原発からの距離だけで避難か屋内待機、と、バカ(誤解なきように願いたいが、ここで言っているバカは規制される人々のことではなく、規制する側の人々のことである)でも誤たず言及できる今の対策を、もっと複雑で、実情に即したものに変えることにおいて、何らかの不都合があるのだろう。それは、その土地にいる人々の不都合ではない。施政者の不都合なのである。

このような現状を鑑みるに、やはりこう結論付けざるを得ないのだ:情報統制は既に始まっている、と。バカが雁首揃えて、できることはこの程度なんだから、そういうバカから先に死んでいなくなってしまえばいいのだけどねえ。そう言えば枝野官房長官を応援している人々がいるそうだけど、彼が青息吐息で帰った家がどこにあるか皆さん知ってますか?あの人はね、赤坂の議員宿舎に住んでるんですよ。まあ、あんなところじゃ、福島の寒さも飢えも、とてもじゃないけれど慮ることなどできそうもない。

吾唯足知

カトリックを何十年もやっていると、身に沁みてくる言葉がある。この言葉に関しては、実は非常に不思議な思いをすることがあった。

僕がよく口にし、心に置くようにしている言葉に「足るを知る」という言葉がある。現状に妥協する、迎合する、という意味ではなくて、今の自分に与えられているものへの充足感を感じるように努めていれば、欲にかられて暴走することなく己を治められる、という意味のことばである。

僕は、この言葉は老子のことばだ、と認識していた。今回の地震とそれに伴う原発事故、そして未だに続いているミネラルウォーターの買い占め騒動を耳目にするにつけ、僕はこの言葉を思い出していたのである。しかし、お恥ずかしい話だが、僕は老子の原典をちゃんとチェックしていなかった。で、この夜に、いい機会だからちゃんと読んでおこう、と老子の『道経』を読んでいたのだった。

この「足るを知る」という言葉が出てくるのは、『老子道徳眞經』の第三十三章(辯徳)のこのくだりである:

知人者智、自知者明。
勝人者有力、自勝者強。
知足者富、強行者有志。
不失其所者久。死而不亡者壽。
人を知る者は智、自ら知る者は明なり。
人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し。
足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志あり。
その所を失わざる者は久し。死して而(しか)も亡(うしな)わざる者は寿(いのちなが)し。
他者を知る者は智者であるが、自分自身を知る者は明晰な者である。
他者に勝る者は力のある者だが、自分自身に勝つ者はそれに勝って強い者である。
既に持つ物で充足する者は豊かな者だが、自らを叱咤して努力できる者は大志を持つ者である。
自分が居るべき所を見失わない者は長続きする。死を迎えるときも尚その生を失わない人は、その天寿をまっとうできるのである。

ん?これを読むと、対比表現の前者の方に「知足」が来ている。うーん、これは決して「知足」が悪いことだと言っているわけではないんだけど……と、ちょっと調べてみると、貝原益軒(『養生訓』で有名な元禄時代の文筆家)の『楽訓』なる文章に行き着いた:

わが身の足る事をしりて、分をやすんずる人まれなり。これ分外(ぶんがい)をねがふによりて楽(たのしみ)を失へり。知足の理(ことわり)をよく思ひてつねに忘るべからず。足る事をしれば貧賤にしても楽しむ。足る事をしらざれば富貴をきはむれども、猶(なお)あきたらずして楽まず。

もちろん、貝原益軒の脳裏には老子の文章があったことは想像に難くないが、僕のイメージする「足るを知る」というのは、どうもこれが起源のようである。

ちなみに、「吾唯足知」ということばの起源だが、これは龍安寺(方丈庭園……枯山水の石庭としてあまりに有名だが……のある寺である)に置かれている蹲踞(つくばい……手水鉢と言ったらいいのだろうか)に彫られているのだという。その蹲踞を寄進したのは、水戸藩第二代藩主・徳川光圀だと言われているそうだ。

呆れてものが言えない

東電の関連企業の作業員3人が被曝、うち2人はβ線熱傷の疑いで放医研に送られた、というニュースは、まさに呆れてものが言えないようなものだった。

作業員にガラスバッジを着けさせないことに関しては、僕は前々から問題を指摘していた。いわゆる線量管理の場で、ごまかしようのない手段で被曝線量を把握するというのが重要だ……というのは、これは放射線絡みの基礎教育を受けた者なら皆知っているはずのことだ。今回は、案の定、あまりに早くポケット線量計のアラームが鳴り始めたので、作業員は「壊れたのかと思い」それを無視したのだ、という。着用していたら誤魔化しようのないガラスバッジでも、究極チート「着け忘れる」というのがあるのだから、ポケット線量計「だけ」で現場の線量管理をしよう、などというそのオツムをまずは疑う。

いや、そもそも、作業員達は、心の底から線量計が「壊れている」と思い込んで無視したのだろうか?彼らには当然、

「この事故の深刻さはよく分かってるよね?」
「現場のことをよく知ってるのは君達しかいないんだよね?」

という、暗黙のプレッシャーがかかっていたのだ。だから、あまりに呆気なくピーピー鳴り始めたポケット線量計よりも、重大事に対して一刻も早く対処しなければならない、という意志の方が勝ってしまって、線量計のアラームを無視したのではないか。作業員にこの点きつく確認している様子は、どうやら全くないようだけど、おそらくこの問題に関しては、暗黙のプレッシャーがかかっていた状況について、東電に厳しい責めが向いて然るべきだ。なぜって、東電側は、そういうプレッシャーを黙認することで、作業員に危険な作業をやらせ易い雰囲気を醸成していたのだから。これはあまりに罪深い。

そして、線量計の値から作業員の被曝線量を簡単に出しているけれど、それじゃ駄目だろう?水中には、β線熱傷を負う程に放射性物質が流出していたんでしょう?水面での計測で毎時400 mSv ってことは、その水に浸っていた箇所の局所的な被曝量が、ポケット線量計の積算値だけではとうてい計り得ないものであることは自明だろう。β線熱傷の程度と範囲を見極めずに、今回の作業員の健康に大きく関わる「実効被曝線量」を明らかにすることはできないはずなのだ。

……なんか、もう、書いていて厭になってくる。この期に及んでまーだ小学生みたいな愚行に終始している東電も、それを諫めることすらできない政府も、もう、本当に、馬鹿ばっかりだとしか言いようがない。馬鹿はさっさと消えてくれや。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

New Entries

Comment

Categories

Archives(902)

Link

Search

Free

e-mail address:
e-mail address