なぜオスプレイは危険だといわれるのか(番外編)

土曜の夕方は、他に用事がなければ『報道特集』を観ることにしていて、今日(2012年8月4日)も観ているところなのだけど、さっき流れたニュースで、顎が外れるような心地にさせられた。

V-22 オスプレイの問題に関して、訪米中の森本敏防衛相がワシントンでメディアを引き連れて試乗を行ったらしい。そのときの森本氏のコメントがまずダメダメである:

想像以上に飛行が安定していた」
いや、どんな想像してたんですか、森本さん? ここは「想像通り飛行は安定していた」って言わなきゃならないところでしょう。しかし、このコメントに関しても報道のされ方は引っかかるところがあって、MSN 産経読売新聞朝日新聞の記事では「想像以上に飛行は安定した」と書かれているのに対し、時事通信日本経済新聞では「非常に安定した」と書かれているのだ。あれだけ記者が雁首並べて、IC レコーダー等も持っているだろうに、どうしてこんな風にコメントが分かれるのだろうか?

おそらく、この齟齬の原因としてまず考えられるのは、それだけ音が大きかった、ということである。オスプレイのローターの大きさからしても、その騒音は並のプロペラ機と比較してもかなり大きいだろうし、当然、今回乗った人は皆防音のヘルメットを被らされた筈だから、ノイズキャンセルのインカムなしではコメントを聞き取るのは至難の業だったはずだ。

しかし、この点に関しても、各社で書いていることが微妙に異なっている。上記リンクした各社の記事から該当部分を引用すると:

森本氏は試乗後、記者団に「想像以上に飛行が安定していた。騒音もそれほど大きいという印象は受けなかった。早い時期に沖縄県知事に会って説明したい」と語った。(読売新聞)
騒音についても「それほど大きな被害を受けるという印象は持たなかった」と語った。(時事通信)
というのに対し、朝日新聞は、
森本氏は、地上でオスプレイの飛行時の騒音も確認。「やっぱり音だな」とつぶやくと、米海兵隊幹部が「(音が大きいのは)基地の中だけだ」とあわてて説明した。森本氏は試乗後、「想像以上に飛行が安定している。音は、市街地にあまり大きな影響を与えないだろう」と語った。(朝日新聞)
と書いている。また、東京新聞が掲載している共同通信の記者が書いた体験記には、
固定翼モードでも揺れが多いのは意外だった。民間プロペラ機と同様、気流の影響と思われる上下の揺れを何度も経験した。搭乗者は全員、防音機能の付いたヘルメットを着用。右耳の耳当て部分を外して騒音を確かめたが、あまりの音の大きさに驚き、すぐに元に戻した。
と書かれている。一体本当はどうだったのだろうか? やはり、このように各社の記述に齟齬が生じたのは、真相にアクセスし難かった(つまり、うるさくてよく聞き取れなかった)と考えるのが一番自然だと思われるのだけど。

で、何が顎の外れる思いをさせたのか、という話だけど、『報道特集』で、オートローテーションを行う可能性について日本政府関係者が、

「そんなことが起こる事態は考えられない」
と語った、というのである。

ここで重要なのは「オートローテーションを行わなければならない可能性は極めて低い」あるいは「ない」というのではなく「考えられない」というコメントだった、というところである。言葉尻をとらまえて何を言うか、と言われるかもしれないけれど、官僚や政府関係者が報道関係などにコメントする際、一番彼らが注意するのは、その「言葉尻」なのである。後々どのような事態に至ったとしても、責任追及されることを避けられる余地を残すことを、彼らは何よりも重要視するからである。

オートローテーションを行う可能性が統計的に十分な信頼性をもって「無視し得る程に低い」のならば、彼らはそうコメントするはずである。しかし、そこに恣意的解釈の余地を残した「考えられない」という言い回しを使う、ということは……皆さん、もうあの原発事故を経験しているんだから、よくお分かりになるんじゃないですかね。これがいわゆる「想定外」というやつである。

それにしても、森本氏も、このコメントを出した政府関係者も、とにかく脇が甘い。甘過ぎである。森本氏はこういう官僚的視点からの言質の問題をまだよく理解していないのかもしれないが、政府関係者が、この期に及んで尚「想定外」と規定することで責任追及を逃れ得ると考えているのだとしたら、これは頭に腐ったオガ屑でも詰めているんじゃないの? と言われても仕方なかろう。いやはや、こんな手合いがこの国を動かしている。これが現実だ、ということらしい。

そして、このコメントの裏には、最悪の場合、逃れなければならない程の追及を受ける可能性を、彼らが感じている、ということが透けて見える。僕はこのコメントを聞いて、ああ、やっぱりオートローテーションに関して彼らは危険性を認識しているんだなあ、と確信せざるを得なかったのだ。

実はメディアの人々も、同様の結論に至っているのかもしれない。以下に時事通信の記事を引用して、この番外編を終えることにしよう:

結論ありきの「安全」演出=オスプレイ配備へ日米合作−地元説得に高い壁

【ワシントン時事】3日(日本時間4日)の日米防衛相会談とその後に行われた森本敏防衛相の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ試乗は、両政府が協力して同機の安全性をアピールする場となった。しかし、「配備ありき」の姿勢に沖縄など地元が態度を軟化させる可能性は低く、説得のハードルはなお高い。

◇絶賛する防衛相
「飛行は大変快適」「横振れは全くない」「騒音がそれほど被害を受ける印象はない」。試乗後、ワシントン市内で記者団に感想を問われた森本氏は、オスプレイを絶賛するようにまくし立てた。
 森本氏は航空自衛隊在籍当時、戦闘機部隊で整備員を務めていた「エキスパート」(防衛省筋)。自らその経歴に触れた同氏は「安定飛行できることは(地元に)説明できる」と胸を張った。
 これに先立ち、国防総省で行われた防衛相会談では、日本での運用に際し住民の安全に万全を期す方針を確認。直後の共同記者会見でパネッタ米国防長官は「最終的に日本で運用できると期待している」と、計画通り10月に沖縄の普天間飛行場で本格運用に入りたい考えを表明した。
 関係者によると、森本氏の試乗をめぐり、米側は「安全性を示す機会になり、地元の反発も和らぐ」と積極的に協力。普天間に現在配置されているCH46型ヘリコプターとオスプレイの両方を森本氏の前で飛ばし、騒音発生状況の比較までさせた。

◇理屈抜きの嫌悪感
 米側が予定通りの日本配備にこだわるのは、老朽化したCH46からオスプレイへの交代を既に世界規模で進めているため。CH46に比べ航続距離や速度が格段に勝るオスプレイは同盟国などへの売却も検討されている。多額の費用と長い年月をかけ開発した同機に「けち」がついてはたまらないという思惑も背景にあるようだ。
 オスプレイはアフガニスタンなど戦地でも日常的に運用されており、米側ではその安全性にほとんど疑問を持たれていないのが実態。しかし、開発・実験段階で相次いだ死亡事故が逐一報道されてきた沖縄では「理屈を超えた嫌悪感」(県幹部)が広がる。
 沖縄県の仲井真弘多知事は森本氏の試乗を控えた3日、那覇市内で「テストパイロットでもないし、(安全性確認に)何か意味があるのか」と冷ややかに語った。
 「老朽化に伴う単なる機種変更なのに、なぜこんなに騒ぎになるのか分からない」。7月下旬、地元の状況を直接説明するためワシントンを訪れた同県の又吉進知事公室長は、こう感想を漏らした米政府当局者に「そういう質問が出ること自体、現実を理解していない」と怒りをぶつけた。

◇運用制限に悲観論
 日本政府は地元説得の材料にするため、4、6月に起きた墜落事故の米側調査結果が出るのを受け、専門家による分析チームを派遣して安全性を自ら確認。同時に、両政府の担当者による日米合同委員会の場で、飛行の高度やルートに配慮するよう求めていく方針だ。
 しかし、日米地位協定に基づく在日米軍の活動に大きな制約を設けるのは実際には困難。「日本にできるのは配慮を要請することまで」(防衛省幹部)と悲観的な声が漏れている。(2012/08/04-18:00)

重みを軽んずる人々 III

オスプレイの話で書くのが遅くなってしまっていたが、僕の所属教会に関するグダグダな話の続きを書くことにする。

前回の話では、献堂50周年記念冊子を2部も送りつけられ、日曜に叩き返すつもりだ、というところまで書いたのだった。あの後、ただ叩き返しても連中は何も反省しないのだろう、と思い、手紙を添えることにしたのだが、ただ手紙を添えても黙殺されるだろうし、場合によっては逆ギレされて吊し上げを食らう可能性だってある(いや、連中は本当にそういう手合いなのだ……カトリックが聞いて呆れる、という話なのだが)。そこで、手紙のコピーに添状を付けて、教会の主任司祭にも送っておくことにした。以下に手紙と添状のコピー(一部加工してあるが)を示す。

土曜日の午後、例の冊子二部にこの手紙を添えた包み、そして手紙のコピーに添状を入れた封筒を携えて、僕は教会の事務に向かった。事務担当の O 女史を探したが、所用で席を外しているようだったので、包みに傷がつかないよう注意しながら、包みと封筒をポストに入れた。さあ、どうなることやら……しかし、U は淡々と、

「まあ、そんな手紙でどうにかなるんだったら、とっくに変わっているはずでしょう」

いや、そうなんだけどね……

そして翌日、僕はいつも通り9時半のミサに出たのだが、誰も何も言ってくる風でもない。これはおそらく手紙が黙殺されたに違いない……ということで、ミサ終了後、教会事務に行ってO女史に聞いてみると、

「ああ、あの包みは、献堂50周年記念冊子編集委員会の T さんにお渡ししましたよ」

なるほど、T 夫人か。いかにもこういう自分達に不都合なものを黙殺しそうな人だもんな。では T 夫人に……と、その前に、主任司祭の I 神父に仁義を切っておくことにしよう。

多忙でなかなか捕まらない I 神父だが、うまい具合に信徒会館の執務室に入るところを捕まえた。

「おお、Thomas 君か。お手紙、読ませていただいたけれど、他に何かあるのかね?」
「いえ、ただ、これで何か騒ぎになる可能性がなきにしもあらず、ですので、その時は神父様のお手を煩わせることになるかもしれないので、一言ご挨拶を、と思いまして」
「ほう、それはまたご丁寧に」

I 神父は、ここの信徒のグダグダぶりにすっかり絶望し切っているようで、我関せずの姿勢を崩さない。だからきっと今回も「Thomas 君、どうせ無駄無駄」とか思っていたのかもしれない。

聖堂の方に戻ってみると、T 夫人が正面入口から出てくるところだったので、

「T さん」

と何度か声をかけたが、ここでまさかのシカトである。僕をずっと無視して、友達らしき女性と facebook のことを話し続けている。それでやりすごせると思ったのだろう。しかし僕はそこまで諦めがいいわけじゃない。話が終わるまでそこに立って待っていた。

やがて、話相手の女性も去っていったので、再び声をかける。さすがに公衆の面前でシカトを続けることに体裁の悪さを感じたのだろう、ようやくこちらを向いた。

「ああ Thomas さん、手紙、見ました」

なるほど。読んだんじゃなくて見たんですね。あなたらしいやり方だよ。

「なんで2部送られてくるんですか?」
「え? あれはラベルを事務で印刷してもらったから事務の方の……」

おーい、事務室の O さん、あなたのせいにされてるよ。

「いや、重複チェック位しなかったんですか。それとも、それもできない位大量に送りつけたんですか?」
「……」
「とにかく、あの手紙、常任委員会の皆さんにも回して下さいね。特に信徒会長の S には、必ず」

はいはい分かりました、と言いながら、逃げるように T 夫人は立ち去った。

しかし、僕の手紙が連中に読まれたかどうか判然としない。S は未だに早口で祈りの言葉を先導するし、何ひとつ、グダグダぶりは変化していない。そして、後で聞いた話によると、この冊子の発送数は僕の予想を遥かに超えるものだったらしい。おそらく無駄に使われた金額は20万に迫らんとする程だろう。つくづく、信仰の彼岸にあるとしか思えない所業ではないか。

久々に

昔の自分のやったシミュレーション結果を久々に見ていて、少々引っかかることを発見した。こういうときは、実際にやり直してみるのも悪くない。

何せ、このシミュレーションをやった頃は、Mac OS X の原型であるところの NeXT とか、1秒あたりで課金されるスーパーコンピュータなどを使ってひーひー言いながら計算をやっていたのが、今やごく普通のパソコンでもできてしまう。まさに、かのムーアの法則が、ダイレクトにこの世界に反映しているのである。

幸いなことに、基になるソースは作者の現在のサイトで公開されている。ダウンロードしてきて、まず手始めに GNU Fortran でコンパイルしてみると、まあありがちな話だが、時間を読み取る関数でコける。えーっと、gfortran ではどんな関数だっけ、あー stime でいけるのね、とブツブツ言いながらソースを修正すると、さっくりコンパイルが通る。確か、昔には COMMON 文絡みで、一月位かけて泣きながらソースを修正したような記憶があるのだが。

こうなってくると、貧者の最速コンパイラ(但し僕のような AMD ユーザにとってはその恩恵に与り難いわけなのだが)であるところの Intel Fortran でコンパイルしたくなる。よせばいいのにコンパイラを入れて、ああそうだ stime じゃなくて、DATE_AND_TIME を call して……とまたちょこちょこ書き換えてコンパイル。うむ。問題なく通りますね。

とかやって、またちょこちょこと計算をやっている。ある物質の安定性が、どうもこの計算では保証し難いような気配なのだが、どうだったっけ。昔は、某氏の文献値をそのまま使ったんだよなあ。あの当時、計算で追試するなんてできる状況ではなかった(時間もお金も資源も)ので。今だったらちょろちょろっとジョブを突っ込んで、次の日の朝にはある程度結果が出ているんだから、いやはやムーアの法則は恐ろしい。

ぐだぐだ

この10年程だろうか。国際柔道を観る度に文句ばかり言っているので、U は「もう日本は柔道出るの止めちゃったらいいんだ」とまで言っているのだけど、これは日本柔道が国際化の道を選択した結果なのだから、仕方のないところもあるのかもしれない。

剣道をやっていた者として強調しておきたいけれど、もはや国際柔道は武道ではない。少なくとも、剣道の試合で一本取った後にガッツポーズなどしたら、その一本は取り消されるのが普通である。「残心」を失った国際柔道は、その時点でもはや武道ではないのだ。

しかし、今回のオリンピックの柔道は、いつもに増してひどい。今さっきの、男子66キロ級の海老沼匡選手と韓国のチョ・ジュンホ選手の一戦は……こんな試合、僕は少なくとも観たことがない。

双方が注意ひとつづつで時間切れで、いわゆる golden score に入って、海老沼選手は有効となった……のだが、これが取り消された。そしてそのまま時間切れ。海老沼選手の優勢勝ちか、と思ったら、なんと審判が3人とも青旗(チョ選手側)を上げた。場内は激しいブーイングに包まれた。

驚いたのはその後である。審判が3人とも会場の隅に向かい、そこで誰かと話し、そして……今度は白旗が3本上がったのである。日本にとっても韓国にとっても、こんな後味の悪い判定はないだろうと思う。解説者も、スタジオに居た古賀氏も、

「3本旗が上がったのが覆ったのは、今迄見たことがない」

と異口同音に驚きの声を上げていた。

阿呆な右がかった連中が無意味に食い付いてきそうなので書いておくけれど、僕はあの試合は海老沼選手の優勢で間違いないだろうと思う。問題なのは、このぐだぐだな審判システムの方なのだ。

皆さんは、柔道の審判システムに、数年前から画面に映らない「第4の審判」が加わっているということをご存知だろうか。さっき見てみたら、ちゃんと Wikipedia に説明が載っていたのでリンクしておこう:

Wikipedia 日本語版「ビデオ判定」柔道の項

事の発端は 2000年、シドニーオリンピックにまで遡る。男子100キロ超級の準優勝、篠原信一対ダビド・ドゥイエ(フランス)の一戦、篠原はドゥイエの内股を実に見事にすかしたのだが、審判は2対1でドゥイエの一本と判定、篠原は銀メダルとなった。この判定に関しては、後に国際柔道連盟が誤審と認めたのだが、国際柔道連盟試合審判規定第19条(審判が会場を離れた後に判定が覆らないと規定している)によってドゥイエの金メダルはそのままになった。僕は数か月前にたまたま観たフランス制作のドキュメンタリーで、ドゥイエが当時を振り返ってコメントしているのを目にする機会があったのだが、「あれは我々の完全な勝利である」と誇らしげに言い切るのを見て、本当に厭な気分になった。

話を戻すが、この一件で、柔道の審判システムにビデオのバックアップを付加すべきである、という話になって、2007年から、国際試合では2つのビデオカメラで試合を記録し、本部席の審判員(ジュリー Jury と呼ばれる)が微妙な判定に対してこのビデオで確認を行うようになったのだ、という。今回も、場内割れんばかりのブーイングで、このジュリーが主審・副審を呼び出して、このような事態になったのである。

何が問題なのかは明白である。篠原の一件に代表されるような事態に対する対策として、ビデオ審判を導入することが悪いとは言わない。しかし、それ以前の問題として、国際試合の審判の技術レベルのボトムアップ、というのがまず先に求められるべきだったのだ。それが十分でないままビデオ審判が導入された結果、微妙な判定が求められるときに、とりあえず判定しておいて、問題になりそうだったらジュリーの指示を求めればいい、というコモンセンスが生まれ、それが定着しているのである。ロンドン五輪の柔道をご覧になる方は、主審の耳を見ていただきたい。皆インカムを着けている。困ったときはジュリーに聞く、と言わんばかりの状況である(後記:山口香氏が指摘していたので気付いたのだけど、これはインカムではなくイヤホンである……つまり、審判はジュリーの言うことを聞いていればいい、ということで、ジュリーの方が権限が上だということなのだ)。

しかし、武道の審判というのはそんないい加減なものではなかった筈だ。相撲の行司を見ていただければ分かるが、行司は皆軍配を持つだけではなく、帯に必ず脇差を差している。差し違えがあれば腹を切る覚悟だ、ということを表すためのものだというのは、ご存知の方も多いと思う。

今、僕の背後のテレビでは、海老沼選手が準決勝で敗れる瞬間を映し出したところだ。つくづく思う。もう柔道は武道ではないのだ。勝利したグルジアの選手は、両手を上げて指を立てて……ああ、いやだいやだ。本当にいやだ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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