『君が代』を歌えと言う割に

僕は『君が代』を歌うことをどういう言う気はない。もちろん、国際的に国家に対して払うべき礼……起立するとか、ましてや妨害しないとか……は守られるべきだと思う。しかし、歌わない人に対してどうこう言う気もあまりない。そういう方は、立って、その上で口パクするなり口を閉じたままにしておくなりしていただければ、他に何も言うべきことはない。

むしろ、最近嫌気がさしているのが、『君が代』の重要性を主張しつつも、それをまともに歌うこともできないような人の存在である。そう、あなたのことですよ、橋下徹元大阪府知事!

おそらくこういう話は誰もが一回は耳にしていると思うのだけど、どうして皆「さざれ、いしの」と切って歌うのか。さざれ石(細石、碝石)という言葉も知らないのだろうか。いや、しかし、もし万が一知らないとしても、こんなところで切るという、その神経を僕は疑うのである。

これも今更書くまでもないことだけど、日本語の音韻は「七五調」とか「五七調」と言われる特徴を持っている。『君が代』もこの例外ではない。

きみがよは / ちよにやちよに
さざれいしの / いわおとなりて
こけのむすまで
「さざれいしの」は6文字になっているが、こうやって見ると見事に五七調の音韻で詠われていることが分かる歌である。この音韻を考えずに「さざれ、いしの」と切るような輩に、国歌がどうとか言う資格などない。あえて言うならば、国歌を汚す卑劣漢だとしか言いようがない。そんな連中に国歌がどうだの、言ってもらいたくないのである。

PyXPlot memo

備忘録的メモ。

PyXPlot と Gnuplot の間には色々相違点がある。ほとんどのコマンドは同じように使えるのだが……以下、ひっかかりそうな項目チェック。

まず、Gnuplot で使う3項演算子 (A ? B : C) は、PyXPlot では conditionalN(A,B,C) と記述する。numerical でなく文字を扱う場合には conditionalS(A,B,C)。

Gnuplot で、プロットをさせたくない範囲の値として 1/0 を使うことがあるけれど、これは PyXPlot では default ではエラーを返す。あえて使いたい場合には set numeric errors quiet とすること。

目盛の間隔調整を行う場合、mxtics / mytics の意味合いが違っているので要注意。Gnuplot ではこれらは「xtics / ytics を何等分するか」だが、PyXPlot の場合は副尺の刻みそのものの値が入る。たとえば、

gnuplot> set xtics 10
gnuplot> set mxtics 5
は、
pyxplot> set xtics 10
pyxplot> set mxtics 2
となる。

かたちだけ

キリスト教徒でない方々も、洗礼という言葉はご存知だろうと思う。水に沈められることで死と復活、そして聖霊による再生を得る、という儀式で、カトリックではこの洗礼、堅い信仰を誓う堅信、そして聖体拝領を合わせて「入信の秘跡」と言う。要するに、クリスチャンになるための重要な第一歩ということである。

洗礼というものは、キリスト教の成立する前から行われていたものである。聖書を読むと:

 荒れ野で叫ぶ者の声がする。
 『主の道を整え、
 その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。(マルコ 1:3-5)

とあるように、もともと洗礼というのが(ユダヤ教の世界における)罪の悔い改めの儀式だったことが分かる。実は、イエス・キリストもこの洗礼者ヨハネによって、ヨルダン川で洗礼を受けている。

 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(マルコ 1:9-11)

という具合に、かなりドラマティックな洗礼だったわけだけど。

カトリックの場合は、幼児洗礼と言って、日本のお七夜位の感覚で乳児のうちに洗礼を受けさせることがよく行われる。僕は、親の方針(プラス、僕が変わった子供だったことから)で、小学三年生のときに意志を確認され、自分で「受けたい」と言って洗礼を受けたので、この幼児洗礼ではないわけだけど、こういうのはむしろカトリックでは変わり種である。これに対して、プロテスタントのほとんどの教派では、この幼児洗礼は認めていない。また、カトリックの洗礼は、聖水を額に注ぐ(直下に容器を置いて流れた水を受ける)だけなのに対し、プロテスタントの洗礼の場合、バスタブやプール、あるいは聖書の記述にならって川で、全身を文字通り「水に漬ける」ことが多い。

この洗礼、特に「この時期でなければならない」ということはない。特に幼児洗礼の場合、それこそお七夜よろしく年中行われるわけだけど、自分の意志で洗礼を受ける人の場合、それが再生と復活の儀式であることから、復活祭(イースター)の時期に行われることが多いのだが、僕の現在の所属教会では、これに加えてクリスマスイブに洗礼式が行われる。

洗礼を受ける何週間か前に、自らの意志で洗礼を希望する旨署名する「洗礼志願式」というのが行われる。実は今日がその日だったのだが(長い前振りだった)、毎回毎回、この洗礼に関わるイベントでは、厭な思いをさせられることが多いのだ。

非常に残念な話なのだけど、教会には、信仰以外のものを求めてやってくる人が少なくない。彼らの求めているものは、「正統」としてのカトリックの伝統を我が身に纏うことだったり、宗教的な所作をアクセサリーとすることだったり、ヒエラルキーの中で権威たる存在に近しくなることだったり……いずれも、信仰というものには程遠いものだと思うのだけど、こういう手合い程熱心だからたちが悪い。しかし、そういう手合いはすぐ分かる。彼らには「祈り」というものが身に付いていないのだ。まさに「かたちだけ」。そして、僕の所属教会は、なまじ大きい教会であるが故に、そういう手合いが集まって来やすいのかもしれない。

U は、この教会で洗礼を受けたわけだけど、昨日、丁度こういう話になったのだった。

「大体だな、あんたと一緒に受洗した人は10人位いただろ。そのうちで、今でも教会で会う人って誰がいる?」

U は少し考えて、二人の人の名前を挙げた。他の人には、それ以来会ったことがない、という。まあ、こんな調子なのだ。

今日の洗礼志願式に現われた人々も、残念ながらこんな手合いなのだろう。歌は一つも歌わない。祈りも一つも口にしない……「回心の祈り」も、使徒信条すら口にしないのだ!

しかし、今日の手合いはそれにも増してひどかった。司祭の説教のときに舟を漕いでいる……よりにもよって、洗礼志願式で、それもひとりじゃない。二、三人もだ! で、聖体拝領のときになると、いそいそと司祭のところに行って祝福を求める。

きっと彼らは、教会に何かを貰いに来るのだろう。カトリックのアイテム。カトリックのお墨付き。そして、受洗した後は、ホスチアを食うためにミサにやってくるのだ。およそ、彼らは祈りなどというものの彼岸に居るに違いないのだ。

本当に、こういう手合いと同列に扱われたくない。そんなことのために、自分の一生の大半をカトリックとして過ごしてきたわけではないのだ。まあ、他人のことはどうでもいい、と普段は思っているのだけど、それにしても、いざこういう手合いを目の当たりにすると、つくづく厭な気分になる。本来なら、共同体へのニューカマーを共に祝福すべき日に、何故こんな気持ちにならなければならないのだろうか。

極太ゴシック

OTF パッケージとフォントの話が出てきたところで、丁度いい機会だから、OTF で使用する可能性のあるフォントをフリーのもので揃えておこう、と思い立った。普段、local では Mac 上でヒラギノを埋め込んで印刷しているので、こういうときには何も問題はないのだけど、Linux 上でもそういうことができるようにしておこう、というわけである。

既に 5 書体は確保してあるので、あとは極太の eb series をどうするか……という話である。しかし、net 上を探し始めて分かったのだけど、フリーの極太ゴシック体というのはなかなか見つからない。うーん……と唸りつつ、手元の MigMix-2P-bold を改変しようということで、FontForge を立ち上げる。

embolden by の値を 20 程度にしてフォントの肉付けを行っているのだけど、やはり潰れる部分が出るようで、ちょぼちょぼとエラーを示すパネルが出る。FontForge は、このパネルを消すまで変更を止めるので、いちいち確認していなければならない。こうやって何か書いているときならばいいのだけど、もうすぐ昼飯刻である。どうしたものか。うーん。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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