国家が個人を殺すということ

ウサーマ・ビン・ラーディンが米海軍の特殊部隊Navy SEALsの強襲を受け殺害された、との報が流れてから、もう4日が過ぎようとしている。アメリカでは、大リーグの試合中にこのニュースを知った人々が "USA !" とコールした、などというニュースが流れ、その後もオバマ大統領がグラウンド・ゼロを訪れて献花するときにも、そのような熱狂的なコールがなされたと報道されている。おそらく彼らは、アメリカという国家がした行為の意味を、自分達の視点からしか見ていないのであろう。

これを読まれている皆さんの中に、このことを思ったことがない方がおられないことを切に祈っているけれど、この地球という星は少し歪んだ球体で、その上には多種多様な世界観を持つ人々が暮していて、その数は既に70億人に達しようとしている。世界観の違う人々の間では、真実はひとつではない。自然科学的に観測・記述される現象がひとつであったとしても、その現象の持つ社会的意味は、異なる世界観の数だけのバリエーションをもって存在しているのだ。

アメリカ人は……まあ、原爆投下を「戦争を終わらせるために必要だった」と未だに主張している位だから、彼らは彼ら自身の世界観、そして彼ら自身の「正義」でいとも容易く世界を断じる。いみじくも、オバマ大統領は、国民にビン・ラーディン殺害を報告するスピーチでこう言ったのだ: "Justice has been done." (正義が為されたのだ)。この一言が全てを象徴している。

しかし、そもそも正義とは何だろうか。いくら周囲に武装している部下がいたかもしれないからって、丸腰のビン・ラーディンを射殺することが正義と言えるのだろうか?しかも、側近や妻、そして子供達を掌握した、その目前で射殺した、と、ビン・ラーディンの12歳の娘が証言しているという話も伝わってきているのである。

ビンラディン容疑者殺害の瞬間、12歳の娘が目撃か
2011年05月05日 15:31 発信地:イスラマバード/パキスタン

【5月5日 AFP】パキスタンの情報機関当局者が4日、国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)の最高指導者ウサマ・ビンラディン(Osama Bin Laden)容疑者が米軍特殊部隊によって殺害された瞬間を、同容疑者の娘が目撃したと証言していると語った。

パキスタン軍の情報機関、三軍統合情報部(Inter-Services Intelligence、ISI)の当局者が匿名を条件にAFPに語ったところによると、ISIは米軍急襲時にビンラディン容疑者の潜伏先とされる邸宅にいた大人3人、子ども9人の計12人の女性を拘束し、事情聴取をしている。うち1人はビンラディン容疑者の妻のイエメン人女性で、米軍に足を撃たれた。また1人は同容疑者の娘だという。

これによると、12歳だと伝えられているこの娘は「ウサマ(ビンラディン容疑者)が死んだこと、撃たれてどこかへ運ばれていったことをわれわれに証言した」という。

この当局者はまた、パキスタンは米情報当局と2009年から情報を共有していたと語った。ISIが2009年に米国に提供した情報は、この邸宅がビンラディン容疑者の隠れ家であることを直接的に示すものではなかったが、米軍は最終的にこの邸宅にたどり着いたという。

ビンラディン容疑者がパキスタン軍施設のすぐ近くに数か月にわたって潜伏できたことをめぐり、パキスタン政府に疑惑の目が向けられていることについてこの当局者は、ISIは2003年にアルカイダのナンバースリー、アブ・ファラジ・アル・リビ(Abu Faraj al-Libbi)容疑者を追って問題の邸宅を捜索したが失敗に終わり、その後この邸宅は「われわれのレーダーから消えていた」と説明した。(c)AFP

当初から米部隊に「殺害」命令 ビンラディン容疑者作戦

【イスラマバード共同】国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者襲撃作戦を実行した米海軍特殊部隊が受けていた命令は、「身柄拘束」ではなく「殺害」だったことが6日、分かった。作戦の全容を知る米政府筋が共同通信に明らかにした。

米政府はこれまで、ビンラディン容疑者が抵抗したために殺害したと説明してきたが、当初から殺害目的の作戦だったことになり、国際法上の適法性などにあらためて疑問の声が上がりそうだ。

同筋は、殺害命令が下された背景について「裁判にかければ数百万ドル(数億円)かかる」と財政上の問題を指摘した上で、「主張が世界に知れ渡るような裁判を望まない」と述べた。

2011/05/06 09:57 【共同通信】


かつて、イスラエルの諜報組織であるモサッドが、ユダヤ人虐殺に関与したとされるアドルフ・アイヒマンを、逃亡・潜伏先であったアルゼンチンで拉致したことがあった。このとき、彼らはアイヒマンを殺さず、泥酔した旅行者に偽装して出国させ、イスラエルに入国させて裁判にかけ、死刑判決を下して絞首刑に処したのだった。この行為も、決して国際的に認知された独立国家の所業として正当なものだとは思えないし、その後、いわゆる「ミュンヘンオリンピック事件」の後に行われたといわれている「神の怒り作戦」や、最近だと去年の1月にドバイでハマス幹部が暗殺された事件などにおいて、イスラエル人に対して犯罪行為を行った人物の暗殺を何度となく行っていることも、とても正当なものだとは思えない。しかし、そんなイスラエル「ですら」、アドルフ・アイヒマンを捕縛した後に、一応は裁判にかけた上で処刑しているのである。中東の小国で、常に追い込まれた立場に置かれているイスラエル「ですら」、だ。世界一のスーパー・パワーであるアメリカが、なぜそれ「すら」できなかったのか。これは責められて然るべきことだろうと思う。

それだけではない。ムスリムを、聖職者の立ち会いなしで水葬した、というのは、これはムスリムにとっては非常に屈辱的なことである。世間の報道では、ムスリムは死後48時間以内に土葬、という話が流れているようだが、これは間違いで、ムスリムは、死後「朝死んだらその日のうちに埋葬する」、つまり24時間以内に埋葬する習慣である。日本では「墓地、埋葬等に関する法律」(通称「墓地埋葬法」)の中にこういう条文がある:

第三条  埋葬又は火葬は、他の法令に別段の定があるものを除く外、死亡又は死産後二十四時間を経過した後でなければ、これを行つてはならない。但し、妊娠七箇月に満たない死産のときは、この限りでない。
つまり、日本国内では、死後24時間以上経過しなければ埋葬が許可されないわけだが、この条文のために、日本在住のムスリムは皆埋葬の儀礼を守ることができない。おまけに、東京都や大阪府、あるいは名古屋市などの地方自治体は、条例で土葬を禁じているから、ムスリムは日常的に埋葬に関しては悩みを抱えている状態なのである。本来なら、ムスリムは、亡くなってから24時間以内に、顔をメッカの方角に向けて土葬されることを望む。旧約聖書に:
お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」――創世記 3:19
と書かれている、まさにそれを実行するわけである(これもご存知ない方のために書き添えておくけれど、聖書、特に旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の3者に共通した聖典である)。戒律に厳格であろうとするムスリムにとって水葬というのは、これは埋葬ではなく、単なる死体遺棄なのである。

おそらく "USA !" と連呼し、歓喜しているアメリカ人達は、こんなことを毛程も考えていないのだろうと思うけれど、これらのことを蔑ろにした結果として何が生じるか、というと、それは恨みである。そしてその恨みは必ずアメリカ人に向く。国家が個人を、それも武装していなかった個人を殺害し、その死体を遺棄したことの恨みは、決して消すことはできないのである。

『唯我論者』について

前回の blog に試訳を載せた『唯我論者』は、フレドリック・ブラウンの『天使と宇宙船』という短編集に収録されているのだが、僕は日本語で読んだことがない。『唯我論者』のプロットに関しては、友人Yにかつて聞いた記憶があるのだが、結局それ自体は英語で読んでいた。

今回、この短編のプロットを日本語で説明する必要が生じたために(東京創元社の文庫本を買おうかと思ったが、立ち寄った書店に売っていなかったもので)このような訳をしたわけだけど、その訳を書いた後にたまたま U と買い物に出かけた。買い物に出かけるときに、僕はいつも憂鬱になるのだけど、それは何故かというと、この土地の人々の公衆マナーが最悪だからである。しかも、この土地の地の人であればある程、その程度が甚だしい。

僕は、仕事などで日本全国のあらかたの地方都市には行ったことがあるけれど、公衆マナーがこれ程悪い土地は他にないと思う。ここで言う公衆マナーというのは、たとえば人込みの中では横並びをしないようにするとか、他人の進路を塞がないように配慮するとか、公的交通機関でお年寄りや子連れの女性がいたら席を譲るとか、そういうことである。とにかくこの土地では、そういう公衆マナーが欠落している人が多過ぎる。

では、僕がその手の輩に自らの通行を邪魔されたときには、どのように対応しているのか。たとえば、僕が日常的に新幹線を使っていた時期に、新幹線のホームに急いで上がろうとエスカレーターに乗ると、必ずと言っていい程に、右に荷物、左に自分、という風に進路を塞いでいる輩に遭遇したものだけれど、そういう輩にはこう言っていた。

「恐れ入りますが、急いでいますので、進路を開けていただけますか?」

こう言うと、返ってくる答はいつも決まっている。

「え?」

失礼しました、も、済みません、も何もなし。ただ「え?」これだけである。そして彼らは、まるで頭上に人工衛星でも落ちてきたかのような、理不尽な災厄に見舞われたという表情を浮かべ、ようやく進路を開けるのである。

何度でも、何度でも繰り返して書くけれど、日本中の各地方都市で、これ程までに公衆マナーがこなれていないのはこの土地位しかない。この辺の連中が東京指向が強いのはおそらくこのせいだ……この手の輩に遭遇したとき、大阪だっから「邪魔や」と言われるけれど、東京では何も言われないから。何も言われない代わり、都市の暗黙のマナーを理解していない輩のことを、東京人は「田舎者」と認識し、軽蔑し、無言のまま排除するわけだけど、そもそもマナーを理解できないような輩が、はっきり言葉で言われない限り、そういう侮蔑に気付く筈もないのだ。まさに裸の王様である。

まあ、そんなわけで、僕はそういう「田舎者」を嫌悪しているわけだ。で、自分の生活をそういう者に邪魔されたときには、僕はおそらくかなり厳しい。丁寧な言葉で呼びかけても、連中はいつも僕に怯えるし、僕が舌打ちをすれば、まるで出エジプト記のモーセの一行のように、目前に道ができるのである。しかし、「田舎者」の方にしてみると、彼らは何故そのような社会的圧力を受けるのかが理解できていないから、先に僕が書いたように、「頭上に人工衛星でも落ちてきたかのような」理不尽な災厄に見舞われた、という認識しかできないらしい。だから僕は、そういう輩にはまるで暴君の如く思われるらしい。

まあ、とにかく、僕は U と買い物をしていたわけだが、そのときに僕の目前にふらふらと出てきた男がいた。僕はそれをよけもせずに進んだのだが、後ろから「今の人にぶつかりそうだったよ」と言う U に「あれは回避責任は先方にあるんだから、こちらが避ける義理はないんだ」と言った。U …… U は公衆マナーにおいてはおそらく全国でもトップクラスの長崎出身である……は「まーた始まった」という顔をしている。

で、そこから少し離れた場所を歩いているときのこと。さっきの男が、連れの女性と横並びで歩いているのに再び出喰わした。すると U が言うには、

「あの人達、『あーまたあの怖い人がいる』みたいなことを言ってたよ」

僕としては俄然納得がいかない。僕が健脚な成年男性だからさっきは何ともなかったけれど、足どりがおぼつかない老人だったら、彼らが僕にぶつかって、転びでもしていたかもしれない、連中は、自分達が加害者になるかもしれなかった、などとは毛程も考えず、ただ僕に睨まれたことだけで、僕を「怖い人」などと扱う。まあ、典型的なこの辺の連中の思考経路だが、一方的に加害者扱いされるこちらの方こそ被害者ではないか。

で、他の場所に移ったとき。またその男女が僕の目前に現れた、僕は小さな声でこう呟いた。

「あ、自分達がフラフラ歩いてるくせに他人を加害者呼ばわりしてた人達だ」

彼らが速攻で僕等の目前から消えたのは言うまでもない。なるほどね。きっとああいう連中のことを「唯我論者」って言うんでしょうねえ。そんなことを考えたのだった。

試訳

唯我論者

フレドリック・ブラウン 著 

Thomas 訳 

ウォルター・B・エホバ――彼の名に関しては本当にこういう名前だったので悪しからず――はその一生を通じて唯我論者であった。あなたがこの言葉に出喰わしたことがないときのために書くけれど、唯我論者というのは、その人自身のみが実在しており、他の人々や宇宙は自身の想像上の産物に過ぎず、自身が想像するのを止めてしまえば、それらは存在しなくなってしまう、と信じている人のことである。

ある日のこと。ウォルター・B・エホバは唯我論の実践者となった。それから一週間のうちに、彼の妻は他の男と逃げてしまい、彼は商品発送係の職を失い、目前を横切ろうとした黒猫を追いかけて脚を折った。

病院で彼は決心した。全てを終わらせようと。

窓の外を見やり、彼が星々に向けて、それらが存在しなくなることを願うと、それらはもはや存在しなかった。次に彼が彼以外の全ての人々が存在しなくなることを願うと、病院は、いくらそこが病院であるにしても、奇妙な程に静かになった。次に世界が存在しなくなることを願うと、彼は自らが虚空に浮遊していることに気付いた。彼は自らの肉体を呆気なく消し去ると、最終段階として彼自身の意思を存在しないものにしようとした。

何も起きなかった。

おかしなことだ、そう彼は思った。これが唯我論の限界なのだろうか?

「そうだ」声が言った。

「誰だ?」ウォルター・B・エホバは訊いた。

「私は、お前が存在しなくなることを望んだその世界を創造した者だ。今やお前は私の居た場所にいる」深いため息が聞こえた。「私はようやく私自身の存在を消し去り、解放され、そしてお前に引き継がせることができる」

しかし――どうやったら私は存在することを止められるんだ?今こうやって、そうしようとしたんだ。

「分かっている」声は言った。「お前は私がしたのと同じようにしなければならぬ。宇宙を創造するのだ。そして、その宇宙の中にお前が信ずるように信ずる者が現れ、存在しなくなるように願うまで待つのだ。そうすれば、お前は引退し、その者に引き継がせることができるだろう。では、さらばだ」

そして声は消えた。ウォルター・B・エホバは虚空にただ彼のみが存在し、彼に出来ることはただひとつしかなかった。彼は天と地とを創造した。

それには彼をして七日を要した。

Original: http://infohost.nmt.edu/~shipman/reading/solipsist.html

ptexlive-20110322

このところ、手持ちの archive で make していたので気付かなかったのだが、ptexliveが先月 version up していたのだった。で、今日、新しい ptexlive の make にかかった。

まず archive の準備から。必要なものは以下の通り。

当然だが、処理系やライブラリは適宜揃える必要がある。

まず、

mount -o loop ./texlive2009-20091107.iso /media/cdrom
のようにして TeX Live 2009 の ISO イメージをマウントし、TeX Live 2009 をインストールする。次に、この ISO イメージをマウントしたままで、作業できる場所に ptexlive-20110322.tar.gz を展開し、
cp ./ptexlive-20110322/ptexlive.sample ./ptexlive.cfg
のように、ptexlive のアーカイブディレクトリの外に設定ファイルの雛形をコピーする。で、 ptexlive.cfg を編集してから ./ptexlive-20110322 に入る。

普通ならここで README の説明に沿って make するだけでいいのだが、僕の場合は babel が必要なので、Makefile を以下のように書き換える。

stage6:
@echo "Sorry, not implemented yet."
@#$(BASH) ./6babel.sh

stage6:
$(BASH) ./6babel.sh

ところが、これで make すると、babel の make 中にエラーで止まってしまうのだ。うーむ、参ったなあ……とりあえず今は babel を外しているのだが、英語以外にもギリシャ文字とか結構使うからなあ。どうしたものか。目下原因究明中である。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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