愚策・頭の下がらない人

「愚策」現在の政治状況において、これ程その現状を端的に表現する言葉があるだろうか。

まず、首相や内閣関係者を含めた人々が、これ程までに自分の言行に責任を持たない、ということに呆れさせられる。たとえば農作物の問題にしても、放射性降下物に汚染されている、という話を公表する前に、それを公表した際にどのような影響が出るのか、そしてそれにどのように対処すべきなのか、を考えるべきであろう。まず最初に、ヨウ素131が比較的 hot な核種であって、これに関しては何年もその影響が続くわけではないことを明示してから、それに汚染された農作物について言及しなければならないし、その結果市場に出せなくなった農作物に関しては、買い上げなどの保障を行う必要がある。そういうことをちゃんとしないから、汚染のニュースが流れたとたんに、全頭殺処分・廃業を決めた酪農家が出てくるのだ。酪農家が、どんな思いで牛を飼っているのか、連中は毛程も知らないし、知ろうともしないのだ。

そして、賠償問題について「第一義に東京電力に責任がある」などと言い切る官房長官。そりゃ道義的にはそうだろう。しかし、これだけの被害に対して東電が弁済を行ったら、いかに東電と言っても、そりゃ早々に潰れるに決まっている。そうなったら、福島第一原発の面倒は誰がみるのか。勿論、生活インフラに直結した企業をそう簡単に潰すわけにはいかないから、結局は公金投入ということになるんだろう。しかし、そういうプロセスを経て金が動き、最終的に弁済される側の手に渡るまでに、どれ程の時間が必要だと思っているのだろうか。そんなことをしている間に、農家や酪農家、そして家や職場を潰された人々の中で首でも括る人が現れるのに、そう時間はかからないだろう。人が生きるということは、それ程までに切迫した問題を孕んでいるものだし、それに施策を向けるのが国のミッションなのではないか。

このようなことを見るにつけ、頭に浮かんでくる言葉が「他人事」。そうなんだよな。プロ野球のコミッショナーに東電圏外でのナイトゲームを提案することもできないオツムの軽い省エネ担当大臣とか、自分達の責任負担を避けるために思考能力を使っているとしか思えない官房長官とか、雨が降ったからと視察を中止する総理大臣とかね。悉く、皆揃って、他人事である。

他人事と言えば、東京電力の清水正孝社長と藤本孝副社長である。記者会見のときの光景を、僕は忘れることができない。実部担当者が皆最敬礼で頭を下げる中で、中央の社長は、ひょこ、と頭一つ軽く下げただけ。副社長会見のときも同様であった。これでは実務担当者がたまったものではない。会社組織のお偉いさんというのは、こういうときに頭を下げたり腹を切ったりするために普段高給を貰っているのだ、ということが、彼らには全く分かっていない。

特に藤本孝氏(この人、電気学会の会長なんだよな……実は)は、海外メディアにまでキャバクラ通い云々の醜聞を報道されている始末。酒の飲み方が意地汚い人間を、僕は信用しない。東電唯一の理系出身取締役がこの体たらくでは、この会社も知れたものだ、と言うしかない。

まあ、とりとめもなく書いているわけだけど、それにしてもひど過ぎる。今回の地震が日本の rebuild を前にした scrap 化現象だ、などというひどいことを言っている連中もいるようだけど、まずは腐った頭を潰すところから始めなければ、現状が良くなろうはずがない。このままでは、1億総スクラップである。

1分間でポポポポーン!

AC ジャパンの CF に関してクレームが入って、AC のジングルが削除されたものが大量に流れている。同じものが反復して流れていると、まるでサブリミナル効果(これ自体は心理学的には否定されているそうだけど)を狙っているかのようにイライラさせられるわけだけど、その中でも特に我々のストレスの源になっているのが、これだ:

いや、この CF に罪があるわけではない。たまに流れるんなら「かわいい」で済まされるべきものだろうと思う。この歌を歌っている松本野々歩氏にも、作曲とキャラクターヴォイスをやっている嶋倉紗希氏にも、何ら責められるべきことはない。ただ、あまりに頻度が高過ぎるのだ。これに関しては、制作者側もこんな事態を予測していなかったに違いない。美味しいスープを作ってみたら、水不足で皆がそれをがぶがぶ飲んで「塩辛い」と文句を言われているようなものだ。スープを作るときに、それが水代わりに飲まれることなんて、考慮するはずがない。

しかし、現状として、この CF は我々の共通の「悩みのタネ」になっている。この曲のイントロが流れた途端、多くの人が「もぉえぇわ」とツッコミを入れ、亡くなった和田勉氏もびっくりの苦しいダジャレの名前のキャラクターを見て、憎しみを募らせるのである。勿論、何度でも書くが、供し方を違えている提供者にこそその責めは向くべきである。具体的には、テレビ局ということになるのだろうか。まあ、皆様には「消す自由」がおありなんですから、文句がおありなら消して下さい、という風に言われるのだろうけれど、重要な情報がいつ流れるか分からないこの時期に、どうしてそう細かに選択ができるものだろうか。できるはずがないのだ。

そんな時、僕は不覚にも、この CF の60秒バージョンというのを観てしまった。これを皆さんにも、観ていただきたくて、観ていただきたくて、あー、観ていただきたくて仕方がない!ので、ここにリンクしておくことにする。皆さん……どうします?観ますか?観ずにいられますか?ふふふふふ……

万死に値する

こんなことを書かなければならないことは苦痛だし、書かなければならないと思うこの現状にも多大なる苦痛を感ずるのだけど、これを書かないわけにはいかない。

僕が初めて京大の原子炉で実験することになったとき、僕は原子炉とはほぼ無縁の生活を送っていた。僕の専門は材料科学だから、たとえば原子炉を造るときの材料などに関しては守備範囲内だし、後に愛知に移ってからは結晶構造解析を行うようになったので、これも中性子散乱で関係ないわけではない。しかし、当時、まだ駆け出しの材料屋で、主に高温酸化の研究をしていた僕には、原子炉は無縁の存在だったのだ。そんなときに、僕が当時扱っていた超高純度材料の解析を行っていたK氏が忙しく、ちょっと手が足らない、という話になった。当時の僕の上司はもともと原子力工学を専攻していた人で、原子炉で実験することには何の躊躇もなかった。僕は上司に呼ばれて、放射化分析を行うことを承諾した。

しかし、それから何時間か経過して、上司が「参った」という顔をして僕の居室に現れた。

「ん、どうしました?」
「ああ、さっきの話だけどな、K君が承知してくれなくてな」

K氏の部屋に上司と二人で行くと、いつもは極めて温厚なK氏が怒っている。「あのな、K君」と言う上司に、K氏は決然としてこう言ったのだ。

「だから何度も言ってるじゃないですか。こういう仕事を、若い人にさせちゃいけないんですよ!」

僕はこの言葉を聞いて、ああ、Kさんと組むんだったら行っても大丈夫そうだ、と思った。そして改めてK氏に教えを乞うて、放射化分析を行ったのだった。

政府が何をどう発表していようが、あの福島第一原発の最前線で作業するということは、相応の被曝があることを覚悟しなければならない。晩発的な影響というものは分からない。そして、被曝に一番敏感なのは生殖機能である。未婚であったり、結婚していても年齢が若い人だったりした場合、残りの一生の間に負うリスクは、とてもじゃないけれど「ない」とか negligible だとか片付けられるものではない。

しかし現状はどうか。自衛隊員、消防隊員は、今脂の乗り切った実働部隊が送られている。この構成者の多くが、まだ20代か30代であることは、疑いようのないことである。そして東電はどうか。水素爆発のときに怪我人として収容された一人は、なんと23歳であったという。東電が若い人間をあそこに送っているのは、これまた疑いようのない事実である。放射線とか放射性物質とかに関してある程度の知識を持つ人間として断言するけれど、このような人材配置を行った人々は、万死に値する。

まだ警察や自衛隊は同情の余地がある。彼らは東電や政府関係者と協議の上で人員を配置しているはずだから。特に許し難いのは、そういう配置を要請したり、あるいは許可したりした東電や政府の関係者である。今あそこにいる何十人かの人達の未来に、全面的な責任を負う覚悟が彼らにあるのだろうか。「非常時だから」?それは戦場で若者を無駄死にさせた連中と同種の言い分である。

たとえば、放射性ヨウ素の甲状腺への取り込みを阻害するヨード剤は、40歳以上の人には投与しないことになっている。投与してもあまり意味がないからだが、この基準に則って言うならば、あの現場には、十分経験と見識を有し、そして自己判断で動く権限を有する、40歳以上の人間が行かなければならないのだ。特に東電社員は、運転の責任者として一番危険な場所に行く必要があるのだから、尚更のことである。東電の正社員で40歳以上だったら、世間の人々と比較して「そんなに?」と思う位の給料を貰っているわけだけど、それはこういうときにリスクを負うためなのである。それを20代や30代の、権限を有しない者を先に配置して、自分だけは安全なところにいよう、など、あまりに許し難い。何度でも書く。これは、万死に値する行為なのだ。

バブリー・パブリー

中京圏の日本テレビ系列の局で中京テレビというのがあるのだが、ここでやっている情報番組に『ラブリーパブリー』というのがある。何とも DQN な番組なのだけど、まあそれはさておき、標記の件である。

評論家の広瀬隆氏の本で『東京に原発を!』というのがある。電力の大量消費圏は首都圏なんだから、原発が安全だっていうんならそこに近い東京湾岸に造ればいいものを、どうして造らないの?というような内容だったと記憶している。広瀬氏の主張は時に陰謀史観みたいなものに縛られている(後記:これは彼の原発に関する記述がそうだと言っているのではなく、彼のロスチャイルド家に関する記述、特に『赤い楯 ロスチャイルドの謎』などに関しての話なのだが)こともあるのだが、この本における広瀬氏の主張は基本的には至極まっとうなものだ、というのが僕の印象であった。

U が、「いっそ原発造るんだったら東京に造ればいいんだよ」と言うので、「ああそういう本があるよ」と、この本の存在を教えたら、早速アマゾンでチェックしていた U が「現在お取扱いできません、になってるよ」と話していたのが昨日のことである。その U が、「なんかすごいことになってる」と言う。どうしたのか、と訊くと、

「『東京に原発を!』が、4000円だってよ」

はぁ?……あーそうか、あの本絶版だから、古書店の取り扱いになってて、それで価格が高騰した、ということか。しかし、その値段で買う奴なんか、まさか……

「あ、売れた」

はぁ?

「今 6000円だってよ」

……こういうことらしい。U がアマゾンをチェックしたとき、2点の古書がアマゾンにエントリーされていて、ひとつが4000円、もうひとつが6000円だったらしい。で、U が見ているうちに、誰かがその2冊のうちの安い方を買った、ということらしいのだ。おいおい、『東京に原発を!』って、たしか集英社文庫に入ってるんだろう?その文庫本を4000円で?どんな希少本やっちゅうねん。火事場バブルにも程があるというものだ。

【後記】その後、6000円の方も売れてしまった。何なんだかなあ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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