今更漢字コード

U から、メールで受けたテキストファイルが Mac 上で読めない、と聞かされる。どれどれ……あー、はいはい。

僕が Internet を使い始めて20年が経過したわけだが、その当初から、この日本語の問題は存在していた。当時は、いわゆるパソコン上では Shift_JIS と呼ばれる文字コード(正確には Microsoft CP932 と言うべきなのだろうけど)、UNIX 系のコンピュータ上では EUC-JP や JIS が使われていた。Shift_JIS は、文字コードの一部がいわゆるエスケープシーケンスとカブることや、半角カナの問題などがあるために、僕の周囲のほとんどの人が EUC 党か JIS 党(僕はこっちである)に分かれ、各々がその文字コードで自らのシステムを統一的に構築していた。

こうした状態が一気に変わっていったのは、前世紀末からの Unicode の台頭であった。Microsoft も、Windows 2000 以降の OS を Unicode で国際化したし、今はもはやメンテされていない Kondara MNU/Linux などが先駆けとなって、Linux / UNIX の世界も急激に UTF-8 化が進行した。現在は、日本語の文字コードが大きく分けて4つ存在する、という「異常事態」であるわけだけど、基本的には流れは Unicode に収斂しつつあるのかなあ、という感じだ。

さて。今回の U の問題だけど、どうもこの文書は JIS らしい。Mac OS X 上においては、基本的には日本語の文字コードは Unicode を使っている。表向きは Shift_JIS を使っているように見える(し、実際使える)のだけれど、これは backward compatibility のため、という色彩が濃い。いずれにしても、文字コードを Unicode に変換しなければならない。U が今後作業することを考えて、MultiTextConverterを入れることにした。これはドラッグ & ドロップでテキストファイルの文字コードを簡単に変換することができる。

ただし、U の Mac 上での日本語変換の環境は、実はもうとっくに整えてあった。先の MacPorts から homebrew への入れ替え時にもメンテナンスをしたけれど、それとは関係なく最大前提としてiconvは入っているし、このメンテのときにはnkfも更新してある。こういったフィルタとしての日本語コード変換ソフトは、シェルのパイプラインを分かっている人にとっては何の気負いもなく使われているものなのだけど、まあ確かに普通の人には使いにくいものかもしれない。

僕は歴史的な経緯からQKCがお気に入りなのだけど、現在使用する上で致命的なのが、Unicode を扱えないということだ。これに関しては、Sugano `Koshian' Yoshihisa氏が書かれたnkc(ruby スクリプトである)を使わせてもらっている。僕の個人端末には、legacy な qkc もちゃんと入っているのだけど、個人用以外のコンピュータ上では、nkf か、せいぜい nkc 位までを入れておくことにしている。

MacPorts から homebrew に移行

僕は実は Mac OS X も使っている。U の仕事用の Mac の管理のため、ということなのだけど、いくら Mac OS X が UNIX だといっても、そのままではちょっと CUI で管理を行う上で不便なことも多いので、いわゆるデベロッパーズキットみたいなものを入れているわけだ。

Mac OS X を UNIX として使用する場合は、まず Xcode と XQuartz を入れることになる。これまでは、これに加えて MacPorts でいくつかのパッケージを入れて使用していたわけだが、MacPorts の場合は、基本的に Mac OS X 付属のユーティリティとは独立に各ユーティリティを入れるので、たとえば Perl や Ruby は2重化されることになる。これはこれでまあ怪しげなところがなくっていいのだけど、丁度 Windows における Cygwin のような感じで、母体になる OS の上で浮いた存在になっているとも言える。Cygwin の場合はまあそれでいいのだろうけれど、UNIX のユーティリティの中に更に UNIX のユーティリティが浮いている、というのは、どうも落ち着きがよろしくない。

そんなことを感じつつも MacPorts を使っていたのだが、最近になってhomebrewなる存在を知った。これは先に書いた大物ユーティリティの重複が生じないような構成になっているらしい。まあ、U の Mac はディスクが巨大なので、ちょっとやそっとの重複などヘでもないのだが、折角なので、この機会に homebrew に移行しておくことにする。

まずは、MacPorts の解説 "2.5. Uninstall (Chapter 2. Installing MacPorts)"を見ながら MacPorts を削除する。この際に特に注意しなければならないのは、MacPorts で導入した shell を login shell にしていた場合は、事前に /bin/bash などに chsh しておかないとエラいことになる、ということ(具体的には login できなくなる……まあ当然だけど)。Mac OS X が Ubuntu などと同様に su できない仕様になっているとはいえ、こういう事態を招いたときのために、コンサバティブな管理方針の管理用アカウントをひとつ用意しておくと安全なのだろう。

削除が終わったら、homebrew のインストールガイドに従って:

ruby -e "$(curl -fsSLk https://gist.github.com/raw/323731/install_homebrew.rb)"
と入力し、brew と周辺キットのインストールを行う。このように、homebrew では Ruby を用いたキットで管理が行われているらしい。あとは、
brew install package
package の導入が行われる。詳細は man brew を参照されたい。ちなみに、
brew update
でアップデートをかけられるけれど、これには git が必要なので、予め導入しておく必要がある。

解熱

先に書いた通り、この何日かはインフルエンザに感染したために床に臥せっているわけだけど、今朝、目が覚めたところで、いつものように体温を測ると……35.5度、と出る。僕は平熱が36度を少し割る(これは今使っている電子体温計のせいかもしれない)のだけど、まあ要するに平熱に戻った、ということである。

これは、リレンザ© のデータシート通りの経過である。以下に、データシートに記載されている、リレンザ© 服用開始時からの体温の推移の統計を示す:

日中最高体温の推移

一応コメントしておくと、プラセボ(偽薬)のデータはエラーバーの下端、リレンザ© 服用者のデータはエラーバーの上端を線で結んでいる。これで見ると、服用開始から3日で、おおむね平熱もしくはやや高めの体温に戻るということが分かる。僕の場合、服用直前(一昨日夕)の体温が38.4度、昨日の朝・昼・晩の体温が38.0度だったので、上のグラフから予想し得る範囲内(二日目がやや高いけれど)で体温が推移していることが分かる。

もちろん、ここで服用を中止しては意味がない。耐性菌を世の中にばら撒かないためにも、キットの薬を服用し切るまでは服用を継続した方がいいだろう。少なくとも、今日・明日位は続けなければならない。

えーツ!

今日は何となく朝から身体の節々が痛かった。厭な予感がしたのだ。というのも、先週の金曜、遅い時間に電車に乗ったとき、車両の端にひどく咳込む男性がいて、手で防ぎもせずにゲホゲホ咳をしまくっていたからである。

昼頃、電子体温計を腋下に挟んでみると……36.8度。うーん、微熱だな。しかし、寒気と全身の倦怠感がひどい。咳が出て胸が少し苦しい感じもする。

そのまま夕方まで過ごしたのだけど、これはおかしい、もう一度体温を……と計ってみると、今度は38.1度。いかん、これぁアレかもしれない。

僕と同じような症状で、これはインフルエンザなんじゃないか、と思われる方は、とりあえず 38.0度をひとつの境界線と考えるといいらしい。しかし、最近は体温が38度未満でインフルエンザが発症していることが全症例の3割程度ある、という話もあるので、こういうときは抗体検査を受けることをお薦めする。僕の場合は、近所の耳鼻咽喉科と内科の医院、どちらに行こうか少し悩んだ後に、耳鼻咽喉科の方を受診することにする。ここのドクターはアレルギー関係で名が知れているせいか、子供の患者が多かったのだが、初診なので問診票を記入して、マスクをしてしばし待つ。

ドクターは最初からインフルエンザを疑っていたらしく、ネブライザーでの吸入を指示しながら、抗体検査キットの綿棒を僕の鼻に突っ込んで、念入りに粘膜組織を絡め取った。吸入中に、

「出てる?あー、出てるの!」

どうやらビンゴらしい。吸入を終えて診察席に戻ると、検査キットの表示部を示される……そこにははっきりと、AとCのところにラインが見えている……A型に感染、で決まりである。ドクターはそれを見せながら、

「分かってて来たんでしょ?」
「……はあ」

どうもなまじ慣れているのも困りものである。ドクターは僕にリレンザ©(ザナミビル)を処方し、看護師から吸入キットの使用方法の説明を受けた。

というわけで、今日から、体温が37.5度まで下がってから2日間を経過するまで、僕は外出ができないことになってしまった。まさに気分は表題の如し、である。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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