三毛猫のオスが生まれない訳

昨日、某所で猫の話になったとき「三毛猫のオスはまず生まれないし、生まれたとしても非常に稀少である」という話をしたら、そこに居る人が皆このことを知らずに一同騒然となって、逆にこちらの方が吃驚させられたのだった。

三毛猫を決める因子はいくつかあるのだが、「白猫になる遺伝子」が劣性、「茶色になる遺伝子」がヘテロ、そして「ぶちになる遺伝子」を持つ、という3条件が揃ってはじめて三毛になる、ということが分かっている。

この3因子のうち、ヘテロになることが必要な茶色の遺伝子は X 染色体の上に乗っている。いま、通常の性染色体を X, Y とし、茶色の因子が乗った X 染色体を小文字の x と書くことにする。このとき、xX で表わされるときだけ三毛になるわけだ。このように、性染色体によって性別以外の形質が遺伝するのを伴性遺伝という。

上の例では、X 染色体がふたつなければ三毛が発現しない、ということになる。つまり、オスの三毛は存在しない……ということになるのだが、自然というのはしばしば例外が存在するもので、この三毛の場合もそうである。誤解を恐れずに単純に説明すると、xX を持ち、なおかつ男性を規定する Y 染色体を持てば、その個体は三毛、かつオスということになり得るわけだ。いやそんなの無理でしょう、と思われるかもしれないが、この例で言うと xXY という染色体を持つ個体が実際に存在していて、実際に三毛のオスはこのような染色体異常を持っている。

人間の場合だとこれは「クラインフェルター症候群」の名で知られている。人間の場合、クラインフェルター症候群の発現率はおおむね 0.1 % 程度で、多くの場合、その男性は十分な生殖能力を有しない。ネコの場合、クラインフェルター症候群の発現率は 0.003 % 程度とされているので、三毛のオスがいかに希少な存在なのかは想像に難くない。そして、このようなオスの三毛は血統的に保存され得るものではない。

実は、この日記を書くにあたって、ネコの毛色に関する遺伝形態を調べてみたのだが、これが実に複雑怪奇である。実際、まだ完全にその形態が解明されたわけでもないらしい。たとえば、うちにいるネコは茶色の虎縞と白が混じっているメスなのだが、このような茶白のネコのメスはかなり珍しいらしい。俗説であるが、この柄のネコはネコとしては珍しいことにかなり社交的、というか、人懐っこいというか、と言われているのだが、たしかにその通りで、うちに宅配便などの配達がくると、このネコは玄関に出迎えに出たりする。まあそんなわけで、ネコには色々と謎が多い、というのは、日々実感させられているわけである。

この記者の活動目的は?

昨日、たまたま石原東京都知事の尖閣諸島問題に関する緊急記者会見を観ていたときのことである。記者との質疑応答で、実に奇妙なやりとりがなされたのだ。以下、その箇所を聞き取ったものを引用として掲載する:

【記者】キューバの、グランマー通信社の、日本人特派員やってる稲村です。あのー、2、3日前、大阪維新の会の……あのー、メールを打ったんですけれども、ま、今の、尖閣問題で、そのー、竹島だとか北方領土だとか、日本の、とにかく、領土問題というのは、何か、大変、火がついたような感じで、あのー、中国との衝突、は、その活動を(一部判読不能)必至だと思うんです。まー、あのー、それで、えー、この、えー、沖縄領土問題から日本を救うには、そのー、大阪維新の会が道州制言ってるわけで、やはり、終戦直後のように、えー、琉球という感じで、奄美と沖縄は、米領に復活させて信託統治領にして、した方が、いいんじゃないかと、いう風な、案を、出したんですけど。

【知事】誰が? 君が?

【記者】はい。

【知事】君は何人だね。

【記者】私は、2、3代前までは琉球人です。

【知事】今は何人だよ。国籍は?

【記者】今は、あー、残念ながら、同化政策で、えー、日本の国籍を取りますが、子供と孫はアメリカ人です。

【知事】ああ、かなり違う日本人だね。君の言うことは全く通じないよ。早くこの国から出てった方がいいんじゃねぇか。

その発言内容のムチャクチャさもさることながら、そもそもこの稲村なる人物は記者としての姿勢がおかしい。記者会見というのは、記者が個人の考えを会見参加者とたたかわせる場ではないのだから。ここだけ取っても、この稲村なる人物が本当に記者なのかどうか、実に疑わしいと言わざるを得ないのだが、そもそもその肩書「キューバのグランマー通信社の日本特派員」というのは何なのだろうか。調べてみると、これはキューバの Granma International という新聞(キューバ共産党中央委員会の機関紙)のことらしいのだが、その特派員が何故日本の領土問題に、それも大阪維新の会に提言をした云々、などという話を持ち出すのだろうか。

この稲村なる人物に関して調べてみると、http://www.tourism.co.jp/ なるサイトに行き着く。このサイトの主宰者であるところの稲村宏史なる人物が、先の記者会見の稲村氏の正体らしい。

上サイトの profile を見てみると、「霞が関通信社・大使館新聞社 社主 (CEO) 兼 編集主幹」と書かれているのだが、「大使館新聞」なるものの存在の痕跡は、少なくともネットワーク上ではなに一つ確認できなかった。では「霞が関通信社」の方はどうか、というと、中国のニュースポータルサイトである 中国網 (China Net) 上のこんな記事が引っかかってくる。「霞が関通信社の白髪頭のベテラン記者」というのが、この稲村氏のことらしいのだが……

この稲村氏、今回の記者会見の前にも、石原都知事に何度となく記者会見で絡んでいる。一例として、2012年4月27日の都知事定例記者会見の際の映像を以下に示す(16分25秒位から):

少なくとも、ネットで散見されるこれらのやりとりを見る限り、この稲村氏が一記者として報道に携わる目的で会見に臨んでいるとは到底思えない。明らかに、自らの主張を披瀝する場として、石原都知事の会見に食いついていて、そういう場で他の国の記者と記者然として交わした言葉が、上にリンクしたような場所で「日本の(マトモな)ベテラン記者の言」として引用されてしまっている。これは、僕のように右でも左でもない人間から見ても、有害極まりない行為だとしか思えない。

時々目にすることがあるのだが、リタイアした後に自分の組織(研究所だったり財団だったり会社だったり、まあ色々なパターンがあるのだが)を興して、自分はある組織を主宰しているんだ、と、しきりにその肩書を披瀝する人がいる。機関誌をあちこち送りつけたり、定期的に懇話会やら講演会を開いてみたり、と、熱心にやるのだが、どういう訳か、その組織の本来のミッションと思しき分野において、その活動の形跡を窺うことができないのである。何故そうなるか、というのは簡単で、そういう組織の主宰者の目的は、その組織で何らかのミッションを果たすことではなく、そういう組織の主宰者であることそれ自体が目的だから、である。

そもそも、この稲村氏は本当に Granma の日本特派員なのだろうか? そうならば、署名記事のひとつも出しているに違いない、と "Cuba Granma Inamura" という検索語でググってみると、Granma の記事はただのひとつも引っかからないのである。Granma では、海外特派員の記事にはちゃんと名前が入るようなので、これはとても奇妙なことだとしか言いようがない。

そして、上の検索では、2011年4月7日の外国人特派員向け記者会見の議事録が引っかかってくる。この会見は動画も公開されているのでそちらの URL を示しておく(1:11:10 辺りから):

http://nettv.gov-online.go.jp/eng/prg/prg2075.html

この会見も実に奇妙だと言わざるを得ない。日本語、英語、双方ともオーケーの会見なのに、稲村氏は英語で質問している。しかし「犠牲者」を意味する victim という単語が出てこない、って、一体どういうことなんだろう? 前置詞とかも無茶苦茶だし、およそ英語で教育を受けた人の英語とは思えない。上の方にリンクした profile によると、この人は UNC の大学院中退、とあるんだけど、ノースカロライナ大学チャペルヒル校と言ったらアメリカでもかなりの名門校なんだけど。そういうインテリジェンスが、上のやりとりからは欠片程も感じられない。まあ、そういう人でも推薦があったら UNC に入ることはできるかもしれないし、入れれば「中退」を名乗ることはできるわけだから、嘘をついているわけではないのかもしれないけれど。

いすれにしても、こういう暇人は、己の内部だけで完結して時を楽しんでいただきたいものだ。記者面をして、識者面をして、表に出てこられると、現役世代の一人としては有害極まりないとしか言いようがないのだ。いや、本当に、早いところ「完全に」リタイアしていただきたいものだ。

キーボード交換

メインの端末として Dell inspiron 1501 を使い出してもう大分経つ。dual core であることと、メモリを最初から奮発して 4 GB 積んでおいたおかげで、このご時世でも尚使用に耐えているのだが、さすがに消耗部品に関してはガタが出てきている。その中でも一番ガタが来ているのがキーボードであった。

ノートパソコンのキーボードが交換可能だ、という話をすると「え?」という顔をされることがあるのだけど、ほとんどの場合、ノートパソコンのキーボードは簡単に交換できる。キーボードはアルミ板をベースにした独立ユニットになっていて、メンブレンコネクタで本体に接続されていることがほとんどだから、隅の辺りを固定しているネジを外して、あとはケーブルをメインボードの基盤のコネクタから外すだけで交換できる場合が多いのだ。

キーボードをヤフオクで探したところ、新品、それも US ASCII 配列のものが安価に出されていたので、早速購入手続きをした。品は今日 DHL で送られてきたのだが、以下に取り付けたところを示す。

us-key.png

取り外した古いキーボードを示す。

jp-key.png

Enter キーが汚く見えるのは、割れたのを補修するために、ティッシュペーパーを小さく切ったものを瞬間接着剤で貼り付けてあるからだ。こう見てみても、日本仕様のキーボードがいかに無用なキーが多いか、よく分かろうというものである。

Enter キーの大きさが変わったのに慣れる必要があるだろうけれど、バックスラッシュが大きくなっていたり、僕にはこちらの方が色々といい点が多そうで、今後が楽しみである。

【追記】キーボード交換が初めての方でここをお読みの方がおられるかもしれないので補足しておくけれど、US ASCII 配列のキーボードに換装した場合、キーマップの変更が必要になる。Windows の場合は、レジストリの:

HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\CurrentControlSet\Services\i8042prt\Parameters
を以下のように変更する:
  • "LayerDriver JPN" : kbd106.dll を kbd101.dll に変更
  • "OverrideKeyboardIdentifier" : PCAT_106KEY を PCAT_101KEY に変更
  • "OverrideKeyboardSubtype" : 2 を 0 に変更
Linux の場合、最近の多くの distro だったら /etc/default/keyboardXKBLAYOUTjp から us に変えるだけでいいはず。これで変わらなければ適宜キーマップを設定すればよろしい。

ロータリーポンプの思い出

僕の稼業では、よく真空ポンプというものを使う。真空ポンプと言ってもピンからキリまであるのだけど、僕等の業界では、真空度の低い方だったら油回転ポンプ(通称ロータリーポンプ)、高真空だったら油拡散ポンプ(通称ディフュージョンポンプ)、二者の間で高速排気が必要ならスクロールポンプ、ディフュージョンより高い真空度が必要ならターボ分子ポンプを使うことが多い。油拡散ポンプとかターボ分子ポンプというのは、基本的には単体ではなく、より低真空度のポンプと結合して使うものなのだけど、そういうときにはロータリーポンプを使うことが多い。だから、真空デシケータを引くようなちょっとしたことから、XRD の回転電極管を引くような時まで、このロータリーポンプはありとあらゆる所に転がっているものだ。

あれはまだ大学院生の頃のことだけど、あるときこのロータリーポンプを動かさなければならないことがあった(そういうことは日常的にあるものだけど)。で、たまたまそのときは急いでいて、何十キロもあるポンプを台車に載せるのに、えいやっと力任せに持ち上げた、そのときだった。

「ピキ」

という嫌な音がどこかしらかで聞こえて、僕はその場に崩れ落ちた。身体を曲げようとすると、腰に激痛が走る。何だ、何が起こったんだ?

当時の指導教官T氏が部屋にやってきて、床に転がっている僕に気付いて、どうした、と声をかけてきた。脂汗を流しながら事情を話すと、

「アホやなぁ、こういうときは腰を折らずに膝を曲げて持ち上げんと……」

しかし、T氏は妙にニヤニヤしている。

「T先生、これ、一体、どうしちゃったんですかね?」

「どうって……分かるやろう。これがギックリ腰ってやつや」

そして、そうかぁ、Thomas 君初めてかぁ、いやいや、ついにやってしまったなぁ……と言いながら、妙にニヤニヤし続けている。こっちは痛くて、脂汗を流しつつ、近くの壁に身を寄せているのだが、そのうちに、ボスのH教授が上がってきた。

「ん、何や、どうした?」
「ああ、H先生、Thomas 君がね……」

T氏はニヤニヤしながら、

「腰イワしたみたいで。初めてらしいですよ」

これを聞くと、H教授の口角がきゅん、と上がった。

「何、腰か? 何や Thomas 君初めてか、あーそうかそうか、ついに Thomas 君も腰イワしたか……」

二人顔を見合わせてニヤニヤしながら、妙にしみじみしたような口調で「いやぁ」「いやぁ」と言い合っているのを見上げながら「アンタら鬼か」と思ったのは、今でもよく覚えている。これが僕の「初ギックリ」で、このときは治癒までに1週間程かかった。最初の何日かは、トイレでいきむのにすら苦労したものだ。

その後も、何年かに一度腰を痛めるようなことがあって、現在に至るわけだが、この十何年か、自分のも他人のも含めると、結構な数のギックリ腰に遭遇してきた。しかし、どうして、誰かがギックリ腰で倒れると、皆ああもしみじみした様子になってしまうのだろうか。仲の悪い人達ですら、顔を見合わせ口々に、自分の過去の経験を交えた「養生訓」をしみじみと語り合ってしまうのだ。

あの「初ギックリ」以来、僕はロータリーポンプを見るとその体験がフラッシュバックしてしまい、ポンプを運んだりメンテナンスで分解したりするときには、妙に慎重になってしまう。「Thomas さんどうしたんですか」と聞かれることも少なくない。いや、でも、あの初ギックリのときの記憶は、おそらく一生忘れることはないだろう。

あれは30になって間もない頃のことだったと思うけれど、某研究所でやはり腰をやってしまい、早退して近所の整形外科に受診した。腰のレントゲン写真を何枚か撮影して、シャーカステンを前にドクターと二人向い合うと、

「Thomas さん……腰ですけどね」
「はぁ」
「まあ……一口で言うとですね……」
「はぁ」
「……もう、若くはないということですよ」

ハァ? と思わず聞き返してしまったけれど、あのときのドクターの妙に嬉しそうな顔ったらなかった。どうして、腰を痛めた人を前にすると「こちらの世界にようこそ」みたいな反応をするんだろうか。次の日、出勤時に上司に報告がてらこの話をしたら思いっ切り笑われてしまったのだった。

「まぁ、皆やっとるんや。君だけやない、ということや。そうか……しかし、そうか……『もう若くない』か……プププ」

プププちゃうわ。まあそういう経験をしたので、自分より若い者が腰を痛めたときは、そういう対応だけはしないように心掛けている。

いや、なぜ今日こんな話を書いているか、というと、実は今日、教会で椅子を運ぼうとして、腰を痛めてしまったのだ。もうさすがに慣れたし、周囲の人にそういう風に扱われるのが嫌だから、帰宅するまで一人耐えていたけれどね。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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