ウヨウヨ

僕は、世間の人達にどういう風に思われているのだろうか。ああ、いや、人間性とか資質とかいう話ではなくて、政治的スタンスの話である。

クリフォード・ストールという天文学者がいる。彼は一時期カリフォルニアのローレンス・バークレー研究所で admin(コンピュータシステムの管理者)として職を得ていて、そのとき偶然侵入者を発見、ヨーロッパまでネットワークを追跡して捕まえさせた(この顛末は彼の著書『カッコウはコンピュータに卵を産む』で読むことができる……もはや古典と言うべきなのだろうけれど)。この本の中で、彼がこんなことを書いていた記憶がある:「自分は、天文学者にはコンピュータの専門家だと思われていて、コンピュータの専門家には天文学者だと思われている」と。

これは僕にも似たような経験がある。僕はもともとバリバリの実験屋だと思っているのだが、自分の仕事の関係で、分子動力学計算や熱力学計算、あるいは複雑な金属間化合物結晶の Rietveld 解析、あるいは FDTD 法による電磁界計算、といった、計算機を使う仕事もやっていた。これらは皆、その計算だけを専門に行っている人々が各々存在しているのだけど、僕の場合は本当に必要に迫られてやっていたわけだ。

ソフトだけではない。修士時代は、研究室の隅に転がしてあったデジタイザを使って、金属単結晶の背面反射 Laue 写真を解析するシステムを組んだし、最初の職場では電子天秤とパソコンで熱天秤の自動計測システムを組んだりしていた。まあでも、それらは本当に必要に迫られてやったことで、僕は実験装置のスペシャリストというわけではない。

要するに、

  • 電子工作が好きだった
  • コンピュータに慣れていた
  • 機械工作が好きだった
  • アマチュア無線をやっていた
……ということが、たまたま仕事の面で役立ったに過ぎないのだが、同業の材料科学の専門家の中で、僕は「計算に詳しい」「コンピュータを用いた数値解析に詳しい」あるいは「実験装置のスペシャリスト」などと言われることがちょくちょくあった。しかし、僕はそれらを必要に迫られてやっていただけだし、その過程で、本当にそれらの分野で飯を食っている「凄腕」に接触したことがあるから、彼等に比べたら自分なんてちょいと器用なだけだ、ということが骨身に沁みて分かっているのだ。

この件で僕が学習したのは、人は、ある局面での印象を以て誰かのことを規定してしまいがちなものだ、ということである。たまたま誰かの目前で、僕がコンピュータを走らせていたり、旋盤を回していたり、半田付けをしていたりすると、それが強調されたかたちで僕という人間が規定されてしまう……そういうことを知ったわけだ。いやまあ、自分の書いたり作ったりしたものはそれなりに価値はあると思うけれど、それを以てその道の……と言われるのは、これは正直言って申し訳ないような気持ちになる、ということである。

さて、「人は、ある局面での印象を以て誰かのことを規定してしまいがちなものだ」という経験則を、最初の僕の問いに適用するとどうなるか。僕は不安になるのである。僕は政治的にどういうスタンスだと思われているのだろうか、と。

たとえば僕は、民主党政権成立以来、一貫して否定的なことを書いているわけだ。こういう論調を以て、僕はネトウヨだと思われているのかもしれない。しかし、僕はミンスとかチョンとかいう言葉を使うことは(今回のように、その言葉それ自体に言及する必要のある場合を除いて)まずないし、Twitter のアイコンに日の丸を入れている輩をこきおろして、多数のコメントをいただいたりもしている(僕は別に日の丸入れるのを否定しているんじゃなくて、入れるならどうして堂々と、でっかく、オースティン・パワーズのクルマのユニオンジャックみたいに入れないのか、と言っているのだが)。

僕の blog で文句なしに一番アクセスが多いエントリは、『レイテ島からのハガキ』である。これを読むと、僕が太平洋戦争を礼賛しているかのように思う人がいるかもしれない。しかし僕はこの中で、

こんな手紙を書き、こんな歌を詠み、こんな思いを持つ人が、一兵卒として勝ち目のない戦場に投入され、妻やまだ見ぬ我が子を思いながら死んでいったのか、と思うと、ただただ胸が痛む。戦争というものは、人のこういう機微をいともたやすく蹂躙し、破壊してしまうのだ。
と書いているわけだ。そもそも、僕は靖国神社に関してもあまり良い感情を抱いていない(カトリックの信者としては、問答無用であそこにカトリック信者の戦死者が合祀されていることには理不尽さを感じずにはおれないのだ)し、「英霊」なんて言葉を軽々に使う輩を見ると反吐の出る思いがする。あの時代の中で、あの苦しみを自ら負ったわけでもない我々が、軽々にそんな言葉で戦死者を賛美することは、あの愚かな戦争の中で理不尽に死んだ人の存在や、その思いを、上辺だけの安っぽいヒロイズムに問答無用で置換しているだけの行為だと思うから、僕は「英霊」なんて言葉をとてもじゃないが自分の口から吐くことはできないのだ。

では僕はサヨクなのだろうか。そういうわけでもないような気がする。竹島や尖閣諸島の問題に関しては、政治的な妥当性は日本の方にあると考えているし、日本がその領有権を主張することは、国土というものが国のアイデンティティとして極めて重要なものである、という意味からも、妥当な行為だと考えている……と、ここまで書くと、ネトウヨな人々が「うん、うん」と首肯する姿が連想されるけれど、竹島に関しては、いわゆる金鍾泌による独島爆破提案について、現在これ程までに揉めるなら、いっそ本当にやってしまっていればよかったかもしれない、と思うこともあるわけだ。

つまり、僕の政治的な立場は「左」か「右」か、という二元論では規定し切れない微妙なものだ、ということになる。そしてそんな二元論で自分を規定されたくはないのである。

しかし、世間ではどうしてネトウヨと呼ばれる人々がこれ程増え、そういう人々は容易く自分達をステレオタイプな行動で簡単に規定し、「自認」してしまえるのだろうか。ミンスとかチョンとか書き殴っている人々や、子供がロッテのアイスに手を伸ばしたら怒鳴りつける主婦に出会ったりすると、どうしてこの人達には、自分が抱えるような「二元論では片付けられない」微妙な思想がないのだろうか、と不思議に思えてならないのだ。いや、こういう感想も、あるいは僕が先に書いた「ある局面での印象を以て誰かを規定する」行為に過ぎないのかもしれない。しかし、どうして彼等は、ネトウヨならネトウヨ同士で、お互いの微妙な立場の違いを論じ、その認識を深める、という方向には行かずに、声を合わせて罵詈雑言を並べる方に行ってしまうのだろうか。

昔の右翼は、「一人一殺」[一殺多生」に代表されるような過激な思想の下、暴力闘争を展開する人々もいたけれど、もう少し議論というものをちゃんとしていたような印象がある。たとえば「一水会」の最高顧問の鈴木邦男という人がいるが、この鈴木氏の論調などはまさに「論ずる右翼」の好例であろう。この鈴木氏自身も認めているけれど、たとえば新右翼と新左翼の接近などというのも、お互いの微妙な立場の違いを論じ、その認識を深めた結果であると言えないこともない。

しかし、ネトウヨと呼ばれる人々の中で、こういう微妙な議論が醸されない、という辺りに、僕はその存在やその必然性に強い疑義を感じずにはおれないのである。この blog にも、あるいは何か罵詈雑言めいた書き込みがされるのかもしれないけれど、その元気があるのなら、思想的に僕が納得する程に成熟した論を、どうか聞かせていただけないものだろうか。

Moonies?

韓国人は、どうも自分の名前を英語風に読まれることを好むような印象があるような気がする。かつての職場で一緒に仕事をしていた人で、皆に「ジョンさん」と呼ばれていた人がいるのだが、彼に、名字は漢字で何と書くのか、と一度聞いたことがある。彼は(彼の国に関してはネットで色々言われているけれど、本当に教養のある人は……一握りかもしれないけれど……本当に高い知性を身につけているんですよ)すぐに「鄭」と答えてくれた。なるほど、昔だったらテイさんだね、と言うと、でも今は日本でもジョンですよ、ジョンと呼んでやって下さいね、とやんわりと言われたのだった。それ以来、彼のことはいつでもジョンさんと呼ぶようにしている。

僕は小学校の頃に、同じ名字の同級生の女の子がいて、彼女に色々在日韓国人のことを教えてもらったおかげで、あまり韓国人との間に垣根を感ぜずにいられる(とは言っても最近の大韓民国の暴走ぶりにはさすがについていけないのだが)のだけど、彼女も今ではジョンと名乗っているのだろうか。韓国では結婚しても女性の名字は変わらない(これは別にフェニミズムの面での男女別姓ではなく、女性は家に入れない、ということなのだけど)から、きっと今もどこかでそう名乗っているのだろうけれど。

さて。標記の件である。まずは洪蘭淑という人の説明から始めなければならない。洪蘭淑は、文鮮明の長男である孝進の妻だった女性である。文孝進は、ちっとも格好良くない「セックス、ドラッグ、ロックンロール」への耽溺の挙句、今から4年前に心筋梗塞(彼が十数年間常用していたコカインに起因するものと思われる)で死んだのだが、父の意向で妻合わされた洪蘭淑との結婚を望まない、と公言しつつも4人もの子をなし、DV に走り、1995年に妻と子が脱出、訴訟を起こされてそのまま離婚したのであった。で、その洪蘭淑は1998年、“In The Shadow of Moon”という暴露本を出版した。

僕はこの本の存在を知っていたのだが、実物を手にしたことはなく、えらく詩的なタイトルだなあ、としか思っていなかった。しかし、最近、アメリカで原理研究会(日本の大学で耳目にする「原理研」と同じものである)が問題化したときのことを書いた文章を読んでいて、そこに原理研に嵌っている人々を称して "Moonies" と書かれていたのを読んで、あれ、ひょっとしたら、と気がついたのだった。

最近はメディアでも、朝鮮語でのファンダメンタルな発音に倣うようになっているので、文鮮明の訃報を探してみると、ちゃんと彼の名前の本来の読みが書いてある:「ムン・ソンミョン」と。これはアルファベットで "Moon Sun-myung" と書くのである。

なるほど。洪蘭淑の本の題名はダブルミーニングだったわけだ。そして、Moon にかぶれた lunatic のことを "Moonies" と言うわけだ。こんなことにすぐに気付かないなんて、少し頭が錆びついているのかもしれないが。

統一教会に関わる哀しい思い出

僕は、自分がカトリックの信者であることを公言しているわけだけど、日本において、ほとんどのカトリックの信者は、必要ない限りはそういうことを公言したりはしない。それは信仰に関わる問題のためではなく、周囲との無用な摩擦を避けるためである。

僕自身も、そういう摩擦を経験したことがある。たとえば、大学に入って間もない頃のこと……当時、銀座の外れに住んでいた友人Yの家に遊びに行くと、一人の男が訪ねてきた。中学時代の同期だ、と言うのだけど、僕はどうにも思い出せずにいた。Yと話もあるだろうし、僕は移動の途中にYを訪ねたに過ぎないので、そのときはしばし歓談した後に辞去した。

それから程なく、僕が再びYに会ったときのことである。

「あのときは酷いめに遭ったよ」

とYがこぼすので、何があったのか、と訊くと、

「あのとき本人が言わないので黙っていたけれど、あいつは一家揃ってのガチガチの創価学会員なんだよ」
「……うん」
「あのとき、お前がカトリックだとかいう話になったろう」

そう言えば、そんな話をしたかもしれない。

「お前が帰った後に、あいつ、キリスト教がいかに不完全な宗教か、ということを滔々と俺に語ってなあ」

それは災難だったろう。なにせYは倫理学専攻で、カトリックの神学者にして倫理学者であるスピノザの倫理学を研究していたのだから。

「で、な。俺はもうあいつの弁にうんざりしてしまって、論破してしまったんだ」
「……うん。そうしたら?」
「そうしたら、あいつ、俺は帰るけれどこれを置いていく、読んでくれ、って」

そう言うと、Yは一冊の文庫本を僕に差し出した。青春文庫、と表紙にある。裏を返すと、聖教新聞社と書かれている。著者は……池田某。中を見ると、あちこちに線が引かれている。なるほどねえ。知らなかったとは言え、Yを酷いめに遭わせてしまったのには、僕にも責任の一端はあったのかもしれぬ。

こんなこともあった。やはり大学時代のことだが、大学に NeXT というコンピュータが導入されて、ネットワーク接続され、モリサワフォントや Mathematica がインストールされ、400 dpi の PostScript レーザープリンタが使える UNIX ワークステーションが24時間好き放題に使える状態になって、2年程が過ぎたときのことだ。

当時、端末室に入り浸っている面々は仲良くなって、深夜に皆でファミレスに行ったりしていたのだけど、その面々のひとりに、「ユンカース」というハンドルを使っている下級生がいた。彼は僕に、自分は木根尚登のファンだ、としきりに言う。僕が音楽をやっているからだったのかもしれないが、別に僕は TM Network のファンというわけではなかったので、正直持て余していた。彼は、木根氏の『ユンカース・カム・ヒア』をしきりに賛美し、学内の電子ニュースにおいても、木根氏に関する宣伝を延々と書き続けていた。

当時の僕は、中学以来の読書量を落としておらず、大学の最寄り駅の近くにある古本屋で毎日のように本を買っては読む、という生活をしていたので、あまり自分が読む価値も感じない単一の作品を毎回毎回賛美されることにうんざりしていた。まあそんなことがあって、彼とはそのまま疎遠になっていったのだが、誰かが電子ニュースで、彼と彼が宣伝している木根氏に関して批判的なことを書いたときに、逆上した彼が「罰が下る」と書いたことを、僕は妙に鮮明に記憶していたのであった。

それからしばらくして、木根尚登という人が熱心な創価学会員であるという話を聞いて、彼の「罰が下る」という言葉の意味が分かった。おそらく彼は「仏罰が下る」と書きたかったのであろう。この言葉は、創価学会員が自分達に批判的な意見に対して使う常套句である。つまりは、彼もまた熱心な創価学会員だったのだろうと思う。

誤解しないでいただきたいのだが、僕は何も創価学会だから何もかも悪だと言っているわけではない。社会との折り合いを付けて暮らしている創価学会員がいることを、僕も知らないわけではないからだ。僕が豊中・晴風荘に暮らしていた頃、隣に暮らしていた年配の女性は創価学会員で、一度だけ「聖教新聞を取ってくれないか」と来たことがあるけれど、それ以外は実によくしていただいた。そういう方も、いないわけではない。しかし、皆がそうだというわけでもない。社会においてしばしば耳目にし、僕も実際に目の当たりにしたことのあるトラブルが、そういう「社会と折り合いを付けられない」ものの存在を裏打ちしてしまっているのだ。

まあ、それでも、創価学会に関しては賛否両論あるところと言うべきなのかもしれない。しかし、標記の統一教会(世界基督教統一神霊協会)が反社会的存在である、ということに関しては、おそらくほとんど反論される方はおられないであろう。カトリック、というか、クリスチャンとしては実に迷惑な話なのだけど、未だに統一教会がキリスト教の一種であると思われている方がおられるようだが、統一教会はキリスト教ではない。ここは何が何でも強調しておかなければならぬ。

なにせ、統一教会の教義によると、文鮮明はキリストの生まれかわりなのだ、という。冗談ではない。僕等の知るキリストは、あんなに現世利益に塗れた存在では断じてない。文鮮明は、自らがキリストの実現し得なかった地上の理想の世界を実現する、と言っていたそうだけど、自分の息子をコカインの常用による心筋梗塞で死なせるような輩にそんなことを言われたかぁないのだ……と、まあ批判するとキリがないのだけど、大学というところに居たときには、僕の身近にもこの統一教会の気配があったのだ。

先の、端末室に入り浸っていた面々の話である。この面々というのが、下は学部の2年生位から上は院生まで、結構な幅があったのだけど、その中にひとり、電気系の学科に所属する大学院生がいた。この面々の根城になっていたのが、その電気系の学科に隣接した端末室と、理学部にある端末室だった(事実上24時間開放された状態だった)のだが、寮からの距離は前者の方がやや近い。そこで毎夜のことく過ごしているうちに、その院生と顔見知りになったのである。

あるとき、彼からメールが送られてきた。共同購入で、光磁気ディスクを買う計画があるのだけど乗りませんか? という内容だった。当時、まだ光磁気ディスクは普及する前だったのだが、僕等が使っていた NeXT には 5インチの光磁気ディスクドライブ(容量 256 MB)が付いていた。まだこの頃は、数百 MB もの容量のディスクを持ち歩くなど、普通の生活をしていたら考えもしなかった頃で、数千円という価格でそれを実現できるというのは、まさに夢のような話だった。当然、僕は二つ返事でこの話に乗ることにした。

それから一月程後だったろうか。端末室で、彼から光磁気ディスクを受け取った。丁度5インチの FDD のケース位の大きさ(そりゃそうだ、同じ5インチなんだから)で、厚さは1センチちょっと位だったろうか。このディスクはリード / ライトが非常に遅かったのだけど、ゴトゴト音を立てながら NeXT cube にこのディスクをマウント / イジェクトしているだけでも、何やら特別なものを掌中にしたような興奮を感じたものだ。

これが縁で、その院生(以下H氏と称す)と、オンラインでもオフラインでもちょこちょこ話をするようになったのだが、あるとき、H氏が1週間程姿を見せなかったことがあった。学会にはまだ少し早い時期だったので、どうしたのだろうか、と思っていたところに、

「ちょっと旅行に行っていました」

と、学内の電子ニュースに書き込まれていた。へー、俺なんかとても旅行に行く時間も金もないのに、そういう余裕のある人もいるものなんだなあ、と、そのときはそのまま納得していたのである。

ところが、そのうち妙なことに気がついた。H氏が左薬指に指輪を嵌めているのである。指輪といっても、普通の結婚指輪より妙にゴツい感じの、金色の指輪である。目敏い連中が、

「あー、Hさん、もしかして結婚したんですかぁ?」

とはやしたてると、H氏は笑うだけで、それ以上何も答えない。

「じゃあ、婚約したんですか?」

と水を向けてみたが、やはり笑ってそれ以上何も答えようとはしなかった。

そのうち、端末室で、顔見知りの学生から妙な話を聞いた。H氏が、デスクトップに女性の顔写真らしきものを貼り付けているというのである。当時……まだ Windows 95 の出現する前の話である……、僕等が使っていた NeXT の GUI システムでは、画像をデスクトップに置くこともできないわけではなかったけれど、ほーHさんもなかなか大胆じゃないですか……と、早速見物に行った。H氏が何か書きものをしているのを後ろから見てみると、確かに女性の顔らしきものが貼られている。しかし、解像度が今一つだったので、どんな感じなのかはっきりとはしなかった。他の学生達はその件で盛り上がっていたけれど、僕はあまりその話には深く踏み込まない方がいいような気がした。どうも、何か普通と違っているような気がする。あの指輪にしても、その妙に不鮮明な画像ファイルにしても、何か、何かが普通ではないような気がしていたのだ。

実は、その指輪がどんなものだったのか、検索で見つけることができた。こんな感じである:

http://p.twpl.jp/show/orig/UBgeW
僕の感じた違和感がどういうものだったか、皆さんにも伝わるのではないかと思う。

そのうち、ひょんなことから、僕はバンドを組むことになった。このバンドのドラム(ドラムだからD氏とでもしておくか)が、なんとH氏と同じ電気系の学科に所属しているという。あれ、じゃあHさんって知らない? 端末室でよく会うんだけど……と言うと、D氏は、ああ、はいはい、同じ研究室ですよ、と言う。

当時、僕等は箕面市の公民館(さすがに高級住宅街で有名なだけあって、簡単なレコーディングの設備も付いた十分な広さの練習スタジオが、なんと半日500円で借りられた)で練習をすることが多かったのだけど、練習の帰り、D氏のクルマの助手席で、ふとH氏の話になったのだった。すると、

「あのさあ、Thomas 君ってクリスチャンとか言ってたよねえ」
「え? ああ、そうそう。うちは祖父の代からのカトリックでね」
「カトリック? カトリックって、旧教のこと?」

えらく珍しい言葉を聞いたなあ、と思ったのだが、考えてみれば、キリスト教と縁のない人にしてみたら、まあそういうことになるのだろう、と思い、

「旧教……まあ、歴史の教科書とかにはそう載ってるねえ。そうそう、その旧教だよ」

すると、D氏は少し考えてから、

「じゃあ、Hさんとどうして知り合いなの?」
「え? ああ、ほら、NeXT 使う連中が、君の研究室の近くのあの端末室に集まってるだろ。あそこで会うことが度々あって、そのうち光磁気ディスクの共同購入とかで誘われて、それで、ね」

D氏は、クルマを路肩に寄せて停めた。そして、うーん、と、やや混乱したような表情で、

「…… Thomas 君は、Hさんの件を知らないんだね」

と言う。

「Hさんの件?」
「うん…… Thomas 君、Hさんが指輪してるの知らない?」
「ああ、知ってる知ってる、皆が結婚指輪かエンゲージリングか、って騒いでたんだけど、あの指輪、あまり見ない形だよね」
「……うん。あと、今年の8月末位に、1週間位休んでたのも知ってる?」
「ああ、そう言えば、旅行に行った、とか何とか」

D氏は溜息をついてから、こう話し始めた。

「Hさんってね、統一教会の信者なんだよ。今年の8月に旅行に行った、っていうのは、あれは合同結婚式に行ったんだって」

それを聞いた途端、それまで違和感を感じていたことに合点がいった。

「じゃあ、デスクトップに貼ってた女性の顔は……」
「うん、それはその合同結婚式で結婚した相手だろうね。ただし、結婚してから、しばらくは一緒に暮らせないとか何とか言ってたけど」

僕は、次にH氏と会ったときに、どんな顔をしたらいいんだろう、と、考え込んでしまった。

「……しかし、Thomas 君、本当に知らなかったの?」
「そりゃそうだよ、今ここで初めて聞いたんだから。それに、僕に対して宗教的に攻撃してくる、とか、布教しようとかいう風でもなかったしね」
「……まあ、そういうことでね。ほら、Hさん、D4 だろう? あれも、その件で揉めて学位論文が遅れてるらしいよ」
「なるほど……今、ようやく、全てが頭の中でつながったよ」

……その後、僕は別にH氏を遠ざけたわけでもないし、どちらかがどちらかを攻撃したということもなかったのだけど、彼とは疎遠になってしまった。今はどうしていることだろうか。

一説によると、合同結婚式で結ばれたカップルの8割が、その後壊れてしまうのだという。人と人の縁というものを、まるでブリーダーが犬を交配でもするように貶めてしまった結果がこれだ。幸せは、人が人にモノのように与えることなどできはしない。神を騙った、汚れたヒトが他人の幸福を無責任にも粗製濫造することが、どれ程罪深いことなのか。ここにこれ以上書くまでもなく、それは明らかなことであろう。

あの頃、僕は丁度プライベートでも色々あって、純粋な出会いとか恋とかいうものに飢えていた時期だった。そんな時期にこういうことを知ってしまい、何とも言えず哀しい気持ちになったことは、今でも鮮明に記憶している。文鮮明が死んだ、というニュースを聞いて、ふと、そんなことを思い出してしまったのだった。

デジタルリマスタリング

デジタルリマスタリングの話は、正直言ってあまり書きたくない。世間で(特に一部の愚かな山下達郎ファンの間で、ね)誤解されていることなのだが、デジタルリマスタリングをするのは、音を良くするためではない。音の夾雑物を除き、ダイナミックレンジや EQ を整えるために過ぎない。

ちょっと考えてもらえば分かると思うのだけれど、処理前より処理後の方が情報量が増えるはずがない。処理を行えば、情報量は減る。これはこの世の理なのであって、デジタルだろうがアナログだろうが、この事実を引っくり返すことはできない。ただし、高分解能でデジタルに変換した情報は、任意の情報を、他の情報に対して影響を最小限に留めるように間引くことができる。だから、ノイズを減らしたり、音圧を上げたりすることがより効果的にできる、というだけのことだ。だから、デジタルリマスタリングは「修正」技術に過ぎないし、ましてやそうやって修正した音源でも、FM で放送されたら、その瞬間に 15 kHz から上の情報は削られる。だから、山下達郎が手持ちのレコードからデジタルリマスタリングした音源を、たとえば Rhino が reissue した CD の音源より有り難がる輩が存在する、という、この理由が僕にはとんと分からぬ。このことに関しては山下氏も何度かコメントしていると思うのだけど。

僕がデジタルリマスタリングを行うのは、主に以下に示す3つの音源の場合である。

  • 自分で制作した音源
  • CD に収録されていたもので、あまりにマスタリングが酷い音源
  • CD 以外のメディアに収録されていた音源
僕は、音楽は基本的には WAV フォーマットで iPod に入れ、ヘッドフォンで聞くのだけれど、iPod に音源を入れる前に、これらの音源の場合にはごちゃごちゃと作業をすることになる。

最初の場合は、これはリマスタリングではなくてマスタリングである……僕の場合は Steinberg Cubase で録音を行っていて、マスタリングはミックスダウンと不可分に行われることが多いのだけど、トータルエフェクトを集中して吟味したいときには、一度高分解能で出力したファイルを再度 Cubase に読み込み、マスタリングの続きを行って仕上げる。具体的に何をどういじっているかというと、

  • EQ
  • コンプ
  • リミッティング
の3つである。

基本的には、後で EQ を調節しなければならないようなミックスダウンはしないのだけど、もし必要なときは、Cubase 付属の4帯域のパラメトリック EQ を使うことが多い。この Cubase の EQ はフィルタの効きが鋭いので、エフェクトとして使うときにも、このようなトータルエフェクトのときにも重宝している。これではちょっと、アウトボードっぽくなくて作業しづらい、というときは、昔清水の舞台から飛び降りる覚悟で買った SONNOX Oxford とか WAVES SSL 4000 Collection Native とかを使うことになる。

トータルコンプとリミッターで行うのは、いわゆる「音圧を上げる」作業である。これに関しては、僕の場合はかなり控え目にしているつもりだ。音圧なんてのは、潰して持ち上げようと思ったらどうとでもなるのだけど、いくらロックでもあまり潰れていたら台無しである。それに、自分の音源だったら、潰す必要のあるものはミックスの段階で潰している(スネアとかね)ので、トータルで補正する必要はあまりない。むしろ、レベル合わせに相当する作業で、ああでもないこうでもない、と悩むことになるわけだが、まあここではそういう作業をするわけだ。ちなみにこの作業は、今は専ら Oxford Dynamics Native で行っている。

最終的な作業が終わったら、iPod に突っ込めるようにフォーマットを整える。僕の場合、44.1 kHz / 16 bit で出すことが多い。別に 96 kHz でも 32bit float でも出せるんだけど、僕の持っている iPod(いわゆる第五世代)はあまり妙なフォーマットだと読めない。読めないとどうなるか、というと、読み込みかけたところで再起動がかかるので、HDD を壊すのが怖くって、ちょっとあまり冒険したいとは思えない。

というわけで、自分の音源だったらこれでよろしい。では、CD を買ったけれどあまりに音源が酷い、というときにはどうするか、というと、基本的には上と同じプロセスである。ただし、アナログの劣化した音がそのままデジタル化されていて、さすがにこれはちょっと……と思う場合のために、Nomad Factory BBE Sound Sonic Sweet に収録されている D82 Sonic Maximizer を使うことがある。これはもう、本当に、軽ーく当てるだけなのだけど、うまくいくときには本当に効果的な音源補正をしてくれる。まあエキサイターの一種として考えれば、存在しない音域をある法則に従って足している、とも言えるのだけど、これも決して情報を増やしているわけではない。あくまでも補正である。

そして、CD 以外のメディアに収録されていた音源……というと、まず最初に問題になるのが SACD である。SACD の録音フォーマットは PCM ではなく、ΔΣ変調 を用いた 1 bit / 2.8224 MHz サンプリングである。だから、iPod に入れる際には何らかの方法で PCM に変換しなければならない。困ったことに、僕は SACD は持っていてもプレイヤーを持っていない。以前、某所で、自分の所有する音源を rip させてもらった(SACD のプロテクトはもう破られてしまっているので)のだが、これも何らかのソフトで変換する必要がある。

この変換には、みんな大好き foobar2000 を使っている。ほとんどの場合、これ以上の処理は必要にならないのだけど、ごくたまに、高分解能の WAV に落とした後で、Cubase でディザリングをかけて再度 16 bit / 44.1 kHz サンプリングに変換したりすることもある。

そして、それ以外の場合……ようやくここまできた。これの話を書きたくて、延々ここまで説明をしてきたのである。実は最近、今迄入れていなかった The Police の音源を iPod に入れることにしたのだが、どうしても入れたい音源があった。これがちょっと問題ありの音源で、色々とバタバタやっていたのである。

この音源というのが、1978年10月2日、BBC の音楽番組 "The Old Grey Whistle Test" に The Police が出演したときのスタジオライブ音源である。この伝説的な番組で、The Police は "Can't Stand Losing You" と "Next to You" の2曲を演奏しているのだけど、これが実に演奏がいい。まだ彼等が戦略としてパンク色を濃く出していた頃の演奏なのだけど、正直言ってスタジオテイクよりも演奏はこちらの方がいいかもしれない、とすら思える。

これを Youtube で耳にしてから、何としても、少しでもいい音で聴きたい、と思って、あちこち探したのだけど、"The Old Grey Whistle Test" の CD や DVD には "Can't Stand Losing You" だけしか収録されていない。うーん……ああそうか、とThe Police が出していたビデオや DVD をあたったら、そちらには二曲とも収録されている、ということで、”Every Breath You Take”という DVD を入手したのであった。

彼等のビデオクリップ(と言うよりフィルムと言った方がいいのだろうか)などには目もくれず、ISO マウントした DVD の中から、"The Old Grey Whistle Test" の映像のファイルを抜き出して、そこから音声だけを WAV フォーマットで吸い上げた。まずは FFT(高速フーリエ変換)でスペクトルをチェックすると……このようになる:FFT-result.pngあー、なるほど。これはいわゆる Hi-Fi でないビデオ由来の音源の典型だ。高域は 11 kHz 辺りからカットされていて、15.75 kHz にノイズが乗っている(これは水平走査の信号が音声にクロストークしているものと思われる)。当然だが、音声はモノラルである。

まあ、とりあえずノーマライズ(ダイナミックレンジを合わせる作業)をしてから、BBE で音を修正して……おそらく放送媒体では、送出時に歪まないように結構がっつりとリミッティングしていると思われるので、コンプはかけず、甚だしく飛び出しているところだけをリミッターで抑えて、16 bit / 44.1 kHz サンプリングで出力する。これを iTunes 経由(最近は GNUPod で Linux から放り込むケースもあるのだが)で iPod に放り込めば、作業は終了である。

それにしても……世間では配信サイトから MP3 でダウンロードしてきて聴く、というのが一般的になっているんだろうに、こういうことをしているのはアナクロなのだろうか。でも、MP3 等の圧縮フォーマットは音楽を無惨に変質させてしまう(ハイハットやシンバル、そして残響をチェックしたらすぐにバレてしまう)。だから、結局はこういうことをしないと、音楽を聴いても憩いにならないのである。つくづく損な性分だと思うけれど、仕方のないことである。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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