私はTeXは二十数年間使っていますが

まず始めに、自分のことを書いておく必要があるのだろう。僕が初めて TeX を使い始めたのは、大学の2年か3年の頃のことである。最初は NEC PC98 でひぃひぃ言いながら使っていたのだが、大学3年になって、全学であの NeXT を好き放題使える、という、当時としては夢のような環境が我がもの(我等がもの?)になったので、そこから数えると20年ちょっと、ということになるのだろうか。

当時の TeX と現在の TeX を比較することには無理がある。当時は TeX の version がまだ 3 を超えていなかった頃で、日本語を使うにあたっても、アスキーの日本語 TeX(たしか当時はまだ pTeX と呼ばれていなかったと記憶している)でごちゃごちゃとやる必要があった。当然 LaTeX2e 以前の頃で、書き出しは "\documentstyle" であった。当時は class file なんて呼称がそもそもなかったのだから。

しかし、その頃から TeX を使っていたからと言って、僕が万能の TeXnician というわけでは断じてない。日本語の処理体系がひょっとしたら LuaTeX ベースになるかもしれない、という時期が到来しようとしている今現在、僕なんかよりも深く深く、しゃぶり尽くすように TeX / LaTeX を理解している人がたくさんいる。従って、そういう人々の書いたものを参考にしたり、直接質問したりすることは多々ある。あって当然なのである。

僕は、自分より若い人の書いたものを読んだり、質問したりすることを恥だとは思わない。僕にとって TeX は道具なのである。新しい道具に関して、後から来た人が自分より習熟していたとして、その人に古い道具を持っていることをちらつかせても何の意味もない。へー昔はそんなに不便だったんですね、というだけの話である。そして、新しい道具を使えなければ、古い道具の適用限界を超えて何事かを為す可能性を、大きく損ってしまうことになりかねない。もちろん、新しい道具が常に優れているとは限らないかもしれない。しかし、その道具を使わなければならないとき、古い道具をちらつかせたり、昔話で後から来た人を煙に巻いても、結局その道具は使えないままである。そして、そうやって道具を使えず、結果として仕事を進められない輩のことを、我々は「使えない奴」と呼ぶのである。何を恥じるべきか、これ以上書くまでもないことであろう。

TeX フォーラム「lion+dvipdfmx+MacTex2012 で日本語のPDF変換が出来ない。」で交わされた、まるで禅問答のようなこのやりとりの最後に、僕は思いがけず標記の「私はTeXは二十数年間使っていますが」という言葉を向けられたのである。はぁ、僕も20年位使ってますが、などと応ずるのはあまりに不毛だし、無意味なことだ。しかし、僕は少なくとも、この20年の間に、LaTeX2e と pTeX への適応、そして tetex から TeX Live へと(細かいことは色々あるのだが)移行する間に、無用な環境変数の定義は無意味だ、ということは、必要なときにちゃんと知ったのだけど。

これは、『違う環境下での検証』で僕が触れた、w32TeX における mktexlsr の必要性に関する話などとは、比較にならない位低いレベルの話である。mktexlsr に関する議論は、何が必要で何が必要でないか、ということを双方が認識した上でなされたものだったわけだけど、今回の環境変数の話などは、現在のシステムに何が必要で、何が必要でないのか、ということをちゃんと考えもせずに、ad hoc なトライを重ねる中で質問をし、それに対して少しでも logical に対応しようとしたサジェスチョンを、これまた ad hoc に適用して、エラーメッセージが出ないからオッケーだ、というのである。およそ、科学的という言葉の彼岸にある行為だとしか言い様がない。

結局、僕があれだけ書いてもなお、この質問者は、無用な環境変数の定義をやめようとしていない。そればかりか、それこそが、自らが20数年もの間 TeX を使ってきた上での集積の一部なのだ、と言わんばかりの体である。こういう「傲慢な質問者」とのやりとりの集積は、おそらく何ら情報の集積としての価値を持ち得ない。そして、その集積に関わってしまった僕は、貴重な自らの時間をドブに捨てたに等しい。つくづく無駄な時間の使い方をしてしまった。そのまま転がしておけば良かったものを。

sshfs

今日、ふとしたはずみで sshfs を導入してみたのだけど、何故今まで使わなかったんだろう? と思う程に便利である。

sshfs は、通信に ssh を使ったリモートファイルシステムなのだけど、slogin でログインできる相手の任意のディレクトリを、手元にひょいっと mount したり unmount したりできる。僕の場合は Debian のパッケージを使用したが、ソースからインストールするのもそう難しくはないだろう。インストール後の設定は、/etc/group の fuse(もしこの group がなければ作成する必要がある……というか、それ以前に fuse を使えるようにする必要がある)のメンバーにアカウントを追加する。それだけである。

たとえば、ネットワーク上の bar という端末に foo というアカウントを持っている場合、bar 上の /baz というディレクトリを ~/mnt にマウントしたければ、

$ sshfs foo@bar:/baz ~/mnt
とすると、パスワードを聞かれるので、それに答えれば、もう foo 上の /baz が ~/mnt にマウントされている。unmount するときは、
$ fusermount -u ~/mnt
とすればよろしい。

local で Mac OS X と Linux の間でやりとりをする場合、fugenji のサーバ(FreeBSD のサーバだが)と Linux の間でやりとりをする場合……いずれの場合も、これはかなり便利だ。いやーもっと早く使えばよかった。

pyxplot マニュアルを訳すべきか

pyxplot は、GNUPLOT を更に洗練させたようなグラフ作成ユーティリティである。pyxplot は TeX / LaTeX と連動するようになっていて、出力結果は実に洗練されたものになっているので、もっと評価されてしかるべきだし、もっと普及してしかるべきだと思うのだけど、日本においてはほとんど使用者の声を聞くことはない。

pyxplot には、非常に手厚い document も付いてくるのだけど、どうやら日本では日本語で書かれた document がないと普及しないのかもしれぬ。GNUPLOT は、latex2html でも名を知られた新潟大学の竹野茂治氏の研究室で、日本語マニュアルと 日本語対応化を施した Microsoft Windows 版 GNUPLOT の配布を行っている。これがおそらくは決定的な役割を果たしているのであろう。

現時点で言えることだけを書いておこうと思うけれど、僕は pyxplot のマニュアルを日本語に訳そうかと思案している。ただし、pyxplot のマニュアルが、生成に python のスクリプトを使用している(どうもコマンドラインと出力結果の PDF 化に python を使っているようなのだが)ので、その辺の状況をちゃんと理解してから、訳に着手しようかと思っている。僕が数物系の研究室にでも所属しているのならば、輪講でもやって結果を吸い上げて……とかすれば速いのかもしれないけれど、あいにく誰もこういうことを手伝ってくれる状況にないので、少し時間がかかるかもしれない。

post SKKIME (2)

時間ができたので、早速 shannon を Windows Vista で再起動する。

何を使うかでちょっと考えたが、結局 corvus-skk を使ってみることにする。僕は現時点での SKKIME のキーバインドに何も問題を感じていないので、シンプルな方を選ぶことにしたわけだ。

corvus-skk は、辞書ファイルを専用の形式で扱う仕様になっているので、元の辞書ファイルをインポートすることになるのだが、一発で、後は何もすることはない。SKKIME と異なり、annotation があっても問題ないようなので、辞書に関する制約は今迄よりも少なくなった。また、辞書サーバとの通信もサポートしているので、wskkserv 等を使用することも問題なく可能だ。

最近は、SKK のような素形態解析なしの IME というだけではなく、ローマ字記法自体を変えて入力キー数を減らす試みが行われているらしい。これを AZIK というそうなのだけど、これはローマ字の変換テーブルに手を加えるだけで実現可能なので、たとえば今回使用を開始した corvus-skk でも AZIK を使うことは可能である。まあ、さすがに僕はちょっとこれには飛びつき難いと思うのだけど……

また、SKK から発展した Emacs 用の FEP もあるらしい。Sekka(石火)というらしいのだが、ruby と emacs-lisp による実装らしい。モードが存在しない、というのは確かに興味をひかれるが、現状では ddskk から乗り換える必要性はあまり感じない。しかし、こういうプロジェクトには時々目を配る必要があるので、定期的にチェックしておくことにしよう。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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