Kaspersky Internet Security 2011

このご時世にまさか、アンチウイルスソフトをインストールせずに PC を使用している人なんていないと思うけれど、皆さんはどんなソフトを使用されているだろうか。

僕が普段使っているのは Linux だけど、Linux と言えどもウイルスの問題がないわけではない(Windows に比べれば圧倒的に少ないと思うけれど)。Linux 上で僕が使っているのは、フリーのアンチウイルスソフトであるClamAVである。これは結構実績のあるオープンソースのソフトで、web のアンチウイルスプロキシであるHAVPなどと組み合わせて使用することで、快適かつ安全な環境を比較的容易に得ることができる。

U が仕事用の Mac のシステムを OS X ベースに更新したとき、僕は Mac 用のアンチウイルスソフトとして、この ClamAV の Mac 用ポートであるClamXavをインストールした。これは存在を意識することなく動作してくれて、至極快適で、実際 Mac ユーザでもこれを使われている人が多いようである。実際、U もこのソフトに関しては何も文句はなかったようなのだが、そのタイミングで同じく U が購入した、会計処理用の Windows ノート(ソフトの関係で Mac に一本化できなかったのである)の方で、もう文句たらたら、の状態であった。

「なんでこんなに重くなるわけよ」
「あー……まあ言いたくなるのは分かるけど、一応これが一番安全なので」

と説明しても U がなかなか納得しなかったのは……そのノートに僕が導入したのが Kaspersky Internet Security だったからだ。

ユージン・カスペルスキーが1990年代に作った AVP という法人は、日本に紹介される前から知ってはいた。なんでも非常に検出率の高いウイルスチェックができるソフトを作っているらしいけれど、作ってるのが元 KGB の関係者、なんて話が、なんともアブない雰囲気で聞こえてきたりしたものだけど、その AVP 改め Kaspersky Lab. が、あのジャストシステムと組んだとき(実際にはそれ以前から日本語版は存在していたのだが)、どこの家電量販店に行っても Kaspersky 氏のあの髭面が並んでいる光景に、正直言って衝撃を受けたものだ。自分の持っている Windows 端末の OS を Windows Vista 64bit に更新したとき、トレンドマイクロのライセンスが残り少なかったこともあって、僕は迷わず Kaspersky Internet Security を導入することに決めたのだった。

Kaspersky は確かに安全だった。だから U のノートにも導入したのだけど、U が文句をいう「重さ」これは確かに問題だった。結局 U は1年後にウイルスバスターに更新してしまい、今は U の Mac にもウイルスバスターが入っている。で、僕の方はどうなのかというと、僕は未だに Kaspersky を使い続けているのだった。

僕が Kaspersky を使い続けている理由はいくつかあるのだけど、まず、やはり安全性を第一に考えて、ということである。これはウイルスだけでなく、マルウェア一般の検出において言えることで、これに対する Kaspersky の評価は非常に高い。ウイルスだけならば、先の ClamAV の Windows ポートであるClamWinも相当優秀なのだけど、personal firewall なども含めた統合ソフトということになると、やはり Kaspersky の評価は高いのである。僕は Windows 上でもフリーソフトをかなり使っているので、こういう面での安全性は可能な限り高いレベルを維持したいのだ。

で、実際使っていて重いのか、という話だけど、そもそも現在のセキュリティソフトはどれをとっても軒並み重いのだ。そういうセキュリティソフトの中で、とりわけ Kaspersky が重いのか、というと、実はそんなこともない。特に 2010 が出て、Kaspersky の動作は実はやや軽くなっている。ただし、僕のように 64 bit OS を使用している場合は、Kaspersky は 32 bit binary なので、ちょっとイラッとくることはある。しかも 32 bit なのにメモリ使用量が多い。おそらく U の場合は、メモリ 2G の Windows XP(32 bit)で動作しているノートなので、この辺のネガティブな問題がより効いてしまったのかもしれない。

余談だが、最近日本でさかんに売り込みをかけているのが ESET である。製品名としては ESET NOD32 Antiwirus というのと ESET Smart Security というのをよくネット上で見かけるけれど、この ESET の宣伝でよく目にするのが、「カスペルスキーが重いとお困りの人が軽さに感激するウイスルソフト」というのと「勝間和代さんも ESET を使っています」というもの。ESET は統合ソフトとしての強さは Kaspersky に未だ及ばないと言われているけれど、僕は二つめの宣伝文句を聞いて、勝間和代が生きている限り絶対に ESET は使いたくない、とすら思ってしまった。カツマーなんて聞いただけでも反吐が出るっての。余談の上のそのまた余談だけど、今季から Kaspersky は広告宣伝に AKB48 を動員するそうなので、ESET 関係の方々も宣伝文句にはもう少し気を使われたほうがよろしかろう。

あと Kaspersky を使用した人で「重い」「重い」と言う人は、おそらくウイルスパターンファイルの受信においてそう感じているのではないか、と思う。これは大体数時間に一度位の頻度なのだけど、なにせパターンファイルの更新が速いというのが Kaspersky の売りなので、これは如何ともしがたいところである。U は会計処理用のノートを立ち上げる頻度が極端に少ないので、たまに立ち上げたときにネットワークに接続して、Windows と Kaspersky のファイル更新でとんでもないことになってキれてしまうのだが……うーん。firewall を立ち上げて、そこにパターンファイルをストアするようにでもしないと、U の不満は根本的には解決しないかもしれない。

で、なんでまた今日は Kaspersky の話なのか、というと……今日、ジャストシステムから、Kaspersky Internet Security 2011 の正式リリースが通知されたので、昼過ぎから僕の端末のシステムを更新していたのだ。再起動を1回、それと初回のパターンファイル(20 M になんなんとする大きさ)の更新を経て、今端末の完全スキャン中である。

しかしなあ……2011 になっても、Kaspersky は 64 bit native にはなっていない(これは他のセキュリティソフトでも同じだろうと思うけれど)。もう僕の端末では、Kaspersky 以外の常駐型 32 bit binary は、Apple 関連、Google Chrome、Google 日本語入力と .NET Runtime Optimization Service 位しか存在しない。Windows 7 の普及で 64 bit 化がこれだけ進んでいるんだから、Kaspersky や Google もなんとかならないものだろうか……

採血

今日は某病院でちょっと検査。半年ぶりに採血する。

この稼業を長くやっていると、半年に一度採血を行うのが当たり前になってしまう。今はまだましだけど、京大の原子炉実験所で実験をやっていたときなどは、あれやこれやで真空採血管を5、6本程採血されていた。こんなに抜かれたら貧血になるんじゃなかろうか、などと冗談を言いながら採血されていたものだ。

で、今日採血を行っていた某看護師、どうも注射器での採血が苦手らしい。いつもシリンジに細いチューブを経由して翼状針を付けて、これで採血するのだ。シリンジの組み立てをしてから、ゴム管を巻いて静脈を浮かせるのだけど、

「……」
「ん、浮きませんか?」
「え?いえいえ、そういうわけじゃないんです」
「では何か?」
「(二つある静脈の)どちらが痛くないかなー、って」
「……ハズレは痛いんですか」
「え?あぁ、いえいえそうじゃないんですよぉ。でもね、皮膚が厚いところだと引き攣れて痛いかなー、って。ですからねそのぉ」
「……品定めされてると余計痛そうなんで、早いところお願いします」

丁寧なのも考えものである。

作曲法ねえ

音楽の話になって、自分で曲を書いて演奏して……というのが趣味(これも世間で言う趣味と同じなのかどうか何とも分からないのだけど)だ、と話すと、多くの人が、

「えー、すごいですねえ。曲って、どうやって書くんですか?」

と聞いてくる。実は、この質問ほど答えにくい質問はなくて、この質問に答えるのが面倒だから、音楽の趣味の話をしないことさえあるのだけど……こういう質問にどう答えたらいいのか、今でも本当に悩まされる。

たとえば、何か一曲書こうと思ったとして、そういうときにどうするか……うーん。僕の場合は、手にギターを持つことが多い。鍵盤も使う(というか、ある段階以上になったら鍵盤がないときついかもしれない)のだけど、場合によっては、何も持たずに曲を書くこともある。

じゃあなんでギターを持つんだ?と聞かれそうだけど、もちろんコード進行とかオブリガードとかを確かめるのに使うんだけど、リズムパターンを考えるときにもギターがあると便利だからだ。最初にあるコード進行があって、じゃあこのヴォイシングからこのヴォイシングとして、リズムパターンは……と、その場でカッティングなんかして、ああこのパターンかな、などと考えをまとめていくわけだ。だから、ギターにせよ鍵盤にせよ、あれば便利なんだけど、なければ曲が書けないというものでもない。むしろ、集中しているときに楽器に触ると、その楽器の奏法が発想の縛りになってしまうので、そういうときは手には何も持っていない。

職業作曲家、それもオーケストラ向けの曲を数多く書く人なんかはどうしてるんだろう、と思って、"Musicman's RELAY"なんてのをネット上で見つけて読んでいたら、かの服部克久氏が同じようなことを言われていた。以下、該当箇所を引用する:

●まぁ、普通の音楽教育を学校に任せて、身近な音楽教育はなかったということですかね…。 そういえば服部先生は作曲を全部頭の中でピアノを弾かずになさるとか…これは先天性なものなんですか。

そうですよ。僕はそうしてますし…。親父はピアノ下手だったんで、あんまり弾かなかったかな。ピアノは横にありましたね。譜面向かって曲を書いてこっちに脇にピアノをおいて…ボロ〜ン♪とかってやって…確認のために弾いてたみたいですね。

●だいたいみんな頭の中に鳴ってるっていう…。

よく映画でね、バーッて弾きながらこう書くっていう…あれは嘘ですよ。あんなのしてたら先に進まないですよ。

●(笑)

ダーッて書いて「ここ大丈夫かな?」っていう時に、ちょっと確かめる。だいたいはそうやってやるんじゃないんですか。他の人が作曲してるところを見たことがないんでわかんないんだけど。

●オーケストラの譜面ですよね…何パートも全部頭の中にあるなんてすごいと思いますけどね。

うん。ただ譜面書くだけなら3年ぐらい勉強すればだれでもできるような話なんですよ。

コンセルヴァトワール出身の服部氏と、ほとんど独学で音楽をやっている僕とを比較するのには無理があるけれど、僕の場合でも、楽器や譜面にダイレクトに接していないと作曲できない、ということは、実はなかったりする。あくまで音の世界は頭の中で構築されて、それを確認するために楽器、記述するために譜面を使うけれど、楽器や譜面が世界を構築してくれるわけではないからだ。

そういえば、前に、何のテレビ番組だったかは忘れたけれど、職業作曲家に「作曲するときに何を使いますか?」というアンケートを取っていて、一位の「ピアノ」に次ぐ堂々の二位が「口三味線」だった、というのを観たことがある。一応曲を書く立場としては、これは実によく分かる話であった。

僕の場合、曲を書く上での最初のきっかけは、リズムパターンやコード進行の一節 (snippet) である。印象的な snippet が浮かんだら、譜面にメモっておくか、DAW でその一節のイメージを打ち込んでおく。余談だけど、IT 業界でも、ソースリストの「一節」(汎用性の高いルーチンとか)を code snippet とか、単に snippet とか称することがあるようだけど、意味はそれと全く一緒である。この snippet が、曲の中で印象的なフレーズとして機能するときは、これを hook と言う。まあとにかく、これが手をつける最初のポイントになるわけだ。

……と、ここまで書いてきて、「その snippet はどうやって作るんだ?」とかいう疑問を向けられるような気がしてきた。うーん。これは、こう、浮かぶんですよ。何か曲を聞いているときとか、音楽とは全く関係ないことをしていたりとか、人によってはクルマに乗ってるときとか。昔、まだ IC レコーダとかがなかった頃に、ミュージシャンは出先にいるときやクルマの運転中に snippet が浮かんだとき、家に電話する、という話があったけれど、これは家の留守電に吹き込んでおくというわけだ。曲をかかない方々も、でたらめな鼻歌とか唸っていると、きっとこういうフレーズが浮かんでくることがあると思う。

で、その snippet の前後を構成するものを考えつつ、曲全体の構想を組んでいく。これは、印象的な一言を出発点にして、短編の小説を書くようなもので、文章を書くのに漢字や文法が必要なように(というかその程度には)、和声学とか対位法とかリズムパターンの構築とか、まあそういうものは必要になっていく。これは、僕の場合は浴びるように大量の音楽を聴いていたという背景があって、その記憶に楽典で説明をつけていく、というようなかたちで学習したものを、自分のイメージに適用して書き進めていく……という感じだろうか。まあこれは、小説を読むのが好きだった人が、やがて自分も書くようになる、みたいなもので、自分としては極めて自然な行為なのだけど、段階的にこれを他者に伝えるというのは、どうにも難しいかもしれない。

こういう作業の結果、メロディとコード進行と簡単なリズムパターンの組み合わせができてくる。おそらく、世間で言う「作曲」はここまで、ということになるのだろう。その後は、全体の構成の中で聴く人をはっとさせるようなコード進行とかリズムパターンとかを改めて考える。場合によっては、最初考えていたのと全く違うリズムパターンになる可能性もあるし、必要に応じて、それらのパターンに合わせてメロディの方をいじることもある。この作業と並行して、DAW でリズムパターンを組んでいく。最初はドラムとベース、鍵盤辺りを組みながら、印象的な楽器(ホーンセクションとかストリングスとか)の旋律を決め、更にそれに合わせて他の部分をいじることもある。

……まあ、こうやって曲を作っていくわけなのだけど、結局、作曲・編曲・演奏は、作業としては不可分なものになっている。自分ひとりでやっていて、メロ譜や書き譜を書く必要もあまりないし(ベースのようにアレンジに大きな影響を与えるものの場合は、自分の演奏用に譜面を書くこともあるけど)、おそらく他人が見たら、何だか分からないうちに曲が出来上がっていくのかもしれない。そういう意味では、このような作曲は彫塑によく似ている。

石や木を掘り込んでいくのを横から見ていて、どうしてそこから動物や青年や裸婦や、あるいはガウディの建築物のようなものが出現するのか、これは「謎」のようにも思える。漱石の『夢十夜』の第六夜に、「運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいる」話というのがある。天衣無縫の体で木に埋もれた仁王を掘り出すがごとく彫る運慶を見て、自分も庭の裏に積んでいた薪を彫ってみるけれど、結局何も出てきませんでした、という話である。この話は、

自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋(うま)っていないものだと悟った。それで運慶が今日(きょう)まで生きている理由もほぼ解った。
と終わるのだけど、勿論木の中に仁王が隠されているわけではない。木塊という閉空間の中に他者が掘り出し得ない仁王を見、それを彫りだすのは、ひとえに運慶自身が木に何を投影し、どう鑿を振るうかにかかっている。運慶が今日まで生きている(その他者に代え難い存在が重く認知されている)のは、あの仁王が運慶でなければ彫れないからだ。僕のように「ささやかな」アートに取り組む人間であっても尚、一応は他人が作らない・作れないものを「かたち」にしているところは同じであって、その過程が他者にはどうにもよく分からない、というくだりも、よく似たものを感じるわけである。

さて……で、毎度おなじみニコニコ動画などでも、オリジナル曲を公開する人が増えている。増えている……のだけど、なんかこう、どうもぱっとしないのである。アクセス数などを見て、高い人気を誇るものを聴いてみても、あーこれいいなあ、と学ぶべきものを感じることはまずほとんどなく、毎度おなじみのコード進行やメロディに、味のない練り餌を喉に詰め込まれたような気分にさせられることがほとんどである。

こう感じるのば僕だけではないらしい。「音極道」で書かれて、後にニコニコ動画でも配信された『JPOPサウンドの核心部分が、実は1つのコード進行で出来ていた、という話』なんてのはその一例だけど、実際、最近の avex ものとかが、如何に automatic にこの「王道進行」とか、あとはいわゆるカノン進行(馬鹿の一つ覚え的に誤解している人がいるようなのでここに明記しておくけれど、「王道進行」と「カノン進行」は異なる進行形である)を用いていることか。そういうのが好きな人には、作曲というのは簡単なことに思えるのかもしれないけれど、まあそう安易なものではないんだよなあ。

遅れてやってきた幸運

僕は音楽制作に、年代物のオーディオインターフェースを使ってきた。これはTASCAM US-428というシロモノなのだけど、アナログ関連が結構しっかりしていて、Cubase のオペレーションに対して至極便利で、おまけに Linux 上からも簡単に使えるので、もう十年くらい(いや、それ以上かな?)、僕はこのインターフェースを使っている。

とはいえ、もう完全にメーカーも legacy 扱い(っていうかこういうのをまさに legacy って言うんだろうけど)の状態なので、可搬性があるオーディオインターフェースということで、TASCAM US-144を購入してあった。このインターフェースは USB 接続だけど、バスパワーで動作して、しかもファンタム電源まで付いている。音質は US-428 のそれを継承しているならば問題はあまりないだろう……ということで、衝動買いに近い勢いで買ってしまったのだが……実はつい最近まで、こいつは埃をかぶっていたのだ。勿論それには理由がある。

この US-144 を購入したとき、僕は音楽制作に使用している端末を Windows XP (32 bit) で動作させていた。この時点では、使用に際して何も問題は生じなかったのだが、メモリを 4G に増設するのにあわせて、OS を Windows Vista 64bit に更新したとたん、US-144 がまともに動作しなくなった。音がプチプチ切れて、CPU に異常な負荷がかかって、甚だしきに至っては blue screen で OS ごと落ちてしまう……これは僕が 64 bit Windows を使っていてほぼ唯一とも言えるトラブルだったのだけど、これには参った。だって、32 bit OS で動作させていたときには何も問題なかったんだぜ?

まあ、当然これはドライバに問題があるんだろう、ということで調べてみると、この US-144 のドライバはどうやらPloytec GmbHが作っているらしい。更に調べてみると、どうもここの 64 bit 版ドライバには USB コントローラに対するキッツーい相性問題があるらしく、僕の使っている Dell Inspiron 1501 の Ricoh 製 USB コントローラに対して、このドライバがちゃんと動作してくれない、ということらしいのだ。うーむ……丁度そのとき、僕は新しい曲の録音をしようとしていたところで、ドライバ問題を抱えて右往左往するより、もう使わないだろうと思っていた US-428 の 64 bit OS 上での使用を試す方が現実的だったのだ。で、恐る恐る US-428 の 64 bit ドライバを入れてみると、何のことはない、こちらは至極快適に動作する。これならもうこれでいってしまおう……ということで、僕は結構長い間 US-428 を使っていたわけだ。

で、最近、mixi の DTM 関連コミュニティにおいて、「32 bit OS と 64 bit OS、どちらがいいんだろう?」というような質問が頻発していた。そもそも DTM はメモリもたくさん使うわけだし、僕の US-144 のようにドライバで問題が生じるようなことがない限りは、こんなものは 64 bit に移行した方がいいに決まっている。しかしながら、32 bit OS しか使ったことのない人々が、ビギナーに「64 bit はダメですよ」みたいなことをしたり顔で教え込もうとするのを何度となく目にしたので、そのたびに、ドライバで不都合が生じなければ、そんなものは 64 bit の方がいいに決まってるじゃないか、という主張を(当然論拠を明示して)書いていたわけだ。

しかし、どうも喉にひっかかった骨のように、US-144 に関する問題が未解決のまま存在していた。うーん、どうしたものかなあ……と思いつつ、久々に TASCAM のサイトを覗いたら……あれ、ドライバが一気に ver.2 レベルまで up してるじゃないの?どういうこと?

僕も、US-144 がディスコンになったことや、その後継機種としてTASCAM US-144MK2というのがリリースされたということは知っていたのだが、US-122 と US-122L のときのような差異(この2機種は名前はそっくりなのだけど内部チップが違う…… ALSA 関連で USB オーディオインターフェースをいじっているとよくこの話を聞いたものだ)はなく、この後継機種の初期のドライバは US-144 用としてもリリースされている……ということらしい。早速そのドライバを入れてみると……おー、問題なく動作するじゃん!

かくして、サウンドインターフェースとして今僕は US-144 を使用している。ASIO の負荷が US-428 よりも高いような印象があるのだが、僕のように大規模な同録をしない(自分の歌かギター、ベースか、アウトボードのシンセを使うとき位だろう)場合は、これでもどうにかなるようだ……まあ、デスクトップ環境を整えたら、RME Fireface 400RME Fireface 800かのどちらかを入れるつもりなので、それまでのつなぎということになるわけだけど。遅れてやってきた幸運によって、僕はもうためらいなく 64 bit OS の導入を人に薦めることができるようになった。

【後記】US-144 でちょっと録音してみたけれど、よくよく考えてみたらこいつには ASIO ダイレクトモニタリングの機能がないのだった。その代わりに、インターフェース上でマニュアルで入力を返すように設定できるのだけど(まあ ASIO ダイレクトモニタリングも、これを DAW 上で実現しているわけだが)、うーん……せめてドライバでフォローしてくれればなあ。というわけで、結局家での環境は US-428 に戻すことになりそうな感じだ。

Profile

T.T.Ueda
Tamotsu Thomas UEDA

茨城県水戸市生まれ。

横山大観がかつて学んだ小学校から、旧水戸城址にある中学、高校と進学。この頃から音楽を趣味とするようになる。大学は、学部→修士→博士の各課程に在籍し、某省傘下の研究所に就職、その2ヵ月後に学位を授与される(こういう経緯ですが最終学歴は博士課程「修了」です)。職場の隣の小学校で起こった惨劇は未だに心に深く傷を残している。

その後某自動車関連会社の研究法人で国の研究プロジェクトに参画、プロジェクト終了後は数年の彷徨を経て、某所で教育関連業務に従事。

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